思考加速プログラム

@kazue771

第1話

「逃走用にヘリを要求ねぇ」

交渉担当より伝えられた犯人からの要求に、大きな溜息を一つ。

時間は夕方6時を回っている。

そろそろ仕事終わりのサラリーマンが、この辺り一帯に溢れかえる頃合いだ。

目の前には、つい最近竣工を迎えた地上40階建ての高層ビル。

半透明の黒光りしたガラスの内側から遮光カーテンが下され、中の様子は確認出来ない。


大東京銀行 六本木支店


12月にもなるとこの時間帯には日も落ちてはいるが、周辺の街灯や建物から洩れる光でそこそこ明るい。

周囲を見渡せば、数十台のパトカーと数える程も億劫な数の武装した警官達が建物の周辺を取り囲んでいた。

報告を受けたこの場の最高責任者である立石健司は、先程からぽつぽつと身体を濡らす雨に、「本格的に降る前に終わらせたいなぁ」と更に大きく溜息一つ吐いた。

「逃走用に用意した車じゃ、確かに逃げ切れないだろうけどさー」

そもそも都内の銀行を狙うのが間違いなのだ。狭い車道に、不必要な程の雑多溢れる車とバイク。秘密裏に動かない限り、逃走しようにも直ぐにどこかで行き詰る。

紛れると言われれば確かにそうだが、小規模の宝石店等を短時間で狙うならまだしも、嵩張る紙の束を持って、逃げの選択肢が少ない都内の銀行を狙うのはリスクが大きい。

敵ながら、ちゃんと計画してから行動しろよと言いたくなる。

中の様子を確認した限り、正確な犯人共の数は確認出来てはいないが、最低でも4人の仲間が建物内にいる。

どこから入手したのか、それぞれに拳銃とナイフ。内一人は狩猟用の散弾銃迄用意しているらしい。

もっと違う所を計画的に。そんな考えが苦笑と共に思い浮かぶ。

「銀行員が20人と民間人が10人程か…」

人質にしては多いなと、ぽつり。

人質同士、互いに互いを縛り上げ、数人の女性を除いて床に転がされているらしい。

目の前で、どう対応いたしましょうかと、交渉人が上司の返答をじっと待つ。

規制線が張られている向こう側で、先程から野次馬共が煩い。平和ボケした日本人は、これが何かのショーだと勘違いしているのではないだろうか?

「犯人共にはヘリを用意すると伝えてー。但し用意するには、それなりに時間が掛かるともねー」

「はい、承知致しましたっ!」

この様な事態を見越しての事なのかは不明だが、このビルにはヘリポートがあるらしい。医療ヘリやその他諸々の対応に使われている様だが、全く今回ばかりは余計な設備だと頭が痛くなる。

