03
少しだけ意外だったのは、家に帰ったときに母がいないことだった。
父が死んだのに友達と遊んでいた自分もどうかと思ったが、わたなをすぐに学校に迎えに来ない母も母だった。おかげで今どこにいるのか、さっぱりわからない。
何かの手続きが終わっていないのかと思って携帯のチャットを開いたが、しかし何も書かれていない。いくら没交渉だったとはいえこういう業務連絡くらいはしてくる人だと思っていたが、何もなかった。父がいなくなったから、血の繋がりのない私のことはもっとどうでもよくなったのだろうか。そうわたなは思った。
しかし、なんだか部屋がこざっぱりとしすぎている。今朝家を出たときと、いろんなものの位置がずれている。
なんとなく胸騒ぎがして、母の部屋に勝手に入った。ドレッサーの引き出しを引っ掻き回したが、そこにあったはずの宝石類は一つもなかった。ウォークインクローゼットに入ると、この短時間でどうやったのか、中身は空っぽだった。さらに両親の寝室のマットレスを力一杯ひっくり返し、ベッドフレームに挟まっているはずの封筒――最後に確認したときは最高額紙幣が百枚はあった――を見つけようとした。それもなくなっていた。
車の鍵はなかった。時計はなかった。何が楽しいのか父が集めていた、最新の携帯のコレクションもなかった。あ、でも父のコレクション系は前に全部処分してたっけ。まあいいや。
とにかく、全部なくなっていた。
「……あー…………」
わたなは言った。
「やられた……」
ソファから立ち上がり、フラフラと家の中をふらついた。父と母は家にいる時間が長かったから、わたな一人でいるこの家は、いつもよりずっと静かだった。
「ああもう、やられた……」
腹の奥が、沸騰したお湯をがぶ飲みしたように熱い。イライラして、それを解消するために言葉にならない大声を出した。ベッドに身を投げて手足をジタバタさせた。ソファを蹴って足を痛めた。お気に入りの大きなぬいぐるみを振り回して、父が再婚したときに三人で撮った家族写真を、マンションの高層階の窓から力一杯投げ捨てた。
そして窓から叫んだ。
「あーくそ! あのババア、マジでやりやがった! マジで逃げやがった! いくらなんでもそれアリか! 血が繋がってないからってさっさと逃げるってマジか!」
またソファに飛び込んだ。
「信じらんない、マジでか……」
そう言いつつ。
――いや、割と信じられる。
だってあの人、絶対金目当てだったし。めっちゃ美人だったし。金がなくなって本人も死んだら、そりゃそうか。私なんかどうでもいいよね。そりゃあそう。
「へへ、あー、最悪……ふふっ」
イライラしすぎて、逆に笑えてきた。客観的に見て、自分の状況はかなりヤバいと思った。家が破産して、父親が死んで、母親がいなくなった。これはいわゆる天涯孤独ってやつで、今後の生活は自分一人でやらなきゃいけないのかもしれない。
「最悪だよ、これどうしたらいいの……」
そう言いながらわたなは、なんだか自分の口からこぼれる言葉がすごく薄っぺらいものに感じた。最悪だなんてこれっぽっちも思っていない人間の言葉にしか聞こえなかった。
それと同時に、何かが心の奥できらめいている気がした。光の消えたわたなの心の中で、それは前よりはっきり見える。それはこちらにずっと手招きしていたようで、ようやく俺を見つけてくれたか、と歓喜の表情をあらわに、またしてもてらてらと輝きを見せた。
――あ。これは直視したらマズいやつ。
わたなは目を閉じて、深呼吸して、そして今日言われたことを思い出した。光が消えたなんて諦める前に、もうちょっといろんなところを見てみようと思った。
そう、確か学校には支援制度があるんだっけ。卒業生からの寄付金が基金になってるとか、なんとか。じゃあ家はどうする? 親戚という手段は使えない。父は自分の金にたかってくる親戚一同に嫌気が差してスッパリ縁を切っているから、あの人たちが今さら私を迎え入れてくれるわけもない。
制度と血縁。今の私がどっちに頼りたいかって、そりゃ制度でしょう。
「……まあいいや」
わたなはつぶやいた。自分に言い聞かせるように、自らの意思を確認した。
「とりあえず、明日起きたら学校に行こう。それで、先生に相談しよう。そしたらまあ、なんとかなるでしょ」
わたなは目を閉じて、努力して意識を希薄にしようとした。今後については考えないことにした。今後のことは学校とか、あとは市とか国とかに任せて、それで私はまた何も考えなくて済む。お金に困らない暮らしとはお別れだろうけど、もともとここ五年が異常だっただけ。普通の暮らしに戻って、それで普通に暮らせばいい。
そうしてわたなは、ゆっくり眠りに落ちていく。
心の奥でわたなを呼んでいた暗い輝きは、残念そうに瞳を閉じた。
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