失恋カモフラージュ
姉森 寧
失恋カモフラージュ
「愛」ってね、限界があるんだよ。
信じない?
*****
私はその辺にいるその辺の人。
ただの人。
その辺の短大出てその辺の会社入ってその他大勢と同じような格好してる、
そんなただの人。
ただの人がその辺の会社へ入った結果、そこで生まれてから数えて三人目の彼氏ができた。
三人目だから慣れてたはずだった。
でも、百人とか千人とか斬り倒してる猛者には敵わなかったみたい。
簡単に言うと、私はいいように扱われた。
もしかしたら、それは私がその辺にいるただの人だからなのかもしれない。
*****
私の三人目の彼氏であるところの
私の三個上で、
見た目は「ちょっとだけかっこいい」で、
中身は「ちょっとだけしっかりしてる」に見えた。
だから、告白されたら付き合うじゃない?
それはそうなるじゃない?
いざ付き合ってみると、雄馬はほとんどしっかりしてなかった事が発覚した。
でも、
「
とか言われたら、
(今日!? ハンバーグの全調理行程を知らんのか!? 付け合わせもいるんだろ!?)
と思いつつも、
「おいしく作るねー」
とか返してしまっていたし、
「萌菜美、明日、大学時代の友達と会うから、映画キャンセルな」
とか言われたら、
(「絶対見たい」っつったのはお前だろ!? 前売り買ってまで備えたいんじゃなかったのかよ!? 余ったチケットをどうしろと!?)
と思いつつも、
「楽しんできてねー」
とか返してしまっていた。
最初はそんな感じで「微笑ましい」の範疇ではあったけど、
これは範疇なんだけど、
決して私が甘いからとかじゃないんだけど、
まあ範疇だったのに、
しばらくすると、その範疇を軽々と超えてきやがった。
「生理だから」
私が端的にコンセントを拒否すると、
「妊娠しないからいいじゃん」
雄馬はそれでもコンセントを求めてくるし、
「いや、ほんと、ダメなんだよ。生理はダメ。これは常識なんだって。ググってみたら分かるから」
コンセント拒否の姿勢を貫いても、
「そんな時間ない。今ヤりたいの。バスタオル敷いたらいけるいける」
コンセント拒否を拒否する始末。
そして、血みどろのバスタオルやらシーツやらを洗濯するのは私の役目。
感染症やら色々の諸々の心配をしなければいけないのは私だけ。
まあ、コンセントだけじゃないけど、こういう事がどんどん増えてきて、それは日常茶飯事になっていった。
*****
今日も今日とて、雄馬は元気だ。
夕食を作ってみれば、
「何でお店のみたいにできないの?」
とか元気に文句を言われた。
雄馬のリクエストにより、私は自分は大して好きでもない唐揚げを揚げまくった。
大して好きでもない物をお店で買ってまで食べる訳がないよね?
だから、「お店のみたいに」が何なのか知らないし、
どうすれば「お店のみたいに」になるのかも分からないよね?
普通はそうだよね?
(じゃあ、店で買えや)
心の中で呟いてみても、
現状は「お店のみたい」ではない方の唐揚げしかお皿に乗ってない。
「ごめんね。雄馬はどうしたらおいしくなると思う?」
そこで、私は建設的に話を進める事にしたのに、
「いや、お店のやつみたいに、こう、何かおいしくして欲しいってだけ」
雄馬の方はこれだ。
その日の夜、
コンセントを拒否し切れずぐったりの私とは対照的に、
コンセント拒否を拒否してすっきり元気な雄馬が元気に帰っていった後、
(これはダメだ。あんなんと一緒にいたら死ぬ。精神が死ぬ。とりあえずもうピル飲みたくない)
私はようやく気づいたのだった。
時すでにお寿司、いや、遅し。
*****
お寿司だがピルを飲みたくない私は企んだ。
(つまり、私じゃない人とヤってもらえば解決するんだ)
それはめちゃくちゃ安直な発想だ。
だが、それほどまでに追い詰められているとも言えよう。
実際そうだと思うよ?
何事も拒否れなかった私が悪いってのは分かってるけど、
過去二人の男どもは拒否ったら大抵は拒否らせてくれたからね。
拒否れない事もあったけど、拒否る事自体は普通に認められてた。
いや、それが普通じゃね? 基本的人権ってそういう意味じゃね?
