第22話 おバカ貴族と讃美歌詠唱式ツルハシ

新しく開発した『讃美歌詠唱式ツルハシ』の性能試験を行うため、カサルはエルドラゴの街にある治癒院を訪問していた。


もちろん、黒いドレスに身を包んだ「令嬢」の姿で。


目的は一つ。


腕が使い物にならなくなった元・炭鉱夫を探し、実験台モルモットになってもらうことだ。

カサルのお眼鏡に叶ったのは、大部屋のベッドの上で絶望に暮れる一人の青年だった。


名はジェム。落盤事故により利き腕の骨を粉砕し、神経まで損傷した彼は、二度とツルハシを握れない体になっていた。


「もう帰ってくれ……。俺はもう、お前の生活を支えてやれないんだ……」


見舞いに来た恋人を追い返し、布団を被って啜り泣くジェム。

そんな彼の枕元に、美しき死神──カサルの影が落ちた。


「御機嫌よう。絶望の淵にいる炭鉱夫」


「……っ!? 誰だアンタ」


ジェムは驚いて上体を起こす。寝汗でベトついた髪の隙間から、不審者を見る目を向けた。


「治療費を滞納しているらしいな。恋人にも愛想を尽かされる寸前か?」


「余計なお世話だ……! 金なら払うさ、いつかな!」


「いつか、ではない。今だ」


カサルは懐から一枚の羊皮紙を取り出し、ジェムの目の前に突きつけた。

それは『ヘルメス商店』による、新型掘削機の試験運用契約書だった。


オレは君にチャンスを与えに来た。失った腕の代わりに、最強の武器を授けてやろう」


「……武器?」


「ついて来い。君の人生を逆転させる『負け犬の歌』を教えてやる」


カサルに連れられ、半信半疑で街はずれの採石場に出たジェムの前に、その異様な物体は鎮座していた。


一見すると、巨大なツルハシだ。だが、柄の部分には複雑な魔導回路が刻まれ、持ち手には集音用のラッパのような管がついている。先端の刃はミスリルでコーティングされ、鈍い輝きを放っていた。


「これが『讃美歌詠唱式ツルハシ』だ」


「なんだこりゃ……悲哀のセレナーデでも奏でろってか? 冗談じゃねえ」


「大馬鹿ものか貴様。歌うのは讃美歌だ。使い方は簡単だ、よく聞け。その集音管に向かって、教会の讃美歌を歌うだけだ。……そうだな、第三章の『異端核の、導きあれ』あたりが良いだろう」


「はぁ? 歌うだけで岩が掘れるわけが──」


「いいから歌え。それとも、一生ベッドの上でめそめそ泣いているつもりか?」


カサルの挑発に、ジェムは悔しげに唇を噛むと、やけくそ気味に管へ口を寄せた。


「───重き殻を───脱ぎ捨てーて───!!」


瞬間。

ヴィヴィヴィヴィィィィンンッッ!!

ツルハシが共鳴音を発し、先端が目にも止まらぬ速さで超高速振動を始めた。


「うおっ!?」


「そのままそこの大岩に当てろ!」


ジェムが恐る恐る振動する刃を岩に押し当てると──

ヴガガガガガッ!

バターを熱したナイフで切るように、硬い岩盤が瞬時に粉砕された。腕力など必要ない。ただ添えるだけで、岩が勝手に砕けていくのだ。


「す、すげぇ……! なんだこれ!?」


「音響振動による岩盤破壊だ。……ただし、歌うのを止めれば止まる。続けろ」


「我ら───が───御手みて───に───その───身を委ね───よぉぉぉ!!」


採石場にジェムの大絶叫と、岩が砕ける音が響き渡る。

カサルは耳を塞ぎながら、ニヤリと笑った。


(ふん。これだけうるさく、恥ずかしい道具なら、そう簡単には普及しまい。一部の物好きが細々と使う程度なら、エディスにもバレないはずだ)


