箱の中

鈴木碧紗

第1話

「なぁ」

「何?」

 無言が怖かった。 だからと言って自分から話しかけることもできなかった。

「母親のタイミングの悪さって全国共通?」

「あー、勉強しろ、とか?」

 大切な、隠さないといけない何かが溢れ出してしまいそうだから。

「そうそう。今からやるつもりだったっつーのに、ってやつ」

「あ、じゃああれは?風呂入れ、のタイミング」

 当たって砕けろ、そんなことができたのなら俺らはきっと絶縁していただろう。

「風呂ぐらい自分のタイミングで行かせてほしいもんな」

「それだとお前入んないだろ?」

 これは墓場まで隠し通さないといけない。俺のために。

「バレた?」


「腹減ってる?」

「ぜーんぜん」

「おっしゃ、ラーメン食い行こ」

「話聞いてた?」

 いつも話を切り出すのは健斗からだった。きっと俺と違って頭の中がうるさいのだろう。そりゃ誰かに話を聞いてほしくもなる。その相手がたまたま俺だっただけ。

「わかったよ。じゃあコンビニで豚まんでも買うか?」

 行き先もなくただ動かしていた足に、コンビニに行く、という命令が届く。

「豚まん限定?俺ピザまん食いたい」

「じゃあ俺ピザまんも食いたい。半分くれ、俺のも半分やるから」

 コンビニに入ると健斗はあったけ、と呟いた。そのままレジに直行し、「豚まんとピザまん一つずつ」と告げスマホをポッケから取り出した。

「ありがとう、あとで払う」

「いや、ココア奢って」

 店員から受け取った健斗は、ピザまんを俺に渡しさっさと外へ出てしまった。

「ココアと肉とピザって合うの?」

「さーね」

 二つ買って両方食べる口になっていた俺たちは大事なことに気づいていなかった。

「てか、お前綺麗に割れんの?」

「…ちょっと考えてなかった」

 その言葉に馬鹿だな、と笑う暇もなく、真剣な顔つきになる。

「最初はグー、じゃんけんぽん!」

 結果を見る間、少しの静寂の後、喜びの声をあげたのは健斗の方だった。

「おっしゃ!友也、めっちゃ下手に割ってくれよ」

 肩をポンポンと叩かれる。それ以上の意味を健斗は知らない。

「…え待って。めっちゃキレイに割れた」

「右に同じく」

 お互いに自分の成果を見せると、キレイに二つに割られていた。

「じゃんけんした意味ねーじゃん」

 本気出したのによぉ、と悲しそうに呟く健斗に、大きいような気がしなくはない方を渡し、小さい気がしなくはない方をもらう。

「それ、味混ざんないの?」

 健斗は半分ずつの豚とピザをくっつけて一つのようにして食べていた。

「別に?豚が入ってるピザ、って感じ」

「お前だからココアとでも気にしないのか。俺絶対嫌なんだけど」

「悪くないけどなぁ。ほら、食べてみ?」

 豚とピザが今にも混ざり合いそうな真ん中を食べろ、と差し出してくる。

「…いや、いい。てかおんなじの持ってるし。気になったら自分のでやる」

 いつも通り返せていただろうか。間接ナントカ、そんなものを気にしているのは自分だけ、きっと健斗はそんなこと気づいていない。わかっていたとしてもそれを友達としてもどうも思わないのだろう。

 実際健斗は「お前のやつ味混ざったら嫌かな、っていう気遣いなんですけどぉ?」とぶつくさ言っている。

「先に俺ん家行っていいの?」

 前を歩く健斗に聞く。

「え?」

「いっつもお前ん家先寄ってる」

 健斗はニヤニヤと笑いながら振り返った。

「お前、三日前に何あったか覚えてねぇの?」

 健斗の誕生日。もちろん覚えている。誕生日プレゼントを渡すか前日まで考えていたから。

「…なんかあったっけ?」

「はぁ?お前大親友の誕生日覚えてねぇの?」

「別に大親友じゃねーし」

「はぁ!?」

 親しい友人、その称号どこに、どうしたら返上できるのだろうか。俺の気持ちを話したら?

