第3話 ケルベロスの爆炎
フェンリルとの死闘を終えたハンスは、次なる獲物――冥府の番犬ケルベロスが潜む洞窟を目指した。
洞窟までは半日ほどの行程。うっそうとした森が続く。洞窟へ近づくと空気までも獣の臭いに満ちているように感じられた。鼻を突くような、獣脂が焦げた匂い。息を吸うたび胸がざらつく。ハンスは思わず顔をしかめ、隣を歩く小犬アッダを見下ろした。
アッダは耳をぴんと立て、ふるふると震えていた。小さな体に宿る恐怖が隠しようもなく伝わってくる。
「怖いだろうな……だが、頼むぞ」
ハンスは心の中でそう呟き、アッダの頭を撫でた。今回の作戦にはどうしてもアッダの助けが必要だ。ケルベロスの注意を引きつけ、その隙に魔布をかぶせる――それが唯一の勝ち筋だった。
洞窟が視界に入る。岩肌に口を開けた暗黒の穴。その周囲には、木の根が地を掴むように絡みついている。洞窟の前は踏み荒らされ、骨や毛皮の残骸が散らばっていた。近づくまでもなく、そこにいる獣の凶暴さを臭いだけで悟れる。
洞窟の上方に、斜めに突き出た木が一本生えていた。ちょうど入口を見下ろす形で枝を広げている。ハンスはそこに登り、じっと息を潜めた。
「行け、アッダ……」
震える小犬は一瞬ためらったが、ハンスの顔を見て、勇気を振り絞るように洞窟の前へと進み出た。
そして――小さな声で、必死に吠える。
「わん、わん!」
その声は頼りなくも、胸を打つけなげさがあった。
しばしの沈黙のあと、洞窟の奥から「のっそり」と黒い影が現れた。大地を震わせる足音。アッダはその姿を見た途端、尻尾を巻いて転げるように逃げ出す。
現れたのは、黒々とした胴体に四肢を備え、三つの犬の頭を持つ怪物――ケルベロスだった。
胴も首も馬ほどに大きい。だが顔は犬の形をしている。三つの頭が左右に分かれ、同時に低いうなり声をあげた。その声は空気を震わせ、耳の奥に残響を残す。
ハンスは木の上で息を殺し、腰に差した魔布を取り出す。軽く擦れただけで布がかさりと音を立てた。その瞬間――。
「ばぅッ!」
一番左の頭が天を仰ぎ、吠えた。続けて残りの二つも牙を剥き、ぎろりと鋭い眼光を木の上に突き刺す。
見つかった――。
しかし犬に木登りはできない。ハンスは冷静ににらみ返した。だが、次の瞬間、ケルベロスの三つの口が一斉に開き、不気味な唸りと共に炎が噴き出した。
轟、と爆ぜる炎が木を焼き、ハンスを包み込む。
「ぐああッ!」
火達磨となった体が木の上から転げ落ちる。地面に叩きつけられ、必死に転がって炎を消す。皮膚は焼けただれ、衣は焦げ付き、息をするたび激痛が走る。
それでも必死に地を這い、ケルベロスの姿を探した。だが、そこには誰もいない。
代わりに、少し離れた場所で黒い布がもぞもぞと動いていた。布の中から、黒い中型犬が顔を出す。
「……まさか」
ハンスは愕然とした。自分が落下した時、偶然魔布も一緒に落ち、ケルベロスを覆ったのだ。まぐれ――だが結果は変わらない。
ケルベロスは三つ頭と大きな体を失い、普通の中型犬の姿でじっとハンスを見つめていた。敵意もなければ、従順さもない。そこにあるのは、ただ沈黙。
焼ける痛みに呻くハンスのもとに、アッダが駆け戻ってきた。小犬は舌でハンスの火傷を舐め、傷に触れるたびじわじわと痛みが消えていく。驚くほどの早さで、体が癒えていった。
「……アッダ、お前……」
立ち上がる。手も足も自由に動く。まるで先ほどの火傷が幻であったかのように。
黒犬はただそこに立っている。
「勝った……いや、従えたんだ。ケルベロスを」
ハンスは声を震わせた。
アッダが体をすり寄せ、くーんと甘え声を漏らす。ハンスはその頭を撫でた。
「よし、次の洞窟へ行こう。だが……その前に、寄るべき場所がある」
洞窟から銀貨の箱と火打箱を取り出し、黒犬とアッダを従え、ハンスは再び歩き出した。次の洞窟には、さらなる獣と試練が待ち構えている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます