第6話:【実地検証C】間宮陽人との記憶照合
幻想の崩壊と職務質問
放課後の昇降口前。
夕暮れの茜色が校舎を染めている。
美咲は少し安堵した表情で靴を履き替えているが、校門の前で待つ陽人は、腕を組み、貧乏ゆすりをしながら、獲物を待ち構える刑事のような鋭い目つきをしている。
周囲の生徒が、陽人の放つ異様なオーラを避けて遠巻きに通っている。
協定ローテーション3日目。
今日は幼馴染・間宮陽人のターンだ。
正直、私はスキップしたい気分だった。
初日の剛田くんは「筋肉破壊(フィジカル・ブレイク)」。
二日目の氷室くんは「脳味噌溶解(メンタル・メルト)」。
連日のハードワークで、私の心身はボロ雑巾のようになっていた。
だからこそ、陽人だ。
昔からの知り合いで、唯一「普通」の会話が通じる相手。
彼ならきっと、この異常な日々の愚痴を「大変だったな」と笑って聞いてくれるはず。
私はそんな甘い幻想(希望的観測)を抱いて、校門へと向かった。
「……遅ぇよ」
校門の前で待っていた陽人の第一声は、労いではなかった。
地を這うような低い声だった。
「え? あ、ごめん。掃除当番で……」
「掃除当番は16時5分に終わるはずだろ。今は16時12分だ。7分間、どこで何をしていた?」
「へ……?」
陽人は私の前に立ちはだかり、ジロリと私を頭のてっぺんからつま先までスキャンした。
その目は、再会を喜ぶ幼馴染の目ではない。
管理不届きを責める、神経質な監査官の目だ。
「そ、その……廊下で友達とちょっと話してて……」
「どこの誰だ? 3組の田中か? それとも5組の鈴木か?」
「なんで私の交友関係把握してんの!?」
「当たり前だろ。お前みたいな隙だらけの人間、誰が近づいてくるかわかったもんじゃねぇ。……ハァ、これだからお前は危なっかしいんだよ」
陽人は深い溜息をつき、ガシガシと頭を掻いた。
(……あれ? 思ってたのと違う。癒やしイベントじゃないの?)
私の「安らぎセンサー」が反応しない。
代わりに「胃痛アラート」がけたたましく鳴り始めた。
「行くぞ。……今日は徹底的に『事情聴取』させてもらうからな」
陽人は私のカバンを強引に奪い取ると、スタスタと歩き出した。
その背中は「デート」というより、「連行」だった。
3年間の「遠隔監視」
通学路の坂道。
二人が並んで歩いているが、陽人が一方的に美咲の方を向いて大声でまくし立てている。
美咲は肩をすくめ、冷や汗を流しながら、周囲の視線を気にしている。
通りがかりの自転車に乗った警察官が、不審そうに二人を徐行して見ている。
「そもそもだ、美咲。お前の危機管理能力は幼稚園児以下なんだよ!」
歩き始めて5分。陽人の説教は公道でフルボリュームになっていた。
「3年間、俺たちが疎遠だった? 笑わせるな。俺がお前を放置するわけねぇだろ。直接話さなかっただけで、俺はずっと見てたんだよ!」
「え……?」
「中2の5月、体育館の渡り廊下で転んで突き指したろ? あの時、保健室の先生を呼んだの俺だぞ」
「えっ、あれ陽人だったの!?」
「去年の文化祭、お化け屋敷の受付やっててナンパされかけた時もそうだ。裏から放送部を使って『至急、受付交代』のアナウンス流させたのも俺だ」
次々と暴露される真実。
私が「運良く助かった」と思っていた出来事の裏には、常にこの男の影があったらしい。
「つまりだ、俺は『遠くから見守る』というセキュリティーシステムを敷いてたんだよ。お前が平和に暮らせるようにな! なのに……!」
陽人は立ち止まり、拳を握りしめた。
「なんであんな猛獣どもを引き入れやがった! 俺のセキュリティを突破して、あいつらが土足で踏み込んできただろうが! おかげで俺は、直接介入(緊急事態宣言)せざるを得なくなったんだよ!」
「だ、だからって、そんな怒鳴らなくても……」
「怒鳴るだろ! お前がバカだからだ!」
陽人の大声に、通りかかった自転車の警察官がギョッとしてブレーキをかけた。
明らかに「DV彼氏」か「不審者」を疑う目つきだ。
(ひぃっ! 通報される!)
