聖なる夜の贈り物 -クリスマスの奇跡に関する街の記録-

1年目 雨は夜更け過ぎに雪へと変わるらしい

第1話 サンタ服を着た女

 雨は夜更け過ぎに雪へと変わるらしい。

 

「サイレン・ナイ ホーリィ・ナイ きっと君は来ないひとりきりのクリスマス・イブ」


 バイトが終わり、いつも通り日が変わる前に店を出る。

 空を見上げると一面の闇が広がっていた。

 月が出ていない。

 空が雲に覆われているらしい。


「あぁクリスマスだなぁ」


 マフラーに顔を埋め、ジーンズに手を突っ込む。

 きつめのジーンズなので下にパッチを穿けないのが難点である。


 バレンタイン・ホワイトデー・花火大会に夏祭り。

 その中でもクリスマスと言うのは独り身の人間にとって最も辛いシーズンだ。


 いっそのこと全く無関心でいられたら楽なのだが。

 どうしてだろう。

 どうしても意識せずにはいられない。


 皮肉にも彼女のいない人間ほど、こうしたイベントに対してアンテナを張り、敏感に反応してしまうものなのだ。


「結局クリスマスに嘆く自分が好きなんだよね」


 歩きながら呟いたこの一言が全てである。


 *


 バイト先からは五分も歩けば我が家だ。

 七階建てマンションの最上階、一番端の家。

 築年数は数十年経っており、廊下は害虫が度々存在するようなおぞましい空間と化している。


 その中を抜けて家の前にたどり着くと、鍵を開けて寒気から逃げるように中に入った。

 刺すように吹いていた風がピタリとドアに阻まれる。

 どうにか今日も生き延びた。


 リビングに入ると母がいた。

 もう寝間着を着ている。

 寝る直前か。


「ただいま」


「おかえり。あんた、晩御飯は」


「いらない。寝る」


「明日大学は」


「いらない。寝る」


「あぁそうだ、明日お母さんとお父さん朝早いから。六時には仕事で家出るから。ちゃんと起きて学校行きなさいよ」


「いらない、寝る」


 リビングを抜けて自室のふすまをピシャリと閉めると、そのまま勢いよくベッドの上にダイブする。

 空中で布団をめくり、着地する前に既に体を羽毛で包むことも随分上手くなった。

 ただ、全く意味のない無駄な特技だ。


 布団に入ると自然と瞼が下りてきた。

 どうやら相当疲れていたらしい。

 クリスマスシーズンのかきいれ時だ、当然か。


 眠りに落ちる前に携帯を開いた。

 日付が変わっている。


 十二月二十五日。

 クリスマスだ。


 皮肉にも明日はアルバイトが入っていない。

 二十五日は出勤でシフトを提出したはずなのだが、人手が足りていると言うことで休みにされてしまった。そんなことあるのか。

 クリスマスにあえてバイトを入れて不幸自慢をしようとしたのだが、どうやらバイト先の独り身の奴らも同じことを考えていたらしい。

 鬱陶しい物である。


 僕は瞼を閉じた。

 暗闇が一日の終わりを告げ、安寧を僕にもたらす。


「クリスマスは独りかぁ。せめて彼女がいればなぁ。サンタさん、神様をください……ムニャムニャ」


 二十一にもなって割と本気でそう願う自分の馬鹿さ具合を愛おしく思いながらも、いつの間にか僕は眠りに落ちた。


 妙な夢を見た。

 雪が一粒、ゆっくりと落ちてくる夢だ。


 ゆらりと空気の抵抗に揺られながらその結晶は徐々に高度を落とし、鏡のような湖の中心に落ちる。

 結晶が水に溶け、波紋を作った。

 それと同時に、鈴の音が鳴る。


 シャンシャンシャン。

 シャンシャンシャン。


 波紋は大きく広がっていく。

 鈴の音も、波紋に共鳴するように空間に浸透する。

 その音色はどこまでも広大に広がる気がした。


 パッと目が覚めた。

 深く眠ってしまったらのだろう。

 驚くほど寝覚めが良かった。


 締め切ったカーテンの向こう側からは雀の鳴き声が聞こえる。

 わずかながらカーテンの隙間から外の光が侵入していた。


 ふと時間が気になって枕元に置いていた携帯を手に取る。

 朝の七時。

 僕が寝たのが二十四時だったから、丁度七時間眠ったことになる。


「なるほど、どうやら昼まで寝て怠惰に一日を過ごす、と言うのは認められないみたいだな」


 二度寝するのも面倒だったので僕は思い切り反動をつけて上体を起こした。

 そのままぐっと伸びをする。


 ふと、台所からトントントン、と包丁の音がした。

 誰かが朝ごはんを作っているようだ。

 母だろうか。

 ただ、昨日、今日は朝早くに出ると言っていた。

 こうして朝食を作っていると言うことは、何か事情でも出来たのだろうか。

 そう思いながら僕はふすまを開けた。


 サンタ服を着た若い女性がキッチンに立っていた。


 物音に気づき、彼女はゆっくりとこちらを振り向く。

 目が合うと、彼女はにっこり微笑んだ。

 恐ろしく美人だ。

 美人過ぎて逆に嫌悪感が湧くレベルである。


「おはようございます、マスター」


 美人が言った。

 透き通るような澄んだ声だ。

 僕は気付かれないように深呼吸すると、気持ちを整えて軽く頷く。


「うむ、おはよう。何を作ってる?」


「お味噌汁用にネギを切ってるだけです。朝食に昨日の晩御飯の残り物を食べられるかと思ったんですが、やっぱり残り物のお味噌汁だとネギが欲しいかと思いまして」


「何だ。期待はずれもはなはだしいな……」


 僕は呟くと玄関へ向かった。

 そのままドアを開ける。


「うわぁ、ちょっとすごいよ! 君も来てみなよ」


 僕はリビングへ叫んだ。


「どうしたんですか? マスター」


 とてとてと彼女が駆けてきたので、僕は手招きして彼女を呼び寄せた。


「ちょっとここ立ってみて」


 外の廊下を指差す。

 はい、と彼女は不思議そうに指示に従った。

 僕は「うむ」と呟くと扉を閉め、鍵をかけた。


 誰だあいつは。

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