魂が覚えている愛だけを、もう一度
@tata-0613
第1話
桜の花びら一枚一枚が風に乗りひらひらと魔法がかかり魂が宿った様に人をかき分け舞う。この桜の美しさを感じながら歩いている人はこの中に何人いるだろうか………
朝のラッシュ………先を急ぎ自分以外に興味が無く行きかう人々………この人達は、いったい何を思って歩いているのだろう………
このガラス窓たった1枚で、内と外の環境が違う世界になる。つまり、向こう側とこちら側。それぞれ違う空気を放つ不思議な空間……
私は、神宮寺ゆずき。弁護士。弁護士歴は17年。
毎朝、道路に面したおしゃれなカフェのガラス窓から見える風景を楽しむ……
ここでカフェでコーヒーを味わい、人間観察をする趣味の時間。
いつから始めたのかさなかではないが、この時間は私にとって大切な時間。
まあ、誰に解って貰えるとも思ってない。
そして、この時間を邪魔されるのが私は、大嫌いだ。
窓の向こう、つまりあちら側の朝の風景……
例えば、女子二人が仲良く腕を組み話に夢中で周りを気にせずはしゃいでいる姿、微笑ましい。スマホ片手にうまく人をよけてながら歩いている人、感心する。時間に余裕が無いのか手にはめた時計を見て人とぶつかり倒れそうになる人、セーフ。
皆それぞれが事情を抱えてどこかに向かっている。
窓の内側、つまりこちら側の朝の風景……
例えば、コーヒーを飲み穏やかに時を過ごしている人。これから始まる戦いに向け心を落ち着かせている人。朝の貴重な時間を二人だけで堪能しているカップル。その隣には、パソコンを睨みつけ指先と目だけが激しく動かしている、おそらく会議資料を作っているであろう人。
それぞれの光景が、たった1枚のガラス窓でこんなに違うから面白い。
私は毎朝思う。やっぱり、人間観察は面白い。人間は最高の生き物だと……
そんな中、今日はいつもと少し違う光景を感じる。
まだ身体にしっくり馴染まない新品のスーツに身を包んだ人達が、ぎこちない足取りで通りを行きかっている。緊張の面持ちが見て取れるが、本人は隠しているつもりなのだろう………しかし、落ち着かない様子が見て取れる。
ああ、そうだ。入社式の時期なのか……そう言えば、朝のニュースでも企業の入社式がどうだ、こうだとアナウンサーが勝手に話していた気がする。
もうそんな時期か……今日からまた新人教育をチームとして任されるのだろう。
自分の仕事と新人教育している所を思い返して想像する。成長するところを見れるのは、嬉しい事ではあるが、とてつもなく神経を使う仕事だ……
「はあ~」ため息が勝手に口をついて出る。
暫くの間、自分の時間は無いと思う事にしよう……想像すると眩暈がして頭を振る。
その時聞いた事のある奴の声がした。
「やっぱりここにいたな……」余計に眩暈が酷くなる。
ああ、この声……久しぶりに奴が来た………私は、前を向いたまま
「おはよう。今日は、早いのね………後で槍でも降るのかな?………」と挨拶だけする。しかし彼は、私の嫌味もものともせず返してくる。
「また~そんな風に人を邪魔者扱いする………」諸星譲がコーヒー片手に私の横を陣取る。
そう。こいつ、諸星譲は、私の朝の大切な時間をいつも奪いに来る……
そう思いながら、私は何年コイツと友達をしているのだろう………
「珍しく朝会でも有るの?」ありえない事を聞いてみる。
「この時間にここに来たらゆずきとゆっくり話せるからさ……」
「ふーん……で、なんの用?」
「う~ん……ちょっとな」
「なに?朝から変な話ししないでよ、担当弁護士変われとかだったら絶対に受け付けないからね」
「おお。それもいいな。俺さ……」
「絶対に嫌。あんたの尻ぬぐいなんてもう絶対にしない。あんな目はもう遭いたくないから」
「そんなに大変だったか?」
「知ってるくせによく言うよね。クライアントが、あんたに気が有るって知っていたんでしょ?それなのに、私に担当変更をお願いするってどういう事よ?ホントに。クライアントから、あんたの事色々聞かれるし、こっちが答えなかったら、挙句に嫌味言われて大変だったんだからね。もうあんたのお願いなんて絶対に聞かない」
