神に選ばれた妻は、あまりに小さくて幼すぎる。

序章

　――森が、焼けている。

　燃え盛る赤と、力尽きてゆく緑のコントラストが月夜に照らされ、一層鮮烈に浮かび上がる。嫌になるほど、目に焼き付いていく。

　そして今、彼――アリスティドは、ただそれを見ていることしかできない。

　この森は、生まれ育った村を囲む広大な森。

　先祖代々、護り・護られてきた神聖な森。

　そして、生まれてから死ぬまで変わらずそこにいてくれる家族でもある森。

　そんな森が今、焼けている。

「……どうして」

　力ない声がこぼれた。

　今日この日は、本来なら村の存続を賭けた大切な運命の日。

　そう、15歳の誕生日――正確には、来てしまった、の間違いかもしれないけれど――アリスティドが望んでいなかった日。

　でも。

　こんな形で《この日が無くなればいい》という、ほんの僅かな希望が現れるなど思いもしなかった

（――っクソッ！）

　地面に拳を叩きつける。意味がないとわかっていても、無力な自分への憤りをぶつけずにはいられない。

　この村のしきたりでは、15歳になったばかりのその一日だけ、魔力を封じられる。そして、その一日が終わるまでは、この離れのある敷地から出てはならない。

　それがココ家、いずれ村の長を務める者に課せられる、一生の大試練。

　代々生まれてくるのが男の子だけという不思議な家系。

　15歳の誕生日の日に、運命の相手と運命の出逢いを果たすのだから。

　誕生日を迎えてから一番初めに出逢ったその相手が女性であるならば、いかなる理由もなく伴侶として娶ることができるのだから。

　悔しさが込み上げる。

　だからなんだ。

　そんなものより、僕にはまだやりたいことがある。下らないしきたりに縛られている暇なんてない。

　そう思っているのに。

　それに応えるかのように炎は更に勢力を増すばかり。いずれ、村も焼き尽くされるのは時間の問題だろう。

（……村のみんなはどうしたんだ）

　ふと疑問が浮かぶ。

　この村の魔術師は国でも指折りの実力者ばかり。森が燃えればすぐに気付き、消し止めるのは造作もない。しかし、水の一滴も降らず、火は強まっていく。

　彼ら程の魔力の持ち主ならば、まずその火種が燻る事さえ予見出来たはず……。

　誰も居ない森を見渡す。

　炎の音以外、何もない。

　もう……諦めるしかない。

　アリスティドの家系は代々神父になる宿命を負っている。だがこんな仕打ちを受けてまで、信仰を続けられるはずがない。

「……何が神だ。クソくらえだ」

　何も出来ない自分にも、助けに来ない村にも、燃え続ける森にも、すべてに腹が立った。

　もういい。

　そう思って目を閉じた。

　――瞬間。

「……えっ」

　ザァアアアアアッ

　今までにない豪雨が降り注ぐ。まるで川の水そのものが空から落ちてくるように。

　そして炎を、一気に呑み込んでいった。

　神の御導き――そう思わせるほどの。

　アリスティドは慌てて外へ飛び出した。

「……どうなってんだ」

　不思議なことに、彼のいる離れの周囲には雨が降っていない。まるで結界に守られているかのようだ。

　それだけではない。

　あれほどの豪雨なのに、水たまりがひとつもできていない。

　つまり――誰かが意図的にこの雨を降らし、森を鎮火させている。

　一体、誰が？

　答えは意外にも、すぐ近くにいた。

「う？」

　小さく声をあげた少女が、両手を天に掲げたままアリスティドを見ていた。

　魔力を封じられたアリスティドにでも感じ取れるほどの圧倒的な魔力。

　どれほど強大なのか。

　小さなその身体からあふれ出る魔力は、微塵のブレもない。どういう想いでこれほどの雨を降らせたのかはわからない。

　ただわかるのは――

　彼女が村の者ではなく

「あーうっ！」

　――まだ言葉もおぼつかない、小さな小さな女の子だということ。

　つまり。

「……嘘だろ……？」

　出会ってしまった。

　15歳の誕生日の日に。

　運命の相手と。

　アリスティドが今日、最初に出会ってしまった、女性。

　彼女は――

　いかなる理由もなく、娶ることができる相手。

　鎮火しつつある森よりも、その現実が先に頭に浮かんでしまうのは、ココ家に生まれた性なのか。

「うー！」

　にこにこしながら、足にぎゅっと抱きついてくる少女。

「……僕は認めないぞ」

「あう？」

　まだ言葉が解らないのか、アリスティドが呟いた言葉に軽く首を傾げる。

　それほどに小さな女の子。

　それでも――

　この子はもう、アリスティドの“妻”になる。

　――僕は、運命なんてそんなもの、

　はなから信じてなかった。

　この日が例外になるなんて、ありえない。

　信じたこともないし――信じたくもない。