第28話 おバカ貴族と枢機卿

それは、ギルドへ乗り込む数週間前のこと──。


神聖シラク―ザ王国、王都シラクーザの中心に位置する聖地、大教会。

普段は信者たちの祈りで満たされる聖なる場所は、重苦しい静寂に包まれていた。

懺悔室の紗幕しゃまく越しに、カサルは一人の男と対峙していた。


「……信じられませんな。まさか貴方様のような方のご助力によって、次期教皇選挙の行方が決することになろうとは」


男の声は老成し、威厳に満ちている。

極秘裏に派遣された、枢機卿団の筆頭特使だ。


「偶然の産物だ。オレはただ、信条のために少しばかり信仰を利用したに過ぎないのだからな」


カサルは退屈そうに答えるが、特使の声は震えていた。


「少しばかり、ですか? 貴殿が作った『歌うツルハシ』のシステムは革命だ。労働が祈りとなり、祈りが金となり、金が教会を潤す……。このシステムを全土に導入すれば、我が教会の財政難は一瞬で解決し、失墜した権威も復活するでしょう」


「そのシステムの独占権と、エルドラゴでの実績。……これらを全て、貴方の派閥の『次期教皇候補』に献上しよう」


カサルは懐から、羊皮紙の束を取り出した。

それはカサルが書き上げた『信仰自動化ビジネスモデル』の設計図だ。

罰当たりも甚だしい神への冒涜だが、特使はそれを震える手で受け取る。これさえあれば、彼の主人は間違いなく次の教皇になれるからだ。


「……して、対価は? 金か? 領地か? それとも名誉か?」


「金はオレの女が稼ぐ。領地など管理が面倒なだけだ。名誉など一番いらん」


「では、何を望む」


「安息だ」


カサルは紗幕越しに、特使の目を射抜く。


オレは今後、誰にも邪魔されず、誰にも働けと命令されず、好きなように生きたい。そのためには、世俗の権力や、うるさい領主エディスを黙らせるだけの『絶対的な盾』が必要だ」


特使はしばし沈黙した後、厳かに告げた。


「……分かった。貴殿の功績は、国家を一つ救うに等しい。特例中の特例として、新教皇の就任と共に、貴殿を『胸中のイン・ペクトレ枢機卿』に任命しよう」


カサルの手元に、豪奢な指輪が滑り落ちてきた。

一等級異端核が埋め込まれた、教皇の右腕たる証。


「公表はされぬ。だが、その指輪がある限り、貴殿は教会法において枢機卿と同等の特権を有する。……税の免除、治外法権、そして異端審問官への指揮権もな」


「くふふふふふっ……結構。契約成立だ」


カサルは指輪を握りしめ、暗い懺悔室で嗤った。






───そして現在。


カサルはシソーラ侯爵邸の、見上げるほど巨大な正門の前に立っていた。

ポケットの中には、あの指輪。

そして驚くべきことに、今日の彼はドレスどころかルージュも引いていない。


燕尾服を着こなし、ネクタイを締めたその姿は、まさに美男子そのものだった。

今日だけは自分を偽る必要はない。


正真正銘カサル・ヴェズィラーザムの姿で彼女に相対する。その心の表れだった。


「……さて、今月の収支報告に行くとするか」


執事のセバスチャンに案内を受けながら、邸の中を歩いていく。

ギルド長がその収支を領主に報告するという建前で、彼はシソーラ侯爵邸に招かれていた。


「鍛冶師ギルド新代表、カサル・ヴェズィラーザム様です」


対面したエディスもまた、客人対応のため用意された豪奢なドレスに身を包んでいた。雌雄ココに決する。


「これが今月の収支だ。……前年比300%増。文句はあるまい? 」


カサルより提示された資料を巨大な椅子から長い手を伸ばして資料を受け取るエディス。

そして目を通していき、彼女は自分の目算と相違ないか鋭く確認をしていく。


(パピーのことだ、どこかで数字を誤魔化していてもおかしくはない。それはパピーの眼を見ればわかる。コイツの心はまだ折れていない。完全な傀儡にするにはまだ至っていない)


エディスの学園での成績は常に学年次席を維持していた。そしてこと数学において、彼女の右に出る者はいなかった。ありとあらゆる粉飾を見逃さない帳簿の悪魔、それがシソーラ侯爵の懐刀と言われる次世代の怪物、エディス・シソーラだ。


(はぁ……はぁ、早く、早くコイツを我が物にしたい。私の管理下に置き、私が正し、私がお前の思想を染めてやりたい……)


そして分厚い資料を読み終わると、彼女の表情は笑みが零れていた。数字は嘘をつかない。エディスが彼の訪問前に事前に目を通していたエルドラゴの予想収益とも大きな乖離はなかった。


(問題ない……むしろよくぞここまで私を富ませたといってもいい。カサル、お前は紛れもなく一番のペットだ。誇るがいい)


「ほう……やるではないかパピー。労働の喜びを知ったようだな」


かつてないほどに、彼女は充足感を得ていた。

自分が説き伏せ更生させた犬が、額に汗をかかせ稼いできた金だ。

嬉しくないワケがなかった。


不良を更生させたら、不良が給料日に教師にお金を持ってくる。そんな劇的なストーリーがエディスの体内に脳内麻薬を大量に分泌させるにまで至っていた。


(た、た、たまらん。笑わないように気をつけねば。何故お前はこれほどまでに愛おしいのだ。教えてくれカサル)


