第6話
セクション1
その冒険者は、まだ社会に出たこともない青年だった。
学生の頃に特定魔力生物管理者資格試験の受験をし、ストレートで合格をした素晴らしい経歴を持っていた。
冒険者という職業に夢と憧れを持ち、半年ごとの研修を三度繰り返す制度で、彼は最短の一年半でそれを修了した。
初魔力生物であるハーピーのフォンスと共に小論文を執筆し、それも歴代第三位の点数を叩き出すという輝かしい経歴を持っていた。
若く、あどけなさを残す青年は自分の屋敷を与えられ、夢と希望に満ちていたのだ。
グローリアという名の冒険者は、到着した屋敷で税制についての説明を受け、ならば戦力がたくさん必要だと思ったのだ。
だからこそ最初に与えられたヒトガタを使って大量の魔力生物を呼び出したのだった。
傍付きであるフォンスを含めて三一人を呼び出したグローリアは、魔導動物型アンドロイドからのアラートに目を瞬かせる。
「特定魔力生物管理者様、当特定魔力生物使役管轄本部は予算比率において特定魔力生物使役数が著しく超過しております」
「え、ど、どういうこと? ハト、そんな説明……し、しなかった、だろ?」
「こちらは、特定魔力生物使役管轄本部運営説明書、五二ページ『予算比率に対する魔力生物使役数』にて説明されております」
グローリアは頭を抱える。全てアンドロイドが説明してくれるものだと思っていたのだ。
「ハ、ハト……予算比率って?」
「予算比率とは、使役魔力生物である亜人や魔族などを維持するコストと、実際に使役できる数の比率でございます。
これらは使役魔力生物維持費、食費、特定魔力生物使役管理者様の給与から天引きされます扶養枠、また固定資産税などがコストとして計上されます」
「そんな、じゃあいま三一人いるのってヤバいんじゃ……」
「はい、このままですと使役魔力生物を解放していただくか、一時的に政府の特定魔力生物保護課へ送って頂く措置を取って頂くことになります」
グローリアはどうしたら良いんだとばかりに頭を抱え、冒険者用の執務室の中で深々と溜息を吐き出す。
「ハト、……最初は何人まで使役できるんだ?」
「最初に使役して頂けるのは初特定魔力生物を含める五人まで、それ以降は特定魔力生物使役法令第二条により、月ごとの使役申請が必要でございます。
使役数につきましては、特定魔力生物使役制限法令第五条及び第一八条により、特定魔力生物使役管轄本部の規模、特定魔力生物管理者様の階級、納税実績により上限が決定されます」
ハトが嘴を忙しなく動かして抑揚のない声で言葉を続ける。まるで悪い夢のようだった。
「現在の可能使役数は五人、超過数は二六人です」
春の穏やかな陽気が執務室の中を明るく照らしている。そんな中でグローリアだけがその場に膝をつき、呆然としたまま床に手をついた。
彼はアルバイトもしたことが無い。ただ精一杯勉強だけをしてきて、夢は必ず叶うのだと信じて努力をしてきた青年だった。
「使役された特定魔力生物は、超過分も関係なく、特定魔力生物使役管理者様の扶養対象となり、維持費は特定魔力生物使役法令第二条により特定魔力生物使役管理者様の課税所得より天引きにて処理されます」
開け放たれた障子の向こうから、ハーピーやハーフリンクの無邪気な笑い声が響く。
春の陽気に浮かれた声が、執務室の窓越しに響いていた。
それは陽だまりのように温かいのに、グローリアの心を氷の底へと沈める音のようだった。
彼は茶色混じりの黒髪を爪が食い込むほどに掻き乱し、肩を震わせる。
「家族なんだ……」
そう呟いても、制度は冷ややかに「扶養対象」「天引き」と告げるだけだ。
グローリアは、相棒たちは家族のようなものだと思っていたのだ。
彼にとっては共に過ごす、大切な家族のようなものだと思っていたからこそ、使役解放処理をしたり、特定魔力生物保護課に送るということが、まるで大切にしていたペットを捨てるようなものに思えて仕方がなかったのだ。
彼の同期の中には、特定魔力生物は部下だと言う者もいた。そのようなタイプであれば特定魔力生物を保護課へ送ることもさして胸の痛む行動ではないのかもしれない。
しかし彼は、そんなふうにはなれなかった。
夢が夢でなく、現実と地続きであることを思い知らされた気分だった。
グローリアは誰をも捨てることができず、ハトが起動する度に響く「特定魔力生物の使役数が著しく超過しております」という言葉を完全に無視していた。
翌月、届いた税金の通知に記された額に、彼は自分の給与のほとんどすべてを差し出すことになっていた。それに、愕然とする。
グローリアは相棒たちの食事はしっかりと摂らせ、自分は水で腹を満たした。
まるで自転車操業だった。税金は徐々に膨らんでいく。新しい魔力生物を使役しないように、摩耗する武器を購入することにすら苦心し、ダンジョンから見つけた武器を磨く金にすら苦しんだ。
