第5話 川村サナ
鏡屋を訪ねてから五日が経った。
恭介からは二度連絡が来ていた。一度目は三日後、影女が自分の近くまで接近をしていないかの確認。昨日また連絡があったが、まだ原因となるものの特定には至っていないという中間報告だった。
朝方買い出しのために外出した際、視界の端にちらつく影女に気が付き、思わず小さく声を上げてしまうことはあったが、お守りを貰った二日後に目にした時よりも、その距離は更に遠ざかっていた。ほぼ米粒みたいな大きさだった。
それを見て、あの精神が蝕まれてしまうような非日常生活からは、何とかギリギリ脱却出来たと安堵することが出来ていた。原因の解決には至っていないが、もしかするとこのまま何処かに言ってしまうのではないか?そんなふうに思える程度には。
流石の楽天家である。とは言え、完全に復調したとは言えない程度の状態ではあることは確かだった。ただ、食欲だけは完全回復を遂げていた。
それから昼前に、あの日から連絡を取っていなかった綾香と孝弘にも、メッセージでだけだが簡単な返事を送った。それから鬼のような返信や着信がスマホにやってきたが、それは放置をしていた。数少ない友人が心配をしてくれてありがたいのだが、今の状況を説明するまでには、気持ちの整理が出来てはいなかったのだ。
流石におばあちゃんの妹が悪霊になって私に取り憑き、公務員を名乗る色白男に助けてもらっている最中だと伝えるのはハードルが高すぎる。
自分がそう友人から言われた場合、病院へ引きずって行くのを躊躇わないだろう。
(友達居なくなりそうだわ、おばあちゃん)
ベッドに大の字になりながら真琴はぼんやりと部屋の天井を眺めている。
影女がはるか遠くまで追いやられていたとしても、必要時意外にはなるべく視界が広くなる場所には出たくは無かった。お守りのお陰で近くに影女が寄ってこないことは分かっているのだが、鏡屋の階段前の一件は心の中に深い爪痕を残していた。あの顔をあの時見ていたとしたら、自分はどうなっていたのだろうか。
(このまま休んでたら会社だって行き辛くなるよね……)
あーあ、と深くため息をついた。
真琴は田舎にはありがちな、病院と複合型の大型介護施設で事務員として働いていた。勤め出してから数年真面目に働き、上司や周りの同僚にもそこそこの信頼を受けるようになってはいたが、それを差し引いても今日まで必要最低限度しか使ったことのない有給を、フルに使って休みを取っているのだ。流石にこれ以上仕事を休むのは平社員的にも、再出勤時の他人の目を考えるにしても、別の意味で精神的な限界を迎えそうになっている。
(でもさぁ。病院とも複合型って言うところがまたねぇ……)
いらぬ想像を働かせてしまうだろう事は想像だに難くない。それどころか今は想像どころか本物が見えてしまっているのだ。余計なトラブルに巻き込まれてしまわないか、心配するのも無理は無いだろう。何を考えても悪い方向にしか考えは向かなかった。
そんな時真琴の耳に、着信を知らせるバイブ音が聞こえてきた。
発信先は柏木恭介と表示されている。
「はい、七瀬です。柏木さんですか?」
『お昼時に申し訳ありません。今お時間を頂けますでしょうか?』
「ええ、会社は有休を使っているので問題ありませんが……」
恭介は知らせたいことと、実際にあって確かめたいことがあるので車で迎えに行くと言うと、直ぐに電話を切った。
その十数分後に再度真琴に恭介から着信があり、真琴は簡単に身支度を済ませ家から出ると、恭介が運転する車に乗り込んだ。
「突然お呼び出してしまい申し訳ありません。今までの調査の結果をお伝えしたいと思っていたのですが、お時間があるということですので、実際に現地調査にお付き合い頂きたいと思いまして」
「……出来ればもう少し先にお伝え頂きたかったですが」
「それは本当に申し訳ありません」
恭介は申し訳なさそうにそう言うと、車のダッシュボードに乗せていたA4用紙の束を真琴に手渡した。
タイトルは「いろは――か九八二號」。訳が分からない。
