石の中にいる~好感度0の退魔師と妖狐が、長い年月の果てに絆されるまで

次郎

1章 退魔師と妖狐

第1話 序章 二人の出会い

 この世界には闇があった。


 人が火を灯して夜を照らしても、その光の届かぬ先から……またはその陰から生まれ出でて蠢く魑魅魍魎たち。

 人の力が及ばぬ山野を根城にして時に人を殺しに、時に人をさらいにやって来るそれらを、人々は『妖魔』と呼び恐れた。


 そして妖魔を狩る者達を『退魔師』と呼び敬った。





「うーむ、これはもう駄目じゃろうな……」


 女は切り立った崖の上から、眼下の村を見下ろしていた。


 霊山の麓……山の恵みを頼りに根無し草達が集まり、己の力で山を切り開いて作り上げられた隠れ里。豊かな暮らしではないものの上に立つ者がいない故に、どうにか平穏無事な生活を享受していた。

 移り行く世相から目を背け、ただ変わらずにあり続けようとするその村はそれこそ、闇夜に瞬く灯火と言っても過言ではなかっただろう。


 そしてそれが今、まさに炎に包まれていた。


「折角わらわを称える像を作らせておったというのに……もう全部燃えてしまったかの?」


 女は首を傾げて、自らの尾も曲げて揺らしてみせた。


 髪は金色。腰まで伸びた長髪に、尾は銀。

 そしてその尾は二又に分かれており、作り物でない証に左右でゆらゆらと燃える炎のように、もしくは獲物を狙う蛇のように蠢いていた。


 女は人あらざぬ者、妖狐と呼ばれる妖魔だった。


「まあだが肝心要のわらわが無事ゆえ、何も問題ないの。死んだ流人共も、わらわのために死ねるなら本望じゃろうて」


 妖狐は肩をすくめて笑った。


 くっくっく……と嘲笑うその姿に、自らを信奉していた村の住人に対する気遣いなど、まるで存在していない。もとより戯れに慈悲深く振舞ってやって、飽きれば消す。その程度の引き立てであった。

 今回、己の素行ゆえに村が焼き討ちにあったことでさえ、妖狐にとっては暇つぶしの延長に過ぎない。


 逃げ惑い命を燃やす人々を見下ろし笑う……その姿は正しく人あらざぬものであり『妖魔』そのものであった。


 やがて妖狐は焼かれていく村にも興味を失い、ひとしきり動かしていた尾も止めた。

 そして夜の闇に振り返って告げる。


「そこのお前もそう思うじゃろ?」

「……貴様はここで終わりだ、銀狐よ」


 闇の中から浮かび上がるように男が現れる。


 退魔師である。


 村を焼き討ちした張本人であり、妖魔の天敵。

 妖狐が生まれいずる以前から存在し、己のために魔を狩る者達。


 だが妖狐は黒装束を纏ったその男を見て取って、身構えるよりも先に呆れた。男は退魔師が身に纏う法衣を着けていなければ、呪具も持っていない。札はいくつか持っているようだが、それで妖魔を相手取れると考えるならば片腹が痛い。


 何より目の前の男からは、何の霊気も感じられなかった。

 妖魔が妖気を源にするのに対して、退魔師は霊気を操り妖魔に対抗する。『これこそが万物の根源』と驕り、妖魔を見下す腐った者共の息遣いは、たとえ遠くにあっても妖狐には如実に感じ取ることができた。


 焼ける村を囲む退魔師達の気配は動いていない。眼前の男が霊気を内に抑え込む仙人のごとき心根の持ち主だったとしても、よもや一人で妖狐を相手取れると考えるほど愚かではあるまい。


 ただの見張りの雑魚――妖狐はそう判断した。


「よよよ……まさか見つかってしまうとはわらわの命運も、もしやここまでかのぉ……」


 だが失望を押し隠して妖狐はあえて弱気な声を出した。同時にやや胸元を開きつつ、男に身体を見せ付けるようにして近づく。


 妖狐には魅了の力があった。間近で目と目を合わせれば、それで凡百の人間はあっさりと警戒心を解く。

 土匪共の代わりに、この男を傀儡にして退魔師達と躍らせるのも面白い。見事生き残れたのならば、ちゃんと人里に返してやってもいいだろう。その後の末路が楽しみである。


 だが妖艶な妖狐の歩みに、男はなんら心を動かされることはなかった。男の内にあることはただ、己に命じられたことを為すこと。

 手の届く位置まで接近してきた妖狐を無視して、男は己を縛り付けていた札の一つを――割った。


「……!?」


 爆発的に膨れ上がる気配に、妖狐は膝をついた。魅惑の装いも忘れて目を見開く。


「……妖気、じゃと?」


 男から吹き出すそれは霊気ではない。妖気であった。

 そして動けぬ妖狐を尻目に男はさらに札を割り、その身にまとう圧力を増大させていく。千年の知識を持つ妖狐をも威圧し縛り付けるそれは、人間では決して為しえないものだった。

 だが目の前の男は、妖魔などではない。


 混乱の中で妖狐は己の記憶を辿り、思考を巡らせる。

 ほどなくして一つの可能性に思い至り……そして己が罠に嵌まったことを悟った。憤怒の思いに男の首を切り落とすべきことも忘れて、自らの尾を大地に叩きつける。


「……ぬかったわ! 殺生石……腹に仕込んでおったのか!!?」

「その通りだ」


 淡々と最後の札を割って男は告げた。


 殺生石――悠久の時を生きる妖狐を生きたまま石へと変じた呪具。欠けて不完全になったそれは、同じ妖狐を石の中に取り込み囚える。

 妖狐を封じるにあたって、これ以上の代物はなかった。


 最初に動きを封じられたのは足だった。その次は手。自慢の尾も周囲から突き上がる岩石に絡め取られて、もう動かせない。

 遂にはその首にまで首輪を掛けられるに至って、妖狐は堪らずに声を張り上げた。


「じゃがわらわを封じれば貴様も共に道連れぞ! それでも貴様は構わずというのか……!?」

「構わぬ」


 男の眼には動揺もなければ恐れもない。諦めの感情すら浮かんでいない。男のその異様な振る舞いに、妖狐は怖気が振るうの覚えた。

 それは他者を省みずに、己がままに生きてきた妖狐には到底理解しかねるものだった。あたかも亡者がそのままに、人の振りをしているような空虚な姿であった。


「俺が命じられたのはその身でもって妖狐を封じること。貴様は俺と一緒に、石の下で生き続けるがいい」


 そして最後に蓋が閉じて、二人は闇に包まれる。

 だが妖狐は夜目が利き、光りなき暗闇の中であっても己の周囲を把握することができた。自らを取り込まんと迫る石の動きも。


「おのれぇええええええええ!!!」


 その最後の叫びすらも石の中に消える。


 そして二人を取り込んだ殺生石は、誰にも邪魔はさせぬとばかりに地面の中にゆっくりと沈んでいった。しばらくして完全に大岩が隠れた跡には、二人がいたことを示す痕跡は何も残っていなかった。


 ――後はただ、静かな夜の闇が広がるのみ。

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