とにかく毎月使役申請を提出し、規定数を満たせるように必死だった。
青年は冒険者になって初めて知ったのだ。
夢で腹は膨れず、夢で金は稼げないと。
だから青年は必死に働いた。
働けば働くほど、納税額は上がる。そんなことは分かっていたが、必死だった。自分が使役してしまった魔力生物を全員家族として大切にするために、自分のことは二の次だった。
だからこそだろう。
グローリアは、優秀な冒険者だと言われていたものの、ほんの数年で過労死してしまった。
ガリガリにやせ細った体で、最後まで仕事をしようとしていたのか机に突っ伏すように倒れた痩せた身体。目を見開いたまま、手にはまだ書類を握っていた。そんな、壮絶な死に顔だった。
だから魔力生物たちには、青年の懸命さが“日常”に見えていた。誰も、それが異常だとは思わなかったと言ったのだ。青年は彼らを使役してからずっと必死だったために、彼らにとってはそれが“普通”になってしまっていたのだ。
ただ、フォンスだけが寂しそうな表情をして「……フォンスは、何も言うことは無いよ」と静かに、静かに告げたのだ。
────
フィニスという冒険者と共に働くハイエルフのミコが、その屋敷の調査を命じられたのは、ゼムルヤ・スネガが東のエヴィスィング国へ宣戦布告をしてから三年後のことだった。
収穫の季節が過ぎ、そろそろ寒気の季節へ差し掛かる頃だった。
「ミコ、次の仕事だ」
イグニスが背後から掛けた言葉に、ミコは嫌そうな顔をして振り返る。
「もう少し俺らのことを労わってほしいぜ、このままだと過労死しちまう」
「馬鹿なことを言ってるんじゃない。……次のパーティは、冒険者が過労死をしたパーティだ」
「いやな言葉だ、過労死。俺らはしたくないものだな」
ミコの言葉に、仕事を割り振っていたイグニスが小さく笑う。少しだけバカにするような、愛しく思うような、そんな笑い方だった。
「魔力生物が過労死するわけないだろう」
静かな声に「それもそうだな」とミコは返して、イグニスから渡された屋敷の報告書を手にして自身の冒険者が未だ惰眠を貪っているだろう、彼らの部屋へと向かうのだった。
フィニスが午睡を貪る部屋の中へとノックをすることなく入り、彼を叩き起こす。
「フィニス、仕事だ。なるべく早くということだから今日中に行くぜ」
「やだよ、今日の俺は昼寝するって決めてるんだ」
「冒険者が過労死したパーティの調査だ、行くぞ」
適当にネクタイを結んだワイシャツ姿に、喪服のようなスラックスを履いたフィニスを、ミコはベッドから引きずり下ろす。
ベッドという聖域から引きずり出されたフィニスは、諦めたように大きな欠伸をする。
黒い喪服のようなスーツを纏い、黒色の目を細めたフィニスは、相変わらずポケットに手を突っ込んでいた。
その顰めっ面を見て、初対面の者は大抵一歩退くのだ。
それも仕方の無いことだろうと、ミコは眠たげなフィニスの目を覚まさせるためにその顔面に濡らしたタオルを叩き付け、そのまま映像転写水晶─テレビ─のリモコンを取って電源を入れる。
三二型のテレビからは煌々とした光が溢れ出ている。
──特定魔力生物共生委員会、SECC(セック)会長のハルモニア・インカンタティオさんによりますと、中央ギルド庁舎は現段階での特定魔力生物、通称【バディ】の人権・選挙権の認定は行わない方針を示しているとのことです。
SNS上でもSECCに同調する若者が#バディにも声がある、#人権問題を無視するなといった主張をしています。
「フィニス、またセクの馬鹿どもが喚いてるぜ」
ミコの言葉にフィニスは鼻を鳴らしてバカにするように冷たい濡れタオルで顔を拭く。
ギルド前には、今日も座り込みのデモ団体がいるだろうとミコはフィニスのためのコーヒーを入れる。
インスタントと豆から挽いたものとのドリップの間の、絶妙に美味くも不味くもないが「これがお気に入りなんだ」と言うフィニスは、近くの食料品店で一〇〇パック一〇〇〇イェン程度の安いドリップコーヒーを好んで飲む。
ミコは、不味そうな顔をしながら苦いコーヒーを啜るフィニスを眺める。
「ミコ、セクの馬鹿どもなんて言ってたらあのヒステリックな奴らがまた怒るぞ」
「ハハ、面白いことを言うなよ。アイツらに怒るような頭があるわけないだろ」
「ミコはどう思ってるんだ、あの魔力生物に心がないなんて嘘だってやつ」
「俺に心があったらまずアイツらの息の根を止めてるだろうな」
ミコの返事にフィニスは、「そりゃいい、いますぐ心を得てくれ」なんて嘯くのだ。
「そもそも、魔力生物の奴らが心なんて持ってたら大変だろ」
「なんでだい」
「魔力生物を奴隷として扱う国もあれば、魔力生物が差別される国もある。そして、魔力生物はセレニティでは傭兵と同じく他国の戦争で貸与される“物”だからな」
目頭を濡れたタオルでグリグリと拭き取り大きな目やにを取ると、フィニスは深く溜息を吐き出し椅子に深く腰掛ける。
