人類滅亡まで残り3分でしたが、過去に戻ったので全力で負け戦をやり直す。

ミンミンゼミ

第1話審判の日

 【警告:機体損傷率98%】  【警告:エネルギー残存量、臨界点を突破。融合炉のメルトダウンまで、あと10秒】


 視界を埋め尽くすのは、赤錆色の空と、地平線まで続く「蟲」の群れだった。  全長十メートルを超える巨大な顎を持った多脚生物。通称『捕食者(プレデター)』。  そいつらが、何万、何億という単位で押し寄せてくる。まるで黒い津波だ。


 対する人類側は、俺一人。  かつて三十億人いた人類は、十年続いたこの絶望的な戦争で食い尽くされた。  最後の生き残りである俺も、もはや人の形をしていない。  失った四肢は金属の筋肉に、砕けた内臓は対消滅エンジンに置き換わった。  『対捕食者用最終殲滅兵器・機体コード0(ゼロ)』。  それが、元人間である俺、如月(きさらぎ)レンの成れの果てだ。


「……ハッ、最後にしては、随分と派手な花火になりそうだな」


 俺は千切れた左腕から火花を散らしつつ、残った右腕のリミッターを解除する。  目の前には、空を覆うほどの超巨大母船が降下してきていた。  あれが全ての元凶。奴らの巣。  今の俺の自爆エネルギーなら、あるいは――。


「……頼む。次は、もっとうまくやってくれよ」


 誰にともなく呟き、俺は自分の心臓部にある融合炉へ意識をダイブさせた。  光が溢れる。  世界が白く、熱く、塗り潰されていく。  痛みはない。ただ、守れなかった多くの顔が走馬灯のように駆け巡り――。


 俺の意識は、そこでプツリと途絶えた。


     ◇


「……ん、……レン、起きなさいよ! 遅刻するわよ!」


 甲高い声と、ドンドンと扉を叩く音で意識が浮上する。  敵襲か?  いや、この音波パターンは攻撃音ではない。もっと原始的な振動だ。


 俺は反射的に跳ね起き、戦闘態勢をとった。   「索敵開始……範囲、半径五キロ……敵影なし?」


 視界に浮かび上がったのは、いつもの戦場補正HUDではなく、見慣れた六畳一間の天井だった。  古臭い勉強机。壁に貼られたアイドルのポスター。床に転がる学生鞄。  そこは、十年前に灰になったはずの、俺の実家だった。


「どういうことだ……俺は、自爆して……」


 呆然として、自分の手を見る。  そこには、肌色をした「人間の手」があった。  機械の爪ではない。五本の指がある、柔らかな人間の手だ。  夢か? 死後の世界か?  俺は震える手で、枕元にあった目覚まし時計を掴もうとした。


 バキッ、グシャアアッ!


 異音が響いた。  軽く触れたつもりの時計が、飴細工のようにひしゃげ、内部のゼンマイや歯車が粉々に飛び散ったのだ。


「……は?」


 俺は固まった。  慌てて布団を捲り、自分の胸に手を当てる。  ドクン、ドクン、という心音ではない。  もっと微細で、もっと無機質な駆動音が、肋骨の奥から響いている。


 【システム起動:正常】  【機体ステータス:オールグリーン】  【外装擬態モード:アクティブ】


 脳内に直接響くシステムログ。  間違いない。  外見こそ人間の皮膚(擬態スキン)で覆われているが、中身はあの未来の怪物――『機体コード0』のままだ。  出力も、反応速度も、内蔵兵器も、すべてが「そのまま」だ。


「レン! いい加減にしなさい!」


 ドアが乱暴に開く。  入ってきたのは、制服姿の少女だった。  栗色のショートヘアに、少し吊り上がった気の強そうな瞳。  幼馴染の、春日ミライ。


 侵略が始まったあの日、最初の混乱で瓦礫の下敷きになり、俺の目の前で蟲に食い殺されたはずの少女。


「……ミライ?」 「なによ、寝ぼけてるの? 早く顔洗って! 今日、全校集会あるんだから!」


 ミライが怒りながら俺の腕を引っ張る。  その体温。温かさ。  俺のセンサーが、彼女のバイタルサインを「生存」と表示した瞬間、涙が出そうになった。


 カレンダーを見る。  202X年、9月1日。    忘れるはずもない。  今日だ。  今日の正午、空が割れて、奴らが降ってくる。  人類が「家畜」へと転落した、審判の日。


 俺は、自分の掌を強く握りしめた。  金属の骨格がきしむ音が、体内で響く。  戻ってきたのだ。この、ふざけた力を持ったまま。


「……ああ、すぐ行く」


 ああ、そうか、何故かは知らないが俺は過去に戻ったのか、俺はミライに背を向け、不敵に笑った。 震えは止まっていた。  絶望?   いや、違うな。 ――ここからは、こっちが攻める時間だ。


     ◇


 高校の体育館は、蒸し暑い熱気に包まれていた。 校長の話など誰も聞いていない。生徒たちは隠れてスマホをいじったり、欠伸を噛み殺したりしている。平和だ。あまりにも無防備で、脆い平和。


 俺の体内時計が、正午までのカウントダウンを刻む。 あと、30秒。


「おいレン、顔色悪いぞ? 大丈夫か?」


 友人の健太が心配そうに声をかけてくる。彼もまた、最初の襲撃で死んだ人間だ。 「大丈夫だ。……ただ、ちょっと『仕事』があるだけさ」 「はあ? 何言ってんだお前」


 あと、10秒。 俺はそっと列を離れ、体育館の非常扉の近くへと移動する。    5、4、3……。


 突如、校長のマイクがキーンというノイズを発してハウリングした。 同時に、窓ガラスがビリビリと震え始める。 地震か? と生徒たちがざわめき始めた瞬間。


 ドオオオオオオオオオオンッ!!


