第10話:夏祭り・浴衣着用による機動力低下問題
着付けという名の拘束実験(回想)
放課後、理科準備室。
理沙が美咲に浴衣を着せている。
理沙は楽しそうに帯を力一杯締め上げている。
美咲は柱にしがみつき、苦しそうに悲鳴を上げている。
夕日が差し込む理科室は、実験室というより拷問部屋の雰囲気。
「ぐ、ぐるじい……! 理沙、ちょっと締めすぎじゃない!?」
私は理科準備室で、柱にしがみつきながら悲鳴を上げていた。
背後では、九条理沙が私の帯を万力のような力で締め上げている。
「我慢したまえ。これは『夏祭りにおける高圧着衣が被験者の心肺機能に与える影響』の実験も兼ねている」
「実験!? デート用の着付け頼んだだけなのに!?」
「安心しろ。美咲の貧相なスタイルでも、この補正下着と私の技術があれば、大和撫子に見えるように偽装(カモフラージュ)できる。……よし、ロック完了」
理沙はニヤリと笑い、最後のひと絞りを入れた。
「……ッ!」
こうして、私は呼吸機能の20%と引き換えに、見かけだけの「浴衣美人」装備を手に入れたのだった。
魔王のフィールドワークと不協和音
夕暮れ時の神社の鳥居前。
提灯に明かりが灯り始め、浴衣姿の客で賑わっている。
鳥居の下では、三人の男子が揉めている。
美咲は少し離れた場所から、そのピリピリした空気に怯えながらペンギン歩きで近づく。
隣には変装した理沙。
私は神社の長い参道を、よちよちと歩いていた。
下駄の鼻緒は指に食い込むし、理沙に締め上げられた帯がコルセットのように肋骨を圧迫している。
「……歩きにくい。信じられないくらい歩きにくい」
「文句を言うな。その不自由さこそが『奥ゆかしさ』を演出する装置だ」
隣を歩くのは、黒いキャップを目深に被り、黒縁の伊達メガネをかけた私服姿の理沙だ。
いつもの白衣とは違い、妙にスタイリッシュで、芸能人のお忍びみたいでかっこいい。
「ていうか理沙、なんでついてくるの? 3人とデートするだけじゃ……」
「フィールドワークだよ。極限状態(人混み)における雄たちの求愛行動を観察する絶好の機会だ。見逃す手はない」
理沙は片手に持ったメモ帳を開きながら、涼しい顔で言った。
鳥居の下に、待ち合わせている三人の姿が見えた。
……が、何やら様子がおかしい。
「おい氷室! 邪魔だ! 俺が真ん中で美咲を待つんだよ!」
剛田猛次くんが吠えている。
「非効率だ。身長順に並ぶべきだ。君の無駄な筋肉が視界を遮る」
氷室慧吾くんが冷たく返す。
「お前らどっちもうるせぇ! 美咲が来たら半径1メートル空けろよ! 虫除けスプレーかけんぞ!」
間宮陽人が殺気立っている。
(うわぁ……めっちゃ仲悪い……。あの中に入っていくの勇気いるなぁ……)
私が躊躇していると、理沙が背中をドンと押した。
私はつんのめるように前に出た。
「あ、あの……お待たせしました……」
三人が一斉に振り返る。
その視線が一斉に私の浴衣姿に注がれ――そして、隣の不審人物(理沙)で止まった。
「……九条理沙か?」
氷室くんが眉をひそめた。
「やあ氷室くん。今日の美咲のコーディネートは私が担当したからね。いわば私の『作品』だ。その耐久テストと、君たちの反応(リアクション)を観察しに来たのさ」
理沙はキャップのつばをくいっと上げた。
「気にしないでくれ。私はただの『壁』だ」
理沙がそう言って一歩下がると、改めて三人の視線が私に戻った。
彼らは私の浴衣姿を見て、一様に頬を染め、先程までの喧嘩腰が嘘のように固まった。
「す、すげぇ……! 大和撫子だ! 似合ってるぞ美咲!」(剛田)
「……機能性は皆無だが、視覚的情報量は増大しているな」(氷室)
「お前……その襟元、ちょっと緩くないか? ……あと、うなじ出しすぎだ」(陽人)