という訳で、企んだ私はタブレットを起動し、企画書を書き始めた。
「企んで」・「画策して」・「書いた物」の略だ。
気がついた時には、目の前のメモ帳には文字が溢れて、溢れ返っていた。
(おー、文章にしてみたら分かりやすくなった。頭の中のごちゃごちゃがすっきりした。大草原に一人で寝転んでるみたいだわ。大草原なんて行った事もないし行きたくもないし草の上に寝転ぶとか汚いから都会っ子の私には無理だし、でも、今いる所よりはいい)
あまりの爽快感に訳が分からなくなりつつも、サクサク書いて、溢れ返し散らかした。
うん、日本語がおかしい。
それくらい、この時の私は大草原不可避だったんだね。
*****
・企画1
対象に浮気してもらおう!
私は雄馬の浮気相手を募集したい。公募したい。全世界から募りたい。
しかし、そんな事はできるはずもない。
だから、身近な所で独自に探す事にした。
そのブリリアントでファビュラスでオーサムな人材はすぐに見つかった。
同期だけど、大卒なので二個上の
田中さんはめちゃくちゃかわいい。
私よりも何億万倍もかわいいし、誰よりもかわいい。
田中さんとは特に仲良くもなかったりする。
険悪という訳でもないし、お昼が一緒になったりはするけど。
今日は会社帰りに、近くの居酒屋で「経営管理部女子会」を開催中だ。
田中さんは同期の私の隣に座ってかわいく生中を嗜んでいる。
「はぁ、……セフレ欲しい」
かわいくそう嘆いたりもする。
かわいいって得だなぁ。何やっても全部がかわいいもんなぁ。
そこで、
「私性欲ないから、そういうの逆に羨ましいなぁ」
とか言ってみたところ、
「え、
田中さんはかわいく私のプライベートに土足で踏み込んできた。
ものすごい土足具合。
その瞬間、
(この子だぁ!)
私は確信した。この子は企画その1に相応しい人材だ!
「いや、まあ、……するけど」
土足で踏み荒らされてもなお、私がこの話題を続行すると、
「あー、
田中さんはにっこりしながらバッチリ当ててきた。
まあ、そういう雰囲気を出してるからそうもなるかもしれないけど、当ててきた。
そして、これのどこをどう切り取ったらにっこりできるのか、その辺のただの人の私には理解不能だ。
周りは居酒屋らしくガヤガヤしてる。
だから、私たちの会話にはまだ誰も気づいてないらしい。
気づいてたとしても、気づいてないフリをしてくれてるらしい。
好都合。
「うーん、鈴木さんとはタイミングが合わないっていうか、でも、他の事で満たされてるから別に不満はないんだけど、えっと、でも、まあ、うん」
私はちょっとだけ困った顔を作りつつ、嘘をついた。
これは作戦だ。
決して「はい、襲ってきます」とか「それ以外にも人権侵害されまくりです」などとは言わない。
というか、これまでにも誰にもそんな事は話した事ないけど、これまでとこれからは違う。
だって、これまでは「言ったってムダ」、「話したら会社に居づらくなるかも」というのが主な理由だったけど、
これからは「絶対に私が企画した事を悟られないようにしなきゃ!」だからね。
田中さんはそんな餌に食い付いてくれた。
「私、彼氏とはあんまりしないんだよね。私の場合は向こうがガツガツ来ないから、こっちが行くのも変かなって。だからセフレいないとやってられないのに、最近逃げられたんだよぉ。もう無理ぃ」
一本釣りってこういう事?
「田中さんみたいなかわいい子ならすぐに見つかりそうなもんだけど、大変だね」
私はとりあえず意味の分からない労いの言葉をかけておいてから、
「雄馬もそうなのかな……?」
田中さんに聞こえるか聞こえないかの声で呟いてみた。
聞こえてなかったら意味ない。
でも、田中さんの眉毛が動いたのを見たので、聞こえてたと思う。
そういう事にしておこう。
*****
・企画2
結婚を匂わせてみよう!
私は二十五歳、雄馬は二十八歳。
世間的にはまだまだ若者の部類かもしれないけど、
婚活市場的には適齢期、……のはず。知らんけど。
正直、私は結婚とか考えてない。
雄馬とも誰ともまだ結婚なんてしたくない。
この先結婚したくなるかどうかもまだ分からない。
それをまとめた、
(私は現時点では絶対に誰とも結婚しない!)
