第6話・火のないところに煙は立たず

 狼の一件から数日が経過した。僕たち家族は少し

ずつ平穏を取り戻している。新たな同居人である

短刀のダガーに対して、母さんはダガーちゃんなど

と呼び友達のように話しかけ、父さんは会話が

通じないので未だ僅かに訝しげな目を向けている。

と言っても、初日のような明確な警戒は解けた

ようだ。「お前のためじゃねぇ。鞘はデニスのために

作ってるんだ。大人しく待っとけ」と悪態をつく

程度に留まっている。まぁ、父さんにはダガーの

声が聞こえないので、一方通行でしかないのだが。


 炊事の度に母さんの横でエディが得意げに火を

起こすのが日課になった。指を軽く振るだけで薪に

柔らかな炎を灯す。この数日で更に自分の力の

扱い方を心得たようだ。


「エディったら、もう母さんよりはるかに上手ね」


 と笑う。僕はそれを横目で見ながら、水汲みの

桶を滑らせて運ぶ。エディの魔法は繊細且つ強力に

成長しているように見える。昨日なんて、遊び半分で

庭の落ち葉を全て焼き飛ばし、芝には一切の焦げ跡を

残さなかった。物理法則が裸足で逃げ出しそうな

器用さだ。ただ、転んで涙目になっている時や

イタズラを怒られて不貞腐れている時はその限り

では無いらしい。途端に制御が不安定になり、

危うくボヤを起こしかけたりもした。


 そんなエディの成長を、素直に喜べない自分が

いることに気づいた。父さんの言葉を思い出す。

守るためとはいえ、自分を犠牲にするな。自分を

守ることも忘れるな。前世と同じようにまた、

無意識に自分から貧乏くじを引く癖があるのかも

しれない。エディの炎が鮮やかになるたび、やはり

前世の妹の影がチラつき、我慢する事が当然という

言葉がリフレインする。


幼い頃に聞く言葉は、無意識に刷り込まれる呪い

なのかもしれないと思った。僕は最善を考える際、

どうしても自分が数に入っていない。そして判断

するその瞬間、勘定不足に気づいていない。


『おい。小僧』


 ダガーが不満を隠そうともしない声で話しかけ

てきた。……またか。要件はわかっている。


『鞘はまだか!ワシはいつまでこんな所で待てば

良いのじゃ!持ち出せ!ワシを持ち出せ!』


 ダガー。あの短刀は、父さんのいいつけ通り

子供部屋の高い棚に置いである。毎日手入れは

しつつ、エディが起きている間は埃避けの布をかけ

てある。彼女が唐突に話しかけてくる事も少しずつ

日常のひとつに組み込まれてきた。


 色々試すうち、彼女との会話はある程度距離が

離れていても可能だということがわかった。

実験の結果、正確な距離までは分からないが、

棚に置いた状態で、庭の端の柵あたりまで

離れると声が届かなくなる事も把握した。

……前世の世界にあったモノサシって、実は

すごく便利だったんだなぁ……


 同時にこれはダガーが魂の形を"見える"距離とも

一致するらしく、その範囲内であれば生物の有無や

だいたいの大きさを把握できるそうだ。命あるもの

のみを見るため、地形や壁などは分からないらしい。


 また、ダガーの声は波長の会う者は全員に

聞こえる。エディと父さんはどうやら彼女の声を

聞く事ができないようだが、僕と母さんには常に

聞こえるという事だ。ある程度指向性を持たせて、

狙った方向のみに声を届けることもできるらしい。

夜、僕とダガーの会話を母さんにまで聞こえない

ように工夫してくれているらしい。


『錆びるぞー。ワシ、錆びるぞー。構え。

先日ワシを滑らせたやつ、あの遊びは面白い。

さぁ、ワシを滑らせて構う事を許可してやろう!』


 少し前に、退屈をしているダガーを何気なく能力

で滑らせてみた。ダガーは大層気に入ったらしく、

妙にはしゃいでいた。老人のような喋り方と

相反するような子供っぽい部分が見えて、今まで

漂っていた威厳がやや揺らいだが、彼女の

『ワシは身一つでは移動もままならぬからのう』

という一言にハッとした。この短刀にとって何者

からも触れられずに移動できるというのは、僕が

思っている以上に特別なことなのだ。子供っぽい

などと思ってしまったことを内心反省し、今に至る。


 駄々をこねるダガーをなだめていると、庭の方に

人影が見えた。人が尋ねて来ることは別に珍しい

ことでは無いが、見慣れない顔があると田舎では

少し目立つ。1人は先日お世話になったジークさん

だが、横にいる女性は見たことがない。


「お昼時にすいませーん」


 ジークさんはパタパタと手を振りながら敷地内に

入ってきた。家の中はちょうど昼食の準備がだいたい

済み、いい匂いが漂っていた。



「いやぁ、なんかすいません、オレたちの分まで

お昼出してもらっちゃって」


「良いのよー。お口に合うといいのだけど」


 テーブルの上に並べられた料理に、ジークさんは

申し訳なさそうにしている。椅子は4脚しかないので

エディは母さんの膝の上に座り、ジークさんと女性が

隣合って座っている。


「紹介します。オレの友人のセリカっす。まぁ、

同業者というかなんというか」


「初めまして」


 セリカです、と端的な自己紹介をした女性は

軽く頭を下げた。切れ長の目をした美人で、印象

的にはジークさんより少し歳上に見える。


「この前、デニス君に仕事の話したんで、もう

少し話したいなぁって思ってお邪魔しました。

セリカ連れてきたのは、多分実際仕事する時

関わるだろうなぁって思いまして」


「よろしく」


 そうだった。ジークさんの家の仕事、つまり

