天空彼方の失楽園

@shiromizakana0117

第1話

第一章

 それは、とてもロマンチックとは言えない出会い方だった。


「エンジンはよし、と」


 エデン王国東部辺境、十八番島。『浮化』のせいで高度が上がり空気が薄くなったこの小さな浮遊島に、人はほとんど残っていない。村の住居の多くは廃墟と化していた。

 さて、島の北端には、領主の貴族の館がある。島の領主にふさわしい豪華な木造の館だが、そこにもやはり住人はいない。館の主はすでに下の空に避難していた。そんな廃墟の館に、寄生虫のように住み着く青年が一人。ロロ・アルノルト。二十歳。職業、賞金稼ぎ。


「こんな良い宿なかなかねえよな」


 賞金稼ぎとして生計を立てるロロは、現在この辺境の浮遊島で相棒の複座戦闘機『雷光』のメンテナンス中である。


「さみぃ」


 懐中時計を見れば、もう二十二時。高度が高い浮遊島の夜は厳しい。冷たい風が頬をなでた。目の前を薄い雲が通過していく。村から離れた館は、閑散としていた。


「そろそろ寝るか」


 館には、あまたに部屋がある。昨日は、館の当主の部屋で寝た。さて、今日は。


「……ん?」


 工具を片付けていたロロは、ふと、目線を上にやった。

 辺境には珍しい、航空機の駆動音。プロペラの回転が空気を揺らしている。


「妙だな。定期便は昼のはず」


 航空機を持たない市民の足となる定期便は政府によって運航されている。しかし、見晴らしが悪い夜中に飛ぶことはないはずだ。月光に浮かび上がったその機影は輸送機にしては小さすぎた。音は館に近づいてくる。すでにかなり高度を下げていた。そしておそらく、


「おいおい……」


 館の付近に着陸しようとしていた。

 館と村を結ぶ道は、長く一直線に伸びていて、滑走路として申し分ない。


「まさか、館の人間……?」


 で、あるならば、まずい。浮化の影響で財産を捨てることになったとしても、それを他人が占拠するのは違法なのだ。まして、貴族の家となれば。


「……ん?」


 しかし、件の機体は、様子がおかしかった。機体と館はもう目の鼻の先。すでに、車輪を出すべき高度なのに、なぜか、その機体は車輪も出さず、おまけに減速をしていない。

 一直線に、館に。


「うそ、だろ」


 そして、そのまま、館に突っ込んだ。

 轟音。せつな、爆発。


「ぐはっ!」


 爆風で吹き飛ばされる。ロロは身体ごとふきとばされ、近くにあった木に激突した。背中を激しく強打する。


「かはっ……」


 幸い、火には巻き込まれていない。相棒の機体『雷光』も少し移動したくらいで無事だ。しかし、


「あああああああ! お、おれのマイホームが!」


 炎上する木造の館。決してロロのマイホームではないことを断っておくが、館の右半分が円を描くように、消失していた。事態はそれで、終わらない。


「きゃーっ!」


 突如、夜空から女の悲鳴が聞こえ、


「……っ!」


 巨大な物体、いや、人が、空から降ってきた。人影は、庭にあった木に突っ込んだ。

 ズドーン。木の葉が猛火を背景に舞う。


「おいおい……。ど、どうなってんだよ」


 人影が突っ込んだ木には、搭乗員の脱出用の落下傘がかかっていた。しかし、上手く着地できなかったようだ。落下速度は、明らかに落下傘で着地する速さではなかった。墜落を予測した搭乗員が落下傘で緊急脱出、しかし爆発による風で落下傘が上手く広がらず、そのまま落下した。そんなところだろうか。

 ロロはよろけながら立ち上がり、人影が墜落した木に向かった。


「うわ、ひでぇ」


 木の根元に転がっていたのは、二十にも満たないと見える娘。全身血だらけで、手のひらには、木の枝が深々と突き刺さっている。

 おかしなことにその娘は飛行服と飛行帽をつけておらず、ブラウスとスカートに身を包んでいた。とても飛行機乗りとは思えない格好である。


「白髪?」


 もう一つ気になることがあった。

 なにかの病気だろうか、その娘は年相応でない長い白髪をしている。それは、老人のそれではなく、純白でむしろ美しいほどである。目鼻も貴族の令嬢と思えるほど、くっきりしていて、そこらで見かけない美貌だ。


