第一章:エルドラゴ 編
第13話 おバカ貴族と空の旅
カサルがマリエに拉致されて二週間が経った。
ザラとマリエの密約を知らない教会はカサル捜索に名乗りを上げ、関係者による大規模な捜索が領内で行われていた頃──彼は上空三千メートルで優雅に日光浴を楽しんでいた。
「カサルちゃん、向こうに大きな雲があってね。ちょっとお願いできないかなぁ」
マリエの声が伝声管から聞こえてくる。
水着姿のカサルはビーチチェアから体を起こすと、サングラスを少しずらして前方を睨みつけた。
そこは極寒の世界だ。
通常なら氷点下に達し、呼吸すら困難な高度。だが、カサルの周囲だけは、彼が展開する【風の結界】によって地上の春のような暖かさが保たれている。
そんな彼の聖域に対し、前方には巨大な積乱雲が、不躾にも仁王立ちで立ちはだかっていた。あれでは日光が遮られてしまう。
「ふん……仕方あるまい」
カサルは面倒くさそうに小麦色に焼けた右手を上げる。
指先に小さな風の渦が形成される。それは初め小さな微風のようであったが、カサルが独自の演算式を加えると指数関数的に膨れ上がり、やがて雲を吹き飛ばすに充分な暴風へと形を変えた。
「雲如きが、
カサルが手をかざすと、巨大な風の塊が砲弾のように積乱雲へ突撃し、そのドテッ腹に風穴を開けた。
向こうの青空が見えるほど巨大な穴のできた積乱雲はやがて崩壊し、霧散して消滅する。
それを艦橋の中から見ていたマリエは、梯子を伝って甲板へ上がってくると、ぱちぱちぱちと小さく手を叩いた。
「おみごと」
マリエの適当な称賛に「フンッ」と鼻で返事をすると、彼は労働の対価を要求した。
「喉が渇いた。前に飲んだ冷たいレモンの飲み物を貰おうか」
「カサルちゃんはレモンスカッシュが好きなんだねぇ」
マリエの持って来たグラスに入った薄黄色い液体を、カサルはストローで吸い上げる。爽やかな甘みと酸味が頬を綻ばせ、全身に活力が滾ると、彼は再びビーチチェアの上で大の字になった。
「おいしい? 」
「無論だ」
カサルの返事に満足したのか、マリエは薄手の黒手袋をした手で、彼の頭を撫でた。
手袋越しであれば蕁麻疹が出ないと判明してからというもの、マリエとのスキンシップはこうして手袋越しに行われるようになっていた。
「どこに向かっているんだ? 」
撫でられるがままになりながら、カサルは艦長であるマリエに訊く。
この船の目的地はリーダーのマリエが決めるのがルールだ。
「気になる? 」
「当たり前だ。日光浴をしていたら、いつの間にか衛兵に囲まれていたなどと言うことが無いように頼むぞ」
「大丈夫、普通は空で待機だよ。たま~に勇ましい兵士さんが飛び乗ってきたりするけど、カサルちゃんならだいじょうぶ! 」
マリエはそう言って地図を取り出した。ヴェズィラーザム領から南東の内陸部。彼女が指差したのは、鉱山資源が豊富な地域として知られるシソーラ侯爵領だった。
「ココはもう我の船でもある。無礼者がたかるというのであれば、留守番がてら蹴散らしてやるさ」
自分を偽らなくて良くなったことと、好きなことが好きなタイミングで出来るということで、カサルは今の生活を存外気に入っていた。
「ところでシソーラ領のどの辺りに向かうのだ」
「次はシソーラ侯爵領の『エルドラゴ』って街の上に止まるよ」
「エルドラゴか。……知り合いのいる街だな」
カサルはレモンスカッシュを飲みながら答える。
「お友達? 」
「……ああ。まあ友達と言うのは少々おこがましい相手ではあるがな」
エルドラゴに本邸を構えるシソーラ侯爵は、国内でも指折りの資産家だ。当然そこの娘ともなれば気前もよく、お茶会などではいつも取り巻きにお菓子や紅茶をご馳走するため、『紅茶貴族』のあだ名で慕われていた。
カサルもよくそのお茶会に呼ばれては、上等なケーキやクッキーを恵んでもらい、ペットのように可愛がられていたものだ。とりわけシソーラ侯爵令嬢エディスとは特に因縁深い相手でもあった。
「エディスの街か。ソイツは中々に楽しみだが……エルドラゴと言うのは、確か龍災のあった街の近くではなかったか? 」
カサルの問いかけに、マリエは小さく首肯する。
龍災。
ただ空を高速で泳ぐだけで、その余波で地上の家屋を吹き飛ばす災害級の巨大生物、龍。遠くから見れば優雅でも、近くに来れば台風以上の被害をもたらす災禍の化身。彼らによってもたらされる災害を人々は畏敬の念を込めて龍災と呼んだ。
「うん。龍災あるところに空賊アリってね。エルドラゴを拠点にして、人が住めなくなった場所にお宝を取に行くんだよ」
「ん……なるほど、火事場泥棒というわけか」
「うん、資源の有効活用だよ。現場には他の空賊もいるだろうから、私達が仕事に行ってる間、お留守番していてね」
物は言いようだとカサルは呆れるが、ふと大きな問題に気づいた。
仕事に行くということは、艦内に誰もいなくなるということだ。
「おい、我の夕食はどうなる? 」
「お昼から出るつもりだから……晩御飯は外食お願いしてもいい? 」
そう言って彼女は申し訳なさそうに”鉱山の故郷、眠らない街エルドラゴ”と書かれたチラシと、皮袋に入った小銭を差し出した。
「むぅ……軍資金が出るなら文句はないが」
「鉄板料理が流行なんだって。きっと美味しいよ」
鉄板料理とは何ぞや、という疑問は街についてから探るとして、マリエがなぜそこまで詳しいのか気になった。
「ずいぶんと詳しいな。ずっと前から調べていたのか? 」
「うん。そこは前から行こうと思ってたんだ。エルドラゴは異端核の産出量でも話題の街だし。……そこなら私に合う異端核が見つかるかも知れないから」
マリエはそう言いながら胸のネックレスを撫でる。
それはカサルがかつて分解した異端核で作った、即席のアクセサリーだ。
外殻を取り外され、器械とは思えぬ剥き出しの筋繊維が覗く不気味な装飾品だが、マリエはそのデザインを気に入り、日頃から大切に身に着けていた。
「自分と適合する異端核があれば、そいつは光る。すぐに分かるはずだ」
「うん、楽しみだなぁ」
カサルはビーチチェアに寝そべり瞳を閉じる。
眼下には、見覚えのある渓谷の街並みが近づきつつあった。
赤茶けたレンガ造りの建物と、荒々しい鉱山都市。その渓谷の丘に
「……エディス・シソーラ。あやつの『可愛がり』は、マリエの比ではないからな」
脳裏に
もし、ここで正体がバレれば──今度こそ「檻」に入れられ、一生飼い殺しにされるかもしれない。
「……変装は完璧にする必要があるな。さて、少しばかり気合を入れて化粧をするとするか」
カサルはサングラスの奥で目を細める。
彼を待ち受けるのは、美味しい鉄板料理か、それとも「紅茶貴族」という名の魔物か。
空の旅は、地上についても尚、波乱の予感を漂わせている。
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