「あの時は、ホントに悪かったって。もうあんな事はしないから」一応、譲は申し訳なさそうな態度を取った。
「ふ~ん。誰が信用するよその言葉?……小学生でも信用しないよ。で、今日は、どうしたの朝から………」
「ああ……。今日から、また新入社員入って来るだろ?俺らにも教育係が回って来るよな。まあ『今年も4人で協力しような』って言いたかったんだよ………」
「えっ?そんな事だったの?会社でも出来る話じゃない。わざわざ早起きして来たの?人の大切な時間を奪う為に?でも、なんかあやしな……」
私は、譲が何か隠してないか疑いの目で見る。だが、当の本人は、
「怪しくなんかないよ!わざわざって……まあ、最近皆忙しいし…ちょっと確認しておこうと思って…」
怪しいとは思ったが、私は、時間が気になり時計を見る。
「あっ!やばい、もうこんな時間じゃない。あんたがしょーもない話しするからこんな時間になっちゃったじゃない!もう、譲も行くよ!」
私は、速攻立ち上がりコーヒーと鞄を持ちカフェを出て走った。譲も後からついて来る。
私は、何が原因か解らないが、イライラして走っている自分に気付いた。
一体私は何にイラついているのだろう……朝から大切な時間の邪魔をした譲になのか……それとも……他の何かなのだろうか……
そうこうしている間に私達は、事務所が入っているビルの前に着いた。
私達が働いている事務所〈ヴェリテ法律事務所〉は、カフェから約3分の所にある25階立てのガラス張りのモダンなビルの17階にある。
下から見上げると、ガラスの反射で光に囲まれ「私自身が輝いているんじゃないか?」と錯覚を起こしてしまいそうになる。誰かに言うとおそらく、馬鹿にされるだろう……
まず、ビルに入ると必ず清掃会社の皆さんと挨拶を交わす。その中でも、望月さんとは一番長く挨拶を交わしている。多分、私の祖父が生きていたら望月さんと同じ位だったんじゃないかと思う。無駄口を叩かず黙々とお掃除をされてて、端から見ていてもかっこいい。譲もこんな人なら私もちょっとは考えたのかも知れない……
あっ…それは無いか……譲には絶対無理だな……
「おはようございます!」私はこの瞬間だけは、たとえどんな気分でも必ず笑顔で元気に挨拶する様に心掛けている。
「神宮寺弁護士。諸星弁護士。おはようございます。あれ?神宮寺弁護士。今日は、珍しく寝坊ですか?」と望月さん。
「いえ……この人が、私の大切な朝の時間を奪ったんです!」譲を指さし、望月さんに聞いて欲しくていう。
「あらら、それは諸星弁護士。大変な事しちゃいましたね……」望月さんが譲の代わりに申し訳なさそうになる。
「いや。俺、特に何もしてないですよ」飄々と答える譲。
その譲の態度を見て私は呆れて、譲は、ここに居ないものとした。
「望月さん、皆さん。今日も一日頑張りましょうね!」ガッツポーズを望月さんに贈る。
「はい!」と言って望月さんもガッツポーズを作ってくれた。
私は、お掃除会社の方と次々に笑顔で挨拶を交わし、エレベーター前へ向かう。
譲が横にいる以外は、良い朝だ!出来るものなら、この場で大きく体じゅうで伸びをして、叫びたいものだ。
「皆さん!おはようございます!今日も一日happyな日であります様に!」と………
さっき、事務所に向かう間にちょっとイラついていたが、気のせいだと思う事にした。
こんないい日に、私の横に居るのは、この男だった……泣きたくなる…
エレベーターが1階に到着する。私と譲は、エレベーターに乗り事務所のある17階まで上がる。
事務所入り口横のカードリーダーに社員証をかざしセキュリティーを解除し扉を開け入る。
「おはようございます!」いつもの様に元気よく事務所の皆に挨拶をする。
私の後ろからついて来ていた譲は、嬉しそうに私の肩越しにひょっこり顔を出す。
それを見た事務所の皆がざわつく。一瞬、ため息が出そうになったけれど、そんな事は無視して私は自分の部屋へ向かった。