 空が、落ちてきたような轟音が響いた。 体育館の天井が悲鳴を上げ、照明が落下する。  悲鳴。怒号。パニック。


「きゃあああっ!?」 「な、なんだ!?」


 非常扉を蹴破り、俺は外へ飛び出した。  空を見上げる。  そこには、太陽を遮るほどの巨大な円盤――『ハイヴ・マザー』が浮かんでいた。  その腹部から、無数の黒い粒がバラバラと投下される。 まるで胡麻をぶちまけたような数だ。


 黒い粒は校庭に次々と着弾し、土煙を上げた。  煙の中から現れたのは、体長五メートルほどの巨大な蟻。  強酸を吐き、コンクリートすら噛み砕く『兵隊蟻(ソルジャー・アント)』だ。


 かつての歴史通りなら、この第一波で学校は壊滅する。  自衛隊が到着するのは一時間後。それまでに、生徒の半数は餌になる。


「ひっ、ひいぃぃっ! む、蟲!? なんだあれ!?」 「いやあああ! 来ないでえええ!」


 体育館から逃げ出した生徒たちが、校庭の惨状を見て腰を抜かす。 運悪く、ミライが逃げ遅れ、先頭で転んだ。 その目の前に、一匹のソルジャー・アントが迫る。 ギチギチと不快な音を立てる顎。滴る溶解液。


「あ……あ……」


 ミライの顔が恐怖に歪む。  蟻がその鎌のような前足を振り上げた。  人間の胴体など、一撃で切断できる膂力だ。


 ――過去なら、ここで終わっていた。  俺は何もできず、ただ叫ぶことしかできなかった。


 だが。


 【戦闘モード、起動】  【リミッター解除:レベル1】


 俺の視界が赤く染まる。  体感時間が極限まで引き伸ばされ、世界がスローモーションになる。 足元の地面が、俺の踏み込みに耐えきれず爆発した。


 ドンッ!!


 音速を超えた移動。  俺の体は砲弾となって、ミライと蟻の間に割り込んだ。


「え……レン?」


 ミライが呆然と呟く。  俺は、振り下ろされた巨大な蟻の前足を、左手一本で受け止めた。


 ガギィンッ!


 硬質な音が響く。  俺の足元のコンクリートが蜘蛛の巣状にひび割れたが、俺の体は一ミリも動かない。 蟻が「?」と困惑したように触角を動かした。 その硬い外殻は、戦車の砲撃すら弾く生物装甲だ。 現代の兵器では、核を使わない限り傷一つつけられない。


「……軽いな」


 俺は低い声で呟く。  未来で戦った『王』クラスに比べれば、こんな初期型の雑魚、羽虫にも劣る。


「き、如月くん!? 逃げて、腕が――!」  後ろで誰かが叫んだ。  だが、俺は構わず、蟻の前足を掴んだまま指に力を込める。


 メキ、メキメキメキッ!


 鋼鉄以上の硬度を持つ蟻の足が、俺の握力だけで粉砕されていく。  蟻が苦痛に絶叫を上げた。


「ギィイイイイイ!?」 「うるさい」


 俺はそのまま蟻の巨体を一本背負いの要領で投げ飛ばした。  数トンの巨体が木の葉のように舞い、校舎の壁に激突してひしゃげる。    静寂。  逃げ惑っていた生徒も、教師も、そして周囲を取り囲んでいた他の蟻たちさえも、動きを止めた。


「……う、そ……」


 ミライが震える声で漏らす。  俺はネクタイを緩め、右腕を前に突き出した。  皮膚の下で、カシャン、と微細な機械音が鳴る。  手首がスライドし、掌の中央に青白い砲口が露出した。


 【武装展開:収束荷電粒子砲(プラズマキャスター)・対物仕様】  【ターゲットロック:敵性反応24体】


「現代(ここ)の軍隊じゃ、お前らの装甲は抜けないらしいな」


 俺の視界にあるHUDで、次々と蟻たちに赤いマーカーが灯る。  校庭に群がる絶望の象徴。  だが、俺にとってはただの的だ。


「だが、あいにく俺は『未来製』でね」


 まばゆい閃光が迸った。    ズガアアアアアアアアアアンッ!!


 放たれた青い光線は、直線上の蟻を蒸発させ、校庭の土を抉り、彼方の空へ消えていった。  圧倒的な破壊の光景。土煙が晴れた後には、炭化した残骸だけが残されていた。


「……さあ、狩りの時間だ。一匹残らず駆除してやる」


 人類滅亡まで、残り3分だった世界。  しかし、俺が帰ってきた今、この歴史は変わる。  これは、絶望的なサバイバルじゃない。  ただの、俺による一方的な蹂躙劇だ。

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