TIMELESS OVER 〜平原の勇者、紡がれし絆〜
葦原 蒼紫
第0話 始まりの息吹
ザッ、ザッ、ザッ。
夕陽が、どこまでも続く緑の絨毯を黄金色に染め上げていた。
アスティア大陸の辺境、「風鳴(かざな)きの平原」。
背丈ほどもある夏草が風に揺れ、まるで海鳴りのような音を立てるこの場所で、一つの影が動き続けていた。
「……九千、九百……九十……八ッ!」
少年は、剣を振っていた。
それは剣と呼ぶにはあまりに無骨な、農具を打ち直しただけの鉄の棒だった。
汗が滝のように流れ落ち、粗末なチュニックを濡らして、乾いた大地に染みを作る。肺が焼きつくように熱い。腕の筋肉は悲鳴を上げ、鉛のように重くなっているはずだった。
普通の人間なら、とうに倒れている。あるいは、手が痺れて剣を取り落としているだろう。
だが、少年――アレス・グレイは止まらない。
「九千、九百……九十……九ッ!!」
ヒュン、と風を切る音。
鋭くはない。達人のような洗練された軌道でもない。
ただ、愚直なまでの一撃。
アレスは知っている。自分には才能がないことを。
村の自警団の大人たちに混じっても、腕力は平均的。魔力量に至っては、火種を少し大きくする程度のことしかできない「平凡より少しマシ」なレベルだ。
この大陸には、『特性(アビリティ)』と呼ばれる天賦の才を持つ者がいる。
ある者は炎を自在に操り、ある者は音速で剣を振るう。そんな英雄たちの物語を、アレスはボロボロになった絵本で何度も読んだ。
自分は、彼らにはなれない。
天才ではない自分に、世界を救うような力はない。
「――だけど」
アレスは深く息を吸い込んだ。
肺いっぱいに満たされた酸素が、身体中の血液を駆け巡る。
ドクン、と心臓が強く脈打つたび、鉛のようだった腕から急速に疲労が抜けていく。焼き尽くされたはずのスタミナが、泉のように湧き上がってくる。
これが、アレスの持つたった一つの特性。
『継続する意志(レジリエンス)』。
どれだけ傷ついても、どれだけ疲弊しても、呼吸をするだけで身体機能が異常な速度で回復する。ただ、それだけのアビリティ。
攻撃力も上がらない。魔法も強くならない。
地味で、戦闘には不向きだと言われた力。
それでもアレスにとっては、これが唯一の武器だった。
「一万ッ!!!」
最後の一振りを振り抜く。
今日、一万回目の一撃は、最初の一回目と変わらぬ速度と重さを保っていた。
「ふぅ……」
アレスは鉄の剣を地面に突き刺し、額の汗をぬぐった。
視線の先、平原の彼方には、巨大な城壁に囲まれた「聖ルミナス王国」の方角がある。
明日、アレスはこの村を出る。
王都にある冒険者学校に入学するためだ。
「待ってろよ、未来」
誰に言うでもなく、アレスは呟いた。
脳裏に浮かぶのは、いつか読んだ伝説の一節。
――真の勇者は、孤高にあらず。時の彼方より繋がる絆(タイムレス・オーバー)こそが、奇跡を紡ぐ。
「俺には才能がない。だから、誰よりも振るんだ。誰よりも走って、誰よりも耐えてみせる」
たとえ泥臭くてもいい。
魔獣に怯えるこの村を、そしていつかはこの広い世界を守れるような男に、俺はなる。
アレスは再び剣を構えた。
一万回で終わりにするつもりだった。でも、不思議と身体が軽い。
あと千回くらいなら、いける気がした。
風が吹き抜け、アレスの栗色の髪を揺らす。
その瞳には、決して消えることのない意志の炎が灯っていた。
これは、後に大陸全土を巻き込む大冒険の、ほんのささやかな始まり。
まだ誰も知らない「勇者」の物語が、ここから動き出す。
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