Let It Be

澁澤 儀一

第1話

 スマホのピピピという無機質なアラームがうるさい。上と下が逆さになった水中にいるみたいな世界から、グッと下に、空に向かってサルベージされてしまう感覚。

 今は朝六時少し前。

 前に好きな曲をアラームに設定していたことがある。

 しかし、曲の冒頭を聞くと体がビクッとなってしまう嫌な癖が付いたから無機質な音にしている。

 竹本はもはや見ずにアラームを止めた。

 二度寝欲が一番広い静寂の天蓋になって降りてくる。二度寝を阻止するかのようにトースターがパンを焼き切った音が遠くから聞こえた。食器を動かすカチャカチャという日常の音も聞こえてきた。

 竹本の眠くてよく回っていない頭は、焼かれるパンとアラームに起こされる自分はそっくりなのではないか、と意味のわからないことを閃いた。

 眠気まなこを擦りながらリビングへ向かった。

 寝起きのリビングの扉は重たくて嫌だ。

 リビングのテレビの音を聞きながら、朝食の置かれたダイニングテーブルに向かう。テレビは相も変わらずニュースを出力していた。夏休みが近づく中、暑さを警戒してるようだった。

 竹本の家では朝は4チャンネルと決まっている。

 何もしていない静寂が嫌だから、今日も見慣れた童顔のアナウンサーが紙に書かれた文章を読み上げる音に耳を澄ます。

 竹本の母親は今日も既に食べ終わっていて、化粧する後ろ姿だけが竹本には見える。

 黄色い食器に盛られた食パンとパックの野菜ジュースは竹本を昼食まで動かす燃料だ、規則正しく咀嚼し、嚥下してゆく。テレビは今日も淡々としているホワイトノイズだ。

 昨日、竹本が塾にいた時、富山県では小学生がトラックに轢かれていた。

 竹本がパンを四分の一も食べきらないうちにニュースは切り替わった。

 昨日、19歳の少女が自分の子供を殺した。

 短いインサートで内容は一転。話題はポップカルチャーに変わっていた。有名なアイドルが恋愛映画の主演になったらしいかった。

 役者の知名度でしか映画を見せられなくなるなんて、作品としての元々のレベルが低いんじゃないか思う。

 朝からパンばかり食べていると口内の水分がなくなるから野菜ジュースで潤す。人参の主張の強い味がパンと絡まってベチャベチャのパンが口の中にできる。

 いつも少し遅れて起きてくる父親は何よりも先に、ゴリゴリと珈琲豆を削る。

 テレビの内容は聞こえにくくなった。狭い室内に音が反響していた。

 アイドル以前にテレビには興味がなかったからどうでも良いけれど、話し声がクリアに聞こえないのは少し嫌だった。

 竹本は表情一つ変えずに、テレビの光を眠い目に流して、目を覚まさせる。

 芸能エンタメ! のコーナーは今日も大谷翔平。コロナに代わってニュースの皆勤賞を伸ばしている。

 一体いつから全日本人が野球好きになったのか不思議だ。ボールなんて打てば飛ぶし、そもそも、記録として伝えられるスポーツの結果が気になる人がいるなら、それはくだらないミーハーだと思う。

 竹本がパンと野菜ジュースを機械的に完全に飲み込終わった時。今日のトピックの総まとめ、と称し、さっきまでの内容と同じ事を言った。

 何故かテレビは最新薄型テレビよりも薄い記事をいつも伸ばして報道する。

 なんだかずるく思う、でもニュースほど朝の眠い中空っぽで見れる物も少ないし、アンチ静寂としての役割は今日も果たせているから、と言い聞かせて、ゆっくり息を吐いて落ち着く。

 食パンを乗せていた食器に野菜ジュースの空パックを重ねて、立ち上がると、胃袋の中で角ばった食パンの食感がゴロゴロと気持ち悪い。

 シンクに食器を積み石のように乗っけてる。

 パックはつぶして、パックの端で蓋つきごみ箱の蓋だけをひょいと持ち上げて、隙間に落とし込む。慣れた手つきだった。

 朝食をどれだけゆっくり食べても、どんなに丁寧に歯を磨いても、学校に行くまで時間が余る。

 朝のクリアな脳みそは出来るだけ自分のために使いたいし、今日は特別眠くないから、自室でこそこそ執筆しようと思った。

 本当はこの瞬間もずっと勉強をした方がいいのだろうけど、どうも勉強をする気が出ない。

 肝心のファンタジー小説はストーリーが詰り始めていて、趣味で始めたのに書くということがノルマになって負担になってきていた。

 詰まってきた状況を打開できるストーリーを考えたり、書くのが億劫だ。妥協的に、飛ばし飛ばし推敲だけした。

 竹本は小さな誤字脱字を直して、しばらくぼんやりと読むわけでもなく、自分が産んだ活字を眺めた。 

 自分の小説だというのに、数日ぶりに読み直したらくだらない誤字脱字が真っ白な半紙に筆から垂れてしまった墨汁のように嫌に目立って見えたし、書いている時ほど面白さや魅力を感じることができない、もうこれは死んだ話かもしれない。

 ため息をついて、執筆ソフトを上にスライドして消した。

 今度は高越と話を合わせるためにVtuberの切り抜き動画を見始める。

 小説から逃げたみたいだけど、ここでVtuber情報を集めておかないと学校で話すことがないから仕方ない。

 機械音声のショート動画に、斜めを向くと絵という感じが強くなるVtuberの切り抜き動画が流れてゆく。

 左上に浮かぶ時刻の表示が学校に行かなくてはならない時間が近づいてきたことを伝えている。

 心臓の部分が空っぽになっていく、味のしない焦燥感が染み出すように湧いてきた、こういう予定があるまでの待ち時間は本当に落ち着かない。

 画面を消して、ため息をついた。

 画面を消した後のスクリーンは黒い鏡になった。一重でクマのある目には生気がなくて、肌は荒れてるし、鼻のでかいブス、女に向いてないとすら思った。

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