「それと、例の会社からの派遣員はまだ来ていないのかなー?」

「先程連絡があり、後30分程で到着するそうです」

部下の返答に、そうかと口を開く。その程度の時間なら稼げるだろう。

今は犯人に余計な刺激を与えず、派遣員の到着までのらりくらりと時間を稼ぐだけだ。

日付が変わる前には帰れそうだと、立石はほっと胸を撫で下ろした。



「ここは子供の遊び場じゃないんだ、早く帰りなさい」

「もうそれはいいから、ここにいる立石さんって人に連絡取っててばっ!」

むきーっと、片足を地面に叩きつけ、全身で抗議をアピールする。

漫画の様なコミカルな少女の態度に、どうしたものかと頭を悩ませた。

「せっかく部活を早上がりして来てあげたのにっ!叔父さんからの御願いじゃなかったら、帰ってるとこだよっ!?」

対応している刑事は、困りはてた顔でぽりぽりと頭を掻く。

目の前にいるのは身長150cm程の女子高生。名を山森雫と言うらしい。

突然学生証を見せられ、ここの責任者である立石を呼んで来いと言い出した。

どこで名前を知ったか不明だが、得体のしれない人間をこの状況で通すわけにはいかない。

「どうした、何を騒いでいるんだ?」

騒ぎを聞いた一人の刑事が、どうかしたのかと声を掛ける。

「前野・・いや、この子が立石さんに会わせろって煩くてな」

「う、煩いって何よっ!人を呼んでおいてそれはないんじゃないっ!?」

もはや頭から湯気が出そうな程の怒髪天。

周囲に集まった野次馬は、犯人が立て籠もる銀行よりも騒ぎ立てる女子高生に関心を移し始めた。

集まる視線に、困惑する刑事。

ここではまずい。

一先ず別の場所へ連れて行こうと刑事が動いたが、同僚の前野が視線はどこか虚ろ気味に左腕を差し出した。

呼ばれた?と首を傾げる前野。

制止された事に戸惑う同僚。

ちょっと待てと。

右手を口元に充て、思案する。

少し間をおいて、少し困惑顔のまま、恐る恐る少女に声を掛けた。

「君…さっき呼ばれたって言ってたよね?」

「そうよっ!」

そう言って、手にした学生鞄を地面に置き、中から一枚のカードを取り出した。

「山森派遣サービスの山森雫っ!これでも社内ナンバー1の超優秀な社員なんだからっ!」

もはや少し涙目の彼女は、睨め付ける様に刑事を見上げた。

目の前に翳された一枚のカード。

山森派遣サービス『第1級深度資格者』山森雫とある。

カードの右下に金色の電子チップが埋め込まれている事を確認し、「失礼」と一声かけて胸ポケットから専用のスマホを取り出しチップを読み取る。

すると次の瞬間、チップから読み込まれた内容が画面上につらつらと表示された。

暫くそれを無言で読んでいると、次第に刑事の顔が青くなっていく。

「まさか君が…」と信じられないとばかりに目を大きく見開き、わなわなと震える少女と画面上の情報を忙しなく交互に見比べた。

うぅーっと唸る彼女は、それでどうするのっ!?と目の前の刑事を怒鳴りつける。

「…た、多変失礼した。今から連絡を取る。少し待ってくれないだろうか?」

「お、おいっ!」

慌てる同僚を無視し、肩に下げた無線で問い掛ける。

『えー、こ、こちら六本木署勤務の前野です。山森派遣サービスの山森雫様が到着なされました。今から仮設本部へ御案内致します』

無線から、了解との返答がざざっとノイズに紛れて聞こえた。

張られたロープを軽く持ち上げ、そこを軽く腰を曲げて雫が規制線の中に入る。

周囲の野次馬と同僚がざわついていたが、面倒だとばかりに無視して仮説本部へと足を進めた。

本部に到着する時にはぐったりと。雫は心労で倒れそうな程に肩を落とし、沈んだ気分で用意されたパイプ椅子に座る。

「ねぇ、立石さん。もう既に倒れそうなくらい疲れたんだけど…もう、帰っていい?」

「いやぁ…なんかごめんねー」

首を傾げて頭をポリポリ。

怒りと心労が収まらない雫は、じとーっと目の前の立石を睨みつける。

ごめんなさい。

少しばかり報酬に上乗せするからと、頭をテーブルに擦り付け、両手を合わせて頭上に掲げた立石は、後生だからと戸惑う周囲の視線も無視して謝罪した。

大の大人がお道化た様子で頭を下げる姿に、毒気を抜かれた雫は大きく息を吐いた。そして、立石に頭を上げる様に声を掛ける。

「んで、どこまで情報を掴んでるの?」

タメ口で声を上げる雫に、周囲の刑事達は少しムッとした顔を彼女へ向けた。雫はそれに気付いていたが、無視して目の前の立石を見る。

向けられた仕事に対する質問。許してくれたとばかりに、ほっと胸を撫で下ろした彼だったが、何故か少し気まずそうに答える。

「建物内にいるのは、人質として約30人前後。犯人は若い男性が4人?、それ以外、周辺に協力者がいるかは不明。現時点での要求は逃走用のヘリ。あっ、人質の安否は確認済み。1時間前に食事を提供した際に確認したのだけれど…」

ちょっと待って、と。一先ず言いたい事を我慢する。

何故犯人の数が?なのか、警察が提供した食事を素直に受け取った犯人は馬鹿なのか?遅効性の睡眠薬でも入っていたらどうするつもりなのか?

