「うらめしや」と言ったら一目惚れされた~ヘトヘトサラリーマン、幽霊になり異世界で精悍な男騎士に溺愛される~

三來

1



 もう日も回る頃。寒くなった空気が、疲れた身体を震わせた。


 俺、足立悠人あだちゆうと28歳。


 今日も今日とて、終わらない仕事と終わらない上司の説教に精神をすり減らし、死んだ魚のような目で家路についていた。



「はぁ……」



 ため息が一つ、コンクリートに落ちて消える。


 いつもの歩道橋。

 

 この無機質な階段を上りきれば、安らぎの我が家はもうすぐだ。


 狭いワンルームを思い浮かべながらも、そう自分に言い聞かせ、重い足を引きずって一段、また一段と上っていった。



 その時だった。



 目の前に、ぬるり、と半透明の顔が現れたのは。



「ひっ!?」



 驚愕に目を見開く。

 ソレは男の顔だった。


 その目が、じっと俺を見つめている。


 心臓が氷水で締め付けられたように冷たくなり、全身の血の気が引いた。



 パニックに陥った俺の足は、階段を踏み外した。



「う、わああああああ!」



 ぐらりと傾く視界。



 コンクリートの硬い感触が後頭部へ走ったのを最後に、俺の意識はぷつりと途切れた。





 気がつくと、俺は奇妙な場所にいた。



 明るいのか暗いのか、白と黒が混じり合ったような方向感覚の狂う空間。



 俺は、死んだのだろうか。

 


 だとしたら、ここは天国か、地獄か。



 わからないまま、ぼんやりとあたりを見回すと、少し離れたところに人影があることに気がついた。



 俺以外にも誰かいる。


 安堵と不安が入り混じった気持ちで、そちらへ近づいてみることにした。



 近づくにつれて、その人影の輪郭がはっきりしてくる。見覚えのある顔だ。



「……あ」



 横顔だが、間違いない。



 さっき俺を驚かせた、あの半透明の顔の持ち主だ。


 

