第25話・乗車権
どこを見ても人の姿が絶えない大通り。オレンジ
がかった黄色の石材が並ぶ地面は、陽の光を浴びて
そこに立つ人々と適度なコントラストを生んでいた。
僕の入ってきた門とは逆側に位置する広場の端には
小さな屋根を張った長机とそれに群がる人々。その
横には立て札のようなものが見えた。
ジークさん達4人と共に歩く中、僕は街に入って
から一言も喋らないダガーに違和感を覚えていた。
(ダガー。妙に静かですね。何かありましたか?)
心の中で話しかけるとダガーはごくごく短く
『……察せ』
とだけ応えた。
どういう事だ?不機嫌ではないものの、妙に含み
のある声色。"察せ"、とは一体……いや、これは以前
にもあった。ダガーが意図的に話さなかった時が。
彼女の会話の特徴として、声を届ける"距離"は殆ど
変えられない。家の庭で実験した感じでは、僕の足で
25歩から30歩分程度。彼女を中心にそのくらいの
範囲に広がる事になる。距離が変えられない代わりに
声を届ける"方向"を絞る事は可能なのだが、そうなる
とどんなに絞っても一直線上にいる人間の耳には入る
事になる。
セリカが家に訪れたあの日、ダガーは早期の警告を
躊躇った。それは僕に声を届けようとするとどうして
も射線上に"敵"が入ってしまう、という位置関係から
だった。
リサイドでダガーがしっかり話していたのは、
クローケ戦の早朝。今の人混みに比べ、起きている
人も少なければ人の密度も違う。ダガーが何を言い
たいのかがわかった。
「ジークさん、すみません、ちょっと待ってて
くれませんか」
頭にクエスションを浮かべた4人と離れ、僕は1人
広場の先の門を出た。
「……この辺なら、大丈夫ですか?」
『なかなか察しが良くなったのう』
ダガーの声が聞こえる人は、一定数いる。それも
これだけの人が集まっていれば、どれだけの人の
耳に入ってしまうか想像もつかない。彼女は無用な
混乱を避ける為に、街の中ではあえて発言を控えて
いたんだ。
「とはいえ、そうなると困りますね。人混みで会話
をするのが困難です」
『その事じゃが、ワシの落ち度じゃ。旅に出る前に
取り決めておけばよかったと反省しとる』
取り決め?確かに彼女と何かを決めた覚えは無い。
『ワシが無言で出来ることは、重量の変化だけじゃ。
……なるほど。重さの変化なら周りから感知される
ことは無い。いわばこれはモバイルデバイスの
"マナーモード"だ。
『肯定は1度、否定は2度、少しだけ重くなる。そして
何か緊急の場合は通常よりかなり重くなる。……これ
でどうじゃ?』
しかもこのマナーモードは、意思疎通までできる
優れものだった。僕は了解を伝え、待っている人達
の元へ戻った。
スコイルの面々は広場横に置いてある樽に腰掛け、
僕の戻りを待っていた。……こうやって遠目に見ると
ジークさんは馴染みの顔なのに、この4人はちょっと
した迫力を感じる。
「どうした?腹でも痛かったか?」
ジークさんの問に僕はダガーと相談していたことを
耳打ちする。ジークさんの仲間が信用できる人達
なのだとは思うが、ダガーの事を全部説明するには
色々と無用な言葉が増える。ジークさんは軽く頷き、
「ああ、緊張してたんかもなぁ。まぁしょうがねぇよ」
と、3人に聞こえるように言った。……ジークさん、
それ、完全に僕が粗相してきたみたいに聞こえます
よ……まぁ、この場は綺麗に収まるから良いか。
ちょっと、綺麗な話じゃない感じだけど。グナエさん
はカラカラと笑い、ヴェスパーさんとカザットさんが
何かを察した顔をしながら、両側から僕の肩にぽんと
手を置いた。
・
・
・
長机の傍まで行くと、グナエさんはニコニコし
ながら胸の前でパンと手を叩き、言った。
「さて。うちは今回キャラバンには参加しない
からな。自力で交渉するというデニス君のお手並み
拝見だ」
腰に手を当てるジークさん、握り手を胸元に置く
ヴェスパーさん、腕組みするカザットさんに見守られ
僕は台帳をつける商人の長机に近寄った。妙に緊張
する。前世での事を思えば受付けなんて別になんて
こと無いはず。なのにこの地味に波打つ心拍は
どういう事だろう。
1度落ち着いて整理しよう。グナエさんから聞いた
キャラバンの説明はこうだった。まず、大きな商隊と
小さな商隊で形態が違うが、大きな商隊は珍しく、
この街からはあまり出ていないとの事なので一旦
除外して考える。
小さな商隊は商人たちが金を出し合い、その代表が
護衛隊長及び御者、雑用を雇う。護衛隊長は隊員を集め、旅の安全保証と雇った隊員への指示、金の分配を
行う。基本的に商人と護衛の繋がりは、隊長と代表
