第9話「帰るべき場所」(最終回)

 「世界一イケメンな探索者」のクエスト達成から数日が過ぎた。

 特集記事は多くの人に読まれ、まとめた動画も再生数が10万を超え、チャンネル登録者も一気に増えた。

 それでも胸が晴れなかった。

 調査に疲れたというのもある。だがそれ以上に、人の悪意をあまりにも多く見すぎた。

 もちろん「イケメン」にまつわる事件のほとんどは昔の外国で起きたことだ。私の身に何か起きたわけでもない。

 それでも、彼の味わった悲惨は想像を絶するものだったはずで、時と場所が違っても、その痛みは確かに存在したはずだ。


 ぼんやりと考えていると、ピッチングマシンがボールを放った。


「ふっ」


 バットを振るが、ボールは網に吸い込まれた。

 高校時代は野球部だったが、今では体が鈍っているのかほとんどヒットが出ない。

 今日は久しぶりに、高校時代の友人である大橋が田舎から戻ってくる。

 待ち合わせ場所にバッティングセンターを選んだのは、ここが昔からの行きつけだったからだ。

 もう1球が放たれる。

 今度はしっかり芯を捉え、遠くへ飛ばした。


「ナイスー」


 懐かしい声が背後から聞こえた。


「大橋」


 振り返る。そこには、変わらぬ笑顔の大橋和樹が立っていた。





第9話

「帰るべき場所」






 私たちは近くのカフェで飲んでいた。


「久しぶり。元気してた?」


 そう笑いかける大橋和樹は、昔と変わらない人好きな笑顔だった。


「元気でやっている。野球はしていないが」


「しっかり打ってたやん」


「よしてくれ。あんなのはまぐれだ。高校の時はもっと打てた」


「俺もそうだな。今やってもきちっと打てるかな」


「君は今も野球しているか?」


「冗談言えって。2人揃って化けもんの才能目にしたろ。そいつですら甲子園の選抜から外されたんだ」


「ついでに現実も見たな」


 2人揃って「目指すはメジャー」なんて言ってた頃があった。でもそれなりに現実に挫け、真っ当にやるべきことに集中しているうちに、夢だなんだと言っていられる年ではなくなった。

 でも、野球は無理でもイラストレーターになら年は問わない。昔から絵が好きで、腕にも自信があったことも高じて、私は東京の芸大に行った。

 大橋は田舎に残って実家の農家の手伝ったようだが。


「イラストレーターになりたかったんだっけ。あれからどう?」


「芸大には行けた。だがそれも結局叶わず、普通に会社員だよ」


「あらま。やっぱみんな堅いとこ行くよな」


 大橋はカフェオレを飲みながらそう答えた。


「でも私は、甲子園や絵筆しか愛せない男ではなかったらしい」


「ん?」


「実は昔からオカルト好きでね。今、それ関係のランターのような仕事をしている。副業だよ」


「へえ。いいじゃん」


「最近もしっかり『ホームラン』を打てた」


「いいネタ書けたんだな」


「数字だけは、な」


「ん?」


 もちろん「イケメン」のことだ。気持ちとしては良いものではない。


「いや、なんでもない。君は今何をしてるんだ?」


「農家やってる。じいちゃんばあちゃんもまだまだ現役。10年先もバリバリやってけそう」


 大橋は少し目を逸らしてから言った。


「あと……探索者やってんだ。副業で。お前と同じ」


 コーヒーに口をつけようとしたが、私は固まった。


「探索者?」


「ああ。才能あったっぽい。バットの代わりに今は剣握ってる」


 そういえば体もずいぶん大きくなっている。高校の時は背丈も幅も私のほうが上だった。


 大橋は一度言葉を切り、カップの縁を指で軽くなぞった。


「んで……さ」


「ん?」


「お前も探索者にならないか?」


 唐突なようで、妙に真剣だった。

 私は曖昧に笑う。


「私が?」


「パーティから前衛が1人抜けて、今前衛は俺だけなんだ。急ぎでメンバーが欲しくて」


「私はダンジョンをまるで知らないが」


「構わない! というかセンスあると思うよ。お前俺より野球できたし」


「ん……そりゃまあ」


 大橋は「否定しねえのか」と笑った。

 いや、それよりも唐突な勧誘だ。探索者になってみないか、とは。


「いやいや待て。資格がいるだろう」


「まあなあ。1ヶ月は使う。でも探索証は持ってて損ねえよ。転職したい時の武器になる」


「危険と聞いている。殺生は御免だ」


「探索の目標はあくまでアイテム探しだ。別にモンスターを狩る必要はない。殺しが嫌ならモンスターが出ないとこも紹介できる」


 …………?