「死んでる、よな?」


 そっと、近づいて様子を見てみる。女はぐったりとしていて、目も開けない。かなりの上空からそのまま落下してきたのだ。命を失っていてもおかしくない。


「……ん?」


 ロロは、思わず目を疑った。


「お。おい」


 よく見れば、胸がかすかに上下している。


「生きてんじゃねーかっ!」


 ロロが慌てて救護に入ろうとしたそのとき────。


「……っ!」


娘が突如、目をかっと見開いた。

 そして、娘はなんと、自力でむくっと身体を起こしたのだ。


「ぎゃーっ! 生き返った!」


 悲鳴をあげるロロ。


「ぎゃーっ! 手に枝が刺さってる!」


 悲鳴をあげる娘。


「え……?」


 首をかしげるロロ。


「え……?」


 娘もまた首を傾げた。

 そして、しばし見つめ合うこと十秒。


「ね、ね、きみのお家、燃えちゃってるよ? すっごく立派なお家みたいだけど」


 はじめに口を開けた娘が、炎上中の館を指さした。ロロが今日泊まろうとしていた奥方の部屋が、跡形もなく、消し飛んでいる。


「おまえがぶっ壊したんだろうが!」

「え、わたし? そんなことするわけないじゃん」


 娘はハテナと首を傾げる。


「いやいやいや、まさに今、おめーがつっこんできたんじゃねーか! てか、どこのどいつだよ。この屋敷の奴でも、おれは弁償しねーぜ!」

「え、わたし? えーっと、あれ?」

「ん?」

「あ、でも、そのまえに、枝、抜かないと。むーん、よいしょ!」


 そういって、娘が強引に手の平から枝を抜くと、ぶしゃーと血が噴き出した。


「あわわわわっ! 血だ!」

「そりゃそうなるだろ!」

「わーん、いたーいっ!」

「痛いってレベルじゃねーぞ!」


 ロロは、慌ててナイフで自分の服の布を切り取り、娘の手にきつくまきつけた。


「いてててて」

「血管からは外れている。細い枝で良かった」


 枝は手のひらを貫通したわけではない。とはいえ、常人なら気絶してもおかしくない大けがだ。しかし、娘はタフなのか、痛い痛いとわめくだけ。


「わぁ、ありがと!」

「ふぅ……」


 ひとまずの応急処置。


「ね、ね、ところでさ」

「ん?」

「さっきのはなしだけどさ。きみ、わたし、だれだか、知ってる?」

「……は?」

「うーんとね、名前は思い出せるんだけど、エレナっていうんだけどね、えーっと、ね、ね、きみ、知らない?」


 これが、謎の白髪の娘、エレナとの出会いだった。


「どうしておれが知ってんだよ」

「あれー? そなの? うーん、じゃ、わかんないや」


 どうやら、エレナと名乗るこの娘は、墜落事故のせいで記憶をなくしたようだった。




 ロロは、ひとまず、エレナを島の中央の村までかついで運び、廃墟に忍び込んでベッドに寝かせた。まもなく廃島になるこの島にはもう電気は通っていない。ロロは、持ってきたランプをつけて部屋を照らした。