そして、「それにそもそも」とフィニスは続ける。
「せめて税金免除にしてほしいもんだな。“心がないから人権もいらない、でも税金はよろしく”ってのは虫が良すぎる。居住区域は水道代が固定って言っても、他の光熱費は天引きだしな。……税金を払えなんて、人権を認めてるようなもんだろ。勘弁してほしいぜ」
「相変わらず、君の心は金勘定でできているな」
呆れたようなミコの言葉に、フィニスは返事をしなかった。
水晶から転写される映像の中では、亜麻色の髪を清楚に纏めた最近人気のリポーターが話している。
──ギルドの職員や役人の方、現役の特定魔力生物管理者、通称【冒険者】の方の中には、魔力生物の心は未発達で、反応は彼らの主である冒険者を真似ているだけだとする方々もいます。つまり、魔力生物の感情表現は、学習に基づいた反射的模倣であるという主張ですね。
彼女は前をただ見ながら話す。もしかするとカメラの下にカンニングペーパーでもあるのかもしれない。
──感情に見えるものは、人間の感情を学習した擬似反応であり、意思や自由は存在しないということです。ですが、SECCの方々の主張によりますと、人は“再現された心”と“生まれた心”との区別ができないことがあるとのことです。
最初は反射的模倣であったものが、長い年月を経て“魔力生物”の心が芽生えるという可能性は、フィクションのアンドロイド作品でも多々見られる現象である、と言うのです。
彼らの感情が全て反射的模倣であると言うのは、幼児が親の真似をして歩き始めることを“歩行の模倣にすぎない”と笑うことと同じなのです。
リポーターの言葉に、スタジオで座っている男性リポーターが「なるほど、確かに幼児が歩き始めたことを歩行の模倣にすぎないとは誰も言いませんね」と誰でも言えるような、ぬるい感想を吐き出す。
フィニスはそんな様子を見ながらミコが焼いたパンにバターとイチゴジャムを塗ってかぶりつく。
「あ! ミコ、このバターいいやつ買いやがったな! 植物油で作った安いマーガリンでいいって言っただろ!」
「いいじゃないか、フィニス。これくらい、QOLを上げるためのひとつさ。美味いだろ?」
「美味いけど、これ一個七〇〇イェンくらいするやつだろ、やめろよ」
先程まで大口で食べていたパンを、先程よりも小さな口で食べて咀嚼する。
「それでもちゃんと味わって食べるところが君が君である所以ってやつだな」
ミコがフィニスを貧乏性だと断ずるのはこういうところなのだ。
「さあフィニス、セクが何を言っても俺たちの仕事にはなんら関係が無いぜ。歯磨きしたら行くぞ」
「トイレも行かせてくれよ、三〇分前から我慢してんだ」
──いま、SECCに所属している方と冒険者の方との対談が始まりました。
こちら、SECCのニンブス・ナトゥラリテールさんと冒険者のヌベス・オラティオさんです。よろしくお願いします。
──よろしくお願いします、オラティオさん。
──どうも。
──早速ですが、あなたはどうして彼ら、魔力生物の方々の心や人権を無視、否定するんですか?
薄い頭髪を細い金色の髪で必死に各家した瞳の奥に狡猾な色が見え隠れするニンブス・ナトゥラリテールがヌベス・オラティオへ問いかけると、彼女は静かに一度、二度と瞬きし、それからピンクのルージュが引かれた唇を開いた。
──認めたら、あなたたちの言う心というものを、私たちは使い潰していることになるじゃないですか。人間の過去と現在、そして未来のために、魔力生物という存在の命を、心を使い潰していることになってしまう。
心ある者の言葉も聞かずに魔物との戦争や人間同士の戦争へと無理矢理投入していることになる、あなたやあなたの親や、あなたの子供、あなたの先祖たちの存在を守るために。
薄墨のような瞳で、彼女は正面からニンブスを見つめる。ニンブスは何も言い返せなかった。ただ、視線だけが泳いだ。
そこでフィニスはミコに無理矢理喪服めいた色のジャケットを着せられて部屋から放り出される。
つけっぱなしで来てしまった映像転写水晶の音量が、少しずつ遠くなっていく。
「ミコ、今回の本丸はどんなとこなんだ?」
「……ひどいところさ、今回も」
「ひどいのはいつもだろ」
激情の無い、静かな声が落とされる。珍しくミコに引きずられることなく歩いているフィニスに、魔力生物や冒険者たちが「珍しいね」と声を掛けて手を振り去っていく。
それにフィニスが「失礼な」と言うも、ミコは「普段の行いのせいだろう」と笑うのだ。
転送装置へと辿り着くと、そこにいた転送員へ本丸コードを告げる。
「特定魔力生物管理者【グローリア】ですね、ご苦労様です。では、中央にお二人並んでください」
歳若い転送員が四五度のお辞儀をしてミコとフィニスをグローリアの屋敷へと転送する。
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