第4話 氷の聖騎士、桜の師範代

王都の中央にそびえ立つ白亜の巨城──『王城アイギス』。

巨大な跳ね橋を渡り、蓮花は緊張の面持ちで正門をくぐった。


(これが、父が夢見た場所……!)


正門を抜けると、広大な中庭が目の前に広がった。

雨上がりの石畳は陽光を浴びて薄く光り、中央の噴水には魔力の粒子が虹色にきらめいている。

行き交うのは、城の警護にあたる侍や騎士たち。全身鎧(プレートメイル)の重厚な金属音と、草鞋(わらじ)が石畳を踏む軽やかな音が混ざり合うその光景は、蓮花の胸をさらに高鳴らせた。


中庭の奥、巨大な白壁の建物へと続く回廊を進む。壁には歴代の聖騎士や剣豪の肖像が飾られ、その偉大な視線の下を抜けるたびに、背筋が自然と伸びる。彫刻の施された西洋風のアーチをくぐると、着物姿の案内係が声をかけてきた。


「新規入隊者の方でしょうか? 手続きは左翼棟の管理局にて承っております」


蓮花は深く頭を下げ、示された方向へ歩き出す。東西文化の融合が色濃い廊下は、どこを見ても異国と故郷が混ざり合った不思議な美しさがあった。

 

休憩所には畳が敷かれ、そのすぐ隣では魔導式の掲示板が青白い光を放っている。武具庫からは、剣を磨く油の匂いと、刀を打つお香の香りが混じって漂ってくる。


やがて管理局に到着すると、窓口には数名の侍や騎士が列を作っていた。蓮花も最後尾に並び、高鳴る胸を押さえながら自分の順番を待つ。


(落ち着いて……しっかりしないと)


順番が来ると、係官の騎士が手際よく書類を広げ、必要事項の確認が始まった。


名前、出身地、家系、武術経験──。

淡々と進んでいたペンが、ある項目でピタリと止まった。


「──魔力保有量は?」

「……ありません」

「なし、ですか? 微弱(Eランク)ではなく?」

「はい。一切、扱えませんので」

係官が一瞬だけ顔を上げ、蓮花を見た。呆れか、あるいは同情か。

だが蓮花は視線を逸らさず、まっすぐに見返した。

係官は小さく咳払いをし、「……特記事項、体術特化(影風流)」と書き加えた。


「……以上で入隊手続きは完了です。ようこそ、王城アイギスへ」

承認印(スタンプ)を押す音が響いた瞬間、蓮花の胸に熱いものが込み上げる。


提示されたロッカー番号の鍵を受け取り、更衣室へ向かう。

真新しい隊服──動きやすい濃紺の袴と胸当てを身に着け、最後に父の形見の刀を腰に差す。

ずしりとした重みが、ここが夢ではなく現実であることを教えてくれた。


蓮花は備え付けの鏡の前で、大きく息を吸い込み──


パンッ!

両手で己の頬を叩いた。


「よし。……風間蓮花、行きます」


鏡の中の自分は、もうただの山里の少女ではない。

王城を守る侍の一人だ。

蓮花は踵(きびす)を返し、配属先への長い回廊を歩き出した。


その時だった。


前方から、カツ、カツ、とヒールのついた軍靴の音が、まるでメトロノームのように規則正しく響いてきた。

同時に、廊下の気温がふわりと下がった気がした。現れたのは、一人の女性騎士。腰まである白銀の髪をなびかせ、純白のマントと、青銀色に輝く機能的な軽鎧に身を包んでいる。


腰には、半透明の刀身を持つ細身のレイピア──魔剣『グラキエス』。


その美貌は氷細工のように整っているが、同時に近づきがたい冷徹なオーラを纏っていた。


(聖騎士団の方……それも、あのマントは団長クラス……!)