という確固たる信念を胸に、
「あのね、雄馬、そろそろ、その、うちの両親に会ったりとか、そういうの、やってみたりとか、えーと、……あ、いいわ」
夕食の後の洗い物中、どこからどう見ても結婚したい人みたいなアクションを起こしてみた。
どうだ?
どうなんだ?
……?
(無視か)
「あ、いいわ」を尊重したテイで無視したんだな?
通常の婚活市場的に適齢期の女子なら怒り狂う場面かもしれないけど、
私には確固たる信念があるし、
それに、これは大成功、私の計画通りだからね。
普通に会社帰りにごはんを食べにきて、ついでに私も食べにきた雄馬は、
その後も帰るまでさっきのには触れなかった。
いやぁ、大成功にも程があるね。
土曜日には掃除と洗濯のために、私の方が雄馬のマンションに出向いた。
出向いたんだけど、
(一週間でこうなるか?)
最初のうちは私が来るとなるとそれなりにそれなりな事をしてほんの少しは片付いていた部屋が、
今ではすっかり腐海と化していた。
そこまでじゃないかな?
そこまでじゃないです。訂正してお詫びいたします。
脱いだ服は洗濯カゴの中にあるからね。
でも、脱いだ形のまま、人間の抜け殻みたいな形態で突っ込んである。
ゴミはゴミ箱の中にあるからね。
でも、いっぱいになったらベランダの「燃えるゴミ用ゴミ箱」に持ってくって約束したけど?
しかも、昨日飲んだと思われる缶ビール、いや、缶発泡酒②の空き缶がテーブルに並んでる。
これはヤツにとってはゴミではないらしいな。
それともアート的なオブジェ的なアレなのかな?
缶発泡酒②の空き缶の数から察するに、雄馬は二日酔いだ。
「二日酔い酷いんだよ……」
ほら、ご本人からもご申告があった。
「じゃあ、お昼ごはんはうどんにする? 冷凍うどん、まだ置いてたよね?」
私がそう言いながら、私が私の労働による対価として受け取った賃金から支払いをして購入した五個パックの冷凍うどんのうちの三個が残っているかを冷凍室を開けて確認していると、
「んー……」
それを阻む魔の手が私に絡みついた。酒臭い。
しかも、冷凍室を早く閉めなければ冷気が逃げてしまう。
「よしよし」
私は左手で冷凍室を閉めながら、右手で雄馬の頭をよしよししてあげた。
大サービスだ。
「お水飲んでる? ちょっと横になろうか」
それから、甘々で優しすぎる声かけだってしてやった。
「萌菜美も一緒に寝るのぉ」
その行動パターンもすっかり把握済みだからね。何年彼女やってると思ってんの?
「じゃあ、洗濯してる間、一緒にゴロゴロしようね」
私は甘々にそう言ってから、二日酔い男の手を引いて寝室へ移動した。
二日酔いだからなのか、私にベタベタした後はすぐに寝てしまった雄馬を横目に、
私はそーっとベッドを出てから、
洗濯物をベランダに干したり、掃除をしたりした。
それが完了すると、近所のスーパーで私の労働による対価として受け取った賃金から支払いをして薄揚げと青ネギを購入し、きつねうどんを作った。
青ネギはうざいのでカットしてあるやつを買った。
残った物は冷凍うどん以外は持って帰る。
味噌汁にでも入れるか。
私は夕方にはすっかり元通りの元気さを取り戻した雄馬の多種多様な要望を聞いた。
そして、受け入れた。
受け入れつつも、
「じゃあ、お願い聞いたらずっと一緒にいてくれる?」
とかかわいいセリフを吐いてみた。
絶対にかわいいはずなんだけど、私からすれば「うぜぇ」だな。
言う方も言われる方も「うぜぇ」な。
実際にこんな事言うやつがいたら顔面パンチかましたい。
実際に言ったけど。
(吐きそう)
私は自分に顔面パンチかましたいかもしれない。
「えー、どうしようかなー? そんなの、萌菜美次第だよー?」
そして、次には顔面パンチ案件が増殖した。もう顔面パンチしまくりたいかもしれない。
夜になっても、速攻帰りたいのに帰してもらえる雰囲気ではないので、その日は泊まった。
(今だけだから)
それが心の支えになった。
*****
・企画3
私の方はラブラブなんだからね!