今、事務所の皆がどう思っているのかくらい私だって馬鹿じゃないので解る。
おそらく、皆ニヤニヤして、うわさ話に花を咲かせているであろうと想像する。
チーム部屋の扉を開け同期の森山みどりに挨拶した。「みどり、おはよう……」
みどりは「おはよう。ゆずき」私の方を見る、私の背中越しに事務所がざわついているのに気づき、首を傾げ眉間にしわを寄せ私を見る。私は、みどりを見て首を傾げ外人の様に両肩を上げ「知らない」って顔をする。みどりが確かめる様に事務所の方を見ると、部屋のガラス越しに、譲がみどりに手を振っていた。
私はデスクに鞄を置き、顔を下げたまま目線だけを事務所へ向ける。そこには、パラリーガルや事務職員達が私を見てニヤつきコソコソ意味ありげに話している。
「……なに、あれ?」私は、顎で彼らの方を差し、みどりに尋ねた。
「なに?って、ゆずき、あんたもしかして、諸星譲と一緒に来たの?」
「うん。カフェにあいつが来た。で、しょーもない話を散々されて遅刻しそうになんだよ。いい迷惑だわ……」
「なんで?」
「なんで?って。そんなの私が知る訳ないでしょ……ああ、今日から教育係がまた始まるから『今年も皆で協力し合おうな』って私の大切な時間を奪ってわざわざ言いに来た」
「エッ⁈朝弱い譲が?早起きしてカフェに行ったの?で、あんたにわざわざその話をしに行ったって事?」
「そんなの、私だって知らないよ。アイツが勝手に来たんだから………」
「まあそうだけどさ……」
そこに、後輩の高梨紗希弁護士が大事件でも起きたかの様に部屋に入って来た。
「ゆずき先輩!譲先輩と同伴出勤したって本当ですか?どうしちゃったんですか?」
紗希が私のデスクに両腕を力強くバッンと置き、
「とうとうお二人は付き合い始めたとか?……」目をキラキラさせて聞いて来た。
「同伴出勤って……あんた………」私は呆れて、一瞬眩暈をおこしそうになり
「紗希。何言ってんの?私がアイツと本気で付き合うと思ってんの?」
「だって、ゆずき先輩、譲先輩と出勤してきましたよね?」強気になる紗希。
「………それはそうだけど…………それと付き合うって何が関係あるのよ?」
不覚にも、私は一瞬動揺してしまった。
「譲先輩は、もの凄く嬉しそうだったし……もしかして?っと思ったんですけど………」
紗希は、私に顔を近づけ眉を上下させ「どうなのよ?」と言いたげに私に詰め寄る。
そこにみどりが応戦してくれた
「……紗希、あんたね………絶対ありえないでしょう?知ってるよね……」
まけじと、紗希も食いついて来る。
「……それは知ってますよ………じゃ……なんでお二人で同伴出勤したんですか?」
そうだった。忘れてた………紗希の性格は、納得するまで聞きまくる人種だった。弁護士としては長所。プライベートでは短所なのだった。
「……同伴出勤、同伴出勤って……」私はため息をひとつ吐き、気持ちを落ち着かせて話を続けた。
「あのね。私の朝の時間をアイツが奪ったの。で、こっちが遅刻しそうになって一緒に来るしかなかったの………解った?Anderstand?」納得したか確認の為、紗希を見る。
「なぁ~んだ……カフェで会っただけなんですね……大袈裟だな。譲先輩!」紗希はかなり残念そうだ。
「だから、最初からそう言ってるでしょ?………」私は、内心ほっとした。
後は、譲が変な事を言わない事を祈るだけだった。
「ゆずき。これを機会にちょっと聞いておきたいんだけど………」みどりが意味ありげにじわじわと私に近づいて来る。
「なによ………」私は後ずさりをしそうになったが、負けない様に少し胸を張る
「あんたさ、ホントに気付いてないの?それとも解らないの?どっち?」みどりが、疑いの目でじーっと私の目の奥を見て来た。
「えっ?なに?何を気付くの?なんかあったっけ?」私はすっとぼけた。
みどりは、そのまま私の目の奥を見ていたが、諦めたのか
「あ~……まあ、いいわ……」と言い、私に向かって「どっかいけ」と言う様にシッシッと手を振り私を追い払う。
何か言い返そうかと思ったが、これ以上刺激しない方が身の為だと思い、何も言わずパソコンの電源を入れた。
