第2話 岩の檻・コウ


 岩の柱の檻を出た。隙間から出るのは不可能で、柱はどうしたって削れなかった。

それなら、登ればいい。空の青いのをただ眺めていた自分が愚かしい。


 身一つで外へ出た。この辺りは荒野が続いている。周りにも檻はあるが、住人が動くのをあまり見かけない。無視して歩く。とりあえず、光源のほうへ。青が薄くなるほうへ。

 そのうち、木がまだらに生える平野に出た。たまに檻を見かけるが、外見の特徴は様々。植物だったり、鉱物だったり、液体だったり。内側、つまり住人はみな、寝転がっていた。手足を時々動かすのを見たが、意味は見出せなかった。


「なぜ出ないんだ」

 木がやたら少なく、風晒しになっている部分があった。俺のいた場所と違って、檻同士の間隔が近い。隣人の顔が見える。そのうち一つ、銀なのか、石なのか、とにかく檻らしい檻の住人に話しかけた。

「面倒だろ」

寝転がった格好のまま男は言う。なんだか聞き馴染みのある声だ。

「これは鉛なんだ。たまに削って筆記具として使う」

「削れるのか。なら、出ろよ」

「出てどこに行くんだ。それに僕、外を歩く人を初めて見たよ。君は元から外の人? それとも、出たの?」

「出た。つまらなかったからな。お前も一緒に行くか?」

「あー」ごろんと反対側を向いて言う。「やめとくよ。なんか、だるくてさ」

 男の足が見えた。足先から黒く変色しているのがチラッと見えた。くるぶしのあたりまで広がっている。

「……そうか。それは、いつからだ」

「いつかなんて、ここじゃ分からないよ。今、いつなんだ。まあ、僕の時間感覚でいえば、起き上がらなくなってもうすぐ一年かな」

 檻のなかで、悲観も楽観も無く目を瞑ってゆったり話す様子は、平和ボケどころか怪奇だ。

「それまで時々話す友人がいたんだけど、いつしか話しかけられなくなって、僕から話しかける相手はもうずっと昔に話さなくなったし、なんだか全部、面倒になった」

「へえ、友人ってのは誰なんだ。ま、聞いても俺には分からねえよな」

「よくつまらないって言ってた人。コウっていうんだ。もし会ったら、連れて行ってやってよ 」

「それは――……分かった。覚えておく」

 男は手をひらひら揺らし、眠りに入った。

「……じゃあな、シン」


 俺が檻から出たのは、俺の時間感覚で言うと二日前。あの男の話とズレるが、この空間の正常性より、自分の直感を信じる。あれはシンだ。

シンは足から鉛に侵食されているようだった。今まで通り過ぎた檻の住人の多くにも、変色、欠損した部位が見られた。考えてみればそいつの檻の色と同じだったようにも思う。……そうか、檻に、侵食されるのか。

 あのまま留まっていたら、俺の手足胴体はいずれ岩になったのだろうか。


「ねえ、なんで外?」

 土の檻の少女に話しかけられた。スケッチブックを持っている。

「お前も出たいなら、出ればいい。お前のこれは……土か。そうだなあ、水でもかければ、柔らかくなって崩せるんじゃねえか」

 少女はいつの間に用意したのか、背後のバケツの水を思い切り檻の根本に撒いた。

「あなたは、どこに行くの」

「分からねえよ。お前は出ちまったが、どこか行くのか?」

「うん。私、帰るの。ネコちゃんがいる家に帰る。私、モトっていうの。これね、ネコちゃんの名前」

 要領を得ない話をしながら歩いていく少女に付いていった。出たばかりなのに急ぎ足。目的地があるようだ。

「お前、いつからいたんだよ」

「んー、分からない。だから帰らないと」

「帰るってなんだよ」

「あそこ曲がったらすぐのとこ」

 少女が指す先に、曲がるという表現の似合う地形は存在しない。さっきから平野が続いているだけ。

「じゃあね。あなたも、早く帰りなね」

 そう聞こえた瞬間、少女は消えた。

「……『帰った』、のか」

 振り返ると、少女の檻は跡形も無く消えていた。最後に水を撒いた跡から、ひっそりと植物が芽を出していた。


 再び一人になった平野を、ただ歩く。

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