序章 夜闇の宴

夜闇と共に、まさしく現実だった

 ――俺達は、憶えている。


 ――僕達は、憶えている。


 へたり込んだ目の前に、『何か』がいる。

 その『何か』は知らない。知る筈もない。今まで見たこともないのだから……否、見ないようにしていただけかもしれない。人間ヒトは、自分と違うものは排除したくなる。それがいつの間にか見えなくなっていっただけ。


 姿が人間ヒトと異なる『何か』が鋭利な大きい爪を振り下ろした。

 街灯に照らされた、その姿。


 黒い色に覆われている肉体、頭に二本の角が生えている。

 濁った炎のように赤く光る、眼。

 頭髪は白く波のようにうねっている。

 口に尖った牙、指に鋭い爪。

 腰布をつけている風貌。


 何もかも人間ヒトとは異なる。


 一撃で命が消えるのが一部では慈悲というとでも云わんばかり、振り下ろされる鋭利な大きな爪が街灯を反射し、怪しく光る。

 彼は彼女を咄嗟に抱きしめる。


「「――――ッ!」」


 声にならない悲鳴が喉の奥に絡まった。反射的に目を閉じた。下唇を噛み締め、死にたくないと願う。死にたくないと、死を受け入れたくない。もし彼らに力があったらなら、今すぐでも逃れただろう。

 しかし、それは唯の願望。彼らには逃れる力はない。だからこそ、ここで死ぬ結末しか残されていなかった。

 ここで死ぬと思われた――。


 ――鮮明に、憶えている。


 彼らの背後から、暗闇から――手が現れた。


 何時に経っても痛みが、来ない。数秒、数分……一瞬だったかもしれない。痛みはいまだ来ないことに不思議に思った。

 ぐっと固く閉じていた瞼を開く。


 ――『アイツ』の姿を。


 ――『あのヒト』の姿を。


 暗闇から――鼓膜に響くような低音の声が、空気を震わせた。


「悪いが、コイツらに手を出さないでもらおうかァ」


 ――鼓膜に響くような低音の声も、


 視界に飛び込んできたのは、男の背中。


 ――その広く大きい背中も、


 視界にいる男に、彼らは目を見開く。


 ――盲目的にその存在だけを見据えてしまう存在感な姿も、


 暗闇から現れた男は、彼らに振り下ろそうとした化け物の手を受け止めていた。

 化け物は潰そうと力を込めたが、ビクともしない。寧ろ、男は片手で押し返している。


 ――圧倒的な力を魅せる姿も、


「お前さん如きが、手ェ出しちゃいけねェ人間だ――」


 化け物は、男に投げ飛ばされた。

 化け物は、宙に舞う。

 化け物が投げ飛ばれた先の塀は大きな音を立てて、無残に崩れ落ちた。

 化け物が倒れた場所から、砂埃が舞い広がっていく。


 見慣れた景色がぼろぼろと、崩れていく。

 その広がった光景を、男を、大きく目を開けて、呆然と見るしかなかった。あまりにも非現実的な光景だったのだから。


 ――鮮明に、憶えている。


 男は彼らの方へ振り向いた。男の横にある街灯が、男の姿を照らす。


 ――『アイツ』の存在を。


 ――『あのヒト』の存在を。


 彼らの目には……着物を纏い、長身で逞しい体躯と、浅黒い肌を持つ男の姿が映る。


 ――闇に溶けるような黒髪も、


 男と視線が交わった。


 ――見え隠れする、闇の中で光る満月のような金の双眸も、視線も、


 彼らの目には、その存在は圧倒的だった。


 ――他のどんなものも朧気に見えてしまう圧倒的な存在の色さえも、


 一瞬にして、瞼の裏側に刻まれた。


 男は何者なのか。

 男の纏った空気が、人間ヒトとは異なる言い知れぬ違和感があり、まるで――人間ヒトではないかのように……。

 それを感じても、今は考えていられない。ただ……その光景を、その化け物を、その男を。

 今、起きた全てのことを、見ることしか、できなかった。


「だ、れ……?」


「なんなんだ……あんた……?」


 肌で空気を感じ、鼻でニオイを感じ、そして……瞼の裏側に刻みつけて。

 感じたことない威圧感を、崩れ落ちるコンクリートを、宙に踊っているかような戦いを、その『セカイ』を、全てに刻みつけていった――。


 ――心に、カラダにさえも、焼き付かせる。




 『もしも』という仮定ではなく、俺達にとっては現実だった。

 仮定ではなく、幻でもなく、想像でもなく、空想でもなく、


「「だったんだ――」」

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