みどりは、まだ何か言いたそうだったが、私は面倒くさいので気付いてない振りをすることにした。
私が所属しているチームは、弁護士が4名(同期3人、後輩1人)パラリーガル3名、事務職員2名の総勢9名だ。
弁護士4名というのが、諸星譲、森山みどり、高梨紗希、そして、私。神宮寺ゆずき。
主に、企業向けの企業弁護士として仕事をしている。私とみどりが同じ部屋。譲と紗希が同じ部屋を使っている。部屋と言ってもガラス張りなので、部屋の中は丸見え。監視付きと言う訳だ。
パラリーガルと事務職員は、私達の部屋の前に纏められて仕事をしている。
一応、それぞれの弁護士担当は決められているが、場合によっては臨機応変に対応してくれるから助かる。彼らが居ないと私達は仕事が出来ない。
事務所は、通常10時スタート。大体の弁護士は、9時頃から出勤して仕事を進めている。朝の1時間というのは、とても貴重な時間で仕事を片付けるにはちょうどいい。
みどりと私は、メールチェックや企業への提案書等の確認を進めたりしている。
部屋のドアがノックされ、パラリーガルの木村優菜が顔を覗かせ伝える。
「みどり先生、ゆずき先生。入所式の時間です。大会議室へお願いします」。
木村さんを見て「了解」と言い「行こっか」とみどりに言って立ち上がり部屋を出た。
部屋を出ると譲と紗希と八合わせた。
譲が私の方に照れくさそうに手を振り「ゆずき」と言って来る。
わざとらしい芝居に私は無視する事にした。
それを見た、紗希が嬉しそうに譲と私を交合に見てくる。みどりも呆れてる様子。
私は、前を向いて歩き続けた。
4人で大会議室に入り、周りの状況を見て並んで座る。
入所式の最後に弁護士や事務職員の自己紹介が行われるので、先輩弁護士の皆さんがどこに座っているのかを確認してから着席した。
会議室の突き当りで少し段差が高くなっているステージに新人の弁護士・パラリーガル・事務職員が並んで座っていた。
なんかいつもより少し人数が少ない気がしたのでみどりに聞く。
「いつもより少ない?」
「そうだよね……理由は知らないけど、少ないかもね……」
「また、負担増えるとか嫌だけどね……」
「そうなったら、抗議すればいいんじゃない?」訴えるぞ!という目をするみどり。
「なるほど……」私は頷く。
みどりとコソコソ話していると、譲が割って入って来た。
「なに?なに?」
私は間髪入れずに「しっ⁈」と人差し指を口につけ「黙りなさい!」と合図を送る。
譲は借りて来た猫の様に黙る。
入所式が開始され、早々に安藤進一郎所長の挨拶が始まった。毎回ありきたりで、眠たくなる話だ……もっと、話題はないのか………こっちが恥ずかしくなる………
「代り映えしない」みどりが耳打ちしてくる
「聞き飽きた」と返す。
「まあ、すぐ終わるでしょ……」
「……それを切に願う」
そこに、譲がまた何か言おうとした。察知した私は彼をキッと睨んだ。彼は肩を落として、大人しくなった。
そうなんだよなぁ~決して安藤所長の事を「嫌い」ではない。
弁護士事務所の所長にしては、情があるし、下からも珍しく慕われている先生だと思う。
あっ!言い過ぎた……訂正しておこう………「珍しく」は言い過ぎた……
安藤所長は、私達みたいな「アソシエイト弁護士」(雇われ弁護士の事を意味する)を信用して仕事を任せてくれて、とても仕事がしやすい。色んな経験も率先してさせてくれ、
それに、一番尊敬している所が、何か問題が起こると必ずフォローを怠らずしてくれる。私が、この事務所を辞めない理由はそこかも知れない………
他の弁護士仲間からそれぞれの事務所事情を聞くと、信じられない様な話を耳にしたりする。それを思うと、うちの代表は出来てる人だと思う。たまに、無理難題を言って来る事もあるが………そこは目を潰れる程度の事だと感じているので問題ない。
この事務所に入って16年。よく頑張ってるな………と自分でも思う。自画自賛。
しかも……私達同期は、4名も残っている。素晴らしい!