真琴が一枚目のタイトルに眉をひそめていると恭介が助け舟を出した。
「そのページには意味はありませんよ。今までご依頼頂いた件数です」
「…いろはにほへと?」
「そうなります」
「うわ、すごい件数なんですね」
「先人の苦労の跡が垣間見えますよ……。まぁそちらに驚かれていたら説明が進みませんので、十枚めくって頂いても宜しいでしょうか?」
「あ、はい」
素直に真琴は十枚紙をめくる。その間にちらりと見えた内容は、目次や何処かのロゴなどが打たれた書類の様なものが並んでいる。何となく警察の桜紋が見えた気がしたが、あえて見なかったことにした。
指定された枚数をめくると、そこには手書きで書かれた見覚えのある名字と見知らぬ名前と共に、随分と古い年号で記された日付があった。何やらその他も細かく記載されていたが、何れも癖のある筆字で書かれており内容はほぼ読めない。拡大コピーをされているのか、全てが乗っているわけでは無い様だった。
「そこから先を軽く読んでみて下さい。重要な部分は下線を引いていますので、そこだけ読んで頂いても大丈夫です」
それを聞き、恭介から手渡された「いろは――か九八二號」の書類をめくりながら、斜め読みしていくと分かったことがある。簡単に説明をすると、あの影女の正体について記されているものだった。枚数は三、四十枚はあるだろうか。ちょっとしたレポートの様だった。下線が引かれている部分も専門的な用語なのか、小難しい言葉や旧字体なども多く、思わず目が滑ってゆく。
「柏木さん。さっきの最初のページのことですけど」
「ああ、はい」
恭介は運転を続けながら返事をした。あれから五分程は車を走らせているだろうか。真琴には見覚えのある道を進んでいた。
「あれって戸籍謄本って奴ですよね?私初めて見ましたよ」
「まぁ相続とか遺産分割の時でもなければ見かけないですよね」
「で、何で私の家系が記された戸籍謄本が、このレポートみたいな物に挟まってるんでしょうか?」
「まぁこれでも特別地方公務員ですからね。戸籍謄本等の取り扱いには慣れています」
「いや、そうじゃなくて他人の戸籍謄本ってそんなに簡単に手に入るものなんですか?」
恭介は悪びれもせずに肩をすくめる。
「まぁ、こんな事を生業にしているものですからね。国の方からあれやこれやと特例を受けております。これでも案外面倒臭い仕事なんですよ。書類作成とか。書類作成とか」
「……まぁ詳しく聞くのは一寸怖い気もしますし、長くなりそうなのでやめておきます。で、あれが必要な意味って何ですか?」
真琴は水を向けられるのを少し期待していそうな恭介を無視してぺらぺらと紙をめくり、件の戸籍謄本の拡大コピーが差し込まれているページにファイルを戻した。
「はい、今回のご依頼の鍵がそこにあります。除籍された方のところを見てみていって下さい。……ああ、バツが書かれているやつですね。上のほうには除籍の判が押してあります。川村サナの名前がありますよね。これで実在する人物であったことが分かると思います。つまり我々はその存在を信じるに足る、証拠を見ることが出来たということです。これは相手の神秘たらしめる力の一つを削ぐことに成功したことを表しています。そして次に見て頂きたいのはそこから先のページです。後ろの方から三枚目をめくって下さい」
真琴は素直に言われたとおり除籍された名前を確認していく。かなり昔のものなのだろう、手書きで書かれたおばあちゃんの旧名である苗字の下に、見たことも無い名前が見て取れた。きっと曾祖父になるのだろう。そしてその隣には曾祖母、その隣は長女であるおばあちゃんの名前のサク江が記されていた。
問題はその隣だ。二女サナの名前があり、その上の欄には昭和○年××月△△日死亡と達筆で書かれている。また、亡くなられたのだろう事が直感的に分かる様に大きくバツが書かれている。除籍の判も見て取れた。恭介の言った通り、下線が惹かれた部分に目をやると「死因不明」と書かれている。事件性は無いのだろうか?