「ふぅ」

 ベッドに寝かされたエレナは、ひとりでにすぅすぅと眠り始めた。

娘の寝息を聞きながら、ロロは懸命に手の止血と消毒の応急処置を施す。

「これで化膿しなければ、大丈夫だろ。まったくやっかいな拾いものだぜ」

 とりあえず、命の別状はないと判断したロロは、いったん館の方まで戻り、エレナが墜落した木の周りを調べることにした。

「なにか、身元が分かるものがあればと思ったんだが……なんもねーな」

 彼女が乗っていた機体の中には、なにか手がかりがあったのかもしれない。しかし、すでに、墜落で木っ端みじん。

「……ん?」

 近くにあった茂みのなかで、なにかが燃え盛る館の炎の光に反射した。

「なんだ?」

 近づくとそれは、金属製の頑丈なアタッシュケースだった。

「あいつのものか?」

 エレナのものだろうか。ロロは、ひとまず、村にケースを持ち帰ることにした。

 エレナの元に戻ったロロは、その夜、つきっきりで娘の看病にあたった。娘はひどい熱を出して、うなされていたが、朝になれば、

「……すげーな、おまえの回復力」

「だよねー。わたしもびっくりしちゃった」

「あんだけ血だらけだったのによ」

「でも、痛いのは痛いんだよ?」

 出血は止まっていて、傷も薄くふさがっている。熱もかなり落ち着いたみたいだ。

 まだぎこちないが、問題なく手も動かせるみたいだし、大事にはならなかった。

「おい、エレナっていったな」

「うん、エレナだよ」

「なにか、思い出したか?」

「え?」

「記憶がないって」

「あ、うん」

 エレナは、しばし目をつむった。

「うーん、なんにも思い出せないや」

 記憶の回復を期待したが、未だに記憶喪失のままだった。

「これ、おまえのか? 木の近くで見つけた」

 ロロは昨日拾ったアタッシュケースをエレナの前に置いた。エレナはしばし、それを凝視したが、

「むー、わかんない」

「そうか。……ん?」

 ケースの鍵が空いている。施錠されていない。気になったロロは開けてみることにした。中から出てきたのは、

「んだ? これ」

 紙の梱包材に包まれた三つの小さな茶色の瓶。中には、なにやらとろみのある液体が入っている。

「むー、なんだろうね。きみ、分かる?」

「だから、なんでおれが知ってんだよ」

 なにか身元が分かるものであればよかったが、これではなにも分からない。

「はぁ。お手上げか。ま、分からんならもらっておくか」

 ロロは、懐の袋に瓶をしまった。落ちているものはなんでも拾う、スラム育ちで染みついた悪い手癖である。ロロは代わりに財布を取り出して銀貨五枚、しめて五百ジェリーをエレナに差し出した。

「よし、これやるから、もうあとは自分でなんとかしろよ。おれはもう行く」

「え? お金?」

「ほら、もうある程度血も止ったし、あとはなんとかなるだろ?」

「えーきみ、身寄りもない幼気な女の子を置いていくの?」

「幼気なって年でもねーだろ。ほら、金は多少やるから。これで、自分でなんとかしてくれ。この島でもまだ、一週間に一度は、定期便が来ている」

木の枝に突っ込んだおかげで、なんとか死は免れたが、最後に頭を地面に打ち付けてしまったようだ。それで、記憶を失ってしまった。彼女は自分の名前しか思い出せないという。たしかに、放っておくのは忍びないが、これ以上、見ず知らずの娘につきあう義理もない。

「定期便?」

 エレナははてなと首を傾げた。

「ああ、島の西端の飛行場に二番島から定期便が来ている」

 この島は浮化による影響で、空気が薄くなり、まもなく居住が不可能になる。だから、その定期便もあと二ヶ月で廃止されるという。自分の航空機を持たない住民はそれに乗ってこの島を出なければ、この島に完全に取り残されることになるだろう。待つのは、死である。

「うんじゃ、達者で」

 ひらひらとロロは手をふって、民家をあとにした。仕事が続いたため、休息もかねてこの島で雷光のメンテナンスをしていたわけが、ずっとここにとどまっているわけにはいかない。

「そろそろ仕事、しないとな」

 ロロは、自分の育ちの家である四番島の孤児院に定期的に支援を続けていた。今も子供たちが腹をすかしているだろう。子供たちに食料を届けるためには、先立つ金が必要だ。

 *

 エデン王国、いや、人類は消滅の危機にある。人類は、あと二十年で、滅ぶ。

 記録によれば、かつてすべての陸地は、海の上にあったらしい。三千年前、突如、陸地が浮き上がる現象『浮化』が始まった。巨大な『大陸』と呼ばれた島も、ケーキをフォークで切り分けて食べるように、端から徐々に割れて浮かび上がったという。そして、二千年前、すべての陸地が空中に浮かび上がった。この世には確かに重力が存在しているはずなのに、一番重力に逆らってはいけないはずの、陸地がそれに逆らった。この『浮化』という現象は、幾人もの科学者が解明しようとしたが、その真相は謎に包まれたままだ。伝承によれば、はじめに空に打ちあがった島、『はじまりの島』にその真相が隠されているというが、その『はじまりの島』が今、どこを飛んでいるのかはだれも知らない。

