第10話 佐久間神社の戦い 5


 長い階段を登り、佐久間神社の境内に入った所で、この一帯だけ空気が違う事に気がついた。

 何が・・というか、それは単に直感レベルの感覚で上手く伝えられらない。

 何年も千秋と一緒に遊んだ神社。

 外観は変わっていないのだが、この先に進む為に何かをしないと進めない──そんな漠然とした違和感を感じる。

 真っ直ぐに手を伸ばすと、静電気のようなものが指先をピリッと駆けた。やはり侵入を拒まれてしまう。


「壁なのか? これは……」

「違うよ。それはウィルが作り上げた特殊空間・断界領域エクリプス


 誰も居なかったはずなのに、背後に自分よりも三十センチほど小さな少女がにこりと微笑んでいた。

 腰まである長い金髪をポニーテールに束ねて、碧眼の双眸が遥を射抜く。

 笑顔は少女特有の陽だまりのような暖かさがあるのに、その瞳はどこか氷のような鋭さを孕んでいた。

 彼女が身に纏う絹のローブは絡み合う双蛇が円環を作り、まるで生きているかのように揺らめいていた。奇抜なファッションにしてもこの辺りで手に入る服では無さそうだ。そして彼女が放った一言。

 確かに彼女は「ウィル」と呼んだ。

 それだけで母に化けていた魔物の記憶が脳裏を過り、警戒心がせり上がる。

 それでも、ほんの一瞬だけ魔物かも知れない少女の存在に救われたいと思ってしまった。


 少女はずかずかと遥の眼前まで歩き、遥と同じように何もない空間に手を伸ばした。

 ピシッ、ピシッ──。

 ガラスにひびが入るように、空間に亀裂が広がり、中の様子を少しだけ垣間見ることができた。

 禍々しい空気と、息が詰まるようなオーラが溢れてくる。


「これで先に進めるよ」

「ありがとう、えっと……君は?」

「ボクはティム。死んだのは十八歳の時だけど、今は何歳だろうね」


 思わず十八と聞き返しそうになった。目の前にいる少女はどう見ても小学生くらいだ。

 からからと乾いた音を立てて笑うティムは「よろしく」と言いながら小さな手を差し出してきた。

 遥もその手を握り返すが、氷のように冷たい感触が指先から腕まで一気に這い上がり、思わず肩を震わせてしまった。


「君も、吸血鬼ヴァンパイア?」

「正確には、ボクは始祖様ウィル使い魔ファミリアだね」

「ファミリアって?」


 吸血鬼ヴァンパイア使い魔ファミリアの何が違うのか分からない遥は、思わず鸚鵡返しをした。


「ボクの力は〈変身〉。体液さえあれば、何にでも姿を変えることが出来るよ。例えば──」


 少女はそう言うと、強い力で遥を自分の方に引き寄せ、遥の唇を塞いだ。

 息を吸われ、驚いて僅かに開いた唇の隙間からねっとりとした吸引が始まる。唾液を吸いあげる感覚に背筋がぞわりと震えた。

 その瞬間、少女の輪郭はグニャリと歪み、白い指先や肌は黒い毛に変わる。

 何かが弾けるような音と共に遥の目の前に残ったのは小さな黒猫だった。


「中に入ろう。きみの肩に乗せて」

「は、はぁ……」


 黒猫は当たり前のように遥の左肩に飛び乗った。


 昔から千秋と遊んだ境内だが、空気は全く異なっていた。充満する獣と血の匂いに酷い頭痛がする。

 突き進む度に妙な胸騒ぎは確実に強くなっていた。早く千秋を見つけて安全を確認したい。


 さらに歩を進めると、本堂の先にある空間が僅かに歪んでいる事に気付く。


「さっきと同じ……なんか、ここだけ違和感が」

 

