第7話
しばらくの日が経った。
竹本は前回の相談から月岡に会っていない。
心の底で、月岡の存在を求めている自分がいることに少し困惑した。
月岡に対する噂が本当なら一人の相手が終わっただけかもしれない。
竹本は母親に成績で叱責されてから、母親に嫌な感情を抱いてからずっと、薄灰色な生活を送っている。
叱責されたことが原因とは思えなかった。
生活の中身はなにも変わっていなかった。一個一個灰色の原因を確認するように生活しても、灰色の源は見つからない。常に心底のヘドロが湧き起こっているようで、それでいて、落ち着いている。不思議な二重の感覚があったことも竹本を困惑させた。
今日も6時頃に無機質なアラームで起きて、ネットを揺蕩い無表情でスマホの画面をスライドしていた。
この一つ一つの動画は誰かの一生のうちの一部が切り取られていると思うとなんだか不思議だ。
自分が見ずに流していった動画の中にも人の一部があって、もしかしたら、誰かが人生で一番輝いている瞬間だったかも知れない。
自分が見たけど忘れてしまった内容も誰かにとっては大事な大事な記憶だったかもしれない。
毎日が単調でモノトーンに感じられる、青や赤色のようなサイケデリックさがストンと抜け落ちている。
灰色な原因はこんな時間の無駄使いだろうか、灰色に加担はしているかもしれないけど、これが灰色の源とは思えない。
話を合わせるためにネットの海を漂う時間で英単語を覚えようとすればいくら覚えられるだろう。思いつきは崖から海に落ちてゆく砂のよう。人生の砂時計は止められない、あんなに細いくびれなのにキュッと締めて止められない。
こんなことを考えているうちにも砂は落ちてゆく。日常の当たり前の裏側に、影みたいに潜む甘くて薄い死。全てに潜む死に、気道を掴んで潰されるような焦燥感を覚える。
きっと私の中のママが死んだ日、私も、私の勉強も死ん、そんな気さえした。
その時にかかってしまったサングラスが色を削いでるのかもしれない。
もうそろそろ家を出る時間だ。
心は重くても動かないといけない。
景色がいつも通り単調にスライドしていく。
赤信号で足と景色が止まる。シャーと赤信号を渡っていく人が今日もいた。
あの人は赤信号でも渡る、渡る時間も渡って得した数十秒も、渡っている数秒間も、あの人も死んでゆく。
そう思うと、一体何のために渡るのか、何の意味があるのかわからない。
ホームルーム前のVtuberの話。
竹本は話が全く頭の中に入ってこなかった、相槌も少しずれていたし、単に頷くだけだった。
竹本は高越をじっとみる。顎の骨、頬の筋肉、目の周りの皮膚。精巧な人形みたいに見えた。
なんだか恐ろしい。薄く笑う。頬の筋肉を少し上げて、目の周りに醜い皺を作る。それはもう人の形骸だった。
幸いな事はもう数日で夏休みが始まってこの関係性が一時的に解放されることだ。
観察してしまえば、高越に人の魂とも言える熱を感じない。表面を滑るだけで、気持ち悪い。足裏がツルツル、ヌメヌメするプールのタイルみたいに気持ち悪い。
ぽたっと滴る毒が竹本の内側から樹液みたいにじわっと湧いてきている。
こんな退屈な時間も自分の人生、今もゆっくりと時間は経ってゆっくり死んでいくんだなぁ、と達観した事を考えた。急に自分が遠い存在、知らない人に思える。教室を俯瞰する視点から自分の背中が見えるような諦めの感覚。
竹本は今日はほとんど時計を見なかった。
ここ数日の自分は、自分に取り憑いた幽霊だ。
科学の授業中、
「せんえー、駅前の新しいお店行った事ありますー?」
以前、竹本に囁いた陽キャ女子の質問で授業が少し止まった。
顔を見なくてもわかる。狐のように笑いながら質問している。周りから数人の女子の笑い声もする。
何がおかしのかわからない。
「車で通勤、あ、学校来るから知らないけど」
新人の先生はなぜか通勤という言葉を言い直し、苦笑いした。
時計を読めば、なんだかんだ雑談で5分が経過したらしい。