理解に苦しむが、理解はした。

そして次は、これからどうするか、だ。

目の前に置かれたホットココアを一口啜り、ほぅっと息を吐く。湿度を過分に含んだ白い靄が、ふわりと舞った。

「取り敢えず、周囲に仲間がいないか探るから、立石さん以外の人間は半径10m以上離れて待機しておいて」

探る?どうやって?そんな疑問は、指示とも聞こえる彼女の言葉の前に霧散した。

つまりこのテント(仮設本部)から出て行けと。

一介の女子高生がそれなりの立場にいる大人達に命令してくる事実に、眉間に寄せた皺を更に深くした。それでも立石が軽く手を掲げると、渋々ながらも指示通りにテントから人がいなくなる。

「さて、と」

うんっと両手を頭上に伸ばし、大きく息を吐いた雫はそのまま肩の力をスッと抜く。

左手を首元に充て、何かぽつりと呟いた。

次の瞬間、彼女の瞳から感情の色が消えた。無機質な何かを見つめる姿に、立石はごくりと唾を飲み込む。「何度見ても慣れないねー」と。

静かな空間に、雫の言葉が更にぽつり。


「深度3 アクセス対象、半径1km」


キンッと僅かな金属音。見えない波長が振動として辺り一面に広がった。


その後、時間にして10分程度か。雫の瞳に感情の色が戻る。

「ここを中心に半径1kmを対象に都内全ての監視カメラにアクセス。過去1時間程遡って記録映像を確認したけど怪しい人物はいなかった。建物内に入る犯人も確認。確かに4人だけみたい」4人の顔を確認後、彼らを中心に更に2時間程遡って確認したが、彼等と接触をした者はいなかった。そう伝えた。

「…そうかー、ありがとうー」と、立石は口を開く。

どのような方法で情報を得たのか、今まで何度も目前で行われてきたに慣れてしまった立石は、疑問の言葉を口にする事は無い。過去に彼女によって解決された事件の数々が、それを事実だと証明している。

雫は、続ける。

「人質の皆さんも大分疲弊しているみたい。早目に突入した方がいいと思うんだけど……いい?」

準備は出来ているのかと尋ねる雫に、立石は首を縦に振った。

「もちろんー」と、テーブルの脇に折りたたまれたA1サイズの紙を広げ、赤く丸い印がついた場所を指示す。

「入り口は全部で3つ、正面出入口と駐車場からの出入口、後は従業員専用の出入口だねー」

さて、どこから入る?と尋ねる立石に、雫は満面の笑みで答えた。

「もちろん、正面入口からよっ!」



4人の中で一番若くて下っ端の徹は、捕まるのは時間の問題だと理解していた。

建物を取り囲む夥しい数の警官達。防壁の様に群がる野次馬と、それらをリアルタイムで流すテレビ局。

我々の画像は流失していないようだが、映像に晒されたら最後。全国民に知れ渡り、日本中どこにも逃げ場はなくなる。

呑気に用意された食事を貪る仲間を見て、徹は後悔していた。

警官共が用意した食事を、何の疑問も抱かず口にする能天気さ。

状況を正確に理解していない頭の悪さ。

現状を打破する案さえ出せない無能共。

そんな馬鹿共の提案に乗ってしまった徹も馬鹿の一人なのだが、馬鹿ゆえにそれに気付かないし気付けない。

「徹、お前も食える時に食っとけよっ!いざという時、腹減って動けませんじゃ話にならねーからなっ!」ぎゃははと、何が面白いのか腹を抱えて笑う仲間に、もはや何の感情も浮かばない。

それより、これからどうするかだ。どうすればこの状況を打破できる?いっそ自首して罪の軽減を図るか?

いや、図るなら先に人質を解放するべきか。開放するには仲間が邪魔だなと。

浮かぶ案は後ろ向き、保身に対して前向きに。

動揺する頭で纏まらない考えを展開していると、待機していた刑事の一人が拡声器を使ってこちらに向かい呼びかける。

「えー、犯人に警告だー。投降するなら今すぐに行動する事をお勧めするー」

お前たちの人権は、日本国の憲法において保証されてる等。今までの様な会話形式の呼びかけではなく、一方的な勧告。人質を無視して突入するつもりかと考えたが、彼らの後ろで待機する武装した警官達に動く様子はない。

仲間達は何が楽しいのか、馬鹿笑いして騒いでいる。

意味もなく騒ぐ犯罪者共を見て怯える人質達。そんな人質達を見て、思う。

そもそも第3者の命が危険に晒された状態で突入しようものなら、集まったマスコミ共が嬉々としてその映像を流すだろう。そうなって困るのは、国民を護る側の彼等だ。犯人を含め、人質を無傷で帰さなければ、彼らの言う憲法や、何より彼らが一番気にしているであろう世間が納得しない。