これは最大の難関で山場だったりする。
これまでは会社では「付き合ってるんですよー」くらいの雰囲気しか纏ってなかったのに、
いきなりハードルがダダ上がりだ。
雄馬も会社では「ちょっとだけしっかりしてる」を貫いてて惚気たりはしないみたいだし、
私はそもそも相手が誰であっても惚気たりしない。
惚気て仕事が進むならいくらだって惚気るけど、そんな訳ないもんね。
私は頑張った。
まず、会社では同僚たちの目を気にしてなるべく一緒にいないように心がけているにも関わらず、
「雄馬、最近のお昼ごはんの内容が心配なんだけど……」
私は昼休みにレンジの前でコンビニ弁当が温まるのを待ち構えている雄馬に声をかけた。
自分から声をかけた。
「え、そう?」
雄馬は話しかけられれば無視する事はないので、そんな感じで返してくる。
「コンビニ、値上げしてるじゃない? 足りなくない?」
私は心配してるフリでちょっと上目遣いとか取り入れてみたのに、
「足りなくないけど、高くなったのはそうかな」
それを視認する事なく、雄馬は生返事でレンジを凝視してる。
ありがたい上目遣い様に何たる非礼!
でも、ここで謝罪を要求する訳にはいかないし、作戦もある。
「今日、晩ごはん食べにくる?」
ちょっとだけレンジの方に回り、雄馬と目を合わせるようにしつつ尋ねてみた。
これはかわいいだろう。
正直、私がやっても大した威力はないけど、仕草的にはかわいいで間違いないだろう。
それがかわいいと感じたのかどうかは分からないまでも、
「え、いいの?」
雄馬は今度は私と目を合わせた。
さて、昼休みなので、当然、給湯室のレンジの前には列ができている。
私たちの普段とは違う様子はしっかり同僚たちに目撃されている。
だから、
「うん。……雄馬と一緒にごはん食べたいから」
私が思ってもいない事を若干寂しそうな声を作って言った時、
何となく「へぇ……」みたいな空気を感じた。
「へぇ……」だ。
そこにいる誰も「へぇ……」とか言ったりしてないのに、これは「へぇ……」みたいな空気に違いない。
そういうやつだ。
その日の夜、まんまと私の家にホイホイされた雄馬は、
私が作った適当なカレーを食べた後、私の事も食べようとしたが、
「だから、生理なんだって。ピル飲んでても一応は来るって言ったよね?」
本当に本当のリアルガチで消退出血中なので、デザートになる事はお断りした。
「じゃあ、口で――」
それでもめげないので、
「今日はもう寝たい。一緒に寝て。ぎゅってしてなでなでして。あっためて」
とか何とか訳の分からないワガママを被せて言ってみた。
どうかな?
「生理中の女って訳分かんねぇんだよなぁ……」
よし、雄馬はそれがそういう事なのだと理解してくれたようだ。
(これまでに私が生理中に訳分かんねぇ事言った事なんてあったか?)
とかツッコみたくなったとしても、私は黙って不貞腐れてるフリをするのみ。
しばらくすると帰ってくれたのでオーライ。
翌日からもしばらく、私は雄馬とちょっと話したり、いつも通りに話さなかったりした。
そうこうしてるうちに、私は同僚たちからちらほら声をかけられるようになった。
「何か、最初は向こうの方が好きって感じだったのに、今では逆だね」
とか、
「加藤さん、最近鈴木さんの事、離したくないって雰囲気出してない?」
とか、
私の作戦通りに事が運んでいる事を実感できるようになってきた。
まあ、ここまであからさまな事を言われるとは正直思ってなかったけど。
さすがに女優みたいに上手くはいかないな。
「えー、何ですかそれー?」
とりあえず、こう言っておくか。
*****
企画進行中、私は変化をひしひしと体感して、内心でほくそ笑み、見た目には何事もないかのように振る舞っていた。
まず、企画1が成功した。
セフレ探しが難航していたのか、はたまた身近にお手軽でお手頃なのがいたからなのか、
あの田中さんがまんまと雄馬に手を出してくれた。
しかも、意気投合したのか、現在進行形で継続中だ。
やったぁ!
さすがに私に悪いと思ってるのか、田中さんはちょっとよそよそしくなった。
(気にしなくていいんだよ!? むしろ思ってたよりいい子じゃん! かわいいは正義!)
