山田さん

志乃亜サク

石川さんかも

わしを呼び出したのは、お前であるか」


 先ほどまでの好々爺然とした表情とはうってかわって、その顔にはいまや深く険しい皺が刻まれていた。長年の苦悩がそのまま跡になってしまったかのような。


 場の空気が変わった。蠟燭の灯が揺れ、それに合わせて壁にうつる祭具や供物の影も揺れる。

 冷気さえ感じる一方で、敦也の額には玉のような汗が浮かんでいた。

 敦也は思わず居住まいを正し、頭を垂れた。



 正直なところ、ここに来るまで敦也は口寄せとか降霊といった類のものを全く信じてはいなかった。


 それでも今こうして口寄せ師と膝を突き合わせて対峙しているのは、せっかくの東北ひとり旅の土産話にと考えたこと、そして僅か数千円でそれが叶うならという2つの理由。ただそれだけであった。


 さて、誰の霊を降ろすのが都合良いか。そう考えたとき、敦也ははたと止まった。


 自分の両親祖父母はいまだ健在だし、身近に他界した者もいない。


 たとえば曾祖父は他界しているが、仮にそれを口寄せしてもらったとて、もともと交流もなかったので特に聞きたいことも話したいこともない。それに、その語る内容が嘘か本当かも確かめようがない。


 他には……たとえばジョン・レノン? たとえば長嶋茂雄?


 いや、そのレベルの超有名人ならこれまで依頼する人だっていただろうし、テンプレ問答集を持っているかもしれない。


 はっきりと言ってしまえば、敦也は少々悪趣味だと自分でも思いつつ、デタラメな口寄せを期待していたのだ。「やっぱり口寄せなんて嘘っぱちだったよ」と帰京後に飲み屋で友人に語って笑い飛ばすための、失敗談のネタを期待していたのである。


 だから都合が良いのは、「一般にはあまり知られていないが、自分ではある程度その言葉の真偽の判定ができる人物」ということになるわけだ。



 そこで敦也が口寄せを依頼したの人物というのが「蘇我山田石川麻呂そが の やまだ の いしかわまろ」だったのである。


 蘇我山田石川麻呂。大化の改新(乙巳いっしの変)で中大兄皇子なかのおおえのおうじ中臣鎌足なかとみのかまたりらとともに時の権力者である蘇我入鹿そがのいるかを討ったとされる人物だ。


 あえて有名な二人ではなく№3ポジの蘇我山田石川麻呂を選んだのは、一般的には知名度が低い一方、日本史の教師である敦也にとっては得意分野であるためだ。それと万が一、この口寄せが「本物」だったとしても、トップ2ではなく蘇我山田石川麻呂の視点から歴史的なクーデターの様子を聞けるのは興味深いと思ったためだ。