しかし、カサルの次の言葉で彼女の表情に亀裂が走る。


「だがエディス、この利益のほとんどにお前の徴税権は及ばない」


「は? 」


「歌うツルハシは「聖具」であり、その利用料は項目上「寄付金」扱いとなっている。そしてシラクーザ王国の法では、教会への寄付は当然「非課税」だ。つまり、エルドラゴの富のほとんどは、領主エディスを素通りして教会カサルに流れるということだな」


カサルの説明を聞いていくにつれて、エディスの眉間には皺が寄って行く。


「つまりこの街の金は、もはやお前のモノではない。オレのモノだ。わかったか? ミス・エディス」


「これだけの金が「非課税」だと? ふざけるな、そんな法があって……」


エディスは脳に収められたこの国の法を隅から隅まで読み返したが、確かにどれだけその金額が大きくとも、教会のものに「税」をかけることは許されていなかった。


「あるか……」


「あるぞ」


沈黙の後、エディスは顔を上げ、高らかに哄笑した。


「ハッハッハッハッ!! 教会とコソコソやっていると思えば、そういうことか! ……小賢しい真似を。だが忘れているぞパピー。私は領主代行だ。その権力を持ってすれば、お前の浅知恵など容易に捻り潰せるということをな!! 」


エディスは大きな腕を高らかに上げると、長い指先をバチンと鳴らし、セバスチャンを呼び寄せた。


「犬に主人の恐ろしさというものを調教せねばならぬ時が来たらしいな!! 教会何ぞに媚びへつらいよって! 許さぬ! お前が尻を振るのはこのエディス・シソーラただ一人であると肝に銘じるがいい!!」


黄金のトレイに乗せられたのは、領主の証である貴族印。

これを押された命令書は絶対の効力があった。


「侯爵家領主代行エディス・シソーラが命じる! 即刻、鍛冶師ギルドを官営化させ、その支配権を譲渡せよ!! 」


ドン、と印が押されようとしたその瞬間。

カサルは右手を掲げ、その輝きを彼女の眼前に突きつけた。


「ミス・エディス、お前ならそう言うと思っていた。お前ならばそう言った強引な方法で来るということもな。だから俺も用意したのだ。絶対的権力の盾というヤツをな! 」


シャンデリアの光を反射し、妖しげに光る一等級異端核ルグズコア

その紋章を見た瞬間、エディスの動きが凍りついた。


「そ、それは……教皇庁の……まさか、イン・ペクトレ……!? なぜおまえがそんなものを!? 」


「なに、暇つぶしにココで手に入れた利権を使って、教皇選挙コンクラーベでキングメーカーになってやったのよ。コレはその見返りだとか言っていたなぁ? 」


「あ、ありえん……そんな、お前が枢機卿……だと」


カサルが枢機卿となった今、エディスが対面しているのはただの鍛冶師ギルドのギルド長ではない。国家権力である。


「一地方領主」vs「国家権力」では話にならない。

カサルがついに、エディスという支配の鎖から解き放たれた瞬間だった。


「いいか。これからはもうお前のままごとに付き合ってやる気はない。オレはお前のペットでもなければ、傀儡でもないのだからな」


カサルは指輪をかざし、宣言する。


オレは好きに生きるし、好きに喋る。それに誰が影響を受けようが知った事ではない。……文句があるなら、教皇庁に喧嘩を売ってみろ」


エディスの皺がより深く溝を作る。だが、その瞳の奥には怒り以上の感情──強大な敵を見つけた獣の歓喜が渦巻いていた。


「……カサル、いずれお前は自分の間違いに気づく日が来るぞ。その時になって、私の下に帰ってくるつもりか? 今謝れば許してやるぞ……」


「謝るだと? 冗談はよせ。……しかしまあ、そうだな。お前には学園での借りもある。代わりに、教会に集まった金の一部を、街のインフラ整備に還流させてやるくらいはしてやろう」


「なに?」


「お前とはこれからもに、仲良くしたいからな。エディス」


「侯爵代行であるこの私と対等だと……!? 」


「そうだ。これからオレのことはカサル卿と呼べ。わかったか、侯爵代行のエディス・シソーラ? 」

そう言ってカサルは、悔しさと悦びで顔を歪ませたエディスを残して、悠然と応接間を出た。


シソーラ邸を出ると、カサルはふぅ、と大きく息を吐き、きつく結んだネクタイを緩める。完全な自由を手に入れた彼にとって、朝日はいつもより眩しく、そして暖かく感じられた。


「……心配かけているだろうし、早く帰って報告しなきゃな」


彼の中指には、枢機卿となった証である赤い指輪が、朝日に反射してキラリと光っていた。







 カサルが去った応接室。


 一人残されたエディスは、カサルが座っていた椅子に倒れ込み、彼が触れたティーカップを愛おしそうに指でなぞった。


「……枢機卿、か」


 彼女の肩が震える。

 それは悔しさではない。抑えきれない歓喜の震えだった。


「いい、実にいいぞ……! ただのペットかと思えば、国家権力まで手に入れて私と『対等』になろうとするとは……! ああ、なんという成長! なんという反抗心! 」


 エディスは恍惚とした表情で天井を仰いだ。

 ただの飼い犬より、噛みついてくる獅子を飼いならす方が、遥かに興奮する。


「楽しみだ、カサル卿。……お前がどれだけ高く飛ぼうとも、私の不可視の鎖からは逃げられんぞ?」


 屋敷の窓から、空へ帰るカサルの航空船を見る彼女の顔は吊り上がった狂気じみた笑みによって彩られていた。


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