第1話 本当に転生してしまいました
気がつけば、俺は暗闇の中にいた。いや、正確には目が開かず、視界が完全に閉ざされている感覚だった。 全身に力が入らない。まるで見えない鎖で縛られているかのように、指一本すら動かせないのだ。手足はおろか、指一本すら動かせず、閉じられたままの瞼をどうにか押し開こうと、内側からもがいてみる。だが、そのもがきはすぐに虚しく霧散し、結局、微塵も反応を返してくれない。
声も出ない。音も聞こえない。
ただ、静寂と暗闇だけがそこにあり、俺はその中でひたすら待ち続けるほかなかった。何かが動く気配もなく、どれほどの時が過ぎたのかもわからない。
ただ、目の前のこの「暗闇」にずっと囲まれたままであるということだけは、否応なく実感できるのだ。
ーーまた暗闇。
もう、暗いのはうんざりだ。
朧げな記憶がかすかに浮かび上がってくる。ああ、そうだ、確か俺は帰宅中だった。
ふと目の前が真っ暗になったその瞬間、激しい衝撃が俺の全身を襲った。頭の中を稲妻が貫くような激痛が走り、全身にどす黒い衝撃が押し寄せた。俺はすぐに何か巨大な塊が迫ってくるのを感じ、次の瞬間には、全身が押しつぶされるような感覚に包まれていた。
くっ…!
その時の感触を思い出しただけで、吐き気がこみ上げてくる。大きな…あれは一体なんだったのか。思い出せる限りで言えば、それは「トラック」だったような気がする。いや、きっと大型トラックほどの大きさだったに違いない。…待てよ、大型トラックに撥ねられて、それでただの夢ってことがあるだろうか?
ふと、淡い期待が浮かぶ。
いや、もしかするとこれは夢かもしれない、と。重苦しい暗闇の中で、必死にそう思い込もうとするが、学校や家が現れることもなく、いつまでたっても目の前の風景は一向に変わらない。ただ時間だけが流れている気がするが、その「流れ」さえもどこか怪しい気がしてならない。暗闇に包まれたままで、いつまでも手探りで現実を掴もうとするのは、なんとももどかしく、苦しい。
そうか…夢じゃないのか。じゃあ俺は本当に…。
となれば、事故にあって軽傷で済むなんてことはあるまい。あの衝撃の後、こうして体の感覚が一切ないまま「存在」しているということは、現実において何か重大な変化が起きたのだろう。植物人間とかだったら地獄だぞ...。
___このまま永遠に暗闇の中なのか?
恐ろしい想像が脳裏をかすめ、背筋が凍り付きそうになるのを誤魔化すように体を動かそうとするが、感覚がない。
意識がふわりと浮かび上がり、暗闇の奥底から少しずつ引き上げられていくような感覚があった。それまで静寂と無の中に沈み込んでいたはずなのに、どこからか淡い光が差し込んできている気がする。
ーーここはどこだ?
俺は目を開けようとするが、まだ重くて開かない。体も同じように鉛のように動かず、どこにも力が入らない。微かに視界の隅で光が揺らめくのを感じるが、瞼が重たく、思うように開かない。もう一度、心の中で気合を入れて意識を集中させる。まるで長い眠りから目覚めようとするかのように、頭の奥から力を振り絞るような感覚だった。
少しずつ、瞼がかすかに持ち上がり、薄っすらと視界が開けてくる。まだ光がぼやけていて、目の前の景色は靄がかかったように不明瞭だが、何かが確かに見える。それは見覚えのない天井…いや、見慣れない柔らかな明かりが周りを包んでいるのが、ぼんやりと視界に映り込んでいる。
俺は、全身の力を振り絞って目を開けようとする。
重い。
とにかく重い。
長年閉ざされた扉を無理やり開けるように、頭の奥がギシギシと軋む。
少しだけ……少しだけでいい。
とにかく開け——!
微かに、瞼が持ち上がった。
光が入り込む。
白く、ぼやけて、眩しい。
今度はもっと強く意識を集中させる。
ガタガタと身体のスイッチが起動し始めるような奇妙な感覚。
やがて、視界がゆっくりと形を帯び始めた。
まず見えたのは空だった。
本当...に空なのか?
どこか優しい光が滲む、とても澄んだ青空。
青いだけじゃなく、ほんのりと暖かい色味が宿っている。
続いて視界が広がり——俺は思わず息を呑んだ。
噴水だ。
デカい。
しかも、中心から高く水が噴き上がり、太陽の光を受けて虹がかかっている。
コバルトブルーのタイル、白い石畳、流れ落ちる水の音。
病院でも、学校でも、家でもない。
完全に、知らない場所だ。
「……え?」
喉がようやく震えて、ひどくかすれた声が漏れた。
俺は確かに事故に遭って——
トラックに跳ね飛ばされて——
たぶん、死んだ。
なのに今、俺が見ているのはファンタジー世界の広場みたいな光景。
石造りのベンチ、行き交う人影、見たこともない建物の並ぶ街並み。
どう考えてもおかしい。
とりあえず、人に聞くしかない。
俺はよろよろと立ち上がり、噴水の横のベンチに男を見つけた。
年は三十代くらいで、旅人みたいな格好をしている。
変に警戒されても困るので、なるべく丁寧に声をかけた。
「あ、あの……すみません。ここって……どこなんですか?」
男は俺をじろりと見て、険しい表情を浮かべたあと——
「どこって……お前さん、記憶でも抜け落ちたのか?」
え? 記憶喪失扱い?
いやいやいや……俺はちゃんと覚えてるぞ。
事故も、学校も、家も。
ただ……どう見てもここは日本じゃない。
男は深いため息をつき、肩をすくめながら言った。
「ここはブロテグ王国の最大都市、クレリアだ。見りゃわかるだろ」
……ブロテグ王国?
クレリア?
いやいや……いや、待て。
そんな国、現実にあるわけが——
でも、もしこれが現実じゃなくて……
もし俺が事故で死んで……
その結果、もし……
……いや、そんな馬鹿な。そんな漫画みたいなこと——
いや、でも……状況的に、それしか説明がつかない。
俺は、じわじわと事実を認めざるを得なかった。
――どうやら俺は、本当に異世界に転生したらしい。
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