 恐怖と怒りが同時にこみ上げてくる。なんだこいつ。


 そう思うと同時に、堪えきれない恨みが、俺の口から出た。



「お、お前!! なんで俺を……」


 殺したんだ。


 そう震える声で続けようとした、その時。


 相手が静かにガッツポーズをしているのが見えた。



 意味がわからない。俺が死んだのが、そんなに嬉しいのか。



 込み上げる怒り。

 そのまま近づき、掴みかかろうとした瞬間、男はようやく俺の存在に気がついた。



「あ」



 気まずそうな、申し訳なさそうな、なんとも言えない表情で俺を見る。そして、辛そうに口を開いた。



「……やっぱり、来ちゃったか。すまない」


「すまない、じゃねえよ!! どういうことだよ、これは!!」



 そんな顔で、そんなセリフを吐くなら、なんで!! そんな思いでいっぱいになる。



「落ち着いて聞いてほしい。これは、呪いなんだ」



 俺の罵声を聞いた男は、俺を落ち着かせるように、静かに語り始めた。




 いつ、誰が、誰にかけたのか始まりのわからない、古い呪い。



 彼自身も、幽霊に驚かされて死に、ここでその幽霊に同じ説明を受けただけなのだと。



「人を驚かせて殺せば、自分は死ぬ直前の時間に戻って生き返ることが出来る。……そして、殺された人間が、次の呪いの担い手になる」



 そこまで説明され、男は俺の肩にそっと手を置いた。



「次は、君の番なんだ」



 怒りが沸点に達した。


 ふざけるな。なんで俺が、殺されたあげく、見ず知らずの誰かを殺さなきゃいけないんだ。


 そう叫ぼうとして……目の前の男の悲しそうな目を見て、声が出なくなった。


 こいつも、俺と同じように、誰かに殺され、絶望し、そして誰かを殺すことを選んだ被害者なのだ。



「……じゃあ、俺はこれから、誰かを殺さなきゃいけないんだな」



 絞り出した声は、自分でも驚くほど乾いていた。



 俺の問いに、男は小さく頷いて続けた。


「せめてもの情けか、死後は違う時代や違う世界に飛ばされるらしい。それで少しは罪悪感もまぎれ……ないよな」



 男は力なく苦笑した。


 確かに。言われてみれば、男の服も見慣れないものだった。


 それに気がついた時、俺の視界がぐにゃりと歪み始める。



「時間みたいだ。……本当に、すまない」



 その声を最後に、俺の意識は闇に飲まれていった。






 次に目覚めた時、俺は見覚えのない一室にいた。


 見たところ、アンティーク調の家具が並ぶ、西洋風の洋館の一室。


 だがしかし、人が住むことは難しいほどに寂れていた。埃や蜘蛛の巣の様子から、この館は廃墟らしいと言うことがわかる。



 どうやら、説明の通り日本とは違う場所に飛ばされてしまったらしい。



 それならば、他の説明も本当のことだったのだろう。

 俺は、改めて自分の身に起きたことと、あの幽霊の説明を反芻してみることにした。


 

