第39話・知識の探求者達

「遺された本、そのほとんどが父の写した物でした」


 夕方になり、やや人が増えてきた食堂の中、ピエラ

は控えめに、且つ淀みなく話し始めた。


「父は元々、ただの凡夫です。まだ母と出会う前、

彼は平凡でありながら知識の尊さに気づき、それを

集める方法を考えていた……と聞きました」


 今までの大人びた様子が、少し崩れる。


「父は唯一得意な事があり、それが"治癒魔法"でした。

神官達の使うものと遜色なかったそうです」


 神官であれば、大抵の人が使える治癒。いや、

正確には逆か。治癒が使える者が神官を目指しやすい

と言うべきか。人を癒す才を持つ人々は、総じて

神への信仰心も高いことが多い……と、以前誰かから

聞いた覚えがある。


「聖職には就かず、父はひたすら紛争地帯に赴き、

そこで傷ついた人々を治し、上級階級や王家への

繋がりを作りました。戦で疲弊した国や貴族から、

"報酬に何を求めるか"と問われる度、父は

"本の閲覧権"を、と答えたそうです」


 少し、息を飲んだ。知的好奇心から始まった事

なのだろうが、方法が極端。ただの好奇心で括るには

些か危険が大きい手段を選んでいる。そう思った。


「なるほどな。そりゃ賢いぜ。ただの平民が上級階級

に絡む方法としちゃ、これ以上なく合理的だ。

……だいぶ行き過ぎてるがな」


「ええ。恐らく、半分狂気に似たモノだったのかも

しれません。初期は通常のインクで記していた

簡易写本も、次第に個人閲覧に特化するため、こんな

おかしな方法で記し始めました。我が父ながら、少々

怖いですよ。短い戦争が終わる度に閲覧権を得て、

戦の火が見えない時期は既に権利を得ている国や領土

に赴き、ひたすら写本する。……もはや取り憑かれて

います」


 僕は今、知識を求めて旅に出ている。だが、僕は

ピエラの父程、徹底できるだろうか。渇望の対価

として、命の安全を捨てる。ただの自暴自棄とは

少し違った方向の狂気だ。きっと彼は死ぬ気で戦火

に飛び込んでいたのではない。戦火に焼かれても

なお生き残るという覚悟で、知識を掴んでいたの

だろう。


「母と出会ったのは、その治癒の旅の途中。傷ついて

浜に打ち上げられていた母を父が治癒したのが

きっかけだと聞きました。ただでさえ陸上での生活

が色々細かな困難になる母、私が産まれても写本

の為紛争地帯に乗り込み続ける父。両親が早くに亡く

なるのは、ある意味当然だったのかもしれません」


 目の前の話者が、少女であるという事を忘れる

ような独白。言葉が出てこなかった。ルアさんも

ダガーも、沈黙に落ちている。その空気を破ったのは

彼だった。


「ピエラはさ、父ちゃんと母ちゃん好きだったのか?」


 カイル。彼もまた、幼くして両親を失っている。

ルアさんという保護者と出会えた違いはあれど、

恐らく共感しやすい立場なのではないだろうか。


「……いいえ」


 ピエラの口から出てきたのは、否定だった。


「正確には、分からない、ですね。私は両親の事を

自分でどう思っているのかがよく分からない。別に

私は両親の愛に飢えていた訳ではない。母も、たまに

帰宅する父も、私を大事にしてくれていたとは

思います。教育、衣食住、それらはちゃんと与え

られていました」


 なら、なぜ。言いかけて喉につまる。カイルのよう

にスラスラと言葉が出てこない。僕の共感は、彼女

に失礼な気すらした。


「でも、私の容姿が"こう"なのは……私が今、孤独

なのは……それらが、愛情を相殺していくんです」


 カイルが両手で頬杖をついて、ピエラを覗き込む。


「でもさ。父ちゃんと母ちゃんは、ピエラの事好き

だったと思うぞ。じゃなきゃピエラ、今"こう"

