04-1
わたなが翌朝学校に行って事情を話すと、学校側は顎が外れるほど驚いていたが、すぐにやるべきことをしてくれた。
教師の一人が社会福祉局まで付き添ってくれて、各種の手続きやらなんやらを手伝ってくれた。わたなを保護するために、いろいろ状況の説明や事実確認や意思確認などをしたり、あとはいろいろサインをしたりした以外には、あんまりやることがなかった。裁判所に提出する書類を書き終えた後、またしばらく局舎内でネットを見て過ごした。
何時間かそうして待っていると、やがて局員が再び現れ、空きのある民間の児童養護施設に預けられることになった。わたなが想像していたよりも十倍は早い動きに驚くと、福祉局の職員が、言葉を選びながら説明した。要約すると、わたなが成績優秀な高校生で、特に取り扱いに気をつけるべき疾患などもなかったことで、特に民間の受け入れ先を見つけるのは簡単だったということだった。なるほどと思いつつ、わたなは福祉局の車に教師と一緒に乗り込んだ。
到着したのは、施設と聞いてわたなが想像していたイメージとは異なり、郊外の住宅地にある、ちょっとした大きさの邸宅を活用したグループホームだった。外観上は通りに並ぶ普通の家と何の違いもなく、通りがかっただけなら何も気づかないかもしれなかったが、しかし表札に書かれている名前が個人の名前ではなくNPOの名前だということが、そこが普通の家とは違うことを物語っていた。
車が止まると、窓からこちらを覗き込む、少しわたなより小さいくらいの女子の顔が見えた。そして玄関ドアが開き、そこの職員の女が門を開けた。
職員に招かれ、わたなたちはそのまま家に上がる。玄関はそのままリビングに繋がっている。少しばかり平均より広いが、この国では一般的な構造の、一般的な邸宅。一階は共有部で、階段を上がると各人の個室に通じているようだった。わたなが住んでいたマンションほどではないが、とてもきれいな家だった。児童養護施設と聞いてわたなが想像していたより、ずっと。
ここまでの道中で、「こんなに素晴らしいところはあまりないんですよ」と福祉局の職員は言っていた。特に国営の施設だと設備が古かったりすることが多く、大きな施設だと人数も多かったりして、環境が悪いことは珍しくないらしい。
なるほどその通りだった。わたなは安堵しつつ、心の奥で何かがっかりしているような気がした。いったい自分の心が何を期待していたのかわからなかった。こんなにいいところなのに。
*
その後、グループホームの住人たちとの顔合わせが済み、生活のルールや今後の予定などを聞かされたあと、わたなは翌日からまた学校に通い始めた。
わたなの状況を知っているクラスメイトはいなかった。登校してすぐに体調を崩したとか適当なことを言ったが、誰もそれを疑う様子はなかった。みんな素直な子たちだったし、それより凱旋パレードの準備に忙しくて、他人の細かい家庭事情の変化に持つ関心なんてどこにもなかった。というか、休戦協定が結ばれたその日からしばらくは、休校期間が終わっても勝手に学校を休んで遊びに出ている生徒も多かった。わたなの欠席も似たようなものだと思われていた。みんな笑顔だった。わたなもとりあえず笑っておいた。両親がいなくなって二日後だというのに、わたなはいつもの生活に戻りつつあった。
グループホームに戻ると、わたなたちの世話をするNPO職員の女性がいた。
職員は明るくわたなを迎えた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
職員はわたなに書類のコピーを差し出した。
「裁判所から長期保護の許可が降りましたよ」
「ありがとうございます」
わざわざ読んで確認することでもなかったが、ざっと目を通す。わたなは高校を卒業するまでグループホームにいていいことになったとのことだった。さらに高校でも、様々な奨学金が適用可能であることを知らされていた。ともかくこれで、わたなの生活は保障されたのだった。
わたながその書類をぼんやり眺めていると、職員が言った。
「今日は福祉局の方とうちの代表が、応接間で話しています。静かにね」
「はい、わかりました」
わたなは部屋に戻って荷物を置くと、またリビングに降りてソファに座った。耳を澄ましたが、応接間で何を話しているのかは聞こえない。テレビのリモコンに手を伸ばしかけて、携帯で動画を見始めた。しばらくそこにいて、ホームの住人たちとちょっと喋ったり、あるいはぼうっと目を閉じたりしていると、応接間の扉が開く音がした。
応接間から二人の男が出てくる。福祉局の職員と、例の代表だった。
二人がわたなを見たので、わたなは軽く頭を下げた。代表の男は職員を外まで見送ると、すぐに戻ってきて、そしてわたなの前のソファに腰を下ろした。
わたながまた頭を下げると、男は手を差し出してきた。その手を恐る恐る握る。四十代前後くらいだろうか、精力をみなぎらせた力強いオーラに、わたなは少し気圧されていた。NPOの代表と言っているが、どちらかというと企業家のように見えた。
「はじめまして。君が新しく来た子だな」
「春条わたなと言います」
「俺は判場虎泰。ここを運営している団体の代表だ。昨日来たと聞いているが、どうだ? 楽しくやれそうか」
わたなはまた頭を下げた。
「おかげさまで、これまでと変わらない暮らしが送れると思います」
判場は力強くうなずいた。
「それは良かった。学校は通えてるか?」
「はい。欠席も一日だけで済みました」
「そうか。安心した」
そう言うと、判場はふと気付いたようにわたなの服に目をやった。
「その制服、青扇女子か?」
「そうです。知ってるんですか?」
なんで女子高生の制服になんか詳しいのかと思ったが、判場は言った。
「仕事柄、服飾には少し詳しい。青扇ってことは、勉強ができるんだろう」
「たいしたことはないです」
「謙虚になる必要なんてない。学校は楽しいか?」
なんてことない質問を投げかけられた。
そこで一瞬、わたなは黙ってしまった。
考え込んでしまったのだ。
学校は楽しいだろうかと。勉強について行けないことはないし、クラスメイトはみんな優しく朗らかで、そして穏やかだった。だがあまりにも平穏だと感じることはある。それは楽しいのだろうか。
むしろ、わたなは思った。
戦争が刻々と終わりに向かっていき、父の焦燥が日に日にあからさまになっていった時期。私は家に満ちる不穏さを全身で感じ取っていたが、父の呼吸がどんどん荒くなり、軍の快進撃が報道されるたびに怨嗟の声を上げたり、唐突に泣いたりするのを見つめていたとき、私の内心にあったもの。
これまでの生活で感じたことのない、胸の高鳴り。家がどんどん金持ちになっていくときにも似たような感覚はあったが、まさにその生活は破綻しようとしている予感と共に過ごした数ヶ月は、それまでとは全く異なるものがあった。
そして戦争が終わり、父は死に、私は一人になった。つい一昨日のこと。そのとき、その感覚はより強く私に問いかけていた。こっちを見ろと。わたなはそれを見て見ぬふりをして、今ここにいる。そして再び穏当な暮らしが私を優しく抱き留めたとき、私は――
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