 空中に打ち上がった浮遊島は、上昇を続け、年々徐々に高度を上げる。高度が上がれば、当然、空気が薄くなり、人が住める環境ではなくなる。エデン王国、いや、全世界が瀕している危機はまさにそれだった。現在、人が安心して住める浮遊島はもう二百を切っていた。エデンの最高学府であるセントラル大学の学者によれば、あと二十年ですべての浮遊島が人間の居住区域ではなくなるという。

 地球に残った、約三十カ国はそれぞれ、なんとか人類が生き延びる策を模索してきた。エデンの隣国のフランシー王国は、浮遊島を爆破し、海上に陸地を作ろうとした。爆破は成功し、島は粉々に崩れていったものの、海はあまりに深く、浮遊島はそのまま奈落の底に沈んでいった。エデン王国と交友の深いビザン公国では、一つの浮遊島に大量の重しを運び込み、『浮化』に抗おうとした。しかし、『浮化』の速度は変化することはなかった。

 人類は、いまだに『浮化』に対抗する術を見つけられていない。エデン王国も浮化対策税として、多額の徴税を行っているが、現在成果は報告されていない。住める島が少なくなれば、当然、肥やされる畑は減り、食糧供給も減少する。浮化対策のための増税に加え、耕作可能な島が減ったことで食糧も高騰化。市民は、困窮に苦しんでいる。

 エレナを放置して廃墟を出たロロは、村で唯一残っている酒屋で昼飯を済ませ、先日まで寄生していた館に戻ってきた。館は、もうすっかり丸焦げになっていて、重厚な建物は跡形もなかった。ロロは相棒の複座戦闘機『雷光』を館の庭の茂みに隠していた。居住出来る浮遊島が減っている中、航空機は移動手段として重宝されている。善人でも盗みたくなるほどの、喉から手が出るほどの代物だ。ロロはこの機体を、賞金稼ぎとして生きる術を教えてくれた師匠から譲り受けた。ロロは、黒塗りの機体を『雷光』と名付け、機首に稲妻のマークを描いていた。

 *

「よし、行くか」

 昨日の爆風を浴びても、機体はなんとか無事のようだ。

 エンジンを稼働して、プロペラを回し、離陸の準備を進める。目的地は、四番島。

「まずは手配書を見に行かねーとな」

 ロロは、しがない賞金稼ぎ稼業で生計を立てている。賞金稼ぎとは、エデン政府が指名手配した犯罪者を、憲兵に代って、捕縛する仕事だ。泥棒をはたらくコソ泥から王国全土をまたにかける連続殺人犯、はたまた政府転覆を掲げる革命家など、その罪状はまちまちで、当然報酬も違う。

「よし、出発進行!」

「進行!」

 ロロが機体を発進させようとしたそのときだった。後部座席から人の声がした。

「……」

 振り返るロロ。

「あれ、出発しないの?」

「……な、なんでおまえがいんだよ!」

 そこにいたのは、病床に伏していたはずのエレナだった。

「えー、君、ほんとに身寄りも記憶もない女の子を放置していく気だったの?」

「どうやって乗り込んだ、おまえ」

「うわー、ひどい、答えないってことはそゆことだ!」

「下りろ」

「やだー」

「下りてください」

「やだやだ」

「……はあ」

 これ以上いがみあっても時間の無駄。そう判断したロロは、そのまま機体を発進させた。

「四番島までは連れて行ってやる。それから自分でなんとかしてくれ」

「四番島? どこかわかんないけど、出発しんこーっ!」

 二人を乗せた雷光は軽やかに離陸し、十八番島を飛び立った。

 雲は少なく視界は良好、風量も小さく、飛びやすい空だった。雷光は、澄み渡る蒼穹を滑るように飛んでいく。

「そだ、きみ、名前は?」

「……ロロ」

「ロロ?」

「ロロ・アルノルトだ」

「じゃあ、ロロくんだね!」

操縦席と後部座席をつなげる伝声管。そこから聞こえてくる声は、くぐもって聞こえる。

「おまえ、その髪、どうしたんだ?」

「え、髪?」

「ほら、その真っ白な髪だよ」

「え? あれ、そういえばロロくんは黒色だね。さっきの村の人たちもみんな黒だったし」

「……? そりゃそうだろ」

 おかしなことをいう娘である。

「ね、ね、そんなことよりさ、ロロ君ってなにしている人なの?」

「賞金稼ぎ」

「賞金稼ぎ?」

「悪い奴をとっつかまえる仕事だ」

 無論、金はもらう。

「へー、すっごーいっ! 正義のヒーローだね!」

「ま、まあな」

 もう一度言っておこう。金は、もらっている。というか金のためである。それでも、正義のヒーローとよばれれば、

「そうだな、おれぁ、正義の味方さ」

 調子に乗ってしまうのが、ロロだった。

 