 なんだ。話の流れに違和感がある。


「待て。今前衛になって欲しいと言ったな。それも急ぎで」


「ん? そうだけど」


「前衛をして欲しいならなぜ雑魚専とかアイテム専とか、モンスターが出ない場所なんかを勧める? 急ぎなら他の人で良いだろう」


「え、あっ? いやいや、それはあくまでお前に合わせたモチベーションの話だ。そこから始めても構わない」


「モチベーションか。正直言うと、ないぞ」


「えっ」


「資格を取るのが面倒、危険、殺生はしたくない。今の生活で満足している。やりたくない理由だらけだ」


「そっそんなこと言わんで。やってみれば楽しいかもよ」


「うーむ」


 というか、なんだ。彼から焦りを感じる。

 前衛に入らずとも、探索者になってもらえればそれで良い――そんな魂胆を感じる。何を考えている?

 もしかすると私……というより、人を探索者にさせること自体が目的なのか?

 なぜそんなことを。誰かに利用されているのか?

 問いただしてみるか。


「どちらかと言うと、君の方が心配だ。焦っているんじゃないのか」


「焦る? 何を?」


「まるで探索者になってくれればそれで良いという雰囲気だ。メンバーが足りないだの前衛だのは、そのため口実じゃないのか」


 大橋はそれを聞くと、項垂れた。図星なのか?