商人のみとなり、それぞれの意見や交渉はそこに
1本化される。
落ち着け。まずは日程の確認だ。立て札には3回分
の予定が書き出されていた。キャラバンの隊長名と
共に数本の斜線やバツ印が並べて書いてある。グナエ
さんから教わった日程の見方によると……おあつらえ
向きに、明日の早朝出発予定のキャラバンがある。
タイミングの良さを喜ぶ気持ちの直後に、参加者が
既に確定していて空きがない可能性を思い不安に
なった。
ダメ元で聞いてみよう。僕は隊長名を確認し、
長机の商人に声をかけた。
「あの、すみません。ガンド隊長のキャラバンに
参加させていただきたいのですが……」
不思議そうな顔で見上げる商人。僕の身なりを
下から上まで眺めて、言った。
「お前、見ない顔だな。商人にも護衛にも見えん。
金持ちの旅客ってわけでもないだろう。もしかして
追放でもされたか?だとしたら他を当たりな」
この瞬間理解した。僕の緊張の種は、単に初めての
受付けから来るものではない。前世において手続きや
書類、受付の類は、徹底的にシステム化されたモノ
に沿って進むだけの、いわばエスカレーターだった。
ここではその認識とはまるで違う。受付けをして
もらえるか否かの時点で門前払いを受ける可能性を
孕んだ"交渉"なんだ。考え方を変えろ、既にこれは
試験なんだ。
明確に権利が示されているのは、商人とそれを守る
護衛、それに金払いのいい者。それらの需要の隙間
で僕が入り込める場所、それは、
「荷物運びのお手伝い、として同乗させていただけ
ませんでしょうか。もし乗せていただけるのなら、
報酬は要りません」
荷運びはポジションとしては商人からの直接雇い。
だが、前日という飛び込みで志願して参加するなら
報酬を受け取る訳にはいかないと判断した。
商人は更に怪訝な顔をする。
「はぁ?いや、確かにそりゃ確かにありがたいが……
お前、その華奢な身体で荷運びしてまで乗り
てぇって、一体どんな事情持ちなんだよ」
「後ろめたい理由ではありません。こう見えて経験が
あります。試しに何か……そうだ。その木箱お借り
していいですか?」
中のものを傷付けないことを条件に許可を得て、
箱の重さを確認する。何かがつまっているようで
かなり重い。
「この箱、運ぶのは大変ですよね?でも……」
僕は箱の底面を狙い《滑れ》と念じる。軽く箱を
手で押すと、まるでキャリーケースのようにするする
と地面を滑り、木箱は移動した。商人は座っていた
椅子からガタリと立ち上がる。
「おい、なんだそりゃ。魔法の類か?」
「はい。僕はこの力で、皆さんの荷物をお運びします。
商人さんは当然として、護衛さんも含め皆さん荷物
は多いと思います。いかがですか?」
その時ダガーが"2度"重くなった。……否定?
なぜこのタイミングで?マナーモードの練習をして
いるのだろうか。いや、ダガーがそんな間の悪い事
をするとは思えない。商人は滑る箱に手を置き、
するするを実感する。不思議そうに何度も往復させた
後、言った。
「……力はわかった。ただ、残念ながらわかったのは
能力であって信用の根拠じゃねぇ。それはどう見せて
くれるんだ?」
……この反応は考えてなかった。確かに能力の
披露は有用性の証明になっても信頼を得る事に直結
はしない。能力の高さが信用になるなら、それこそ
セリカやクローケが信用二重丸という事になる。
ダガーの"否定"は、これか。
あと一押し、何か使えるものはないだろうか……
少し卑怯な手かもしれないけど……これはどうだろう
か。
「……僕は、街の正常化に貢献しました」
「……は?」
正確に言うのなら、決定を下したのは父さんだ。
だからこれは直接僕が行った善行ではない。手札と
して使うにはズルだとはわかっている。
「リサイドにはスコイルという集団がいましたよね。
今でも4人だけ残っています。でも、素行の悪い
人達が姿を消した件に、僕は一枚噛んでいます」
「お、おう、そりゃ確かに、ガラの悪い連中は消えた
が……それは……」
その時、後ろから声がした。
「それはホントだぜ。なんせ本人達が言うんだからな」
ジークさんだ。他の3人もいつの間にか僕の後ろ
に立っていた。
「うちはこの子の事を保証する訳じゃないけど、
スコイルの解散については事実だと断言するよ。
この子が頑張ってなきゃ、スコイルは態度悪い集団
のままだったろうねぇ」
続いてグナエさんがフォローに入る。ああ、結局
彼らの力を借りてしまうのか、僕は。カザットさんの
手が、僕の頭に手をトンと置く。
「……商人の信用を、1人ですぐ得るのは無理だ……」