「あ、ありがとうございます……あの、変じゃないかな……?」
私がモジモジしていると、剛田くんが復活して叫んだ。
「よし! 行くぞ! まずは焼きそばだ!」
「ま、待って! 私、速く歩けないの!」
私が悲鳴を上げると、三人は私の足元――慣れない下駄を見た。
「……チッ。しゃーねぇな」
陽人が私の隣にピタリとついた。
「俺がガードしてやるから、ゆっくり歩け。……はぐれるなよ」
「あ、ありがとう……ごめんね、迷惑かけて……」
陽人に腕を引かれ、私はペンギンのようによちよちと歩き出した。
その後ろで、理沙がボソボソと呟きながらメモを取っている。
「ふむ。歩幅制限によるよちよち歩き……これが『守ってあげたい欲』を刺激するわけか。計算通りだ」
こうして、ペンギン(私)と、それを守る三人のSP、そして背後霊のような観察者による、奇妙な夏祭りツアーが始まった。
鉄壁のSPと帯の悲劇
境内の屋台通り。
人がぎっしりと詰まり、熱気が充満している。
剛田が先頭で道を切り開き、氷室が地図アプリを見てナビゲートし、陽人が美咲の背中を守っている。
理沙はその「安全地帯」にちゃっかり便乗している。
「うわぁ……すごい人……」
境内は、芋洗い状態だった。 ソースの焦げる匂いと、人々の熱気。
私の身長(平均)では、前の人の背中しか見えない。
酸素が薄い。
「オラオラァ! 道空けろ! 美咲が通るぞ!」
先頭を行く剛田くんが、モーゼのように人波を割っていく。
その背中は頼もしいが、言葉選びが完全に山賊だ。
「剛田、そのルートは混雑率120%だ。右の金魚すくい屋台の裏ルートへ迂回する」
氷室くんがスマホの画面を見ながら的確な指示を出す。
「おい、後ろから酔っ払いが来るぞ。美咲、俺の右側に寄れ」
陽人が私の肩を抱き寄せ、防波堤になる。
(……すごい。完璧なフォーメーションだ)
私は彼らの中央――通称「安全地帯(セーフティ・ゾーン)」で、守られながら進んでいた。
普段は私を悩ませる彼らの過剰なエネルギーが、今は外敵(人混み)に向けられている。
「ほう、完璧な『密集隊形(ファランクス)』だ。では私も便乗させてもらおう」
理沙がちゃっかり私の一番後ろ、最も安全なポジションをキープしてついてくる。
「美咲! たこ焼き買ったぞ! 食え!」
剛田くんが熱々のたこ焼きを差し出してくる。
「えっ、今!? 歩きながら!?」
「口を開けろ。……あーん」
陽人が有無を言わさず、フーフーしたたこ焼きを私の口に放り込む。
「むぐっ!?」
「咀嚼(そしゃく)回数が少ない。喉に詰まらせるリスクがある」
氷室くんがストロー付きのお茶を差し出し、口元に持ってくる。
おいしい。確かにおいしいけど……!
(く、苦しい……! 胃が膨らまない!)
理沙が「実験」と称して限界まで締め上げた帯が、鉄のコルセットのように私の胃袋を圧迫している。
たこ焼き一個で、内圧が限界だ。
(ごめんなさい、みんな……せっかくくれたのに、入らない……!)
「美咲、りんご飴もあるぞ!」
「チョコバナナも摂取しろ。糖分が必要だ」
次々と供給される食料。
私は涙目で首を横に振った。
無理! もう入らない! 帯が弾け飛ぶ!
その様子を見ていた理沙が、冷徹に呟いた。
「被験者の咀嚼能力を超えた供給過多(オーバーフロー)だね。窒息しないよう記録しておこう」
「た、助けて……!」
「ふむ。摂取による『内圧』と、帯による『外圧』のせめぎ合いか……。興味深い。人間が先に音を上げるか、帯が弾け飛ぶか、見物だね」
そう言いながら、理沙は私が持たされていた舟皿から、たこ焼きを一つひょいと摘み上げ、自分の口に放り込んだ。
「……うん、味は悪くない。美咲、喉に詰まったら食べてあげるから安心したまえ」
(鬼だ……! この人、全部わかってて帯をキツくしたんだ!)