「人を、殺す……」



 そんなこと、できるわけがない。



 だが、そうしなければ……俺は永遠にこの呪いに囚われたままなのだろう。



 葛藤に苛まれながら、俺はふらふらと部屋を出た。


 あのまま、あの部屋に居続けても何も解決しないだろう。



 ひとまず、探索してみようと長い廊下を進む。



 埃まみれの廊下の先を曲がってみると、なぜか一室から僅かに明かりが漏れていることに気がついた。



 騎士のような格好の精悍な男が一人、燭台の明かりを頼りに何かを探している様子だ。



 なんでコイツはこんなとこに。


 そんな疑問を押し込めて、俺は一つ決心をした。



「……よし」



 殺すのは……無理だ。でも、怖がらせるくらいなら……。


 この世界で、俺がどのぐらい人を怖がらせられるのかを試すぐらいなら、許されるだろう。



 俺は意を決して、半透明の姿で男の目の前にぬっと顔を出した。



 渾身の、恨みがましい表情で。



「うらめしや〜……」




 これでどうだ。驚いてくれ。怖がってくれ。




 しかし、男の反応は予想外のものだった。



「……おお」



 男は驚くどころか、うっとりとした表情で俺を見つめてきた。



 その琥珀色の瞳が、熱っぽく潤みだす。



「なんと……なんと儚く、美しいお方。その透き通るようなお姿、憂いを帯びた表情……まるで、月光の精霊のようだ」



「へ??」



 男は恭しく片膝をつくと、俺の触れられない半透明の手を取るような仕草をした。



「ああ、我が愛しの君。どうか、そのお名前を教えてはいただけないだろうか。このアルフォンス、貴方様との出会いのために、この世に生を受けたと確信いたしました!!」



……え、なにこれ。


 もしかして、俺の気迫が足りなかったのか。

 それならばと、さらに恐ろしい顔を作り二度目のセリフを吐く。



「う〜ら〜め〜し〜や〜」


「おお、ウラメシヤ様とおっしゃるのですね」


「ちがう」



 やめてくれ、そんな名前じゃない。



 この出会いが、俺の異世界での幽霊生活の全てを変えたのだった。







「我が愛しの君」


……いや、だから。ちょっとは怖がってくれ。



 俺は白目を剥いていた。



 目の前では、アルフォンスというらしい男が、うっとりとした表情で俺の顔を見つめている。



「ああ、なんと冷たく、儚いお姿だ。まるで、夜霧に触れているかのよう……」



 違う。状況についていけなくて白目を剥いているだけだ。



 この騎士、俺のことを本気で「月光の精霊」か何かだと思い込んでいるのだろうか。


 しかも、その瞳は狂気的ともいえるほどの熱を帯びている。これは、まずい。非常にまずい。



「あ、あのな……俺は、その……」



 なんとか誤解を解こうと口を開くが、アルフォンスは恍惚とした表情で首を横に振った。


「無理に話さなくてもよいのです、我が君。そのミステリアスな沈黙すら、貴方という存在をより一層輝かせている」



 どうしよう。話が通じない。というか、我が君って何。



 それからというもの、俺の幽霊生活にアルフォンスがついて回った。



 呪いを遂行するため、洋館から離れ、人を探して驚かすことが出来るのか試そうとすると、どこからともなくアルフォンスが現れるのである。



「おお、壁から現れるとは……なんと神秘的な登場の仕方だ」


「天井から逆さまに!! 逆から見る我が君の、なんと麗しいこと」


「本日の我が君のお声は天上の音楽のようです。いえ、それ以上の感動的な響き……」



……やめてくれ。俺のSAN値はもうゼロよ。



 そもそも、幽霊の行く場所がわかって先回りできるとかコイツは何者なんだ。怖すぎるだろ。



 だが、ある日チャンスが訪れた。



 なんとなく拠点にしていたあの廃墟の洋館に、別の人間が訪れてきたのだ。



 若い二人の男は、いつかのアルフォンスと同じように、何かを探しにきたらしい。



 でも、やはり殺すのは……驚かせるぐらいなら……としばらく彼らにバレないよう、部屋の外から彼らを見つめている時だった。



「我が君。……あの者共が、好ましいと思われたのですか」



 いつの間にか横に現れたアルフォンスが、絶望の顔で立っていた。



「そのような眼差しで、我が君に見つめられる栄誉……。嗚呼、憎らしい」



 恐ろしい顔をして、若者二人を睨みつけるアルフォンス。

 そんなアルフォンスを見た若者二人は、大声をあげて逃げていってしまった。



 いや、俺を見てその悲鳴をあげてくれよ。



 軽くため息をついた俺を、アルフォンスは抱きしめるように腕を伸ばしてきた。


 もちろん触れられずにすり抜けるのだが、「ああ、この隔たりすら愛おしい!」と悶えているのだから救いはない。



 俺はついに限界を迎えた。



「……俺の邪魔をしないでくれないか」



 もう、全部言ってしまおう。


 口を開きそうになるアルフォンスよりも先に、一息で彼に告げた。

 



 自分が呪われた幽霊であること。



 誰かを驚かせて殺さなければ、この呪いから解放されないこと。



 普通なら恐れるだろう。


 だが、アルフォンスの反応は、やはり普通とは違うものだった。



「なんと……。我が君は、そのような過酷な宿命を背負わされていたのですね」



 彼は悲しげに眉を寄せ、もう一度、俺の体をそっと抱きしめた。


 今回は、すり抜けてもお構いなしのようだ。



「……ですが、それこそが我が君の抗いがたい魅力の一つなのでしょう。儚く、危険で、そして何よりもお優しい」



 アルフォンスは、「私も明かしましょう」と言って、自身の秘密を語り始めた。



 生身の人間を愛することができないのだと。



 血の通った温かい体よりも、死の香りがする冷たいもの、理解の及ばない神秘的な存在に、どうしようもなく心を奪われてしまうのだ、と。



 うん。まあ、なんとなく普通じゃないのはわかってたけども。



「初めて我が君をお見かけした時、私は運命を感じました。何度か幽霊と呼ぶべき者にも、遭遇しては来たのです。ですが、私をこれほどに魅了するのは我が君だけでございます。我が君の全てが、私の心を鷲掴みにして離さないのです」



 なんか、とんでもなく熱烈なことを言われた気がするが、一旦端に置いておくことにする。


 それとは別に、もう一つ気になったことをアルフォンスに尋ねることにした。



「……生身の人間を愛したことは??」


「一度もありません。幼い頃からのものでございます。矯正しようとした父にも見限られ追い出されましたが、それでも興味が沸かないのです。追い出されたのも、10年も前の話でございます」



 おおう。


 どうやら貴族の出らしいアルフォンスは、家を出た後は旅をしながら日銭を稼ぎ、人ならざる者を追い求めていたようだ。


 

