第3話:第一回 配偶者選定に係る合同会議



放課後の第2会議室


放課後の空き教室(会議室)。

長机がロの字型に並べられ、西日がブラインドの隙間から縞模様の影を落としている。

上座には小動物のように震える女子生徒(美咲)。

その対面には、威圧感のある大柄なスポーツマン、冷徹なメガネの秀才、不機嫌そうな幼馴染の男子が座っている。

そして、部屋の隅の教卓には、白衣の女子生徒(理沙)が優雅に足を組み、マッドサイエンティストのように彼らを見下ろしている。


ここは今、世界で一番酸素濃度が薄く、かつ重力が歪んでいる場所だと思う。


私の目の前には、三人の怪物が鎮座していた。


中央に、腕を組んで仁王のような圧を放つ、剛田猛次くん。

右手に、ノートパソコンを開いて冷ややかな視線を送る、氷室慧吾くん。

左手に、貧乏ゆすりをしながら二人を睨みつける、間宮陽人。


そして、私の斜め後ろ。

教卓に頬杖をついてニヤニヤしているのが、この地獄の主催者――九条理沙だ。


「……九条理沙」


静寂を破ったのは、氷室くんだった。

彼はメガネの位置を直し、鋭い視線を教卓に向けた。


「学年1位の君が、なぜここにいる? 僕の計算では、君が他人の恋愛沙汰という非生産的なイベントに関与する確率はゼロに近いはずだが」


理沙はフッと笑い、持っていたボールペンを指揮棒のように回した。


「やあ、万年5位の氷室くん。相変わらず視野が狭いな。私は今日、佐藤さんから依頼された『コンサルタント』としてここにいる。彼女の要望をシステムに落とし込み、運用するのが私の仕事だ」


「コンサルタント……?」


「そう。君たちの『情熱』が暴走して、依頼人(クライアント)を破壊しないための安全装置さ」


理沙の言葉に、氷室くんは不服そうに唇を噛んだが、それ以上は何も言わずに引き下がった。

一方、剛田くんと陽人は「難しいことはわからんが、邪魔な奴がいる」程度の認識らしく、殺気立った目で私を見ている。


(帰りたい。前門の猛獣、後門の悪魔。ここから蒸発して、お家の布団という名のシェルターに逃げ込みたい……!)


心臓が早鐘を打つ音が、静まり返った部屋に響き渡りそうだ。

私の手元には、理沙が作成した一枚のペーパーがある。

タイトルは『関係性維持に関する暫定協定書』。

私はこれを読み上げなければならない。

理沙が背後から「さあ、やれ」という無言の圧を送ってくるからだ。


「あ、あの……! き、今日は、集まっていただき……!」


声が裏返った。

剛田くんがピクリと眉を動かす。


(ひっ! 怒った!? 声がキモくて怒った!?)


「……要件を言え、美咲。なんでこいつらがここにいる?」


陽人が低い声で唸った。

その視線は、両隣の二人を明らかに敵視している。


「そうだぞ。俺はてっきり、二人きりで『ゴール(告白の返事)』を聞けるもんだと思ってたんだがな……」


剛田くんがボキボキと指を鳴らす。

その音だけで私の寿命が3日縮む。


三方向からのプレッシャーに加え、理沙の視線が背中に突き刺さる。

私の生存本能アラートが『緊急回避! 緊急回避!』と叫んでいる。

でも、逃げ場はない。


私は震える手で、理沙の脚本(カンペ)を握りしめた。

『読むだけでいい。感情を込めるな。ロボットになれ』

理沙の言葉を反芻する。

よし、私はロボット。

感情のない読み上げマシーン。


「え、えっと……単刀直入に、申し上げます!」


私は目を閉じ、腹に力を入れて叫んだ。


「わ、私と……三人同時に、お付き合いしてください!!」


拒絶と膠着


美咲の発言直後、男子三人が激昂し、同時に立ち上がっている。

椅子がガタガタと鳴り、張り詰めた空気が爆発する寸前。

美咲は頭を抱えて縮こまり、理沙だけが冷静にそのカオスを眺めている。


「はぁぁぁ!?」


三人の声が重なった。

当然の反応だ。


「ふざけんじゃねぇ!!」


剛田くんが机をバンと叩いた。

天板が悲鳴を上げる。


「シェアだぁ? 俺はフォワードだぞ! 誰かとパス回しするためにコートに立ってるんじゃねぇ! 俺だけのゴールじゃなきゃ意味がねぇんだよ!」


「同意だ。ナンセンス極まりない」


氷室くんが冷徹に切り捨てる。


「リソースの分散は共倒れを招く。一人の人間に三人のリソースを注げば、彼女の処理能力(キャパシティ)はパンクし、結果として我々の得られる利益も激減する。非合理的だ。却下する」


「美咲、お前正気かよ!?」


陽人が悲痛な顔で叫ぶ。


「三股なんて、そんな不誠実なこと許せるわけねぇだろ! お前がそんな……自分を大事にしない奴だとは思わなかった! 俺は認めねぇぞ!」


(ごもっともです! 全部正論です! ごめんなさい!!)


