第4話 足掻くほどにから回る

「取り敢えずいいから、岐美さんはそのお腹をしまって!木透も肩を寄せるな!」

 喫茶店の主人からの圧を背に感じて僕は二人を必死になって落ち着かせる。

「ふむ…彼女の零細で乾いた心に染み付くような湿りを提供しようと思っていたのですが…」

「湿り…言い方が独特すぎるよ…カエルみたいな気持ちの悪さじゃないか…木透はそういうのが一番苦手なん…」

「はっ…はぁ…はぁっ…!」

 両手で口元を覆う木透。その頬はこれまでの彼女からは考えられないほど紅潮していて、耳まで真っ赤だった。まるで恋する乙女かのように。

「き、木透…?大丈夫か?」

「な、何がかしらっ…!」

 髪をさっと掻き分けて平然を装う木透。だが明らかに彼女の様子はおかしい。さっき岐美さんが制服の中に木透の頭をすっぽりと入れ込もうとしていた時もまるで受け入れるかのように頭を岐美さんの方へ寄せていた。

「い、いや…なんか始めて会ったにしてはなんか距離が…その…」

「べ、別にこんなものではっ…!?」

「いや、こんなものではないだろ流石に」

 岐美さんは木透の方をじっと見つめて、何を思ったか自分の鞄をごそごそと漁り出した。

「どうしたの岐美さん…もしかして何か忘れ物?」

「いえ、これです」

 そう言って彼女が取り出したのは透明のプラスチックケース。おいしそうなレモンティーとイチゴのショートケーキを机の上から押しのけて机の上に置いた。中身はよくわからない。

「それは…?」

「マジックハンド、オリジンです」

「マ、マジックハンドオリジン…?」

 木透の頭にも僕と同じハテナマークが浮かんで見えた。

「貴様ごときがマジックを語るとは何事か…と思いましてバラバラに分解してやったのです。ですがまさかここへ来て必要になるとは、まさにマジック…一杯食わされた気分ですね」

 いつもの調子の岐美さんに僕はごくりと唾をのむ。これは岐美さんからの脅しではないのかと、いつでもバラバラに分解できるだけの力を有しているという事実を知らしめているのではないのかと。

「どうしてそれが必要になるの…?」

「適度な距離感という物が分からないのでこれくらいの長さを指標にお付き合いを進めていこうかと」

「は、はぁっ…!はぁ…はぁ…」

 木透はまたも口元を両手で抑えて、嬉しそうに隣に座る岐美さんをじっと見つめている。

 木透…?お前…一体何が…?

「斗依ちゃんさん…一緒にやりま…せんか?共同作業ということで…」

「は、はいっ…!」

 岐美さんが蓋を開け、その中を木透がのぞき込む。二人、仲睦まじくガサゴソとケースの中身を漁っていた。

 俺は一体何を見させられている?

 一年間、共に過ごした友人が一度も俺に見せたことのない顔を今出会ったばかりのUMAに晒している。これ以上の屈辱があるだろうか。

「では、ここ…取っ手に当たる部分ですが」

「これ…バネ…!これじゃないかしら!」

「おぉ、素晴らしい。流石宇野舞の皇女。クイーンサーチャーの本領ここにありと言った所ですか」

 いやいや…スケールがでかいし、言ってることもよく分からない。ここは突っ込むところだ…行け、木透!

「ふふ…岐美さんこそ…」

 駄目だ、終わった。

「岐美さんの指綺麗ね…」

「木透さんこそ…関節の配列が見事です。中指の次に人差し指が長く、細くしなやか。それでいてしっかりとした膂力をその指に感じます」

 やけに具体的な感想を述べる岐美さんに、木透は嬉しそうに身をよじる。

 帰りたい。そう思うくらいに二人の世界がそこには出来上がっていた。居心地の悪さから僕は堪らず席を立つ。

「ごめん、ちょっとトイレ…」

「井形さん、紙が無くなったら連絡してください。ダッシュで買いに行きますので」

「うん、それは多分お店の人の管轄かな…」

 木透の想定外の暴走も相まって僕はもうツッコむ気力さえ失せていた。

 フラフラと歩みを進め、洗面台で顔を洗う。

「頑張れ…頑張れ。負けるな僕…せめて何か情報を持ち帰らないと…」

 木透がああなった理由、僕の心労。考えられる可能性は…一体何だ?

