湿った境界線:親友(あるいは、すべて)を捧げた青春

舞夢宜人

第1話 嫉妬と羞恥の屋外戦術


 放課後の聖華学園には、生徒も教師も決して近づこうとしない空白地帯が存在する。かつては文化系の部室が並んでいた旧棟の一角。老朽化による倒壊の危険性から立ち入り禁止のテープが貼られ、取り壊しのスケジュールが決まって久しいその場所は、校舎の裏手でひっそりと死を待つ廃墟のようだった。しかし、その寂れた静寂と死角の多さから、生徒たちの間では「人に見られずに告白できる伝説の場所」として、まことしやかに囁かれているエリアでもあった。そんな純愛の伝説が残る場所の、錆びついたプレハブ校舎の陰で、あたし、井伏燈子は腐りかけた木造の壁に背中を押し付けられていた。


「……ねえ、暁。こっち見てよ」


 西日が長く伸び、雑草の影が濃くなる時間帯。あたしは震える声を喉から絞り出した。あたしの制服のプリーツスカートは、目の前に立つ親友、鳴海暁の手によって既に腰のあたりまで無残に捲り上げられている。太腿の柔らかな内側は、澱んだ空気と微かなカビの匂いが漂う外気へと無防備に晒され、粟立っていた。けれど、暁の瞳はあたしの潤んだ目には向けられていない。彼女の冷たく整った視線は、あたしの腰のあたり、白く露わになった下着の布地と、その奥にあるふくらみへと執拗に注がれている。学年一位の成績を誇り、優等生として誰からも崇拝されるその端正な顔立ちが、今は獲物を品定めする爬虫類のように無機質で、それでいてとろりとした暗い熱を帯びていた。


「静かに。響くよ、燈子。ここは外だ」


 暁の声は、教室で日直日誌を書く時と同じくらい冷静だった。彼女の白く細長い指が、あたしの太腿の内側を這うように滑る。爪先がわずかに皮膚に食い込む鋭利な感覚に、脊髄が跳ねるような痺れが走った。あたしは唇を強く噛みしめる。悔しかった。あたしたちは親友だ。誰よりも深く繋がり、秘密を共有する唯一無二の存在のはずだ。それなのに、この行為に及ぶ時、暁はいつだってあたしの「顔」を見ない。彼女が見ているのは、あたしの身体的な反応であり、濡れる粘膜であり、ただの生物的な現象だけだ。あたしという人間への愛着よりも、あたしの体がどう壊れ、どう反応するかという実験結果に執着しているように思えてならない。


 だからこそ、あたしはあえてこの「告白の名所」を選んだのだ。純愛の場所という雰囲気と、学校内という誰かが来るかもしれない極限のリスク。この二つがあれば、常に冷静な暁もムードに流されるか、あるいは不安になって、共犯者であるあたしの目を見て、安心を求めるはずだと計算していた。


「ここでなら……告白する人たちが来るかもしれないし。怖いでしょ? だから、あたしの目を見て」


 懇願に近い挑発を投げかける。しかし、暁は形の良い眉をわずかに動かしただけだった。彼女はゆっくりと膝を折り、雑草が生い茂る地面に躊躇なく片膝をつく。あたしの股間に顔を近づけ、その整った鼻梁を押し付けるようにして、深く、長く息を吸い込んだ。


「……告白の場所、か。確かに、ここはふさわしいね」


「え……?」


「燈子の体が、私に愛を告白してる匂いがする」


「っ、あ……!」


 布越しに熱い吐息が直接かかり、腰が勝手に逃げようとする。暁の両手がそれを許さない。あたしの骨盤を万力のように強く掴み固定すると、彼女は見上げるようにして初めてあたしと目を合わせた。しかし、そこに期待していた「ロマンス」や「不安」の色は微塵もない。あるのは、あたしの浅はかな企みをすべて見透かしたごとき、嗜虐的な光だけだった。


「可愛いね、燈子。僕に顔を見てほしいからって、こんな廃墟に連れ出すなんて。ここはね、確かに告白の場所だよ。ただし、言葉じゃなくて、本能をさらけ出すためのね。ファーストキスともっと大事な初めてを何人もの女の子が捧げてきた場所なのさ」


 心臓が早鐘を打つ。見抜かれている。暁の手が下着のクロッチを強引にずらし、湿り気を帯びた秘所を直接指先で撫でた。


「ひっ、ぅ……!」


「見てごらん。こんな場所だからこそ、燈子の理性が崩れていくのがよくわかる。恐怖と興奮で、顔が真っ赤だ……それを一番特等席で見られるのは、僕だけだ」


 暁の指が、容赦なく最奥へと侵入した。ぬち、という卑猥な水音が、無人の旧校舎の壁に反響する。あたしの計算は音を立てて崩れ去った。視線を合わせるどころか、彼女はこの「誰かに見られるかもしれない」という状況すらも、あたしを追い詰め、観察するための材料にしている。風が吹き抜け、古びたトタン屋根がガタガタと音を立てた。その不穏な音に、誰かが来たのではないかと錯覚し、あたしの体は意思とは無関係に強烈に反応して、膣肉が暁の指をきつく締め付けた。


「すごい。普段はあんなに強気な燈子が、今はただの、怯える雌の顔をしてる」


 暁の指が中を掻き回すたびに、脳髄が痺れるような快感が突き上げる。悔しい。こんな廃材のような扱いを受けているのに、あたしの体は暁の指なしではいられないほどに熱くなっている。対等な関係を求めて仕掛けたはずの罠が、結局は彼女の支配をより強固にするための舞台装置にしかなっていない。


「あ、き……やだ、むり……声、でちゃ……」


「出せばいいよ。ここには誰も来ない。来るのは、本当のことを知りたい共犯者だけだ。……それとも、終わらせたい?」


 終わらせたくない。あたしはこの関係に依存している。暁に見捨てられたら、あたしはただの平凡な、何者でもない高校生に戻ってしまう。それが死ぬほど怖い。首を激しく横に振ると、暁は満足げに目を細め、もう片方の手をあたしの口元へと伸ばしてきた。


「いい子だ。じゃあ、その口は塞いであげる。余計な言葉はいらないから」


 暁が立ち上がり、あたしの唇を奪う。それは甘いキスのようでありながら、声を封じるための物理的な蓋だった。舌が絡み合い、唾液の味が混ざる。廃墟の影、西日に照らされた埃っぽい空気の中で、制服を着崩し体を貪り合う二人の女子高生。その光景は、純愛の伝説を冒涜するように背徳的で、そして決定的に美しかった。暁の指がペースを上げる。あたしは彼女の肩にしがみつき、嗚咽のような声を喉の奥で押し殺しながら、何度も何度も絶頂の波に翻弄された。膝が笑い、立っていられなくなり、暁の体に全体重を預ける。あたしはこの時、敗北感と共に、強烈な安堵を覚えていた。どんなに歪んでいても、暁はあたしを求めている。あたしのこの、誰にも見せない情けない顔を独占しようとしている。その事実が、歪んだ承認欲求を満たし、脳を溶かしていく。


 事後、乱れた服を整える暁の手つきは、まるで壊れ物を扱うように優しかった。


「帰ろうか、燈子。……まだ、足が震えてるよ」


 そう言って微笑む彼女の顔は、いつもの優等生の仮面に戻っていた。背景には、役目を終えた部室棟が静かに佇んでいる。あたしは何も言えず、ただ小さく頷いて、彼女の手を握り返した。繋いだ手のひらの汗が、夕暮れの風の中で冷たく混ざり合った。


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