「俺、十八歳、成人、大人。お前、誕生日、三月、十七歳、未成年。可愛い可愛い未成年の友也くんを俺は守らねーといけねーの」

「なんで単語しか喋んないわけ?てか大人なら割れたの大きい方譲れよ」

「ばーか、俺ら同級生だろ?」

「ずりぃ大人だな」


「なぁ、俺らいつまで友達?」

「…は?」

 心臓を直に握られた気分だ。1%もない望みのその先を知るために、と読んだ漫画ではこの言葉は両片想いフラグだった。

「お前に彼女ができたら、俺ともう遊んでくれなくなる?お前意外と友情より愛に走るタイプだろ?」

 俺とお前の位置が反対だったら、俺は身を引いただろう。健斗が誰かと幸せならそれでいい、自分に言い聞かせただろう。

「別に俺彼女つくんねーし」

「うっそだぁ。お前それなりに顔いいし、クールキャラなんだからさ。女の子引く手あまただろ?」

「興味ない」

「へぇ。じゃあと数年は俺と遊んでもらうからな!」

 そう肩を組まれる。

「お前は彼女作んねーの?」

 聞きたくないのに、勝手に口が動いてしまう。でも、それがきっと友達同士の当たり前の会話。

「高校卒業するまで、いやもうちょっと作んねーかな」

「なんで?」

「いやぁ、だって俺年下好きじゃん?」

 初めての情報。年下の、可愛い女の子好き。どうせ小さくて可愛い妹系とやらなのだろう。まるで俺と反対。

「いや、初めて聞いたけど。なんでそれがイコール作んないになるわけ?」

「ずっとこれ疑問に思ってることがあってさ」

「何?」

「俺が今後輩とかと付き合って、セックスしたら、俺未成年淫行で捕まる?」

「は?」

「いやだってさ、俺今成人したけど、俺より下は全員未成年なわけでしょ?俺お縄につく?」

「さぁ。高校生同士でも捕まったりする?高一と高二とかで付き合い始めて、学年上がったらセックスできなくなるとかそんなことある?」

「だよなぁ。じゃあ大人になる前に彼女の一人や二人つくっときゃ良かった…そしたら合法だったかも」

 わかりやすくうなだれる健斗の頭を、思わず撫でてしまいたくなる。そんな権限ない、年下の、未成年のクセして。


「友也、お前なんて名前が欲しいの?」

「名前?あぁ〜湊、とか葵とか?」

「え、意外。お前かわいい名前好き?」

 湊、葵、天音、奏。どこかで聞いたかわいい名前。目さえ瞑ってくれれば、お前は勝手に名前から妄想してくれるだろう。そんなことできるわけない、って分かってるのに。惨めになるだけだ、って分かってるのに。

「でもその名前じゃねー。俺らの名前」

「健斗と友也。じゃねーの?どこにでもいる普通の」

 名前とおんなじぐらい普通だったら、どれだけ良かっただろうか。

「それでもねー。関係の名前!俺はお前のこと大親友だけど、お前は違うんだろ?お前は普通の友達と毎日遊ぶんか?」

「…いや?」

「だろ?俺は、名前をつけたい。二人共が、しっくりくるやつ」

 名前。俺らの関係を一言で表してしまっていいのだろうか。きっと今の俺を一言で表すとするなら「友達って面被ってんのに、その友達に欲情してる気持ち悪い男」…あ、一言じゃ語れなかった。ほら、人間たった一言で語れないのだ。もちろん、関係性も。

「例えば?」

「ん~、恋人、とか?」

「…は?」

「なんてね。そんなことあるわけねーな。…友也?泣いてる?」

「…ちょっと今こっち見んな」

 必死に顔をそむける。涙を止めようとしょうもないことを考える。でも、俺の記憶には、どの瞬間にも健斗が居た。何度自分を当たり前のように世界に存在する言葉の中に当てはめてはいけない、とそう言い聞かせてきたのに。健斗から発される「恋人」そのたった一言で、ボロが出てしまう。こっちは必死に鍵かけて隠してきたのに。健斗にもわかるような、簡単な場所にしか隠せていなかったんだ。

「…耳真っ赤」

 髪の隙間から出ていた熱を持った耳が撫でられる。突然の出来事に、思わず二、三歩後ずさりした。

「や、めろ」

「なんで?普通じゃないから?お前普通好きだもんな」

「やめて、」

「普通、とか言うもん通してみたら、自分のことどんだけ自分で悪く言っても世間からの目、なんてもんになるから?」

「けん、と」

「手っ取り早い自傷だな」

 吐き捨てるように笑った。

 ようやく鍵が開いた箱の、中身は空っぽだった。いや、よく凝らしたらあるんだけど。箱の色に擬態している。

「…わりぃ、帰るわ」


 ピンポーンと鳴り響くチャイムにすら苛立ちを感じてしまう。こちとら好きバレした上に可能性はゼロに等しいだ。そんな住人を前に呑気に鳴りやがって。

 だからといって現在家には俺一人。出ない、なんてことはできず、インターホンに向かって「はぁーい」と不機嫌丸出しの声を出す。

『友也?俺。なんで今日先帰った?教室行ったら「もう帰りましたよぉ」って女子に言われた。とりあえず玄関来い』

 そう言われ、断ることもできないので玄関へと向かう。前髪を手櫛で梳かして。

「…なんで?」

「なんでって?先帰んなよ、って言いに来ただけ。ってか部屋入れてくんね?」

 お邪魔しまーすと、勝手に入った健斗は、俺の部屋へと一直線で向かい、当たり前のようにベッドに座った。普通、普通じゃないそんなこと置いておいて、男ならわかんだろ。なんで自分のこと好きな男のベッド当たり前のように座るんだ。