 そして場面は冒頭に戻る。


 敦也は感じていた。これは、この人は――本物だ、と。





「何か儂に聞きたいことがあるのか?」


 蘇我山田石川麻呂が厳かに尋ねる。もう口寄せ前とは声色までが全く違う。


「恐れながら、お聞きしてよろしいでしょうか?」


「許す。申してみよ」


「それでは、最初の質問を」


「うむ」


「『蘇我山田石川麻呂』はどこで姓と名を切ったらよろしいでしょうか?」


「うん?」


「前々から思ってたんですが、『蘇我』『山田』『石川』ぜんぶ苗字っぽいんですよね。どういうおつもりで?」


「どういうおつもりでってお前。逆に聞くけど、どれが苗字だと思うの?」


「んー……『麻呂』?」


「そこだけは違うやろ。三択や」


「じゃあ『山田』で」


「真ん中採るんや。まあそれでもええわ」


「では山田、次の質問を」


「待て待て。さんをつけろよデコ助野郎」


「山田さん」


「そこ気を付けてな。左大臣やから。で、次の質問は?」


「ここからが本題です。クーデターの当日、どんな感じでした?」


「どんな感じってまたフワッとした質問やな」


「その場にいた人のなまの感想を聞きたいと思いまして」


「……正直、しんどかったな」


「しんどい、とは? 良心の呵責的な?」


「いや……あの時、儂ら蘇我入鹿はんを討ったやん?」


「そう伝わってますね」


「あれな、ホンマはイルカ漁に行くつもりで集まったんや」


「イルカ漁」


「そう。前日に鎌足はんから参加者宛に決起文が届いたんやけどな。その文面が『イルカヲヤル イタブキノミヤニ アツマレ』だからね。万が一露見したときのために暗号文ぽくしたんやろけど。わかり辛いわ」


「その前にクーデターが起こりそうな雰囲気はなかった?」


「ないない。突然や。実際、板蓋宮いたぶきのみやに集まったやつらの八割くらいは純粋にみんなでイルカ漁に行くと思ってたんちゃうかな?」


「さすがに八割ってことはないでしょうよ」


「いやホンマやて。得物えものは各自で持ち寄りやってんけどな、八割くらいは槍じゃなくてもりもってきてたもん」


「ほんとですか?」


「マジで。集合して最前列にいたやつが浮き輪持っててな。鎌足はんに無言で思いっきりシバかれてたけど、みんなキョトンとしてたもん」


「それじゃ、クーデター始まったときビックリしたでしょう?」


「おおうよ。みんなで板蓋宮に突入してな。あれ? おかしいなと思ってるうちに中大兄皇子はんが急に入鹿はん刺しよったんや。ぷすー言うて」


「山田さんはその時どうしてました?」


「『何してんねん!』言うたよ。『イルカ違いやないか!』て。ボケにしてはやりすぎやと思ったし」


「それで?」


「皇子はんに続いて鎌足はんも入鹿はんを刺しよってん。それに何人か続いて『ぷすぷすぷすー』て」


「さすがにもう気付いたでしょう?」


「まあな。『あ、これクーデターやん』思ったよ。その時、死にかけの入鹿はんと目が合うたんや」


「入鹿氏はなんて?」


「めっちゃ怒ってた。『山田ァ!コノヤロー!!』って。まるで首謀者を名指しするみたいな感じで。もう儂、ビックリして」


「それは驚きますね」


「同じ蘇我姓でも入鹿はんは本家筋、こっちは傍流もええとこやから。入鹿はんからすると腹立ったんやろうけどね」


「辛い立場ですね」


「最期の最期まで『山田ァ!コノヤロー!!』って罵られてたわ。儂、銛もって立ってただけなのに」


「結局、山田さん活躍はしなかったんですね」


「その後な、入鹿はんの親父、蝦夷えみしはんを討ちに行ったんやけど。そん時も言われたわ『山田ァ!コノヤロー!!』て」


「連続は凹みますね」


「短時間にあれだけ敵意向けられたの初めてやったからね。そら凹んだよ」


「まあ、クーデターは成功したんだから良いじゃないですか」


「それはええねんけどな。クーデター終了後、皇子はんと鎌足はんが勝ちどきを上げたんや。『これで蘇我氏は滅んだ!エイエイオー』言うて。待て待て。儂も蘇我氏やっちゅうねん。みんな山田だと勘違いしてんねん」


「抗議しました?」


「いや……そこで言ったら空気悪くなると思って黙ってたよ。でも不満が顔に出てたんやろね。4年後には儂も滅ぼされてしもうた」


「あらー」


「まあ、こんなとこやな。クーデターなんてするもんちゃうわ」


「よくわかりました。ありがとう、山田さん」


 ほな、またな……というと、口寄せ師の顔は元の穏やかな表情となり、お堂の張りつめた空気も緩んだような気がした。


 山田さんは、いるべき場所へと帰って行ったのだろう。


 敦也は深く礼をして、お堂を後にした。


 彼もまた、東北新幹線に乗って都会の日常へと帰っていくのである。




<了>

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山田さん 志乃亜サク @gophe

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