つづいてヴェスパーさんが僕の横に立つ。
「こ、こここの子は、いい子、だよ」
僕は4人に囲まれ、商人は口をへの字にしていたが
目をつぶって頷いた。
「まぁいい。まだ空きはあるから、隊長と話してみな」
・
・
・
「グナエも人が悪いよな。わかってて焚き付けたろ」
「うちはちゃんと疑えって言ったしー」
そんな会話を聞きつつ、僕は少し消沈していた。
確かに1人で、しかも数言の会話で信用なんて得られ
るはずがない。なんて単純な事か。たとえ実際に
荷運びを少しの時間手伝って見せた所で、それは
"能力を誇示する"だけで、先程やって見せた事と
さほど印象は変わりはしない。
僕は一旦ジークさん達と別れ、商人に連れられ
少し離れた所にいた集団の中の1人に紹介された。
彼らは出発に備え食料や水の確認をしているよう
だった。
「ガンドさん。飛び入りで1人入れるかね?ちょっと
完全に保証はしかねるんだが、この子がな、荷運び
手伝うから乗せてほしいんだそうで」
ガンドと呼ばれた男性は、見るからに体格が良い。
無精髭と体の複数箇所に残る傷が目を引く。僕は頭を
下げ、「よろしくお願いします」と言った。彼は僕を
その鋭い目でちらりと見ると、
「君、いい物持ってるね。剣術の心得があるのかい?」
と言った。
「いえ、しっかりと学んだわけでは……」
彼は「そうか」と一言言うと、僕を連れて集団の
中に導いた。
「あー、もう物資の調整は済んでしまっている。
君の分は自分で明日の早朝までに用意できるかい」
「はい!わかりました」
あれ……?随分すんなり事が進むな。僕は少し
拍子抜けした。特に何を試されることもなく仲間へ
の紹介という流れになるのか。
(ダガー、妙にあっさりですね)
2度加重。否定。
(気は抜かないように気をつけます)
ダガーの1度加重を貰えた。肯定。これは思った
より会話が成立しそうだ。僕は心で喋るだけで良い
し、ダガーの返事も周りに漏れない。むしろ今まで
取り決めなかったのは、確かに反省が必要かもしれ
ない。ガンドさんはその場の人達に声をかける。
「ちょっと注目してくれ。1人追加だ。この子は
第3馬車に乗ってもらう。名前は……あー、君、
名前は?」
「デニスです。よろしくお願いします」
号令でガンドさんの方を見たのは5人。キャラバン
は隊として行動し、商人や旅客を守る為護衛は隊長
の指示に従い旅の安全を守る。この場に集まって
いるのは身なりや体つきから、おそらく護衛の者達
なのだろう。ただし、それぞれの持つ雰囲気が
微妙に違う。雇われなのか自主参加なのかは分から
ないが、おそらく普段は個々の傭兵や旅の者なの
ではないだろうか。雑用や御者も隊として動くなら
隊長の命令が絶対だ。隊員との顔合わせも必要なの
だろう。
「隊長。なんなんだ?コイツは。護衛にはヒョロ
過ぎるんじゃないですかい?」
少し小柄な男性が声をかける。明らかに僕を怪し
んでいる様子だ。なるほど、危険を共にするのなら
参加者の信用は参加者本人達が見極める、という
事か。
「ルッソ。この子の見極めが必要なら好きにしろ。
俺は特に問題無いと判断したが、皆も気になるなら
デニス君本人に聞いてくれるかい。ちなみに彼は
"荷物運び"を志望している。あまり手荒に
んじゃないぞ」
1人の女性が前に出る。かなり小柄で、耳が尖り、
金の髪を後ろで束ねている。エルフ、だろうか?
前世のイメージでいえば、背が低いことを除いて
全てが合致する。彼女はやや乱暴な言葉遣いで発言
した。
「なぁ。ちょっといいか?荷運びならそれこそガタイ
は必要だろ?その辺どうなんだ?」
彼女の発言に、彼女の後ろにいた若い男性も腕を
組み大袈裟に頷いている。彼は多分、見た目の年齢
的には僕とさほど変わらなそうだが、己の肉体に自信
があると見え、腕や膝下を隠さない服装から覗く筋肉
は、かなり発達している。彼はエルフ女性の言葉が
終わると、急にファイティングポーズを取り、耳を
つんざく程の声量で言った。
「ししょーの言う通りだ!あ!俺はカイル!ししょー
はルアだ!よろしくしたいが筋肉足りてるのか、
お前!」
ルア、と勝手に暴露されたエルフ女性はカイルに
振り返り、「コラ」と注意しながら軽く蹴りを入れて
いた。残りの2人男女はやや威圧的な雰囲気を纏った
まま「別に興味無い」「どうせ雑用やろ」とだけ言った。
……これは、なかなかに癖が強そうだ。滑る力を
見せるのは当然として、どう提案したものか。
僕は彼らを納得させる方法を考え始めた。
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