第-2話 おバカ貴族と弟

今にも殴りかかろうとするザラを、母ジュディスが扇を閉じて制止した。


「カサルはとっても良い子よ。でもねアナタ、あの子が領主だとちょっと心配でしょう?」


腕を組み、頬に手を当てて困った顔をする妻に、領主イザームは「うぅむ……」と唸る。


ザラは成績優秀で、剣術大会でも幾つかの賞を持つ実力者だ。


異端核には選ばれなかったが、それを努力で補おうとするハングリー精神も持ち合わせている。彼がカサルの弟でなければ、イザームも迷わず次の領主に据えていただろう。


しかし運命は非情だった。


「茶会事件で頭を打った兄上は変わったんです! 以前は神童だったかも知れない。でも今はチビで女装趣味の変態狂人です!」


嗚咽おえつ混じりに吐かれた兄への侮辱に、両親は言葉を失った。その怒りこそが、彼の苦しみから漏れ出た慟哭どうこくなのだと分かったからだ。


だが時として、イザームは父としてではなく、一貴族として息子に伝えなければならぬことがあった。貴族の世襲は、家族間の合意だけで決まるものではない。


同胞や権力者に気に入られているかどうか──それが極めて重要なのだ。


「……口を慎め。腐ってもお前の兄だ。落馬してからあの子の知能は確かに幼児並みになった。たまに奇行にも走る……だが、公爵様や教会からの評判はすこぶるいい」


それに反発するようにザラが畳み掛ける。


「では領民に問いただしてください! 一体どちらが領主であるべきかを! 」


書斎の空気が張り詰める中、執事バドがわざとらしく咳払いをした。何か解決の糸口でもあるのかと、イザームは助け船を求めた。


「どうしたバドよ。何か言いたいことがあるのか? 」


バドが恐縮しつつ、主人のために答える。


「ええ、その……申し上げにくいのですが、一部の領民からは『バカサル様』などと、不敬な呼び名で親しまれておりまして……」


「ほら見た事か! 」


ザラが勝ち誇ったように声を上げる。しかしそれは一瞬のことだった。


「しかし、大衆からの好感度は常に素晴らしいのです。つい先日も街の子供達と追いかけっこをして遊んでいるのを目撃した者が何人もいます」


「はぁ? なんでだよ!?」



兄より自分が劣っているなどとは露ほどにも思っていないザラにとって、兄の領内の評判が高いことは許しがたい事実だった。


「おかしいだろう……馬鹿にされているのに、十八にもなってガキと走り回っているようなヤツだぞ? 」


「ええ。その……評価が地に落ちているからこそ、もはや下がりようがないと言いますか……。今年の誕生日プレゼントに、領民全員から『たい肥』を欲しがるような方ですので……」


ザラは執事の言葉に絶望した。


誕生日に宝石でも剣でもなく、たい肥を欲しがって喜ぶ貴族など、世界を探しても兄以外にいない。

自分の兄は正真正銘の狂人だ。そんなものと血縁であると思っただけで、ザラは卒倒しそうになった。


「そんな汚名にまみれた領主が古今東西どこにいるというんです!? 誰も未来が不安にならないのですか! ただでさえ、うちの領地の評判は底辺なんですよ!? 」


ザラの言葉は一言一句正論だ。イザームも「その通りだ」と頷くことしか出来ない。


しかし、公爵様や教会の言葉はそれよりもはるかに重かった。


公爵様はカサルのことを「カサル君はねぇ、いいねぇ。かなりイイと思うよ。可愛いし。手に添えて愛でたいよね」と高く評価していた。


──その反面、ザラに関しては「誰? 弟?……あぁ、うん。真面目で良い子だよね。でもさ、凡夫っていうか。ねえ? 分かるでしょ? 」としか言われなかったことが、イザームの中で軽いトラウマになっていたのである。


そしてカサルが領主になることを望む派閥には、異端核を信仰対象とする教会の圧力もあった。


教会は貴族全てが異端核を保有することを望んでいる。そしてカサルは五歳という若さで見事に異端核に選ばれた。全てが順調に進んでいた───はずだったのである。


全ての始まりは、異端核に選ばれたあの日にさかのぼる。

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