それに、明らかに
いい事だらけだ。
企画2についてもいい具合だ。
「いつになったら実家に来てくれるの? お母さんが雄馬に会いたいって言ってるんだけど」
ロールキャベツを煮込み中に、ローテーブルの前に座ってる雄馬に抱きつきながら言ってみた。
もちろん、そんな母などいない。
母は私がこんな人権無視男と付き合ってる事すら知らない。
誰かと付き合ってる事にも気づいてないかも。
そんな母しか存在してないのに、
「お母さんは一人しか産めなかったから、私にはいっぱい子供産んで欲しいんだって。雄馬にはそういう意味でも期待してるって言ってた」
私は勝手な母親像を頭に描きながら、そこから逸脱しない範囲で雄馬を詰めた。
「え、でも、実家って関西じゃなかったっけ?」
当然、雄馬は拒否る。ちょっとした旅行になりそうな私の実家への訪問を拒否る。
「三重県は中部地方ですぅ。四日市市は三重県最大の都市なんですぅ」
私が都会っ子アピをしつつ訂正しても、
「リモートでいい?」
とか言う始末。
ここで、私は泣いてみた。女優じゃないから泣けないと思いきや、意外と泣けた。
(情けない……。私、こんな男と何年付き合ってんの……?)
そういう感情が爆発したので、簡単に泣けた。
私がしっとり泣いているので困った雄馬は、
「いや、でも、中部地方でも日帰りは無理だしさ、……ね?」
何とか私に言う事を聞かせようとした。
「……」
それでも私が無言でしっとりしていると、
「萌菜美は何か心配事があるの?」
現在進行形で継続中の自分の浮気の事が脳裏を過ったのか、多分、普通は過らないと出てこないようなセリフが飛び出した。
本来なら、この場面では「いつかは行くからね」とか「今度、電話でご挨拶してもいい?」とか、
何かそんな感じのあやふやで曖昧なやつであったとしても、「挨拶する」に思考が向かないか?
今とりあえずなぐさめるんだったら、そっちの方が有効じゃないか?
「そんなのないよ……」
心配事なんて全く抱えてない私は真実を口にし、
「でも、雄馬の事好きだから、……ずっと一緒にいたいって思ってるだけ」
次には大嘘を口にした。
通常、彼女がこんな事を言えば、大なり小なり「かわいい」とか思うのが普通の彼氏だろう。
なのに、雄馬は一瞬「嫌……」の顔をした。すぐに元に戻したけど、絶対にした。
明らかにうざがられてる。
(めっちゃ簡単)
計画通り。
企画3は覿面に効いている。
私は毎日手作り弁当を持参しているので、
以前から「料理ができる家庭的な子」という評価を受けている。
ただ手作りしてるだけなのに、分不相応な評価を受けている。
私の料理を食べた事があるのは職場では雄馬だけだというのに、味を知らない人たちから勝手な評価を受けている。
自作唐揚げがお店のとは違うのに、そんな評価を受けている。
そんな家庭的な私が甲斐甲斐しく雄馬の世話を焼いているのは、傍目から見ると微笑ましいらしい。
これまでは「ただの同僚」という扱いだったのが、だんだんと「あの子、いい子だよね」に変化してきた。
私は別に自分の評価を上げたい訳じゃない。
仕事がやりやすくなったのはよかったけど、そうじゃない。
この企画が全体の成功率を上げるために必要だからってだけ。
*****
企画開始から約二か月が経ち、そろそろクリスマスという頃、事件は起きた。
企画3によって私に対する評価を上げていた誰かが、
企画1によって無人の給湯室で抱き合って何事かをしていた男女、
つまり、雄馬と田中さんの写真をこっそり撮った挙げ句、
それを「けしからん!」とばかりに会社のコンプライアンス課に持ち込んだらしい。
企画2によってここ最近は私から逃げ回っていた雄馬は、
「最近、鈴木さんが加藤さんの事、何となく邪険にしてた気がしたんだよね……」
とか、
「あんなに尽くしてくれる子いないよ。許せねぇな!」
とか散々ボロカスに陰口を叩かれたし、
「いや、向こうからですよ。私は嫌って言ったんですよ? 加藤さんとは仲良しだから申し訳ないって思ってますし」
とか平然とする田中さんの告白もあり、職場での居場所を失った。
私はコンプラ課の聞き取り調査に協力した。
「あの、鈴木さんはその、……こちらはその気もないのに無理矢理って事がよくあって、だから、田中さんは悪くないと思うんです。先輩だから言う事聞かなきゃって思ったら、抵抗できなかったんじゃないですか?」
そして、田中さんの無実を訴えた。
絶対に彼女の方から誘ったと思ってるけど訴えた。
だって大恩人だからね。
当然の事をしたまでだ。
「それは田中さんの話とも一致してるね」
コンプラ課の偉い人の何とかさんもそうおっしゃっていらっしゃるので、田中さんはお咎めなしになる事だろう。
どうして口裏合わせもしてないのに供述が一致したのかは知らない。
このご時世、給湯室で着衣のまま何事かしたくらいではクビにはならないらしい。
不倫ならワンチャン、というところかな?