 何かわけがあるらしい。単なる勧誘というわけではなさそうだ。


「理由はわからないが、君は探索者をやめたいと思っている。でもある理由でやめられない。違うか?」


 大橋はそれを聞くと、はっと私の目を見た。

 目は口ほどにものを言う。彼の目は「救ってくれ」――そんな目だった。


「そうなのか」


 大橋は俯いたまま、静かに頷いた。


「で、でも理由は言えない。そういう……えっと。リーダーの取り決めだ」


 大橋は冷や汗を浮かべながら「あいつ頑固でさ」と笑ったが、強がりなのはわかりきっていた。


「別に言わなくていい」


「え?」


 私はコーヒーを口につけて言う。


「昔の話をしよう」


「昔の話?」


「私がプロになる夢を諦めると言った時、君はそれを肯定してくれただろう」


「あったなそんなこと」


「あの時、あれが凄く嬉しかったんだ。もし見放されたら、軽蔑されたらって心配だったから」


「そうか? いや、なんで今そんなことを」


「君は甲子園以外を愛せない人間じゃないと思えたからだよ。相方が別の道を逸れても、それを支えてくれた」


「…………」


「君に何の気負いもなかったら、君は『そうか』と笑って納得してくれたと思うよ」


「それは」


「そうはできない理由があるんだろう。疾しさか恐怖か――なんにせよ君はそれに雁字搦めにされている。それが嫌なら、抜け出すことだ。私としてもそれを望んでいる」


「そ、それができたら苦労は!」


「わかってるさ簡単じゃないことは。だから協力する。もし抜け出したいなら、私に連絡をしてくれ」


 私はメモ帳から紙を1枚ちぎり、そこに連絡先を連ねた。


「これ……は?」


 自分と彼分の小銭を取り出し、机に置く。立ち上がった。

 私は席に向かって歩き出す。


「いいのかこんなことして」


「何が?」


「俺の告発がバレて、俺が差し押さえられて、こんな紙を持っていることがわかったらお前にも被害が及ぶ」


「……はは」


 この後に及んで救いの手をつっぱねるか。


「何笑ってんだよ?」


「いや、優しいなと思って」


「おい? 真剣に話せよ」


「悪い悪い。でもそれくらいを背負うのが筋だろう? 助けるとかなんとか言って、自分だけはのうのうと高みから手を差し出すなど許されるかね」


 大橋は言葉をなくした。

 私は自分と彼の分の小銭を取り出し、机に置いて、立ち上がった。


「私の知っている君はいつも人好きな笑顔で、ズカズカとプライベートに入り込んでくる。そのくせ憎めない男だ」


 人の名前はいくらでも変わる。高校球児だったはずがサラリーマンになり、農家だったり探索者だったり、はたまた「受講者」だったり。

 でも、人の人生をひっくるめて語れる名前は1つしかない。それはその人の名前だ。

 大橋。君は他も誰でもない「大橋和樹」だ。

 高校球児であることも農家であることも、探索者であることも「受講者」であることも、生まれた時に与えられた名前1つの前では全て、時と場所に縛られる。


「なんでもいい。人に名前を問われた時、堂々と自分の名前を叫べて、その名前に相応しい行動が取れる人間であってくれよ」


 私はそう残して、店を出た。

 今、店の空気を飾っているのはBGMだけでなかった。どこかから発された嗚咽だった。


「それができるのが、『大橋和樹』なのだから」











 家に帰って、また少し「世界一イケメンな探索者」と睨めっこしていた。

 彼はもう怖くはない。もう彼が私を追いかけてくることはないだろう。


「もふぉ」


 マッコイが相変わらず変な声で私を呼んだ――と思ったら、マッコイは扉の前にいた。

 どうしたんだ? そう思った時、その扉からノックの音が聞こえた。


「え」


 あまりにことに私は驚いた。配達を頼んだ覚えはない。では大橋か? いや、あの空気で彼が何かをするとは……。


「……はい?」


 マッコイを控えさせ、ゆっくりと扉を開けた。


「どうモ」


 見知らぬ外国人の男性がそこにいた。歳は20代後半、または30代前半か。長くも短くもない髪だった。アラブ系に見える。


「どっどうも?」


「シツレします。落とし物でスー」


 彼はそう言って、スマホを渡した。


「あなたのだと思いまス」


 確かにそのスマホは私のものだった。透明だが傷も目立つプラスチックのカバーを被せたスマホだった。


「あ……。これ私の。あ、ありがとうございます。すいません」


「いエ」


 その時、彼は少し私の部屋を眺めた。彼の目線は、私のパソコンにあるようだった。


「わオ」


 しまった。玄関から自室は丸見えの構造になっている。パソコンには「世界一イケメンな探索者」がデカデカと映っている。怖がらせたか?


「すいません! 今閉じ――」


「『世界一イケメンな探索者』ですカ」


「え。あっ? ご存知なんですか?」


「有名ですから。怖い画像の趣味でモ?」


「趣味……まあそんなとこですかね。正確には真相を探ることです」


「真相?」


「この画像について調べていたんですよ。この画像がどこから来たかのか、なぜ作られたのか、それはいつなのかとかをちょっとね」


「真相は掴めましたカ?」


「まあなんとか。まだわからないこともありますがね。顔のコラージュ元とか。でも真相は掴めました。ひと仕事終えた感じです」


「そうですか。彼もキト喜んでいることでしょウ。彼は、あまり報われない最期でしたかラ。色々うわさを立てられたりしましタ」


「そうですね。調べていくうちに、彼がこの世界に悪意に巻き込まれたただの……普通の人であることがわかりましたから。彼のような目に遭う人間が生まれないことを願っています」


「えエ。ホントにネ」


 彼はそう言うと、腕時計を「いけなイ」と呟いた。


「時間取りましタ。私も帰るべきところガ……いえ。帰るべきところができたのデ、安心して家族の下に帰れまス」


「そうですか。スマホ、ありがとうございます」


「ええ。本当に、ホントにありがとウ」


 彼はそう言って、会釈をして出ていった。

 その一瞬、その瞳が潤んでいたような。


(『帰るべきところができた』?)


 まるで今まで家がなかったかのような……。苦しい生活を送っていたのだろうか。出稼ぎの外国人労働者?

 というか「世界一イケメンな探索者」を知っているのも変だ。報われない最期だったことなんて、私が最近明かしたことなのだが。そしたらLediit民か?


「あっ」


 その時、私の脳髄に眩しい光が走った。

 彼は違う。外国人労働者でも、Leddit民なんかでもない。

 似ていた。あの顔つきに髪型。あの人はまさか、まさか。


 いや、きっとそうだ。他でもない「世界一イケメンな探索者」をよく知っている人間じゃないか。

 私は咄嗟に玄関を開いた。

 いない。いや、ここはマンションだ。右は? 左は? いない。

 まだ遠くには行っていないはず。追いかけるか?