 視界に捉える景色は変わらないのだが、そこには間違いなく別の空間が存在している。本能がそう告げていた。


「ハル、開けて・・・


 ハル、と呼ばれてびくりと肩が震えた。思わず隣にウィルが居るのかと思い、距離感の近い黒猫を二度見する。


「ど、どうやって?」

「手首出して」


 ロングシャツの袖をまくり、大嫌いな薔薇の紋章を空間に向けて翳す。


「うぁっ……!」


 歪んだ空間と共鳴するように、遥の手首から無数の薔薇の蔦が飛び出した。

 鋭い棘が茜色の光を反射し、蔦はまるで生き物のようにうねりをあげて歪んだ空間に突き刺さる。

 ピシピシと空間に亀裂が走り、鏡が割れるような音と共にウィルの施した封印は砕け散った。


 しかし封印の先に見えたものは悲しい現実で、長年一緒に過ごしてきた父親は人間では無かったのだ。


 数時間前とは全く違うオーラを放つ吸血鬼ヴァンパイアのアスラと、同じく変身した吸血鬼ヴァンパイアのウィル。

 少しだけいつもと違うのは、ウィルの髪色が鮮やかな漆黒で、瞳が紅になっているくらいだろうか。


『ハル、その場を動くな』


 頭の中に直接響く強制的な命令。

 吸血鬼ヴァンパイアの言葉は〈絶対〉である。同族や魔力の高い者でない限り破ることは不可能。

 けれども、目の前で黒い薔薇に血を吸われて死にかけている親友を黙視することは出来ない。

 唇を噛み締めて無理矢理魅了チャームを解こうとしている遥に、ティムが「やめな」と声をかける。


「ハル、君の力じゃあアスラに勝てない」


 夢の中で何度も見た光景。

 「華江さん……」と言いながら、穏やかな顔で心臓に杭を穿たれる金髪の吸血鬼。断末魔の声と、母の悲鳴。

 目の前にいる吸血鬼ヴァンパイアがウィルだとすると、連日魘される夢とリンクする。

 仮にそうだとすると、死んだはず・・・・・の彼が目の前にいるのはおかしい。


 遥の激しい心の動揺を悟ったティムは、黒猫の姿のまま、やれやれと深く溜息してウィルの足元まで距離を詰めた。


「肝心な事をハルに何も話してないんだね?」

「説明をする時間が無かった。ティム、千秋君を頼む」

「オーケー」


 黒猫は嬉しそうにウィルの指先に噛みつき、血を啜った。すると黒猫の身体が赤い霧に包まれて裂け、中から二本の短剣を持った青年の姿が現れた。

 〈変身〉してから空中で身を翻し、閃光のような疾さでアスラの右肩に短剣を突き立てる。

 勿論、短剣如きで吸血鬼ヴァンパイアに対する致命傷には至らない。


使い魔ファミリアの分際で……!」


 忌々しく舌打ちをして肩に突き刺さった短剣を引き抜くと、たったそれだけでアスラの受けた傷は一瞬で塞がった。恐ろしい自然回復能力の高さだ。

 アスラの腕が黒薔薇へと伸び、絡みつく棘を裂きながら千秋の身体を吸血の為に引き抜こうとする。

 その瞬間、ティムは二本の短剣を閃かせ、舞うような軌跡で蔓を次々と断ち切った。


「闇の牢獄へ沈めよ、【呪縛ネクロ・バインド】」


 同時にウィルの魔法が放たれ、赤い鎖のようなものが茎と蔦をへし折り、黒薔薇を包み込む。

 左右から仕掛けられた攻撃に黒い花弁は焼けるように崩れ、アスラの右手を焼いた。


「ぐっ……!」


 一瞬アスラの手から千秋が離れた瞬間、その隙にティムが潜り込み、しっかり抱きしめた千秋を呆然と地面に座り込んだままの遥に託す。

 父親が吸血鬼ヴァンパイアであることを受け入れられず、自分もこいつらと同じ化け物なのかという虚しさに混乱した遥はただ黙って青白くなった親友を抱きしめた。

 

 目の前ではクラスメイトになったばかりの転校生と、ウィルが異次元の強さでぶつかり合う。

 非現実的な光景に遥は声を発することも、踏み出すことも出来ず、ただ黙って彼らの戦いを見守るしか出来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る