「洗脳…」

 僕は洗面台の前で項垂れる。

 確かに洗脳ならすべてに説明がつく…考えても見ろ、あの木透が初対面の岐美さんを前にご執心…だなんてフィクションよりもフィクションだ。真面目で冷静沈着、他を率いて前に立つあの木透が岐美さんに?いやいや…ある訳がない。

 僕はなんてことをしてしまったんだろう。大切な友人を危険にさらすどころか、被害まで与えてしまうとは。全身から血の気が引き、視界が眩む。

「じゃあ…僕が洗脳を食らっていない理由は一体…?」

 ふと岐美さんの言葉が脳裏をよぎった。

「アナタには興味がありますので」

 もしかして、洗脳を食らわない俺の性質に興味が…?

 全ての点がオリオン座のように一直線に結びつくその時だった。背後から、か細く震えるような声が空気を伝わり入り込む。

「ア…ア…」

 岐美さんだった。震えるように扉から少しだけこちらへ顔を覗かせて指をその隙間に差し込んでいる。

「あぁああああ!!?」

「と、トイレ…その…」

「トイレ!?」 

 よく見ると岐美さんは何やらもじもじと足をくねらせている。

「つ…使ってもよろしい?」

「あ、はい!よろしい!よろしいです…!」

 僕はそそくさとトイレを出る。そうか…この店にトイレは一つか。すっかり忘れていた。

トイレを出ると40代半ばと思しきマスターの男性が近づいてきた。

「お客様…当店ではお静かに願えますか?」

 僕は精一杯に頭を下げて謝る。

「す、すいません!気を付けます!」

「今当店にいらっしゃるのはお客様達だけですのであまり強くは言いませんが…あの、よく分からない作業の方もその…」

 マスターは紳士然とした佇まいで僕を諭すように窘めた。返す言葉もない。

「はい…申し訳ありません…」

 僕はトボトボと席へと戻る。そこには頼んだコーヒーにもシュークリームにも目を向けず、懸命にマジックハンドを組み立てる木透の姿があった。あぁ、なんて痛ましい。

「な、なぁ…木透。どうしちゃったんだ…一体?」

「えっ…!あっ…何がかしら!」

「いや…そんな変な事今までしなかっただろ…木透」

 僕がそう言うと木透は何かを考えるそぶりの後、口にした。

「私、こんな気持ち初めてかもしれないのよ…常識とか正しさとか…全部丸めて放り投げてくれるような…そんな安心感って言うのかしら」

 心の底から嬉しそうに木透は微笑む。

「アナタは清くある必要はないんだよってそんなことを言われているようでうれしかった…」

 やめろよ木透。そんな噛みしめるように言うなよ。

「実はね、井形君が来る前に少し岐美さんと話していたの」

「あぁ…それは何となく…」

「そう…でね、岐美さん言ってくれたのよ。友達になろうって」

 駄目だ、僕も毒されてしまっているのかもしれないが、そんなにも素直な言葉を岐美さんが吐くとは到底思えない。もっと変な言い回しをしていたのではなかろうかとどうしても勘繰ってしまう。

「だから私、精一杯この出会いをつなぎ留めたいの。岐美さんは不思議で面白い人、それでいて常識外の生き方をする人で…私に…勇気をくれる存在だって、そう…思えたから」

「木透、それって…」

「おまた」

「うっ…!?」

 背後から岐美さんの声。僕を驚かせるためにわざと足音を殺しているのではないかというくらいに一切の気配も感じ取れなかった。

「木透さん…それはもう、いらない気がしています」

 岐美さんは木透が組み立てているマジックハンドを指さす。

「え…?どういう事…?」

 岐美さんは僕と木透の間に割って入り、語り出す。

「私達の間に距離などもはや必要なのでしょうか。友人という間柄において相手との共有した時間が物を言うというのであれば、同棲の提案が最も効率的になってしまう。ですが、そうではないでしょう?

人と人の関係は」

 いつになく真面目なトーン。

「じゃあ、私達はどうすればいいの…?お互いの距離がぶつかり合ってしまったら…?」

「それは感じ取る物だと思います。言語化できてしまえる関係ほど浅く、つまらない物はないですよ。生成AIもそう言っていました」

「それは言っちゃダメ!」

「ふふっ…!あはははっ!本当…岐美さんって面白いのね!」

 えぇ…?

「へっ…!」

 岐美さんはジトっとした目で僕の方を見た。謎の声を発するとともに。

 それから僕達は木透の門限が近づくまでの間、たわいもない話をした。教室での事、テストの事、そしてこれからの事。岐美さんのどこまでも暗い瞳に怯えつつも、節々に光を感じさせる岐美さんの言動に僕の心に一つの疑念が産まれた。

 本当に彼女はバケモノなのだろうか、と。

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