「…………」


 ――いや、無粋か。

 きっと彼の後を追っても、もう「消えている」。


 私は玄関の扉を閉め、部屋に戻った。マッコイを呼んで抱きついた。


「おうおうごめんよ」


 帰るべきところのできた彼に、私は思いを馳せた。きっと、帰るべきところができたのだろう。


 私はマッコイを抱きしめながら考える。「世界一イケメンな探索者」というクエストについて。

 難易度はSSS。ただしダンジョン自体はネット上にあり、内部は複雑に複雑を極めて酷く入り組み、下層へ潜ることは困難を極める。

 それゆえに人は、その最下層にある「お宝」に惹かれた。


 私はそのクエストの最奥に辿り着き、真相という名のお宝を手にした。

 だがそれは人を億万長者にしてくれる財宝でもなかったし、スキルやらアイテムのように、これからのダンジョンライフを快適にしてくれる実用的なものでもなかった。

 むしろ真逆だ。どす黒くて何も役も立たないものだった。宝箱の中は、人の悪意と欲望と、それより果てしないたった1人の人間の無念でいっぱいだった。

 このダンジョンに潜むモンスターは他でもない、人の悪意だったのだ。


 ダンジョンは人々を冒険と興奮に駆り立てられる「何か」であることは間違いない。

 だが多くの人間は堅実で、探索もしなければ配信もしない。

 だから代わりに語ってきたわけだが、語るだけでない人間もたくさんいることがわかった。

 ダンジョンを己が欲のままに搾取する人間がいた。それと手を結ぶ人間がいた。

 その結果生まれた悲しみを面白半分で晒し者にする人間がいた。そいつをこれまたいじって、好奇心でネットにばら撒く人間がいた。それを興味本位で真相を暴こうとする私も、そんな一派の1人。

 私に下る罰とはなんだろう。いつなのだろう。そもそも罰などあるのだろうか。「イケメン」を加工して世界にばら撒いた人間に正しき罰が下ったとは思えない。


 もし罰が下るなら、私はその日まで自分の名を叫ぶ。

 この探索の日々が正しかったのかそうでないのか。それは10年後、100年後の人たちに任せる。


 事実と事実の境は天と地ほどに分断されている。

 彼の些細な日々は、イベントやクエストのように発生する出来事との境ですり潰され、蔑ろにされてきた。その暴力の前に真相は歪められ、深層という深層に放り込まれた。


 ただ、この探索を似て、たった1人の人間に帰るべき場所を作ってやれた。

 それがどこかはわからないし、探すのも無粋だ。

 日の差すまま、風の向くままに帰ってもらえれば、私はそれでいいんだ。











 スーツを着て支度をしていると、ワイドショーが騒がしかった。

 「光の友」という教団にガサ入れが入ったらしい。教祖は長谷川京一と言い、教団内では「さかいさま」と呼ばれているようだった。

 見覚えがあるなと思ったら、廃墟の探索動画で散らばっていた内部資料に一瞬見て取れた名前だった。


 教団はジョージによる次元交流会の後継団体であり、組織の元幹部であることが明かされた。どうやらダンジョン内から得られる知見や体験に基づいて「魂を目覚めさせていた」らしい。

 そのためにダンジョンのモンスターを生け捕りにして信者に拷問の手口を教えたり、その肉を食させて解脱だの昇天だのと頭の痛くなるようことをしていたのだと。

 例のごとく厳しい守秘義務、プログラム、ノルマがあったようで、要するに少しアプローチを変えただけの「交流会」とそんなに変わらなかった。


「興味ないな」


 よろしくない組織が瓦解を始めたのはありがたいが、気になるのはそこじゃない。

 教団の内部事情を告発した信者だ。彼の名前が気になる。

 だが昨日今日にわかったことなので、それ以上は調査中のようだ。

 一連の報道が終わると、芸人やタレントが物申す顔で内容にやんややんや言って、こちらの興味をよそに次のコーナーに切り替わった。


「まあいいか」


 私はテレビを切った。

 彼から「協力してくれ」の連絡はなかった。あるいは1人でやり切ったのかもしれない。

 だが、信者は誰でもいい。少なくとも彼は、高校球児でも農家でも、探索者でも信者でもない名前を叫んだのだ。

 だったら、それで私は充分だ。


 それよりも会社に向かおう。ガス栓は切ったし、マッコイとは少し遊んだ。

 外に出たら同じ時間に出かける鈴木のおばちゃんに挨拶をして、見かける四つ葉のクローバーは千切らず撫でよう。

 バットを背負って学校に向かう子に手を振り、部下の面倒を見て、上司に少しいびられて、そつなく仕事をこなそう。

 帰ったらマッコイと遊び、散歩をして、少しやる気の出たオカルト探索にも励むのだ。

 そんな日々が、私を作るのだ。

 願わくば、その日々が深層に埋もれることのなきことを。










【作者より】

 ここまで読んでくださりありがとうございました!

 楽しかった!面白かった!思っていただけましたらいいね、応援コメント、レビュー、フォローなどをいただけると超絶嬉しいです。

 完結に当たっての意気込み?などは近況報告の「あるダンジョン探索者の死体画像、最終回更新!」にて。

 本当に!ここまで!読んでくださり!ありがとうございました!

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あるダンジョン探索者の死体画像 コザクラ @kozakura2000

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