「あ、あの……君たち、大丈夫?」
お巡りさんが声をかけてきた。
私が助けを求めようとした瞬間、陽人が満面の(しかし目が笑っていない)笑みで頭を下げた。
「すいませんお巡りさん! うちの家出しかけた妹を説得してまして! いやー、反抗期で困りますわ、ハハハ!」
「ああ、兄妹喧嘩か……。まあ、ほどほどにな」
お巡りさんは納得して去っていった。
私はポカンと口を開けたまま取り残された。
「……誰が妹だ」
「うるせぇ。今はそういう設定にしとかないと、お前を保護(拘束)できないだろ」
陽人は私の手首をガシッと掴んだ。
その手は熱く、そして手錠のように固かった。
絶対防御という名の拘束
坂道の途中。何もないアスファルトで美咲がつまづく。
陽人が即座に反応し、彼女の腰と腕を抱え込んで転倒を防ぐ。
しかし、その体勢が密着しすぎており、
陽人の顔が至近距離にある。
「――ほら見ろ!!」
案の定、私は何もないところでつまづいた。
地面への激突を覚悟した瞬間、強い力で引き戻された。
「……うぐっ」
陽人の腕が私の腰に食い込んでいる。
抱きしめられている、というより、捕獲されている。
「言ったそばからこれだ! お前は俺がいないと、重力にすら勝てねぇのか!?」
至近距離で怒鳴られる。
鼻先が触れそうだ。
「あ、ありがとう……助かっ……」
「礼なんていい! 反省しろ! 今、俺がいなかったら前歯折って、明日からの生活に支障が出てたぞ! 剛田なら反射神経で避けてたかもしれないし、氷室なら『転倒角度のデータ』とか言って見殺しにしたかもしれない。……お前を受け止められるのは、俺だけなんだよ!」
「う、うん……ごめん……離して……苦しい……」
「離さん! 離したらまた転ぶだろ!」
「転ばないよ! ちゃんと歩くよ!」
「信用できるか! お前の『ちゃんと』は信用度Eランクだ!」
陽人は私を抱えたまま、周囲を見回した。
通りがかりの主婦たちが「あらあら、情熱的ねぇ」と囁き合っている。
違うんです。これはロマンスじゃないんです。
安全管理という名の拘束なんです。
「……まったく。性根から叩き直さないとダメだな」
陽人は私を立たせると、スマホを取り出した。
「これからは、毎日の食事内容、睡眠時間、そしてあいつらとの会話内容……全部俺に報告しろ。俺がフィルターになってやる」
「えっ……それはさすがにプライバシーが……」
「お前にプライバシー管理ができるわけねぇだろ! パスワードを『1234』にしてる奴が!」
「なんでそれ知ってんの!? 怖いよ!!」
「中1の時に教わったままだろ! 変えてねぇのが悪い!」
(中1のデータをまだ保持してるの!? この人の記憶領域どうなってんの!?)
ホットミルク戦争
「……休憩だ。何か飲ませてやる」
公園の自販機前。 ようやく解放された私は、少しでもストレスを緩和しようと、「癒やしのカフェオレ(激甘)」に手を伸ばした。
「私はこれ!」
バシッ!