思案している間にいつの間にか警告は終わり、嫌な静寂が辺りに漂う。車道を走る車のエンジン音や、人の歩行を促す信号機から流れる間の抜けたメロディーがやけに耳に残った。

ごくりと喉を鳴らす徹の視線の先に、こちらに向かって歩いている小柄な一人の人間がいた。

深くフードを被っている為、顔は確認出来ない。

怪しげな動きに、目を細めた。

その人間の行動を、じっと見つめる。

徐に左手をゆっくりと持ち上げ、首元に宛てがう。そしてそのまま動かなくなった。

何をしているのか?ここからだと遠くて確認出来ないが、そんな人間を周りの警官は制止する様子もない。


そして、暫く。


時間にして約1分程か。


まずは照明が落ちた。


「……は?」


突然落ちた照明に、何が起きたんだと騒ぐ仲間達。

建物の電源を落とされたのかと思ったが、窓から覗いた景色を見てその考えを否定する。

「ここだけじゃない、辺り一帯の灯りが消えている…?」

正確には全ての照明ではない。信号機や、車の灯りは絶えず灯っている。

何が起きたのか。理解出来ない徹の耳に、騒ぐ外野の声が届いた。

どうやら、ネット回線が落ちたらしい。

スマホが動作しないと騒ぐ野次馬や、構えたカメラを点検しだすマスコミの様子から察した。仲間の一人も、それを証明する様にスマホが動かねぇと騒いでいる。

「何が起きてるんだ…?」

疑問に答えてくれる者は誰もいない。

しかし答え代わりに、今まで突っ立ていたフード人間がこちらに向かって再度歩き出す。


ゆっくりと、一歩一歩。


静かに、前へと。


額に浮かんだ玉の様な汗が、頬を伝って流れ落ちる。


まずい。

直感的にそう思った。

何故そう思ったのか、疑問にも感じない。

見えないはずの威圧感とも呼べる何かを、から感じる。

「……女?」

ふと、気付く。

パーカーから下、覗いたスカートから女性であると認識。

小さい。小柄な女性。近づいてくるとより認識出来る。女性ではなく、少女と呼ぶべきか。


少女が、呟いた。


「深度5 思考加速プログラム始動」


特に何か起こったわけじゃない。

ただ、彼女の手元がブレた、そう感じただけ。

そして次の瞬間。

突如発生した爆風が、入口正面のガラスで出来た自動扉を降りたシャッター毎まとめて吹き飛ばした。

「ぐっ!」

突如起きた衝撃に、思わず両腕で顔を覆う。

悲鳴を上げる野次馬、動作しないカメラを反射的に向けるマスコミ。続いて、いち早く正気を取り戻した幾人かの若者達が、手にしたスマホで写真や動画を取り始めていた。

建物内では、他の仲間達が自身の身を守る様に蹲っている。

爆発が起きた入口、土煙か埃か。次第にそれらが収まると、ぽっかりと大きな穴をあけて、見るも無残な姿が見えてきた。

身を起こし、唖然とした顔で大きな穴を見つめる仲間達。何が起きたのか理解出来ない人質達。

皆が見つめるその穴から、一人のパーカー少女が顔を出す。

皆の視線が少女に集まった。

「こんばんわ」

周囲を見渡し、たった一言。

そう口にした次の瞬間、少女の姿が掻き消えた。


「…え?」


理解出来なかった。

いや、正しくは認識出来なかったというべきか。

認識出来ないまま、仲間の一人がドサリと倒れた。

「……は?」

何が起きたか理解出来ない。突然目の前で仲間が倒れた。理解出来たのはそれだけ。彼は理解出来ないまま、理解出来ない存在に銃口を差し向ける。

当然、どこにいるのか理解していないのだから、銃口は明後日の方向へ。

「こっちだよ」

耳元で囁かれた少女の声。そして視界が闇に消える。

「えっ?えっ?えっ?」

状況が理解出来ず、動揺した顔で辺りを見渡していた最後の仲間も、先に倒れた仲間と同様に倒れた。


ジャリッ


徹の後ろで、音が鳴る。

「化物め…」

何が起きているのか理解する間もない。そして理解する必要もない。

ははっと苦笑した徹の意識は、そのままその場で事切れた。



「いやー、派手な捕り物劇だったからねー、ニュースになるのも無理ないよねー」

都内某所、カフェのテラス席で雫と立石は二人仲良くお茶していた。見方によってはパパ活ともみれる状況だが、特に二人は気にもしていない。

