第12話

 

 竹本が受けた模試は一ヶ月くらい返却時間のかかるタイプの模試だった。八月の最後に受けてもう問題も覚えていないものが、10月の頭に帰ってきた。

 竹本は塾で結果を返された。面談なんていうのは役に立たない。そして今回も小さなグラフだった。偏差値は43。

 とはいえこれは現役、浪人生を交えた数字ということを考えたら、十分に高い数字だった。

「2年でこのレベルなら、まずまずと言った感じじゃないかな」

「はい……ありがとうございます」

 竹本は内心穏やかではなかった。しっかり勉強をしたとは言わないが、50くらいにはなる自信があった。もし、三年になったとして、周りが勉強する量に追いつけなければ、自分の偏差値など相対的に上がらないか、下がって、MARCHはおろか、獨協以下、ニッコマすら怪しくなる。

 こんな成績を見せたらママは何をいうか、2年ではまずまずでも、横隔膜が焦げていく気がした。

 前回の母親のリアクションが脳裏をよぎった、きっと詰められる。もう自分に興味がなくなってればなと思った。

 怖いから、今回も母親が化粧するとこに置いて寝た。


 6時頃のアラームで今日も起こされる。日曜日でも同じ生活ルーティンを守ることは竹本の唯一誇れることだった。

 少し、床が冷たくなってきたように思った。

 エアコンはもう不要だった。

 リビングに着くと、テレビが流れているだけだった。

 パンが焼かれていない。

「ねぇ、あんた」

「何?」

 母の声にはコップの中の水みたいな揺らぎがあった。

「何じゃないでしょ、模試の結果、こんなんでいい大学行けると思ってんの?」

「まだまだ、高ニだよ、塾の先生も大丈夫って言ってたけど」

「ママが高校生の時はもっと成績高かったけど、それでも本番のテストはギリギリだったの、勉強しなさいよチャラチャラしてないで」

 パンも焼かずに偉そうに、むかつく。

「してるから」

 竹本は思いがけずに大きい声が出た、声が震えた。心の底からの振動があった。

「何その言い方? 浪人なんかに使うお金はないからね」

 パンを袋ごとぶん投げてやろうと思った。

 食べ物が勿体無い気がしたし、手元をパンが離れる分虚しくなる気がした。

「そのさぁ、いい大学ってなに? なんか意味あんの?」

「いい大学いって、いい会社に就職できれば、お金もあっていい生活ができんだから、まだ学生のあんたには分かんないかもしれないけど」

 多分、間違ってない。正しいことのはず、でも拒みたかった。強烈に。

 心の底では激務の高給と小太りの小金持ちのイメージが湧いた。

 それが本当に幸せなのかわからなかった。

「いい大学いって、いいトコ就職して、産まれてきたのがこんなんでハズレだったね!」

 竹本は言ってしまってから、言いすぎたと思った。勢いでレールのない言い合いの道に吹っ飛ぶ気がした。

 しかし、心の底は上手いことボールにバットを当てるような快感があった。

「何言ってんの?」

 震えるコップから水が溢れ出すように、涙が頬を伝った。しほたるって古典なら書くな、とか関係ない事が脳裏をよぎった。

 パンは焼かずに食べようと思った。焼く間を我慢できないよ思ったから。

 竹本はただ下だけを向き、パンを押し潰して、圧縮して、飲み込んだ。

 母親は一旦スマホを見た。竹本には逃げに見えた。

 向いてない、生きるの。

 竹本は自分の気持ちは誰も理解しないだろうと思った。広大な世界の中の一点、この一点の問題など理解されるわけがない、そう思った。

 テレビからはいつも通り芸能のニュース。明るい話題だった。

 

 竹本は自室に篭った。スマホをつけて真っ先に月岡とのラインを開いた。

 なんて表現すればいいかわからなかった。

 自分の今の感情、今の状況をどう説明すればいいかわからなかった。

 じっと画面を見つめていた。

 次第に涙が引き、視界がどんどん明瞭になった。それに合わせて思考もクリアになっていった。

「親と将来のことで揉めちゃったんだけど、心とか、関係性はどう維持すればいい? あと幸せってなんだろう?」

 竹本には光画面だけが方向もわからない荒波の中で見える灯台ようだった。

 しばらくネットに逃げた。YouTubeとかには自分よりもっと愚かそうな他人の人生の切り抜きが転がっていた。

 月岡からの返信が来た。なってすぐラインへ飛んだ。

「親がうざいのはわかるよ、欲しいのは共感じゃないと思う。僕が言うのもあれだけど、結局みんな他人。そんなこともある」

 そんなことある、と言われても心は答えとは認めない、しかし、月岡からの返信。それが竹本にとって一番の薬だった。

 なんなら内容は関係がなかったのかもしれない。最近寒くなってきたね、でもよかったのだ。

 竹本はもう少し話をしたかった。幸せについての月岡の見解が聞きたかった。

「そんなことあるって言われても、精神的にそうか、とはならないな」

「メンタルトレーニングをしたいなら、カッターナイフを持ち歩いて、一週間ごとに刃を伸ばして生活してみ、伸び切る頃には強メンタルになるよ、あと、人間関係は維持するものじゃない、自然と続くもの」

「なんとなく言いたいことはわかったよ、月岡さんは何があって、どういうのが幸せってなんだと思ってるの?」

「それはすごく難しくて、決めずらい、裏を返せば、それは物とかが幸せを決めるっていう考えが間違いなのかもしれない。つまり幸せになった後に、今を支えるものを定義する、物よりまず先に幸せがあるのかも。これは宿題にさせて。また今度タイミングがあったら会おう」

 月岡の返信には続いてハードボイルドな顔したゆるキャラのスタンプで帰ってきた。

 ユーモアのある返信でもカッターナイフを持ち歩く気にはなれなかった。

「ありがとう、愚痴ったら気が軽くなった。また会った時には一食くらい奢るから」

 待ってるぜ、とハードボイルドなゆるキャラ帰ってきた。

 

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