「…キモくない?友達だと思ってた奴に急に、あんな反応されたら」

「別に?俺はお前と居るの好きだし。お前が俺たちの関係に『恋人』って名前つけたいんなら別にいいよ」

 簡単にそう言ってのけるなよ。その気持ちと同じぐらい、嬉しい、なんて思ってしまう。

「世界はお前が思ってる以上に普通の範囲が広いんだよ。お前の考え方なんてもう昭和だね」

 幸せな時間はあっけなく終わった。

「…は?」

「男女で付き合おうが、男同士で付き合おうが、女の子同士で付き合おうが今は誰もキョーミない時代なの」

 そういうこと言わないところが好きだったのに。何も考えてなさそうで、人一倍考えて発するお前の言葉が好きだったのに。

「俺、お前のこと好きだし。友情か恋愛かはわかんないけど。まぁ、人間そんなもんよな。きっとお前んもそうだよ。だったら大親友だろうが、恋人だろうがどっちでもいい」

 「好き」。言わないように必要以上気をつけて、人以外にも言えなくなったその言葉を、彼はいとも容易く、その上愛おしそうに発する。

「普通の範囲が増えたって、普通じゃない人が減るわけじゃないよ。むしろ普通じゃない人の孤独感が増すだけ」

 普通が欲しい普通じゃない俺が好きだったのは、普通じゃないお前だったんだ。


「なぁ!」

 あの日から数日後、そそくさと帰ろうとすると、腕を掴まれた。あ、久しぶりに声聞いたな。

「なんで無視すんの?俺お前のこと好きって言ったのに。付き合った途端餌あげなくなるタイプ?」

 あんなに頼もしかったはずの健斗、前から見るとこんなにちっぽけだったんだ。

「話、付き合って。俺の話聞いてくれるだけでいいから」

「…わかった。じゃあ家来たら?家の方がお前も話すの都合いいだろうし」

 健斗は少し後ろをついてきた。

 無言が続く。歩く時間が長くなるにつれて、おんなじ制服着た人がいなくなるにつれて、焦りは増してきた。普段どうやって話し始めてんだっけ。あ、そうか。俺から話始めたことなんて一度もなかったんだ。

 家につき、俺の部屋に入ると健斗はいつも通りベッドに座った。こういう時ぐらい普通の場所座れよ。

「お前、あんなに普通好きだったのに、嫌いだったんだな」

「俺も知らなかったよ。身勝手でわりぃな」

「俺はお前が思ってるより普通だよ。どこ見て普通じゃない、って思ったんか知らないけど。当たり前のように綺麗ごとも言う」

 あっけらかんと言う健斗は腕を掴んだときなんかよりずっと生き生きしていた。

「でもさ、だからって無視は違くね?」

「俺は悪い人間なんだよ」

「それは知ってる」

「知ってるか。…俺の知ってる、俺の好きなお前のままで記憶残しときたいんだよ。それが嘘だとしても」

「あの部分が嘘ってわけじゃないよ。でも、綺麗ごとを言う俺も、本当の俺」

「それも知ってる。俺はきっと誰も上手に好きになれないってことも」

 人間誰しもきれいごとを言いたくなる時がある。面倒くさくて仕方がない時。自分を、人を異常な人間にしたくない時。健斗にも、勿論俺にも。

「最後にもう一回聞くよ。俺は、お前といるときの俺が好きだよ。一緒にいれるなら俺はお前の欲しい名前が欲しいよ」

「俺も、お前といるときの俺好きだよ。ちょっとしんどい時もあるけど。でもやっぱり俺はそっちにはいけないよ。そんな自分がいつか気持ち悪くなる」

「俺がそっちにいく、って言っても?」

「それは余計に無理。お前の幸せ奪えるほど強くないよ」

「俺はそっちいっても幸せだよ?」

「…幸せの種類が違うよ。お前が普通に生きてたら受け取れたものを、俺のせいで受け取れない、なんてこと。俺は自分を許せなくなる」

「やっぱお前優しいな」

「自分勝手の間違いだよ」

 部屋にいた時間は5分にも満たなかった。

「これで本当に最後?」

 靴まで履いたのに。早く行ってくれよ。

「うん。最後」

「もう話せないの?」

「会ったらたまに立ち話でもしよう」

「隣には、もういれないの?」

「たかが知人が丁度いいよ」

「じゃあなんでずっと横にいた?」

「それは、ごめん。俺がずるかった」

 そっとドアを開けた。

「バイバイ、ずっと好きだよ。これからも、しばらくは」

「…やっぱお前は優しくなんかないよ。とんだ自分勝手だ」

「うん、知ってる」

 恋の終わりは西日が差して綺麗だった、とか言いたかったけど、もうとっくに日は暮れていた。


 校舎を出ると、桜が咲こうとしていた。花粉ってこんなにきつかったっけ。

 知人。あの時の俺の言葉選びは完璧で、時々思い出しては称賛をあげたくなる。他人以上友人未満廊下ですれ違えば挨拶はするし、中身のない世間話だってする。中身がなかったのは前からか。

 知人さん、知ってる?俺、もう大人になったよ。

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箱の中 鈴木碧紗 @tama0508

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