 つまり、筋金入りの「人外好き」であり、さらに言えば、俺の何かがアルフォンスを惹きつけてしまったらしい。



「我が君」


 妙な運命に乾いた笑いを浮かべていた俺に、アルフォンスは真剣な顔をして声をかけてきた。



「我が君は、誰かを害したいのですか」



 そのあまりにもまっすぐな問いに、俺は何も答えられなかったのだった。





 その日から、アルフォンスの執着はさらにエスカレートした。



 誰かを驚かせようとすると


「我が君の手を汚させるわけにはいきません!!」


 と全力で阻止された。


「どうしてもとおっしゃるなら、この私を!!」



 そう言って自らの命を差し出しかねないアルフォンスを、今度は俺が全力で阻止した。


 噂でもたったのか、いつしか洋館の周辺には誰も近寄らなくなってしまった。



 拠点を変えようかとも悩んだ。



 ただ、拠点を変えたところでアルフォンスがどこまでも着いてくるのは明白だ。


 アルフォンスは日銭を稼ぐために、数日いないこともある。その日を狙って遠くにいってしまおうかとも思った。



 が、そのたびにアルフォンスの顔がチラついて、どうにも離れる気にならなかった。




 ……俺は完全に手詰まり状態に陥った。だが、なぜか不思議と悪い気はしない。



 飽きもせずに俺を追いかけ、熱烈な愛の言葉を囁くアルフォンスと過ごすうちに、俺の心は、少しずつ絆されてしまったのだ。



 アルフォンスのせいで解呪の目処は立たないが、アルフォンスのおかげで孤独ではなかった。



「……なんで、俺なんだ」


 奇妙な気持ちになりながら、そうアルフォンスに聞いたことがある。


 俺の質問に、アルフォンスは確かめるように胸を抑えた後、まるで宝物を披露する子供のような顔で、幸せそうに言った。



「言葉では全てをご説明できない我が身をお許しください。ですが、愛おしいと。貴方のために産まれてきたのだと、そう思ってしまったのです」



 俺はその言葉に、何も返せなかった。


 ただ、その言葉がずっと頭から離れず、呪いを解くために行動しようとは思わなくなってしまった。



 ただただ。あの寂れた洋館で、アルフォンスを待つだけになってしまったのだった。




 そんな日々がどれくらい続いただろうか。



 ある夜。洋館のバルコニーで、俺は自分の気持ちに整理がついた。



「……もう、いいかな」



 呪いなんて、どうでもいいかと思ってしまったのだ。



 誰かを犠牲にしてまで生き返るなんて、やっぱりできない。


 それ以上に、この生活を手放したくないと思ってしまったのである。



「アルフォンス」



 俺は、隣でうっとりと俺を眺めている彼に向き直った。



「俺さ、もう呪いを解くのやめるわ。このままここにいる」



 アルフォンスは驚いたように目を見開いたが、やがてその口元に優しい笑みを浮かべた。



「承知いたしました、我が君」


「……俺の名前、言ってなかったな。ユウトだ。……そう呼んでくれ、アルフォンス」



 俺が名を告げると、アルフォンスは泣き出しそうな顔をして笑った。


 幸せそうな顔のまま、彼は俺の前に跪き、誓いを立てるように言った。



「なんという麗しい響き。……あなたがここにいてくださる幸運に報いるため、私の全てを、ユウト様へ捧げましょう。あなたを幸福にするためなら、私はどんなことでもいたします」



 まるでプロポーズのような言葉に、俺は苦笑した。

 でも、やはり。


 俺も、アルフォンスと共にいたいのだ。



「俺も、アルフォンスが死ぬまで一緒にいると誓うよ」


 

 俺の言葉に、アルフォンスは、途方もなく幸せだと言わんばかりの表情で何度も頷いた。


 死が二人を別つまで……なんて。俺自身がプロポーズをしたようで、途端に羞恥心が襲ってくる。


 恥ずかしさを誤魔化そうと、出来れば長生きしてくれと軽口を伝えるよりも早く、アルフォンスが口を開いた。



「……願わくばその後も」



 その、後も。

 死んだ……後も??



「え?」



 アルフォンスは立ち上がると、書斎の方を指差した。


 その顔は、今までみてきたアルフォンスのどんな表情よりも使命感に溢れていた。



「私が当初この館にいた理由は、ある文献を探すためなのです!! 死後に霊体になる方法について書いてあると、かつてここに仕えていた者が申しておりました!! それさえ見つかれば死後も共にいられます!!」



 そう言って、俺に手を差し伸べながら、書斎へと歩き出すアルフォンス。



 触れられないはずのその手に従いながら、俺は天を仰いだ。



 どうやら、アルフォンスは俺の永遠のパートナーになるつもりのようだ。


 ちょっとこれは予想してなかったなと思いながら、改めてアルフォンスの背を見つめる。



 

 まあ。



 こいつとなら、永遠の時も幸せだろう。



 そう思った俺は、こっそりと、心からの笑顔を浮かべるのだった。

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