色々考えている間に、安藤代表の挨拶が終わり、新人の皆さんの自己紹介が始まった。
自分の新人時代を懐かしく思い出す。まだ右も左も解らないまま入所して失敗もいっぱいやらかし、色んな方に成長させて貰った事を思い出し感謝する『もう一度最初からやり直しますか?』と聞かれたら……多分断るだろう………懐かしくてちょっと笑ってしまった。
周りを見回し、バレていない事を確認する。直ぐに、意識を新人の自己紹介へ戻す。
今回の新人の中で、私は最後に自己紹介した新人弁護士に目が止まった。
「えっ?……」と思わず声が出てしまった………
私の声に敏感に反応する譲が私を見る
「どうした?」といって、肘で私の横腹をつついて来る。
譲の肘を私は払いのけ首を左右に2.3回振る。
その新人の彼は、どことなく聡君に似ていた。背格好がそっくりだ。
聡君がもし生きていたらあんな感じだったかな………と思うような雰囲気を醸し出していた。
その時、その彼と目が合った。彼は、私が見ている事に気付いた様だ。そしてなぜか二人共お互いから目が離せなくなっていた。この感覚は何なんだろう………懐かしい感じ……胸が締め付けられる感じ………怖くなり、私は彼の目線から自分の目を引き裂く様に外し下を向いた。
下を向くと手の甲に何滴か水が落ちた。なんだろう?と不思議に思って指で顔を触ると目から涙が溢れていた。涙が出ている意味が解らない……なぜ、私は泣いているの………
彼に対する印象は、弁護士には向いてない感じで、どっちらかと言うと……会社経営者に向いてそう……漠然とそう感じた。う~ん……理由なんて知らない……
名前は、藤堂匠。24歳。若い……若すぎる……
彼の自己紹介が終わり、続いて先輩弁護士の自己紹介に移った。
私は怖くて、目線をあげる事が出来ない。泣いてる顔を人にも見せられない。
みどりにも、譲にも気づかれない様にそっと涙を拭う。
結構早くに私の番が来てしまった。みどりからマイクを受け取り深呼吸をして立ち上がり姿勢を正し目線を前に向けた。
そこには、私をじっと見つめる男性の目があった……やっぱり……さっき私が聡君の面影を感じた彼だった。
その瞬間私の頭の中は、真っ白になり、呆然と立ち尽くし、彼が私を見つめている目を私もじっと見つめる事しか出来なかった。
私の様子がおかしいと感じたみどりが「どうしたの?」と私のジャケットの裾を引っ張る。
譲は「おい、どうした?」と小さい声で聞いて来た。
二人の声で我に帰った私は、何を話すのかも解らずマイクを持ったまま
「あの。あの………」言葉がこれ以上出てこないのだ。焦って、額を左手で抑え、落ち着こうと深呼吸をしようと努力するが、酸素が体の中に入って来ない………
どうしようと泣きそうになった時に、みどりが立ち上がり
「すみません。神宮寺ゆずき弁護士、体調が悪いみたいなので、私が代わりに紹介します」と言って私からマイクを取り上げ
「神宮寺ゆずき弁護士です。私と一緒にチームを組んでいます。仕事内容は、さっき私が話したので一緒です。では、以上です!」みどりは、さっさと私の紹介を終わらせ、マイクを譲の胸に押し付け「早く!あんたの番よ」と小声で譲を急かす。
直ぐにみどりが私をゆっくり座らせ額の汗をぬぐう。
「熱はないけど………」と言っている。自分の事を言われているのに、何も感じない……
この衝撃は何んなの………訳の分からない、感覚が私を襲った………
暫くしてゆっくりと、目線を彼の方に向ける。目が合う。やっぱり私を見ている。
彼と目が合うと、懐かしい感覚と、胸が締め付けられる感覚が同時に起こった。
私は目線をそらせ下を向き、彼の目が聡君に見える意味を探り続けた。
気付くと、全ての先輩弁護士の自己紹介が終わり、続いてパラリーガル・事務職員の自己紹介も終わり、人事部から今日から行われる2週間の新人研修の詳細説明と日程、研修明けからの新人教育の担当がそれぞれ発表された。
私は、入所式が終わるまで顔を上げる事が出来なかった……
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