私はパンパンの胃袋と酸欠寸前の肺を抱えながら、よろよろと歩を進めた。
VIP待遇のはずなのに、護送される宇宙人のような気分だった。
予言された断裂
少し開けた神社の石段付近。
人混みから抜け出そうとした瞬間、美咲が石畳の溝に下駄を引っ掛ける。
ブチッという音と共に、鼻緒が切れる。
美咲が体勢を崩し、その場にへたり込む。
周囲の賑わいが遠のき、美咲の周りだけ時間が止まったような絶望感。
「あ」
短い声が出た。
石畳の隙間に、下駄の歯が挟まった。
そのまま足を上げようとした瞬間。
――ブチッ。
嫌な音がして、右足の親指と人差指の間から、支えが消えた。
「うわっ……!」
バランスを崩した私は、無様に地面へ倒れ込んだ。
「美咲!?」
三人が同時に振り返る。
私は痛む足首を押さえながら、自分の足元を見た。
可愛い花柄の鼻緒が、無残にちぎれている。
(終わった……)
ここから家までは徒歩20分。
人混みの中で、座り込んでしまった私に、周囲の邪魔そうな視線が刺さる。
「……ごめんなさい。私、もう歩けな……」
私が謝ろうとした、その時。
男子たちが慌てふためく中、理沙が静かに前に進み出た。
「ふむ。鼻緒の断裂か。開始45分……想定通りだね」
「え?」
理沙は涼しい顔で、ポケットから何かを取り出した。
それは、業務用のような無骨なソーイングセットだった。
「そ、それ……」
「私が美咲に着付けをした時、下駄の鼻緒が弱っているのは確認済みだ。君の歩行負荷と、この安物の耐久値を計算すれば、ここで切れるのは必然だね」
理沙は針に糸を通しながら、ニヤリと笑った。
(えっ……待って。切れるってわかってて、あえてこの下駄を履かせたの!? 備えてたの!?)
背筋が凍った。
この人は、私が転ぶところまで計算に入れて、このデートを設計していたのだ。
完全なるマッチポンプ。
「……私がここで応急処置を施してもいいし、家まで肩を貸してやることも可能だが……」
理沙はそこで言葉を切り、悪魔のような笑みで男子三人を見回した。
「どうする? 私がやってしまってもいいのか? ……この状況で私が颯爽と助けたら、吊り橋効果で美咲のハートを射止めてしまうかもしれないぞ? 彼女、チョロいから」
私は理沙を見上げた。
助けてほしい。
でも、助けてもらったら、私は一生この人の実験動物として飼われる気がする。 「理沙ルート」の先にあるのは、平穏ではなく完全な支配だ。
(ひぃぃぃ! どっちも怖い!)
私が恐怖で硬直した、その瞬間。
「「「させねぇよ!!」」」
三人の男たちの怒号が重なった。
「ふざけんな! 美咲は俺が運ぶ!」
剛田くんが私の前に背中を向けてしゃがんだ。
「乗れ!」
「えっ、でも……私、重いし、汗かいてるし、剛田くんの服が汚れちゃうよ……!」
「いいから乗れ! 九条なんかに美咲を渡してたまるか!」
「……チッ。剛田、お前だと揺れるだろ。僕が運搬ルートを最適化するから指示に従え」
氷室くんが私の荷物をひったくる。
「俺は道を確保する! 九条、お前は余計なことすんな!」
陽人が理沙を威嚇する。
「やれやれ。嫉妬深いことだ」
理沙は肩をすくめ、楽しそうにメモを取った。
私は剛田くんの背中に、申し訳なさで小さくなりながら乗せられた。
背中の上の安全地帯
神社の長い階段。
剛田が美咲をおんぶして降りている。
氷室は美咲の巾着と剛田の荷物を持ち、陽人は前方の客を誘導している。
理沙は少し離れた後ろから、その隊列を撮影している。
遠くで花火が上がり始め、夜空を彩る。
私は、剛田くんの背中に揺られていた。
高い。
普段の自分の視点より、ずっと高い位置。
汗と、制汗スプレーの混じった匂いがする。
みんなが見てる。
「うわ、おんぶされてる」