荷運びや馬貸しの仕事を手伝わないかと誘われて

いたのだった。バタバタしていて頭から抜けて

しまっていた。なんでも、荷運びは街や村を回って

届け先に直接届け、送り主から送料をもらう完全な

元払い式の運送業のようなものらしい。前世と違い

トラックやバンではなく馬車を使うが、内容自体は

理解しやすかった。電話のようなモノが無く、事前に

送付先へ連絡する手段が無いので着払いという概念は

あまり無いのだろう。


「時々、客の中には手紙とか伝言を頼む、なんて人も

いるんだけど、実はそれは担当が違うんだ。

うちの馬は荷物を載せても力強く牽引できる

足腰の強い種類で、手紙なんかを届けるのは

速度が重視される種類が選ばれる。とりあえず

オレんちは重いものやデカイもの、荷車で運べる

モン限定って感じっすね。んで、セリカは

この前行ったリサイドを中心に動いてるんで、

たまーに連携したりするんすよ」


 説明を聞く傍ら、少し気になったことがあった。

セリカさんはあまり表情を変えずかなりクールな

雰囲気をまとっている。食事もあまり進んでいない

ようだが、どうにもチラチラとエディの方に

視線を寄せているのが見て取れた。


「ジークさん、説明ありがとうございます。色々

わかりました。1度ちゃんと見学というか、お手伝い

に行ってみたいのですが、よろしいでしょうか」


「もちろん!是非見に来てよ。あ、もしオレが

仕事で出てても、多分親父はいるから。その時は

親父に声掛けてよ」


「はい、ありがとうございます」


 「ところで」と前置きをし、僕は言葉を続けた。


「話は変わるんですけど、セリカさんって、子供

が好きなんですか?」


「え?」


「いや、えと、さっきから結構頻繁にエディの

方を見てるので、小さい子が好きなのかなぁと思い

まして……違ったらすみません」


「ふふ、よく見てるのね」


「あと、ジークさんと同業者という事は、この村

にも荷物を運んだりするんですか?ごめんなさい、

僕セリカさんのこと初めて見た気がしまして……ほら、

この村小さいから、全員顔見知りと言いますか……」


 少し視線を落としていたセリカさんが僕の顔を

真っ直ぐ見つめ、うっすらと笑う。隣のジークさん

が肘でセリカさんの腕を小突き、笑いながら言った。


「コイツこう見えて可愛いものが好きなんだよ!

見た目なんか無愛想で怖いのにな!あとだいたい

仕事中は日除けでフード被ってるから、セリカの

顔は見たことないかもしれないね」


「ふふ、とても清楚で素敵な彼女さんだと思うわよ?

今度、村に来た時は休憩にでも立ち寄ってね」


 母さんが少しズレた方向から会話に参加した。


「彼女じゃないっすから!どーぎょーしゃ!」


「あら、そうだったわね。ごめんなさい、私てっきり

そういう関係なのかと」


 ふふふ、と笑って母さんはお茶を淹れに席を

立った。今まで座っていた椅子にはエディが

座り直す。


「そういやエディ君、その後どうだ?魔法は

どんどん上手くなってるってボリスさん言って

たけど。あの人、ここんところ工房で鞘作ってるか

エディ君の自慢してるかだよ。仕事しろーっ!って

鍛冶屋の親方に言われてたなぁ」


 そういうとジークさんはケタケタと笑った。

ふふーんと鼻を鳴らし、エディは腰に手を当てて

自慢げに笑った。


「ぼく、すごい上手になったよ!」


「そうかぁ!この前の狼追っ払った時も凄かった

しなぁ。エディ君は将来立派な天才魔法使いに

なるかもなぁ」


 弟が褒められるのは嬉しいけど、僕の劣等感に

小さな棘が刺さった。エディは自分の掌の上で

指の先程の小さな火球を披露している。ジーク

さんとセリカさんはそんな無邪気な弟に拍手を

送り、微笑ましい光景が広がった。



「じゃ、オレらはこれで失礼します。食事ありがとう

ございました。ご馳走様っす!」


 席を立つジークさんとセリカさん。それを見て

僕は玄関まで見送りのため椅子から降りた。


(いたっ)


 床板のささくれのようなものが足にチクリと

刺さった。勘弁して欲しい。刺さるのは心の棘

だけで十分だ。そのまま気にせず2人を見送る。

ジークさんは振り向いて手を振りながら庭の門戸

から出ていった。


『…………小僧』


 ダガーが話しかける。また自分を構えという要求

かと思ったが、少し声の調子が違う。


『床をよく見ろ。お前が座っていた椅子の下じゃ』


(あ、さっき床板の棘が刺ささりました。はは、

ついてないですよね)


『たわけ。もっと良く見ろ。前も言ったがワシは

魂しか見えん・・・・・・はず。じゃがそこにほんの小さな

何かが見えている。この意味が分からんのか』


 促されるままに床を見に行った。先程棘が刺さった

辺りをよく見てみる。


(なんだ……これ……)


 小指の爪程の黒い棘が、床から伸びていた。

床板のささくれなどではない。錆びた釘のような

質感だが、触れてすぐに灰のように散ってしまった。


「デニス。ダガーちゃん何か言ってたけど、

どうかしたの?」


 母さんが不思議そうに声をかけてくる。何かを

訴えようにも、そこには既に何も無い。僕は咄嗟に

心配かけまいと誤魔化した。


「……なんでもないよ、大丈夫」


 何も無い床板を見つめて、僕はなにか気持ち悪い

残滓を感じ、背中に冷や汗が伝った感覚を覚えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る