あれから数日後、事後報告と特別追加報酬についての打ち合わせの為、雫指定の店で二人顔を合わせている。

さも大変な騒ぎだと口にするが、雫が関与すればこんな事態はいつもの事だ。ニュースになった事も今回が初めてではない。

「なによ、何か文句でもあるわけ?」

暖かそうな湯気を上げ、香ばしい匂いを漂わせるコーヒーを一口啜り、嫌みともとれる立石の言葉に反論する。

キッと睨み付けるが、あの戦闘時に感じたような威圧感は感じない。目の前にいるのは年相応の可愛らしい少女が一人、可愛らしい反論をしているだけだ。

「いやいや、文句なんて言える立場じゃないよー。人質も無傷で救出してもらったし、犯人も無事確保出来たしー」万々歳だとお道化た様子で両手を上げる。

そんな彼の様子に、当然とばかりに満更でもない顔でふふんとどやった。


まずは事後報告。


あの後4人は警察によって拘束連行。意識を失ったまま、護送車で運ばれて行った。

人質に怪我はなかったものの、心に受けた傷は相当に深く、今もまだ数人の男女がメンタルケアを受けているらしい。

画像や動画は、同夜の内に拡散。数時間後に回復したネット回線、もしくはその場を離れ、生きている回線からあの時撮影していた画像や動画をネット上にアップした。但し、雫の顔はパーカーに施された認識阻害装置によって映されてはいない。

ネット上にアップされた動画を使って、連日メディアがお祭りの如く騒いでいる。

「日本人って変わってるわ。他国に比べても娯楽は多いはずなのに、この程度の事で騒ぎすぎだと思うのよ」

「高層ビルの爆破なんて非日常だからねー。ほら、海外はちょくちょくあるみたいだけど、日本じゃ珍しいんじゃないかなー」

そういうもの?首を傾げる雫には、どうも理解出来ない事のようだ。

それよりもよ、と。満面の笑みで雫は話を切り替える。

「次は一番大事なビジネスの話よ」

「そうだねー、お金が一番大事だよねー」

にやりと笑う雫。

社内トップだと言う彼女は、確かに全てにおいて規格外な存在だ。

事件解決率、No.1。

報酬、No.1。

強さ、No.1。

そして、事件解決に掛かる費用も、No.1だった。

「あの後ねー、色々大変だったんだー」

貼り付けたような胡散臭い笑みを浮かべて、立石は語った。

建物爆破後に掛かったビルの復旧費用、〇○○〇万円。

ダウンさせたシステム復旧に○○○万円。

その他細々と。

数千円単位に至るお金迄。

時間にして30分程。

先程語ったこれ以外の報告なんてついでとばかりに、それはもう延々と。

話を聞き終わる頃には、話し合い前の強気な雫の姿はそこになかった。

ただ、目の前の得体のしれない何かの顔色を伺う様に覗いている。

「えっと、あのそれでは特別追加報酬については……」

「ないよねー」

「えっと、私自身、結構頑張ったというか。部活も早上がりして急いで来たし…」

「ないよねー」

「追加報酬、貰ってくるって叔父さんに言っちゃったし……」

「ないよねー」

「あの……」

「ないよねー」

「……」

目の前にいる得体のしれない何か。ニコニコ笑顔でこちらを見つめる彼の姿は、あの時、銃口をこちらに向けて叫んだあいつらより、はるかに怖かった。



「結局、何者なんですか。あの少女は」

今年入社したばかりの新米刑事を前に、立石は喫煙室でタバコを吹かした。

やっぱり本物は違うよねーとばかりに、手にした煙草を見てニヤニヤしている。

ゴホゴホと咳き込む新人に視線を移し、どう説明したもんかと思案する。

少しの間をおいて、言葉を選ぶように。

「あの子はねー、普通の女の子なんだよー」

「…はい?」

訝し気な視線を受けても飄々とした態度の立石に、少し戸惑う。

「10年前にこの国で起きたテロ、知ってるー?」

「はい。戦後最悪の事件と言われた、とあるAI企業を占拠した例の事件ですよね」

「そう、競争に負けたライバル企業の社長が、腹いせに受付で散弾銃打ちまくったやつー」

「……確かその時の死者の数が数十人もいたと」

それと何の関係が?