私は涙目で縮こまった。

やっぱり無理だ。

こんな提案、通るわけがない。 殺される。

怒れる男たちに八つ裂きにされる。


その時だった。


「――ほう。では、今ここで殺し合うかい?」


教卓から、理沙の冷ややかな声が響いた。

彼女は退屈そうに頬杖をつき、冷めた目で男子たちを見下ろしている。


「君たちが『独占』を主張するのは勝手だが、現状は三すくみだ。剛田が美咲を奪えば、氷室と陽人が黙っていない。逆もまた然り。……ここで決着をつけるなら、美咲の目の前で殴り合いでも始めるか? それとも、彼女を物理的に三等分でもするかね?」


「うっ……」

「それは……」


三人の動きが止まる。

理沙は畳み掛けるように、ニヤリと笑った。


「私の試算では、このまま交渉が決裂した場合、君たちの抗争に巻き込まれた佐藤美咲が精神的苦痛で転校する確率は98.7%だ。……それでも『一番』にこだわるなら、どうぞご自由に。ただし、手に入るのは『抜け殻』だけだがね」


「……っ!」


部屋に重苦しい沈黙が流れる。

彼らは互いを睨み合い、そして震える私を見た。


(お願い、殴り合いはやめて……転校もしたくない……)


私の怯えた視線を受け、彼らの表情が少しずつ変化していく。

葛藤。

プライド。

そして、歪んだ「愛」の形へ。


契約締結の儀


夕闇が濃くなった会議室。

蛍光灯の寒々しい光の下、長机の上に一枚の「協定書」が置かれている。

理沙が教卓から降りてきて、その紙を提示する。

男子三人は渋い顔をしているが、それぞれの「思惑」を決めて、ペンを手に取ろうとしている。


「……わかったよ」


最初に折れたのは、剛田くんだった。

彼は深く溜息をつき、私を熱っぽい目で見つめた。


「美咲、お前……選べなかったんだな? 俺たちの誰か一人を選ぶなんて、お前のその優しすぎるハートじゃ、耐えられなかったんだな!?」


「え……?」


「俺が無理やり奪えば、お前が悲しむ……。だから、自分の評価を下げてでも、全員を受け入れる『泥』を被ろうとした……! なんて……なんて慈悲深いんだ、お前は!!」


(え、えっと、違います! ただの保身です!)


しかし、剛田くんは既に自己完結していた。


「俺が実力でねじ伏せて、実質的な一番になりゃいいだけの話だ!」


と鼻息を荒くしている。


「……仕方ない」


氷室くんもメガネを押し上げた。


「独占が不可能なら、比較実験(A/Bテスト)の場として利用するまでだ。同じ条件下で、誰が最も彼女の幸福度を最大化できるか……そのデータを証明すれば、論理的に僕が唯一の解となる」


「クソッ……!」


最後に、陽人が悔しそうに拳を握りしめた。


「こんなふざけた状況、俺が認めるわけねぇ……! でも、ここで俺が引いたら、美咲はこの猛獣二匹の餌食だ。……俺がそばにいて監視してねぇと、美咲が何されるかわかったもんじゃねぇ!」


三者三様。

誰も、私の「本音」に気づいていない。

でも、理沙の誘導によって、彼らは「不本意だが飲むしかない」という結論に至ってしまった。


「では、契約成立だ。ここに署名をたまえ」


理沙が作成した『三国鼎立協定書』が机に滑らされた。


第1条:抜け駆けデートの禁止。


第2条:美咲への接触は、一日につき一人15分までとする。


第3条:違反者には厳正なる処罰を与える。


「処罰……? まさか、物理的な制裁か?」


氷室くんが眉をひそめる。


「いいや、もっと文明的な罰だ」


理沙は楽しそうに目を細めた。


「違反者は、『中学時代のポエム』および『深夜の検索履歴』を、全校集会にて私が朗読する」


「なっ……!?」

「鬼か貴様!!」

「絶対守る! 俺はルール絶対守るからな!!」


全員の顔色が青ざめた。効果は抜群すぎる。

彼らは震える手で、協定書にサインをした。


三つのサインが揃った瞬間。

私の「平穏な高校生活」は正式に終了し、「地獄の綱渡り生活」が開幕した。


「……うぅ」


私はあまりのプレッシャーと、「とりあえず殺されずに済んだ」という安堵で、涙が滲んでしまった。


「ほら見ろ! 俺たちの心意気に感動して泣いてるじゃねぇか! 安心しろ美咲、俺が絶対一番になってやるからな!」


剛田くんが私の背中をバンと叩く。


「ハンカチを使うかい? ……返却時は洗濯不要だ」


氷室くんがハンカチを差し出す。


「……無理すんなよ、バカ」


陽人が小声で呟き、頭をポンと撫でる。


私は涙目で、彼らを見上げた。

怖い。

やっぱり怖い。

でも、この奇妙な均衡のおかげで、私は今日、無事に家に帰ることができる。


解散後、理沙がすれ違いざまに私の耳元で囁いた。


「よかったね、美咲。これで君は、女王様だ」


教室の隅で、置き忘れた私のスマホが短く震えた。

画面には、理沙からのメッセージ。


『作戦成功。ようこそ、クレイジーな日常へ』


私はそっとスマホを裏返して、深い、深い溜息をついた。

これからの私の毎日は、手漕ぎボートで太平洋を横断するような、果てしなく絶望的な航海になりそうだ。

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