 蓮花は慌てて道を譲り、壁際に寄って最敬礼した。だが、女騎士は素通りせず、蓮花の目の前でピタリと足を止めた。


「……見かけない顔ね。新入りの侍?」


 鈴の音のように美しいが、感情の温度を感じさせない声。蓮花は顔を上げ、緊張しつつもハキハキと答える。


「は、はい! 本日付けで侍隊・遊撃班に配属されました、風間蓮花と申します!」


 女騎士──聖騎士団長エル・ケレウスは、アイスブルーの瞳で蓮花を一瞥した。

それは人間を見る目ではない。装備のスペック、筋肉の付き方、そして内包する

 エネルギー量を瞬時に解析する、指揮官の目だ。

 やがて、その視線は失望と共に蓮花の刀で止まる。


「微弱ね。……貴女から魔力反応(マナ)を一切感じないわ。魔法は使えないの?」


「はい。私は『影風流』という、体術と剣術を主とする流派ですので」


 蓮花が答えると、エルはふっ、と冷ややかに鼻で笑った。


「滑稽ね。魔力なき剣など、戦場ではただの鉄屑よ」

「て、鉄屑……?」

「ええ。ここは王城アイギス。規格外の魔獣や、魔法犯罪者が相手になる最前線。

 貴女のような田舎侍が、根性と汗臭い努力だけで生き残れるほど、現場は甘くないわ」


 エルの言葉は、悪口というよりも、ただの「事実」として淡々と告げられた。

それが余計に、蓮花の胸を抉る。

カッとなりかけたが、蓮花はグッと拳を握りしめて堪えた。ここで言い返しては、

父の名と影風流の看板に泥を塗る。


「……ご忠告、痛み入ります。ですが」

 蓮花は顔を上げ、エルの冷たい瞳を真っ直ぐに見返した。

「私の剣が鉄屑かどうかは、任務の結果で証明してみせます」


 生意気とも取れるその返答に、エルはわずかに眉を動かした。

だがすぐに興味を失ったように、冷たい香水の香りを漂わせて背を向ける。


「口だけは達者ね。……せいぜい、私の部下の盾(デコイ)として役に立ちなさい」

 エルは颯爽と去っていった。

その背中を見送りながら、蓮花は悔しさで唇を噛んだ。


(魔力がなくても戦える……それを、絶対にあの人に見せつけてやるんだから!)




 午後。

蓮花に与えられた初任務は、城の正門警備だった。

儀礼用の槍を持ち、直立不動で立ち続ける。

そこへ、一台の絢爛豪華な馬車が近づいてきた。

漆塗りの車体には、見覚えのある『桜』の家紋が描かれている。


「王都随一の剣術指南役、『桜嵐一閃流』当主代理の入城である! 開門!」

(桜嵐一閃流……? リシャさんのご実家……!)


 蓮花が慌てて合図を出し、巨大な門を開放する。

馬車がゆっくりと進み、蓮花の前で停車した。

扉が開き、一人の女性が降り立った。


 銀色の髪を艶やかに結い上げ、仕立ての良い着物を纏った女性。

その腰には、帯電しているかのような気配を放つ一振りの名刀──『歌仙桜華刀(かせんおうかとう)』。


 桜嵐一閃流の当主代理。

先ほどのエルが「氷」ならば、この女性は「雷」──。

静謐でありながら、肌が粟立つような鋭い威圧感が、周囲の空気をピリつかせる。


「ご苦労様です」

女性が静かに一礼する。その所作の美しさに蓮花は思わず見惚れた。

だが、その背後から騒がしい声が聞こえてくる。

「姉さん、姉さーん! 早く行くのよさ! お茶菓子が待ってるんよ!」


 カエデの後ろから飛び出してきたのは、豪奢な振袖風の戦闘服に着替えた

 赤髪の少女──リシャだった。


「こら、リシャ。城内では静かにしなさいと言ったでしょう」

「えー、でも退屈なんよー。……ああっ!?」


 リシャが蓮花に気づき、パァッと目を輝かせた。


「レンカちゃん! やっぱり城にいたんね! 制服似合ってるのよさ!」

「リ、リシャさん!?」


 蓮花はあまりの偶然に目を白黒させる。

 街で嵐のように暴れ回っていた少女が、まさかこんな格式高い馬車に乗る

 VIPだったとは。


「お知り合いですか、リシャ」


 女性が、すべてを見透かすような静かな青い瞳を蓮花に向ける。

 蓮花は蛇に睨まれた蛙のように、思わず背筋を伸ばした。


「うん! さっき街で泥棒を捕まえる時に手伝ってくれたんよ!

 この子、風間蓮花ちゃん。影風流の使い手さね!」


「ほう……影風流……」


 女性の視線が、蓮花の頭のてっぺんからつま先までをゆっくりと舐めるように移動する。

 魔力ではなく、重心の位置、筋肉の質、そして呼吸のリズムを見極める「達人」の目。


(こ、この人……見られているだけで、身体の中まで読まれてるみたい……)


やがて、女性は微かに、本当に微かに口元を緩めた。そして、静かに、だが確信に満ちた声で告げる。


「……良い『体幹』をした子ね。リシャがお世話になりました」


「い、いいえ! とんでもありません!」


「申し遅れました。私はカエデ・ソメイ。

……見ての通り、この騒がしいリシャの姉であり、桜嵐一閃流の師範代を務めております」


「カエデ……様……」

(やっぱり、この人がリシャさんのお姉さん……!)


カエデは軽く会釈し、馬車に戻ろうとする。

だが、リシャは蓮花の手をガシッと掴んだ。


「ねえレンカちゃん! 警備なんて後にして、一緒にお茶しない?

 姉さんもいいでしょ? 私の護衛ってことにすれば入れるんよ!」

「だ、ダメですよリシャさん! 私は任務中で……!」


「リシャ」

 ピシャリと、雷鳴のような鋭い声が響いた。

 リシャは「ひゃっ」と肩を震わせ、即座に直立不動になる。


「彼女は公務の最中です。我儘で困らせてはいけません。

 ……それに、縁があれば、近いうちにまた会うことになるでしょう」

 カエデは意味深な視線を蓮花に残し、馬車へと乗り込んだ。

「ちぇー……わかったのよさ。レンカちゃん、また後でね! 絶対なんよ!」


 リシャは名残惜しそうに手を振り、馬車は城の奥──御前試合の会場方面へと消えていった。

 嵐のような姉妹を見送り、蓮花は大きなため息をつく。


「はぁ……すごい人たちだった……」


冷徹なる氷の騎士団長、エル。

静謐なる雷の師範代、カエデ。

そして、自由奔放な春の嵐、リシャ。

侍と騎士が交わるこの王城で、蓮花の運命の歯車は、音を立てて回り始めていた。

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