飛行をはじめて二時間。

「……ん?」

 突如、機体のエンジンから妙な音がした。

「くそ、故障か?」

「あれー、ロロ君、ガラスに黒いのがついてるよ?」

「黒いの? うそだろっ!」

 燃料漏れだ。風防に黒い燃料が付着していた。先日の館の爆発による不具合だろうか。点検に見落としがあったのかもしれない。

「くそっ。浮遊島を探してくれ!」

 ロロはあわてて周りを見渡し、着陸出来そうな浮遊島を探した。ロロが現在飛んでいる高度は、高度五千メルト。人が住める限界の高度だ。

「あ、ロロ君、すっごく小さいけど、島が見えるよ」

「どこだ」

「えーっとね、二時の方向」

「あれか!」

 ロロは旋回を始め、速度を落とし始めた。

「大丈夫だ。火は出ていない」

 このまま着陸して修理をすれば、問題ない。

「さっきわたしたちがいた島もそうだったけど、この島も全然人がいなさそうだね」

 空から見た、その島は、家がまばらにある小さな島だった。

「限界高度に近いからな」

「限界高度?」

「おまえ、そんなことも忘れたのか? ほら、空気が薄くなったら、人が住めなくなるだろ」

「ふーん」

 浮遊島は年々わずかながらも一定方向にその高度をあげていく。高度があがるということは、当然空気が薄くなり、人の住む環境ではなくなる。臨界高度に近づくと、住民は下に下にと住む島を変える。高度五千メルト。それが人が住める限界の高度だ。

「あ、かわいいお家」

島に近づくと、島の様子が徐々に見えてきた。空図によれば、ここは三十二番島というらしい。エデン王国の島々は、人が住める規模の島であれば、首都のある一番島から順に、一番島に近い順に番号が割り振ってある。番号が若いほど、栄えている島が多い。エレナが見つけた三十二番島はすでに、『廃島』との表記があったが、どうやら、この島にもまだわずかに人が残っているらしい。

木造の家の近くには、小さな畑があり、作物が実っている。人が生活している証拠だ。家々から離れたところに滑走路らしき、長くて幅の広い道があった。


 着陸した滑走路はもう長い間使われていなかったようで、草がぼうぼうに伸びきっていた。おかげで、機体が激しくゆれて、思わず、脇にあった柵に激突しそうになった。

 滑走路のさきには、小さな村が見える。家々は木で作られていて、どれも背の低いログハウスだった。上空から見た畑はあの村にあるのだろうが、村からはあまり人気は感じない。荒れ果てた滑走路からもなんとなく寂しい空気が漂っていた。

 風防を開け、機体の外に出る。

「ふぅ……はぁ……ふぅ」

 エレナが息吸い込んでいた。

「これが、限界高度? そんなに薄いかな?」

「まあ、生活できるギリギリの高度だから、呼吸できないわけじゃあない」

「ふーん」

 エレナは首を傾げている。

 ロロにとってはかなり、薄い空気だった。下層ではなく、中層の浮遊島で生まれ育ったロロでさえ、長時間滞在すれば頭痛が生じる高度だ。それなのに、エレナは本当にケロッとしている。

「あれ、ロロくん、あそこ」

 エレナが指さす先に、村からこちらに向かってくる老夫婦の姿が見えた。

「おーい!」

 老夫婦に手を振るエレナ。老夫婦は、エレナをみて、ゆっくりと手を振り替えした。どうやら老夫婦は、二人の来訪を歓迎しているようだ。

「ロロ君、行ってみようよ!」

「え、飛行機の修理が」

「そんなのあとでいいじゃん!」

「……ったく」

「ほら、いくよ」

 記憶を失っているというのに、なんとも能天気なものだ。わざわざ見知らぬ娘のわがままにつきあう義理もなかったが、老夫婦がニコニコと手を振っている手前、ロロはしぶしぶエレナについていった。