等しく五分分、失った。教師は五分を取り戻そうと、
「今日ね、プリントの端まで行っちゃいたいから」
と、わざとらしく時計を確認して、少し早口になった。
退屈な芝居を前に、幽霊体自分がもっと前面に出るにはどうしたらいいだろうと考えた。たとえば、急に人を殴るとか、この手の中のシャーペンで誰かの眼球を貫くとか、物騒なことを閃いた。
破滅的な行動に出ればたちまち自分が強く前に出れるかもしれないけど、発想は現実にならない。
結局、昼と夜、呼吸、周期性のあるものから逃げられない。
断片的でぷくっと湧く発想ばかりで先に続かない。
今日も塾だと思い出した。
いつもほどは気が滅入らなかった。現実世界からほんの少しずれた、発想をサングラス越しに持つと、苦痛を和らげることが出来る処世術を体系化しつつあるから。
むしろ、体系化させるためのデモンストレーションの一種と言えた。
竹本はここ数日の達観をむしろ心地いいとも一部では感じていた。
夏休みが始まった。
竹本は勉強に手がつくはずもなく、ぼんやり六割、勉強四割みたいな生活を送っていた。
意味がないのになぜ勉強をしないといけないのか、それを思うと、月岡の顔が頭の中に浮かぶのだった。
ちょうどその時、スマホのLINEがなった。ぼんやりしながらも机に向かう時間は、退屈な勉強中だから、飛びつくようにスマホを開いた。
竹本にはライン友達はほとんど居ないし、通知が来ることなんか当然ない。
月岡からラインだった。竹本は心が躍った、無意識にスマホを握る手に熱を帯びた。
内容は、
「竹本さん、今度、僕と一緒に少し旅行に行かない? おばぁちゃん家寄ることになるけど」
と、書いてあった。
大して親しいとも言えない竹本を誘う理由不明だ。
誘いはデートっぽくもあるが、自分の祖母の家を進める人がこの世にいるだろうか。
竹本はこの話が月岡が、確実に今のスランプ、勉強イップスの状態を打開してくれると確信していた。
「いつでもいいよ」
色々考えに考えて、結局、短文を送くった。
意外にも返信は早く帰ってきた。本当は真面目で、常識的なんだろうか、と思った。
「じゃあ、明日の8:30に駅前の浦島太郎像前で」
ちょっと時間も早いし、明日というのもちょっときつい、やっぱり常識は弱いのかも知れない。
竹本は内心怖気付いた。そもそも、勉強をしないといけないし、旅行の日数も聞いていなかった。
違う。ここで怖気付く、最後の一歩を踏み出さない、こういうのが良くないのかも知れない。月岡は自分にきっと違う世界を見せてくれる。そう思った。不安な分だけ期待値が大きい。
竹本は初期スタンプで了解っとだけ送った。
思えば、家族以外と旅行はおろか、外食すらほぼしたことがなかった。
六時ごろになるアラームを見ずに止める。
止めてから、頭の中に月岡との予定が浮かんだ8:30に駅前の浦島太郎像前。学校と同じペース配分で到着できると計算した。
学校と同じペースで日常を潰すはずが、なんだか今日はいつもより一個一個のものが刺激的に映った。
財布には少し多めにお金を入れた。服はほぼ買わないから、ダサいけど、最大にマシなものを選んだ。ブスのくせにハイブラでも着て、通りすぎる人からあんなブッサイクがブスのくせに見た目に気を使ってるって思われるのが嫌だったのもある。
ふと、今日家を出ることを母親に伝えていない事を認識した。
竹本は癖でシミュレーションをした。家を出る前に軽く伝えてとっとと、外に行くことにした。それが一番ストレスレスっぽかった。
時刻は8:00いつも家を出る時間だった。
「ママ、ちょっと友達と出かけてくるから」
「うーん」
返答はうーんだけだった。また肩透かしを食らった。
竹本はもしかしたら、自分の存在に対してもう興味も関心も失ったのではないかと思った。恐ろしいような、開放感のようなものを覚えた。
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