02
三人はわたなの言葉を聞いて少し驚いた表情を見せたが、最初に担任が口を開いた。
「もう聞いたんですね、春条さん?」
わたなはきょとんとした。
――聞いた? 誰から?
別に私は、誰からも何も聞いてないけど。
だがすぐに、わたなは担任がどう状況を理解したのかを推測できた。つまり、わたなは父の死を誰かから既に伝えられたから、担任たちが明かすより先に知っていたのだと思ったのだろう。反論しても意味はなかったので、黙ってソファに座った。
わたなは続けて尋ねた。
「自殺ですか?」
「その……」
担任が言いかけて、そしてカウンセラーと目を合わせる。そして言った。
「もう聞いてるかもしれないけれど、そうです」
「そうですか」
「本当につらいことだと思います」
そうでもなかった。けっこうどうでもよかった。
*
わたなが父が死んだのかと訪ねたのは、きっと死ぬだろうと思っていたからだった。父の体は健康体どころか肥満体そのものだったが、特にどこかに命に関わる爆弾を抱えていたわけでもない。だけど父には死ぬ理由があったし、死ぬんだろうなこの人、と思わせるような言葉を漏らすことがよくあった。
だって、ここしばらくの父の表情は、この国が反撃に成功し始めたあたりから、目に見えて憔悴し始めていた。ほぼ勝利が確定的になってくると、その憔悴は絶望に近くなっていた。別に父が愛国者じゃないわけではない。愛国とか、売国とか、そういう感覚はそもそも父にはなかったはず。父にあったのは、ただ単に金の話だった。
中流階級そのものだった父は、戦争の予兆が見えてきた段階で軍事関連企業に貯蓄を全額放り込み大儲けした。それで得た金を更に放り込んではまた大儲けして、いよいよ隣国が攻め入ってきたときには、薬でもやっているかのようにずっとニタニタしていた。その後戦況が膠着すると、これが長期化すると予想した父は、貯蓄以上の金を賭けの場に放り込み始めた。
だがそれからしばらくして行われた軍の決死の反攻は、予想外に成功してしまった。そのニュースを聞いたときに父が絞り出した怒声は、人というより豚に近かった。これまでの人生で聞いてきた中で最も不快な音だった。
そして戦争は終わった。父の有頂天はおおよそ五年で終わった。
父は全てを失った。多分死ぬんだろうなと思っていたから、わたなは父が一週間後も生きていたことに驚いたくらいだった。二週間後に生きていたことに驚いて、三週間後も驚いて、そしてもしかしたら生きていく気力が残っているのかもしれないと思っていた四週間目で、父はようやく死んだらしい。
*
それは驚くことではなかった。むしろ予感が当たったので、自然なことのように思えた。余命宣告を受けた人を見送るように、静かに結果を受け止める気持ちだった。
カウンセラーは言った。
「不安になったり悲しいことを吐き出したかったら、私に聞かせてください」
担任が言った。
「私も、できるだけ手助けをします」
校長も言った。
「経済的に困ることがあれば、いろんな支援制度があります。いつでも受け付けています」
ありがとうございます。そうしようとおもいます。はい。はい。はい。
わたなは平静を装っているという風を装いながら、慰めの言葉を聞いていた。
なんか、普段から元気っぽい態度を取るのも問題だな、とわたなは思っていた。明るくて感情豊かなキャラでいると、こういうときにすっごく悲しむんじゃないかと思われてしまいそうで。
でも、別に嘘ついてるわけじゃないしな。笑ってるときは面白いと思ってるし、泣いてるときは悲しいと思ってるし、怒ってるときは本当にイライラしてる。そういうのって全部本当だし、何かを演じてるわけでもないし、じゃあ心がどこか遠くへ行ってしまうみたいな感じでもない。
父さんが死んで悲しくはないけど、じゃあってんで憎んでるわけでもない。
なんだろうな、これ。
だから、まあ、こうとしか言えない。
なんか、全部がどうでも良い。
*
職員棟を出ると、クラスメイトが待っていた。
「何の話だった?」
わたなは胸を張って言った。
「聞いて驚け、この前課題に出た愛国エッセイコンテスト、私の作品を学校代表にしてもいいかと打診されたのさ!」
「えっ、すごいじゃん! 受けるの?」
少し間を置いてから、わたなはにやりと笑った。
「……いや?」
すると、クラスメイトが驚きの声をあげる。
「えっ、なんで!? それ絶対内申に書けるのに!」
わたなはヘラヘラ笑って言った。
「やだよ。あれ全部ウソしか書いてないし、バレたらヤバいじゃん」
「え?」
「私のおじいちゃんのお兄さんが独立戦争で英雄的に死んだってことになってるんだけどさ、ホントは今も守南の田舎で米農家やってる。独立戦線に関わってたことなんて一度もないんじゃないかなあ」
「あはは、それは確かにまずいわ」
「まあ、確かに点数は稼げそうだけど。嘘がバレて大学推薦消える方が怖いわ」
完全にでっちあげの話を喋りながら、わたなは本当にそんなことが起きたりしたらどうなるだろうと考えた。
志望の大学に行けなくなって、今後のキャリアも狭まるだろう。受験戦争も加熱するこの国の今を生きる高校生なら、地獄よりも酷いと思うことだ。
だけど不思議な話。わたなはそうは思えなかった。
今走っていたレールが消え、その後が見通せなくなったとき――そこにあるのは、今よりずっと心地よいもののように思えた。キャリアを失った自分を想像すると、逆に気持ちが安らぐような気がした。
それはなぜだろうか。
わたなは目を瞑り、心のなかでゆっくり唱えた。
これはたぶん、きっとよくある破滅願望。
隣の芝は青くって、実際そんなに青くない。
たぶん脳がナントカニンみたいな名前の何かを分泌してて、それで変な衝動に私を向かわせようとしてるのだ。
いーち、にーい、さん。数字を数えて目を開けば、眼の前にあるのはいつもの景色。
「そういえば、エッセイ代筆の見返り、もらってないよね」
わたなはクラスメイトに言った。
クラスメイトが渋そうな表情を作る。
「覚えてたか」
「覚えてるに決まってんじゃん、なんか奢ってよ」
「手加減はしてよ……」
そして二人は笑いながら並んで校門を出ていき、繁華街行きのモノレールの駅に向かっていった。
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