なってないだろ?俺よりちっちゃいのに、俺より

はるかに脳味噌に筋肉ついてる。嫌いな奴を鍛えて

やるって、大変なんだぜ」


 ……この男は……普段ズレてる癖に、こんな時だけ、

正面からど真ん中を打ち抜く。参った。ルアさんは

無言でカイルの頭を撫でている。当の本人は、間の

抜けた顔で頭にクエスチョンマークを浮かべながら、

大人しくよしよしされていた。


「……それでも、私にはまだ分からない。だからこの

依頼を随分前に掲示させて頂きました。両親が何度も

寝る間際に話してくれた、水龍の話。海から突然

現れ、数多の鱗をキラキラ輝かせ、ザバンの何者より

も高く登る龍。私は、彼らが見たものを見てみたい。

その光景を両親の遺してくれた愛だと胸に刻みたい。

……それが、今回の依頼になります」


 僕の中で、依頼に挑む心持ちが変わった。単純に

仕事をこなして報酬を得るという、その形式自体は

変わらない。だが、ザバンを発つ前に解決をしなけ

れば、恐らく海水の飛沫は一層塩辛くなる。そんな

気がした。


「……改めて、謹んで承りました」



 部屋に戻り、ベッドに横になる。両手を組んで頭の

下に敷き、天井を見上げた。隣ではカイルが真っ直ぐ

うつ伏せに突っ伏している。今日も、あまりにも

長かった。トリトンの事件という新たな要素が増えて

しまい、かなり頭の疲労が激しい。戦闘や荷運びとは

全く違う疲れ方。きっと今日1日でハディマルの10日

分くらいは物事が動いている。


 朝早くに商館の宿泊室にて商人トリトンが何者かに

殺害されたことを知る。その際、姿は見えないもの

の、ダガーの魂の眼にて現場近くでガンドを発見、

すぐに見失う。


 ジバル会の拠点に単身訪問、ケヴィオ、ラード

ラッド、サグロと話し、水龍関連の情報をもらう

代わりにトリトン事件解決に協力する約束をする。

浜辺でダガーと反省会。


 午後に入って、ルッソさんに話を聞く。ガンドが

どうやら昔から若いままであるという情報を得る。


 その後、輝くアルフ一行と遭遇。トリトンの部屋

には飛び散った血、壊れた荷物などが散乱していた

という情報を得て、よく分からない容疑者認定を

受けた。


 宿に戻り、ピエラの報酬や家族の話を聞く。彼女

の依頼は、彼女の救済なのではないかと思い直し、

決意を新たにする。


 宿のベッドに転がり、今ここ、と。……1日の

出来事とは思えない密度だ。恐ろしい。


 明日は何をするか、どう動くか、何を考えるか。

それらは一旦、明日の朝目覚めた僕に任せよう。重い

瞼に逆らわず、そのまま静かに、目を閉じた。



 少し引き摺るような重い足取りに、靴底が悲鳴を

上げている。硬いコンクリートはまるで磁石である

かのように、僕の足を引き付け、離さない。


 詰襟の窮屈さを意に介さず下を向く顔。視線が

捉えているのは常に地面と、靴の爪先だけだった。


 公園では無邪気にブランコをこぐ小学生。砂場には

放り捨てられたランドセルが転がっており、無言で

子供たちの笑い声を受け止めていた。


 踏切の音が耳を劈く。僅かな風と共に走り抜けた

電車は、遠くの背景と僕を隔てる壁のように見えた。


 他人の家の塀。他人の家の庭。他人の家の花壇。

それらは僕の視界の隅を滑り抜けて、視野角の外に

出ていく。あれは、僕と関係の無いものだ。


「なぁ。お前んち、医者なんだろ?」


 ……うん。そうだけど。


「ならさぁ……俺たち友達だろ?金貸してくれよ。

金持ちなら1万くらいならバレねぇだろ?」


 ……いや、無理だって。


「家ん中探したらいくらでもあんだろうが、明日、

必ずだぜ」


 …………面倒臭い。


 家の玄関には、大きな革靴。父さんがもう帰って

きているようだ。廊下の壁に並んだ、妹の額入り賞状

を目に入れないように台所へ。


 ……ただいま。母さん、参考書が欲しい。


「おかえり。この前買わなかった?別にいいけど、

ちゃんと買った分勉強するのよ。いくら?」


 ……うん。ありがとう。1万円お願いします。


 僕の制服は、常に誰かから背中部分を引っ張られて

いるのではないかと思うことがある。学校へ向かう時

も、家に帰る時も、ニコニコ笑う人の顔を見る度に、

引っ張る力も強くなる。前髪が邪魔だな、目に入る。


「修学旅行って言っても、やることほとんどないよね」


「班の自由時間なんて食いたいもの食うだけだしな」


「あたしたこ焼き食べたーい」


「でもあれ、めっちゃ列できてんじゃん。だるー」


 ……僕、並んでおくから、みんな好きにしててよ


「まーじー?優しーい」


「暑いから日陰行こーぜー」


 長い列は、一向に進まない。どんどん前に人が

増えていく。既に先頭は見えない。僕は、何のために

並んでいるんだろうか。ああ、そうか、テストの

返却だ。点数は、どうだろう。


「お前、また成績落ちたのか?大丈夫なんだろうな」


 ……ごめん父さん。僕、別の大学に行きたいんだ。


「……何度言ったらわかる。稼ぎにならん道を自ら

選ぶな」


 父さんは僕を指さして、何かよく分からない言語

で僕を非難している。僕をさす指が増える。周り中

から指さされている。なら、しゃがめばいいか。

これで、指は見えない。地面の影は丸く黒い。

いつの間にかそれは底の見えない穴になっていた。

落ちる、落ちる、落ちる。遥か先からコンクリート

の地面が迫り、次の瞬間視界が全て



「……っはぁ!!!、はぁ、……はぁ…………」


 暗い部屋の中で、僕は目を覚ました。久しぶりに

前世の夢を見ていたようだ。呼吸が整わない、胸が

苦しい。全身に汗をかき、頭がぐるぐるする。


 ……良かった……僕は、デニスだ。


「んあ……どした、デニスー」


 ベッドの横に落っこちていたカイルが、半目を

開ける。毎度毎度すごい寝相だ。


「ごめんね。起こしちゃったかな」


 カイルはもそもそ起き出し、僕の下手くそな笑顔

を覗き込んだ。顔が近い。鼻が触れてる。


「……デニス、泣いてるな。嫌な夢見たか」


 力強い手が、僕の頭をわしゃわしゃと撫でる。

髪の毛が絡むのも構わず、カイルはずっとわしゃ

わしゃしている。


「あ、ありがとう。……もう、大丈夫だと」


「大丈夫じゃない。寝る時に泣いてるやつは、苦しん

でる奴だと昔ししょーが言ってたぞ。寝ろ。俺が

横で寝るまで見ててやる」


 そこまでしてくれなくても、大丈夫だと思う。

多分、恐らく、きっと。カイルはお構いなく僕を

毛布の中に押し込む。僕が枕に頭を置くと、額に

カイルの手が置かれた。


「昔よく、ししょーがしてくれたんだ。"夜泣きが

うるさくて仕方ねぇから"って言ってな」


 その手は、とても暖かかった。彼の拳は、こんな

にも優しい手で作られていたのか。


「さっさと寝ないと、俺が先に寝ちまうぞ!」


 僕は、なぜか笑ってしまった。カイルは宣言通り、

その後すぐ僕の胸に突っ伏して、寝てしまった。

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