 老夫婦は村の端のログハウスに住んでいた。

「ようこそ、おいでなすった」

「この島にお客様が来るなんてもう何十年ぶりかしら」

 老夫婦の家名はロビンソンというらしい。老夫は腰が大きく曲がり、目には分厚い眼鏡をしている。婦人は白髪こそ目立つが気品の感じられるたたずまいだった。

「わぁ、綺麗な髪ね」

 婦人は、エレナの髪色を不思議がっていた。

「人影がなかったが、あんたたちの他に住民はいるのか?」

 ロロは婦人に注いでもらったお茶をたしなみながら、老夫婦に尋ねた。お茶の葉っぱは、空から見えた、村の近くの畑で作っているものだという。長い間機体に揺られ、疲労がたまった二人には、極上の癒しである。

老夫がゆっくりとした動きで紅茶を口に運ぶ。

「いえ。この島にはもうわしらしかおりません。若いもんはみな下の島に降りていきました」

 よくある話だ。薄い空気は、まだ肺の弱い子供はもちろん、大人にとっても毒となる。

「どうしてあんたたちも一緒に行かなかったんだ?」

「わしらはどちらにせよ、もう長くはない。それならば、生まれ育ったこの島で骨を産めようと。もうじきの話です。最近はこの空気の薄さにも耐えられなくなってきました」

 たしかに、老夫婦たちの呼吸は常に深く、空気が鼻に通る音が、はっきりと聞こえるほどだった。

「久しぶりのお客様だわ。存分に歓迎しないと。今日は、お泊まりになっていってください」

「あ、いや……おれは」

「いいじゃん! ロロ君。せっかくだし」

 ロビンソン夫妻もにっこりとロロに微笑みかける。どうも断りにくい空気だ。

「わ、分かった」


 結局、ロロは老夫婦の言葉に甘えて今日はこの浮遊島で一夜を明かすことにした。当然、島の発電機は止まっていて、電気は通っていない。日が落ちると、ロビンソン婦人は、ランプをつけた。住人が残した液体燃料だけは、まだたくさん残っているらしい。

 ロロとエレナは老夫婦に猛烈な歓迎を受けた。ロロは村に残っていた年代物のワインを老夫婦とあけ、エレナは婦人の絶品料理を心ゆくまで堪能させてもらった。

昔は、この島も近くの島との交易が盛んで、特産品である茶葉を輸出していたらしい。しかし、現在は島に飛行機もないので、外にも出られない状態だという。婦人の料理は食材こそ豪勢なものとは言えなかったが、素材そのものを美味なソースで味付けしたものだった。そのまま二人は客室に案内され、今日はそのまま泊まっていくよう言われた。客室はながく使われていなかったようで、ランプを灯すと舞うほこりが浮かび上がる。

「ごめんなさいね、一部屋しかなくて。あら、やだ。窓を開けましょう」

 婦人が窓を開けてくれると、新鮮な空気が部屋に入り込んできた。

「それでは、ごゆっくり」

「ありがとうございます!」

 エレナがお礼すると、婦人は部屋からいなくなった。

「わーい、ベッドだ」

 ふかふかのベッドにエレナは勢いよくダイブした。また埃が舞う。ロロは手で埃を払いながら、隣のベッドに腰を下ろした。

「ロビンソンさんたち、いい人だね!」

「ああ」

 はじめは渋っていたロロも結局ロビンソン夫妻のワインをちゃっかり堪能していた。

「てか、なんでおれ……」

 今頃、メンテナンスを終えて四番島で仕事を受けているはずだったのだ。事の発端は目の前にいるこの謎の娘である。

「まあ、いいか」

 ロロは少々酒に酔って、気分が良かった。たまにはこんなめぐりあわせがあってもいい。ロビンソン夫婦のおもてなしは極上だったし、もう一日くらい休みを延長しても、問題はない。