カサルはそう確信していた。

だが、彼は見誤っていた。

金のためならプライドなどドブに捨てられる、エルドラゴの男たちの執念を。



数日後。




ジェムとカサルは、エルドラゴ最大の公営鉱山に向かった。ヘルメスが裏から手を回し、特別に入坑許可を得たのだ。


薄暗い坑道の中、多くの鉱夫たちが汗水たらしてツルハシを振るう中、突如として場違いな歌声が響き渡った。


「♪───異端の核よぉぉぉ! 我が主よぉぉぉ!!」


ジェムである。彼は『讃美歌詠唱式ツルハシ』を抱え、ノリノリで(そして音程の外れた声で)歌いながら、岩壁に向かっていた。


「おい、なんだありゃ!?」


「うるせぇぞ! どこの馬鹿たれだ!」


ベテランの鉱夫たちが怒号を上げて詰め寄るが、次の瞬間、彼らは言葉を失った。

ジェムが歌うたびに、硬い岩盤が爆発するように削り取られ、またたく間にトロッコ一杯分の鉱石が積み上がっていくのだ。


「な、なんだあの採掘速度は……!?」


「おい、お嬢ちゃん。あいつは何を使ってるんだ!」


たちまちカサルの周りに人だかりができる。

汚れた坑道にドレスの裾がつかないよう、魔法で少し浮きながら、カサルは扇子で口元を隠し、営業スマイルを浮かべた。


(……少し目立ちすぎたか。だが、背に腹は代えられん。稼ぐ時は稼がせてもらう)


「あれは『歌うツルハシ』。腕力を使わず、信仰心(と肺活量)だけで岩を砕く魔法の道具だ。……お前たちにも格安で貸してやってもいいぞ」


「けっ、誰がそんな恥ずかしいモン使うかよ! 男なら筋肉で掘りやがれ!」


一人の巨漢が唾を吐き捨てる。

カサルはそれを涼しい顔で彼を見上げた。

いいデモンストレーションになると、口元を扇子で隠しながら。


「ほう。では勝負するか? お前の筋肉と、あの歌声。どちらが早くトロッコを満杯にできるか」


そうして始まった採掘勝負。

だが、結果は火を見るよりも明らかだった。

ジェムは汗一つかかず(喉は枯らしたが)、巨漢の倍の速度でノルマを達成したのだ。

圧倒的な敗北を喫した巨漢は、膝から崩れ落ちた。


「一ヵ月で銀貨一枚……と言いたいところだが、掘り出した鉱石の一割を上納して貰おうか」


カサルは悪魔のささやきを群衆に向ける。


「一割だと……!? 暴利じゃねえか!」


「嫌なら自分の腕で掘ればいい。だが、腰を痛めて引退した仲間や、力の弱い老人たちが、これで復帰して稼ぎまくっても……文句は言うなよ?」


その言葉は、彼らの最も痛いところを突いた。

この街には、働きたくても働けない落伍者ドロップアウトたちがごまんといる。彼らがこの武器を手にすれば、労働市場はどうなるか。


「ズルでも何でもいいから、機械を貸してくれ!」


最初に声を上げたのは、やはり怪我で引退間近だった老人だった。

それを皮切りに、「俺も!」「俺にもくれ!」と手が挙がる。

こうして、エルドラゴの鉱山に奇妙な革命が起きた。


坑道のあちこちから、音程の外れた讃美歌が大音量で響き渡るようになったのだ。


「うるせぇ! 音程合ってねぇぞ!」

「お前こそ歌詞間違えてんだよ!」


罵声と歌声が飛び交うカオスな現場。だが、その採掘量は過去最高を記録しつつあった。

その日の夕方、ジェムは稼いだ金で高価な花束を買った。


「まだこんなモノしか買えねえけど……。受け取ってくれ」


恋人はそれを受け取ると、笑って彼の頭を叩いた。そして一緒に泣いた。

2人はカサルの下にもお礼を言いに来たが、彼は手でしっしっと追い払った。

実験体モルモットにお礼を言われたのでは、罪悪感が勝ったからだ。

だが、ハッピーエンドばかりではない。


カサルが仕掛けた「技術戦争」は、エルドラゴの常識を、物理的にも聴覚的にも破壊し始めていたのである。


(……計算違いだな。こいつら、金のためなら恥も外聞もないのか? オレなら死んでもやらんぞ……?)


予想以上の大流行に、カサルは冷や汗をかいていた。これではエディスの耳に入るのも時間の問題である。


そして、その喧騒を遠くから苦々しく見つめる影があった。


エルドラゴの鍛冶屋ギルドの男たちだ。


彼らの倉庫には、キャンセルされた旧式ツルハシの在庫が山のように積み上がっている。


「……ふざけた真似しやがって。あの小娘、タダで済むと思うなよ」


男たちの瞳には、自分たちの生活を脅かす商売敵に対する、明確な殺意が宿っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る