私がコンセント拒否を拒否られたりした事について訴訟でも起こせば違うかもしれないけど、
そんな時間とお金のムダはやらない。
という訳で、雄馬は口頭注意のみの処分だ。
なのに、あれから会社に来ない。
多分、有休を消化し切ったら辞めるつもりなんだと思う。
私は休暇中の雄馬の部屋へ行った。
「荷物取りにきたの」
それだけ言ってから、スーツケースに私物を詰め始めた。
雄馬は荷造りしてる私の手伝いもせず、腐海とは言えないまでも散らかってる部屋に突っ立ってるばかり。
部屋を出る前に、私は手のひらを雄馬の顔の前に出して、
「私ん家の鍵、返して」
最後の言葉を口にした。
「……ごめん、失くした」
雄馬の最後の言葉は意外と謝罪だった。
もっと違う時に、違う事で謝罪して欲しかった。
*****
ちょっとやりすぎた。
ここまでとは思ってなかった。
せいぜい、ほんのり私の味方をしてくれるようになった人たちが、
「鈴木さんが田中さんと浮気してるみたい……」みたいに噂するようになって、
私が「本当なの?」とか問い詰めて、
雄馬が認めたところで、「じゃあ別れよう」とやるつもりだった。
それだけ。
雄馬が会社を辞めるとか辞めないとかには考えも及ばなかったし、
まさか、会社が知る事になるとは想像もしてなかった。
田中さんが本命彼氏から雄馬へシフトする事はあり得ないというのは大前提で、
あの二人はWin-Winの関係だったから、放置しても問題なかった。
私は雄馬から穏便に逃げたかっただけ。
多分、企画3の力加減をミスったんだろうな。
女優ってすごいお仕事なんだなぁ。
想定外ではあったものの、今の私は快適に自分の人生を生きてる。
自分のためだけに働いて、
自分のためだけに掃除と洗濯をして、
自分のためだけにごはんを作ってる、
そんな人生。
田中さんとは逆に仲良くなれた。
さすがは何とか姉妹ってやつだ。
下品すぎるけど、何らかの同じ物体を共有した仲ってのは、意外と上手くいくらしい。
多分ソレだ。下品なソレだ。
「もなみんはぁ、かわいいんだからぁ、もっとかわいくしてこ?」
私の部屋で田中さんは酔っ払いながら管を巻いている。
管を巻いててもかわいい。
こんなかわいい子が自分の部屋にいるのは、ちょっと幸せかもしれない。
*****
女優じゃない私は、実はリアルに泣いたりもした。
本当に本気で泣いたりもした。
企てた事が上手くいけばいくほど、
私はただいいように扱われてただけだったって、
あいつにとって、私はただそこにいる人だったんだって、
そんな色々がありありと見て取れるようになっていったから。
だけど、それは私だってそうだった。
告白されたから、ただ付き合ってただけ。
最初は好きになれると思ってたし、好きになりたかったけど、そうはならなかった。
二人の間には感情はなくて、愛なんてなくて、ただの関係性だけで繋がってただけだって分かった。
それに気づいてしまった時、
つらくてつらくてつらすぎて、体が勝手に泣いてた。
でも、全部カモフラージュする。
失恋をカモフラージュした私は、
「もうあんなやつはいらない」って、
強い私にカモフラージュして、しばらくはやり過ごす。
その後はどうなるのかな?
*****
私は失恋カモフラージュ中。
気にしないで。
全然大丈夫。
平気。
失恋カモフラージュ 姉森 寧 @anemori_nei
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