「ロロ君、わたしのベッドにもぐりこんできちゃ、ダメだよ」

「しねーよ」

 人気のない静かな夜だ。

「おれはもう寝る」

得体のしれない娘だ。記憶をなくしたと言っているが、嘘をついている可能性もある。寝首をかかれ、手持ちの金を奪われるかもしれない。裏社会を生きる人間としては、そう警戒するべきなのだろう。しかし、なぜかこの娘は警戒に足らず、どこか心を許してしまう。不思議な気分だった。

 土地のほとんどが緑に覆われた島。かすかな虫の音が心地よい睡眠をかきたててくれる。ロロはそのままゆっくりとまぶたを閉じた。


 *

「──くん」

「……?」

「ね、ねロロ君」

「……んぁ?」

 それは、真夜中のことだった。ロロはエレナにゆすり起こされた。

「んだよ? まだ深夜だろ」

 気持ちよく眠っていたというのに。

 窓から外をのぞけば、月が西に傾き始めているのが見えた。

「ロロくん、変な音がするよ」

 エレナは静かな声でそういった。

「変な音?」

 耳を澄ませてみる。

「……たしかに」

この島にはロロとエレナ、そして老夫婦しかいない。夜には風と虫の音しか聞こえないはずだ。それなのに、外から何やら、カタカタと人工的な音が──。

「ロビンソンさんたちかな?」

「こんな夜中に外には出ねーよ」

 とは言ったものの、一応確認してみることにした。客室を出て、老夫婦の寝る部屋にこっそり近づく。

「ロロくん、しーだよ、しー」

「……おまえがな」

「え? お邪魔しまーす!」

「おい……」

 静かにしろと行った本人が騒がしい。エレナがドアを開けると、

「あれ? いないね」

「……妙だな」

二人の姿はなかった。ベッドのシーツが乱れているのでさきほどまではここにいたのだろう。こんな深夜に老夫婦は一体どこにいったのか。ふと、外からまたカタカタと音が聞こえた。

 ロロとエレナは窓から顔をつきだし、外を見た。

「ねえ、ロロくん、あれって」

「ああ」

 滑走路のほうに、なぜか小さな明かりが灯っていた。

 エレナとロロはログハウスを出て、滑走路へと向かった。通りの脇にある木々に身を隠しながら、明かりの元へと急ぐ。木の陰から顔を出し、滑走路の様子をうかがうと────。

「えっ……」

「しっ。声を出すな」

 さきほどから音を立てていたのは、発電機でもなければ、車でもない。ロロの相棒、複座戦闘機『雷光』だった。

「ほら、ばあさん、手を」

「本当にいいのかしら? あの子たちをこの島に閉じ込めることになってしまう。不憫だわ」

「残念だが、仕方あるまい。わしは一度でいいから、もう一度娘に会いたいんじゃ。ばあさんもじゃろ?」

「ええ。それはそうだけど」

 この浮遊島にはもう飛べる飛行機はないらしい。夫婦がここで骨を埋めるといった手前、この島を出た移民たちは、老夫婦に飛行機を残さなかったのだ。老夫婦には島を出る手段が残されなかった。

 ロロは突如、木の陰から飛び出し、携帯していた銃を老夫に向けた。

「悪いが、そいつはいま、故障中なんでね、そのまま乗ったら墜落するぜ?」

「はっ……!」

 老父が目を見開いてこちらに気づいた。当然、老夫の視界に、ロロの拳銃が入る。

「ロ、ロロくんっ!」

 エレナは慌てて木陰から飛び出し、ロロを止めようとした。ロロの腕に飛びつき、ひっかき、ポコポコとこぶしでなぐり。でも、ロロは決して銃を下ろさなかった。

「さあ、降りてくれ、降りてくれないとおれはあんたたちを撃たないといけない」

「ロロくんっ! やめなよ!」

 エレナは必死にロロの身体を揺さぶった。しかし、ロロは銃を決して下ろさない。今、老夫婦に雷光を奪われるとどうなるか。それは、時限つきのこの孤島に二人が取り残されることを意味する。