私の手が、陽人の手によって払い除けられた。
「は?」
「お前の顔色を見ろ。目の下にクマができてる。カフェインなんか摂ったら、神経が昂って寝れなくなるぞ」
陽人の指が、隣の「ホットミルク」のボタンにかかる。
「やだ! 私は今、糖分とカフェインが必要なの! 子どもじゃないんだから!」
「ダメだ! お前はカルシウムと鎮静作用が必要なんだ! 飲んで寝ろ!」
「やーだー! カフェオレぇぇぇ!」
「ホットミルクだぁぁぁ!!」
ダダダダダッ!
陽人の指が高速連打された。
私の貧弱な抵抗は、バスケ部(補欠だが鍛えている)のフィジカルの前に敗北した。
ガコン。ガコン。
取り出し口に、温かいホットミルクが2本、虚しく転がり落ちた。
「……ひどい。あんまりだ」
私は涙目で抗議した。
「感謝しろ。お前の健康管理をしてやってるのは俺だけだぞ」
陽人は強引に私の手にホット缶を握らせた。
温かい。
確かに温かいけれど、これは優しさじゃない。
管理だ。
彼は隣に座り、満足げに自分のブラックコーヒーを開けた。
「……なぁ、美咲。剛田と氷室、どっちがマシだ?」
尋問が始まった。
「えっと、どっちも個性的で……」
「はぐらかすな。剛田は暴力的な脳筋だ。氷室は冷血なサイコパスだ。どっちもお前にとって有害物質だろ。……俺といる時が、一番マシだろ?」
彼は誘導尋問を仕掛けてくる。
確かに、物理的な命の危険はない。
でも、この精神的な閉塞感はどうだ。
真綿で首を締められているような、じわじわとHPが削れていくこの感覚。
「……陽人は、お母さんみたいだね」
精一杯の皮肉を込めて言ったつもりだった。
しかし、陽人は鼻で笑った。
「お母さんならマシだろ。……俺は、お前の『最後の砦』だ。嫌がられても、鬱陶しがられても、俺はお前の周りに張り巡らされたバリケードであり続けるからな」
彼は私の肩に腕を回した。
それは抱擁というより、所有権の主張(マーキング)だった。
「……覚悟しとけよ。俺の監視(デート)は、あいつらみたいに甘くねぇぞ」
ズズズ、と彼がコーヒーを啜る音が、不気味に響いた。
胃薬求めて三千里
夜の自室。美咲がベッドに倒れ込んでいる。
スマホの画面には、陽人から大量のメッセージ(長文の説教と明日の注意事項)が届いている。
美咲は天井を見上げ、虚ろな目で胃のあたりを押さえている。
机の上には、理沙の協定書、剛田のリストバンド、氷室の参考書、そして陽人のホットミルクの空き缶が並んでいる。
帰宅後。 私のスマホは、通知音で悲鳴を上げていた。
『件名:本日の反省点と明日の対策』
『本文:今日の歩き方は危なっかしすぎた。体幹を鍛えるためにスクワットを30回してから寝ろ。あと、明日の氷室との接触時間は14分59秒以内に収めること。1秒でも過ぎたら俺が介入する。それと……(以下2000文字)』
「……うげぇ」
私はスマホを投げ出し、枕に顔を埋めた。
幻想は砕け散った。
剛田くんは「肉体破壊」。
氷室くんは「精神磨耗」。
そして陽人は、「過剰干渉(ブラック企業)」だった。
「……全員、方向性が違うだけで、全員ヤバい」
特に陽人は、「私のことを思って言っている」という大義名分と、「3年分の蓄積されたデータ」がある分、一番タチが悪いかもしれない。
安心感? 癒やし? そんなもの、この『三国鼎立』には一ミリも存在しなかったのだ。
キリキリと、胃が痛む。
私は這うようにして起き上がり、救急箱を探し始めた。
「……胃薬。胃薬がないと、生きていけない」
私のパニック観察日記に、新たに「慢性胃炎」という診断結果が追加された夜だった。
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