変わらぬ口調、変わらぬ笑顔。そのまま立石は続けた。

「そこにねー、いたんだよ彼女」

「いた…とは?」

「そのままの意味だよー、散弾銃をぶっ放してる馬鹿の隣にねー、いたんだー彼女」

ごくりと、前野の喉が鳴る。

父親の忘れ物を届けに行ったらしい。

ちょうどお昼時で、一緒に昼食をとろうと約束していた。

そして大人しく父親を待っていた受付に、その男は現れた。


淡々と、ただ事実を述べる様に。


そして、そのままズドンッとねー、と。


頭を撃ち抜かれて、死んじゃったんだー、と。


そう口にした。


「……はい?」


意味が理解出来なかった。

先輩は、何を言っている?

少しの間、思考が停止する。

死んだ?

新人の自分をからかっているのか?

彼女は確かに目の前で動いていた、会話もした。



「会話したよねー、生きている。そう思うよねー」

立石は続ける。

「あの子の父親の会社ってさー、今も公にはなってないんだけど、完全独立型の自身で思考するAIを研究しててねー、あの子が実験体第1号なんだよー」

いつもの張り付けたような嘘くさい笑顔。しかし、目が笑っていない。

どっどっどっと、心臓の鼓動が早くなるのを感じる。

「あの子はねー、人類史上初の完全オリジナルAI、個体名;雫。

立石は、変わらぬ口調でそう言った。

そんなばかな。

漫画の世界じゃあるまいし。

嘘だろ?

嘘だよな?

でも心のどこかで納得している自分がいる。

あの時起きた建物を含む周辺地域の電力ダウン。

ネット回線の切断。

目の前で起きた爆発。

あの時起きた事実は、確かに実現可能な現実だった。

ただ、あの場で我々に都合の良い現実が、都合の良いタイミングで起こった事実。

その事実が、立石の言葉を真実だと言っている。

霞む様に揺れた、彼女の存在。

あれはどうやって証明する?ただの人に出来る動きじゃない。それこそ人を超えた何かでなければ……

「なんでそれを…」知っているのか。遮る様に、立石は口を開いた。

「あの子の父親とは大学時代の親友でねー、雫ちゃんが生まれた時から知ってるんだー」と。

だから他人事じゃなくてねー、あの子は自分の娘も同様でねー、とても大事な子なんだよねー、と。

変わらず、嘘みたいな笑顔で続ける。

「あの時の犯人さー、あれだけ人を殺しておいてさー、まだ捕まってないんだよねー」

立石は、前野の目を真っすぐに見つめ、言った。

確かに、立石が言った事は事実だ。今では3千万の懸賞金が掛けられているが、未だ捕まってはいない。


「許せないよねー」


ぞわりとした感覚が背筋を撫でた。


真っ直ぐにこちらを見つめる彼の目。

先程から、ずっと。

その目だけ、笑ってはいない。


どこか飄々としていて、どこまでも憎めない、誰にでも慕われる人格者だと思っていた。

しかし、

何が人格者?

どこが誰にでも慕われる先輩だ?

、破綻している。

人の皮を被った、、だ。

「なぁ、なんで君にこんな事をしゃべったと思う?」

「……何故でしょうか?」

質問に、質問で返す。

意図せず、声が震える。

「君って優秀じゃないー。確か警察官採用試験、トップ合格だって聞いてるよー」

だからさー

「手伝ってよー、犯人捜しー」

「……」

逃げられない、そう思った。

ここで断ったら、何をしてくるか分からない。

口の中がカラカラで、言葉が出てこない。

前野は、こくんと言葉の代わりに頷いた。

あぁ、終わりだ。

いや、違う。

ここから始まるのか。

地獄の様な日々が。

「ありがとー」

にっこりと、立石は笑った。

いつもの様に、嘘くさい満面の笑みを浮かべて。

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