「もう観念しましょう。おじいさん」

「あ、ああ」

 老夫婦は雷光から降りるとめそめそと泣き出した。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

「すまなかった。どうしても娘の顔が見たかったんじゃ」

 老夫婦は泣いてロロとエレナに謝った。

「わたしたちなんてどうせあと数年の命なのに」

「あんたら先が長い者に対してなんてことを……」

 老夫婦は無念の涙を流した。そして、なぜかエレナも大声で泣き出した。

「うえええん、うえええん」

「……どうしておまえが 泣く」

「だって、だって……」

 はあ、とロロはため息をついた。

「おい、あんたら、荷物をまとめろ」

「へっ?」

 老夫婦がロロの言葉にとたんに顔をあげた。

「そ、それって。ロロくん、まさかロビンソンさんたちの命を……。なにもそこまでしなくていいじゃん! 見損なったよ! ロロくんの悪魔! 人でなし!」

「馬鹿、ちげーよ」

 ロロは頭をかきながら。老夫婦に語りかけた。

「あんたらの娘さんはどこにいるんだ?」

「え……?」

「送ってやるよ。二番島までだけどな。二番島からだったら、いくらでも、定期便が出ているだろう。あいにく複座なもんで、乗せられるのは、一人ずつだが」

 エデン王国の島々には番号が振られている。その中でも特に十番以内の数字の島は、主要な島であることを示す。

「ほ、本当ですか?」

 婦人は、口をあんぐりと開けて驚いてみせた。

「ああ」

「え、ええええ? ほんと? ロロ君」

 エレナは自分のことにはしゃいだ。

「良かった! 良かったね! ロビンソンさん!」

「おまえは人のことを散々人でなしやら悪魔やらさげすんだな」

「え、えええと」

「おぼえとけよ」

「ふぇええええええ」

 ロロは、善は急げとただちに老夫婦に必要な荷物をまとめさせ、島に別れを告げさせた。老夫婦が、島を離れる準備をしている間に、ロロも飛行機の修理を進める。老夫婦の身支度が終わり、雷光が回復するころには、島はすっかり明るくなっていた。

「さあ、先にどっちから行く?」

 雷光は複座戦闘機だ。パイロットともう一人しか乗れない。輸送は二回にわけて行われた。

「おれが運ぶのはこの島までだ。ここからは自分たちでなんとかしてくれ」

 ロロは、夫婦の島と二番島を往復し、夫婦を二番島に送り届けた。近辺の浮遊島のハブになっている二番島。ここからなら、彼らの親類に会いに行くというのはたやすいことだ。

「ありがとうございます。ほんとうにありがとうございます」

「ありがとう。本当にありがとう」

 現金な男、ロロはしっかりと老夫婦に輸送にかかった燃料費を請求した。

「さて、うるさいのを迎えに行くか」

 *


 エレナは三十二番島で一人、ロロの帰りを待っていた。ロロとしては、べつに迎えにいく義務はないが、自分のせいで他人が命を落とすのは、後味が悪い。

「大体、どうしておれはこんな面倒ごとに巻き込まれたんだか」

 老夫婦の誘いを受けたのが間違ったのだろう。その元をたどれば、あの娘である。

「もうひどいよ! ロロ君」

「ほら、感謝してくれ。わざわざ迎えにきてやったんだから」

 飛行機から降り立ったロロを、エレナは涙目でにらみつけた。

「ほんとに置いて行かれたと思ったよ!」

 ロロがエレナに課した落とし前とは、一人で老夫婦の小島に待機させることだった。実質的にエレナは丸一日小島に一人で閉じこめられていたことになる。

 ロロは、少々雷光にメンテナンスを加えたのち、また機体に乗り込んだ。

「……ん? 早く乗ってくれ」

 エレナはロロにうながされるも、老夫婦が住んでいた小屋の方をじっと見ていた。

 これで、この島は、完全に廃島になる。

 エレナはうん、と一人で頷いて雷光に乗り込んだ。

「ロロくんって現金だね。ちゃっかりお金までもらうなんて」

「そりゃあ、当たり前だ」

「でも、ロロくんっていいやっぱりいい人だね!」

「……」

 ロロは鼻をこすりながら、雷光を発進させた。

 雷光は、みるみる老夫婦の島から離れ、水平飛行に移った。

「わぁ、ロロくん、見て! おっきな入道雲」

 遠くに巨大な入道雲が見えた。日の光に当たって雲は、さらにより立体的に映る。

「おいしそうだなぁ」

「……どんな感想だよ」

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天空彼方の失楽園 @shiromizakana0117

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