それを確認してから、後ろから三枚ページをめくっていくと思わず手が止まった。1枚の白黒写真のコピーが添付されている。七五三などでよく見る構図で、4人家族が映っている。
「そのページですね。写真があると思いますが、川村サナがいらっしゃると思います」
除籍された名前の中にあった、川村サナの名前を発見する。筆字ではなくポールペンで書かれている。それにわかりやすく下線が引かれ、さらに強調するように丸で囲まれていた。割と几帳面そうな文字だが、恐らく恭介の書いたものなのだろう。
そしてそれから矢印が伸びており、写真に写る見たことのない夫婦の母親に抱かれる幼児と、父親に手をつながれる少女。その幼児を指していた。
「その方が影女です」
「はい?」
あまりにもあっさりと答えを出した恭介に、真琴は上ずった声で返事をする。
「二歳ほどで亡くなられています。死因は不明ですがどうやら事件性は無いようです。小児性の病など、突発的なものでしょう。残念ながら、昔は今ほど医療に優れていた訳では無かったようですから。その後ろには川村サナのお墓を映してきた写真がありますが、今は見なくても良いでしょう」
「はぁ」
「その後どのようにして心霊となったのかは定かではありませんが、今は所謂悪霊といわれる存在になっています。実に痛ましい事です」
「なんでまた、おばあちゃんの妹の悪霊なんかに取り憑かれなきゃならないんですか……。ってことはこの子はおばあちゃんか……。一寸可愛い」
流石に真琴の理解は追いついていなかった。正直なところ、はいそうですかと信じられるような内容でもなかった。とは言え、影女に憑かれた事実は現実であり、残念ながら未だ完全解決には至っていない。この写真を見ることにも何か意味があるのだろうか?先ほど恭介が言っていた様に。
だが、あの影女がおばあちゃんの妹だとしても、自分に取り憑く意味だって分からない。身内の悪霊に取り憑かれるなんて、何か私の家族が悪いことでもしていたのかと疑いたくもなるが、両親はいたって普通の人間だ。きっと、賭け事だってやったことが無い位の善人だ。そうなると、問題は自分にあるのではと気づいてしまい、真琴は顔を引き攣らせた。つい最近の肝試し等、心当たりが幾つか思い浮かぶ。酔ってゲロをコンビニの裏にぶちまけた事とか。ああ、何たることか。ごめんなさいおばあちゃん。悪いのはきっと私です。
「恐らくですが、七瀬さんはもともとは心霊を見ることの出来る体質にあるのでしょう。今まではどうだったかは定かではありませんが、現在は見えてしまう状況にあります。影女は自分の姿が見えるようになった七瀬さんには、あれこれと手を出しやすいことを知って――。その後は体験されたとおりです。心霊の世界では、血族に狙いを定めることは、より大きな力を行使するに当たって存外都合が良いのです。また、今回のご依頼のようなケースの場合、多くは心霊が新しい体を欲しがっている事が多いんですよね。そして厄介なことに、向こうに悪意などは無いことが殆どです」
だが幸い、その心当たりに恭介は気付いた素振りは無く話を続けてゆく。その内容にゆっくりと心が冷えていくのを感じた。
「悪意がない?」
「そうです。自分だけの世界の中で誰にも注意をされることなく過ごして来た場合、七瀬さんは善悪の判断が出来ますか?」
「いや、無理でしょう」
「そうです。無理なんです。社会性を持つ前に心霊になった場合は、特に厄介な相手に成長することがあります。欲しいものに手が届くなら、何でも手にしてしまうことが大半です」
「幽霊に社会性ってあるんですね……」
「社会性というよりも、生前の考え方や行動パターンに従うことが多いと思います。七瀬さんはまだ大丈夫だと思いますが、私みたいにこんな年になると知らないことをするの結構しんどいんですよ。心霊になってもそこは同じみたいです」
そう言えば寝たきりのおじいちゃんの心霊にあったこともありますと付け加えると、恭介はこの道で最後のコンビニの駐車場に車を停めた。
「ちょっと飲み物を買ってきましょう。七瀬さんは何がいいですか?」
「あ、コーヒー。出来ればブラックで」
「かしこまりました」
ドアを開け、恭介がコンビニの中に入っていく。きっと気を使ってくれたのだろう。真琴の目からは涙が溢れていた。悲しいわけでも悔しいわけでもなかったが、ただ涙が目から溢れてくるのを止めることが出来なかった。一種のパニック状態だろうか。
きっと良く分からないことを聞かされすぎているからだろう。真琴はなんとなくそう思うとシャツの袖で涙を拭く。
(新しい体を欲しがっていることが多い?簡単にさらりと言ってくれちゃって……。そうなったら私はどうなるんだよ)
あの日階段での出来事が脳裏によぎる。あのまま影女の顔を見てしまっていたのなら、今ここにいるのは川村サナということになるのだろうか?
自分が考えていたよりも、更に不快な状況だったことに体が震える。
(で、この道はあの廃校に行く道だよね。最終決戦ってやつかな)
レジでは恭介がブラックのコーヒーを二本買っているのが見えている。
(あの色白さんが悪霊退治してくれるのかね?心細い気がするんだけどなぁ)
真琴の思いは幸いにも届いていないようで、恭介はドアを開け車に入ると笑顔でコーヒーを差し出した。
「ありがとうございます」
「それを飲んで落ち着きましたら廃校に向かいましょう」
真琴は答えずに缶コーヒーのボトルを開けた。
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