転生聖女は魔王の秘書!~ポンコツ魔王様(激カワ)を甘やかしてたら、いつの間にかホワイト魔界ができてました~

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第1話 魔王様の尻尾は今日も揺れる

重厚な黒曜石で造られた円卓が、冷ややかな魔導照明の光を反射している。


ここ魔王城の最奥。

『玉座の間』に隣接する第一会議室には、空気を凍らせるほどの緊張感が張り詰めていた。漂うのは、古びた羊皮紙の匂いと、歴戦の猛者たちが放つ血と鉄の臭気。そして、それらをすべて上から押さえつけるような、圧倒的な魔の気配。


「……以上が、西方戦線における補給線の再編案になります。何かご異議は?」


私の声が、静まり返った空間に響く。

感情を一切削ぎ落とした、氷のような事務的な声色。

手元の資料をトントンと卓上で整え、私は視線を上げた。


円卓を囲むのは、魔界の歴史そのものと言っても過言ではない古参の四天王たちだ。

全身を甲冑で覆った骸骨将軍、筋肉の塊のようなオーク族の長、そして妖艶な笑みを浮かべる吸血鬼の侯爵。彼らは一様に不満げな顔つきで、しかし反論の言葉を持てずに唸り声を上げている。

彼らが黙っている理由は二つ。

一つは、私が提示した『兵站管理最適化プラン』が、彼らのどんぶり勘定な横領の余地を完璧に封じるほど論理的で、隙がなかったから。

そしてもう一つは――上座に座る、絶対的な支配者の存在だ。


「異議がないなら、署名を」


低く、地を這うような声が落ちてきた。

玉座に深々と腰掛けたその人物、第32代魔王ベアトリクス様だ。

闇を織り込んだような漆黒のドレスは、彼女の白い肌を陶器のように際立たせている。頭上には捻れた角が王冠のように聳え、黄金の瞳はすべての者を射殺すような鋭さを宿していた。

組まれた足、肘掛けに置かれた細い指先。そのすべてが「支配者」の美学を体現している。


「はッ……! 仰せの通りに」


骸骨将軍がガタガタと骨を鳴らして平伏し、書類にサインをする。

続いて他の幹部たちも、魔王の威光に恐れをなしたように従った。


「……定例会議は以上。解散」


ベアトリクス様の一言で、重苦しい会議は幕を閉じた。

幹部たちが逃げるように退出していく。重厚な扉が閉まり、広い会議室に静寂が戻る。

カチャン、と扉の鍵が閉まる音が響いた、その瞬間だった。


空気が、変わる。

張り詰めていた氷が溶け、甘やかな春の日差しのような温度が満ちる。


「……あ、アリアぁ……」


先ほどまでの絶対強者の威厳はどこへやら。

ベアトリクス様――いや、私の愛しいビー様が、玉座の上でへにゃりと崩れ落ちた。

黄金の瞳からは鋭さが消え、代わりに涙膜が張ったような潤んだ瞳が私を見上げている。


「怖かった……! あの骸骨、顎がガクガク鳴るたびに私のこと睨んでるみたいで、すっごく怖かった……!」

「お疲れ様でした、ビー様。完璧な演技でしたよ」

「ほんと? 声、裏返らなかった? 足組んでるの辛くて、ちょっと痺れちゃったんだけど変じゃなかった?」


ビー様は不安そうに私の袖を掴む。

その指先は冷たく、微かに震えていた。

魔界最強の魔力を持ちながら、中身は温室育ちの深窓の令嬢。それが彼女の真実だ。

私は愛しさを噛み殺しながら、その冷えた手を両手で包み込んだ。


「ええ、素晴らしかったです。『異議がないなら署名を』のタイミング、絶妙でした。あの骸骨将軍も、ビー様の覇気に当てられて震えていたのです」

「そ、そうかな……。アリアが台本に書いておいてくれた通りに言っただけなんだけど……」

「それが難しいのです。堂々とした振る舞い、百点満点でした」


(ああ、可愛い。なんでこんなに可愛い生き物が魔王をやっているのかしら)


心の中で絶叫しつつ、私は能面のような秘書の顔を維持する。

ここで私が崩れては、ビー様を支える人間がいなくなってしまう。

私は有能な秘書。前世で培ったお局スキルを駆使して、この不器用な主を守り抜く鉄壁の盾。


「……あ」


ふと、視界の端で何かが動いた。

重厚な執務机の下だ。

床に届きそうなほど長い黒衣の裾から、立派な黒竜の尻尾が飛び出している。

その先端が、パタパタパタパタと、まるでメトロノームのように左右に揺れていた。


「アリア……あのね」

「はい」

「今日の会議、頑張ったから……その……」


ビー様は上目遣いで私を見つめ、言葉を濁す。

しかし、机の下の尻尾は雄弁だった。

『褒めて』『撫でて』『甘やかして』という信号が、あの鱗に覆われた尻尾の動きからダダ漏れになっている。会議中、必死に足を組んで隠していたであろうその尻尾は、今は解放感と期待でいっぱいに膨らんでいた。


(隠せてませんよ、ビー様。可愛すぎて直視できない……!)


私は咳払いを一つして、湧き上がる衝動を抑え込む。

そして、ゆっくりと、焦らすように机を回り込んだ。


「ご褒美、ですね?」

「……うん。……だめ?」

「とんでもない。最優先事項で処理させていただきます」


私は手袋を外し、素手でその柔らかい銀髪に触れた。

絹糸のような感触が指の間を滑る。

そっと頭を撫でると、ビー様は「んぅ」と甘い声を漏らして目を細めた。

途端に、机の下の尻尾がバタンバタンと床を叩く音が大きくなる。


「あぁ……アリアの手、あったかい……」

「ビー様が冷えすぎなのです。もう少し魔力循環を意識してください」

「だって、アリアに触ってもらうほうが気持ちいいんだもん……」


無防備な言葉の礫(つぶて)が、私の理性をガリガリと削っていく。

元・聖女である私の手には、微弱ながら浄化と治癒の力が宿っている。それが魔族である彼女にとって、害になるどころか「極上のマッサージ」になっているなんて、神殿の連中が知ったら卒倒するだろう。


「……そこ、もうちょっと右……」

「ここですか?」

「ん、あ……そう、そこ……溶けるぅ……」


魔王様が、私の胸元に頭を預けて脱力する。

机の下では、尻尾が私の足首に絡みついてきた。

冷たくて硬い鱗の感触と、体温の高い柔らかな肌のコントラスト。

誰にも見せられない、二人だけの秘密の時間。


「アリア、ずっと傍にいてね……」

「ええ。私は貴方の秘書ですから」

「秘書じゃなくなっても、だよ……」


消え入りそうなその呟きに、私は胸が締め付けられるような痛みと、それを上書きするほどの幸福感を覚えた。

私は髪を梳く手を止めず、彼女の耳元で囁く。


「当然です。契約満了の予定はありませんから」


ビー様は嬉しそうに笑い、私の腰に腕を回して顔を埋めた。

冷え切っていた会議室の空気が、今はとろけるように甘く、熱い。

魔界の再建、四天王の統制、勇者対策……山積みの課題は明日考えよう。

今はただ、この愛すべきポンコツ魔王様が、尻尾の動きを止めるまで、このまま甘やかしてあげようと私は決めた。

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