「VIPかよ」
「過保護すぎ」
という視線が痛い。
「……ごめんね、剛田くん。重くない?」
私は消え入りそうな声で聞いた。
「お姫様」なんて気分じゃない。私は「お荷物」だ。
「何回言わせんだ。羽みてぇだっつーの」
剛田くんの声が、背中越しに響いてくる。
ぶっきらぼうだけど、彼が踏み出す一歩一歩は、驚くほど慎重だった。
(……揺れない)
彼は、私が酔わないように、そして捻挫した足に響かないように、筋肉を制御して静かに歩いてくれている。
あのガサツな剛田くんが。
「……おい氷室、右側に段差あるぞ。気をつけろ」
「視認している。間宮、前方10メートルに子供が走ってくる。ブロックしろ」
「おう! ……坊主、危ないからこっち通りな」
陽人と氷室くんも、私を守るために必死に動いている。
普段は私を困らせるだけの、過剰な能力を持った彼ら。
でも、その能力がすべて「私を守る」ために使われている今。
(……申し訳ないけど……すごい安心感)
怖くない。
いつもは「いつ食べられるか」と怯えていた猛獣の背中が、今は世界で一番安全な場所に思える。
「……ねえ、剛田くん」
「あ?」
「……ありがとう」
私は、彼の首に回した腕に、少しだけ力を込めた。
剛田くんの体が、ピクリと強張った。
「……バーカ。礼なんていらねぇよ」
ぶっきらぼうな声。
でも、私の目の前にある彼の耳は、茹でたタコみたいに真っ赤になっていた。
後ろを振り返ると、理沙がスマホのカメラをこちらに向けていた。
レンズ越しに目が合うと、彼女は口パクでこう言った。
『チョロいね』
私はカッと顔が熱くなり、剛田くんの背中に顔を埋めた。
見上げた空と、おかしな関係
神社の出口付近。
人混みが少し引けた場所。
剛田が美咲を下ろさず、そのまま空を見上げている。
氷室と陽人も立ち止まり、夜空を見上げている。
美咲は剛田の背中から、彼らと同じ空を見ている。
大輪の花火が打ち上がり、四人の顔を照らす。
理沙は少し離れた街灯の下で、満足げにその光景を見ている。
ヒュ~~~……ドンッ!
夜空に、大輪の花火が咲いた。
周囲の歓声が上がる。
「うおっ! すげぇ!」
剛田くんが足を止めて見上げる。
「……色彩の配合が見事だ。炎色反応の計算が完璧だな」
氷室くんが感嘆する。
「今年最初だな。……美咲、見えてるか?」
陽人が振り返り、私に笑いかける。
「うん……すごく、綺麗」
剛田くんの背中から見る花火は、特等席だった。
三人の男たちと、背負われた私。
傍から見れば、奇妙な集団だろう。
でも。
(……悪くないかも)
理沙の作った「協定」という名の檻。
その中で、私たちは歪な形ながらも、一つの「チーム」になりつつあるのかもしれない。
……私の意思は完全に無視されているけれど。
「よし! 花火も見たし、帰るぞ! 美咲、しっかり捕まってろ! 家までダッシュするぞ!」
「えっ、ダッシュはダメ! 揺れる! 怖い!」
「計算上、剛田の脚力なら転倒リスクは0.02%だ。許可する」
「バカ! 転ばなくても美咲が酔うだろ! 徒歩でいいんだよ徒歩で!」
またいつもの喧嘩が始まった。
私は剛田くんの背中で、「もう降ろしてぇ!」と叫びながらも、口元が少し緩んでしまうのを止められなかった。
少し離れた場所で、理沙が不敵に笑っているのが見えた。
彼女の手のひらの上で、私たちは今日も踊らされている。
でも、今夜だけは、そのダンスも悪くない気がした。
私のパニック観察日記。
今日は「機動力低下」の日。
でも、代わりに「最強の足(乗り物)」と「頼れる悪友(観察者)」を手に入れた夜だった。
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