言葉の刃に殺された日

れいちぇる

1

 「死ねよ」


 ある日突然そう告げられ、目の前が真っ暗になった。胸が凍りつき、手にじわりと嫌な汗が滲む。思考が追い付かず、逆に怒りや悲しみの涙は出なかった。自分が自分じゃないと見失いそうになるほどに、私は動揺していた。

 生まれて初めて、あまりにも暴力的なその言葉を受けた時、大きな衝撃が走った。今でもすぐに思い出せるくらい、鮮明に覚えている――あの痛み。小学生の頃、私が同級生に言われた言葉だ。すぐに思ったことはこう。


 「今すぐに私、死んだ方がいい? 私、あなたに何かした? いや……でもいい、きっと私が悪いんだ。ごめんなさい。でも。それでも、やっぱり聞きたい。なんで……なんでそんな酷いことを? 私はお友達でもないあなたに、親しく話しかけた覚えも、酷いことをした覚えもないのに……」


 その言葉たちは次々と頭に浮かんでは、目の前の相手に反論できずに消えた。なぜなら、それを言うのがこわかったからだ。

 あわせて「死ねよ」と伝えてきた相手に対し、私は傷付けることを恐れたのである。自分はこんなにもハッキリと明確に、傷付けられたはずなのに。相手に言わず自分で黙って傷付いたのは、きっとその同じ苦しみを相手に与えたくなかったからだ。また、自分が単純に「死ね」などという重い言葉を使いたくなかった。使ったことのない「死ね」という言葉の刃で相手を刺すことをイメージした時、自分も同じくらいダメージを受けることは容易く想像ができた。そう、きっと後悔するだろう……と。


 「私が傷付いたとしても、相手にやり返すのは違う。我慢するんだ。大丈夫。これまでもそうやって耐えてきたじゃないか。そうしたらいつかきっと、私の気持ちもわかってくれる……」


 だがしかし、それは幻想である。嘘だ。わかってくれる訳がない。子どもだった私は、あまりにも純粋すぎた。優しすぎた。良くも悪くも、相手のことを考えすぎた。相手が大人でも子どもでも、男でも女でも、自分が黙って全ての痛みを引き受ければ、いつか相手はわかってくれる。仲良くしてくれる……そう勘違いしていたのだ。


 いろんな人間関係を経て、大人になってやっと……やっと気付けた。傷付いたなら傷付いたと、ハッキリ言っていいんだと。「死ねよ」と言われたら「いや、私は生きる」と反論してもいいんだと。相手がどうでもいい奴なら話す必要は全くないし傷付く必要も全くないが、同僚、友人、身内、家族、恋人、夫婦……大切な人が相手ならとことん納得いくまで心から、話し合うべきなんだと。


 被害者面をする訳ではないが、私はこれまでたくさん傷付けられてきた。また、たくさんの痛みを背負ってきた。でも自分も同じように人のことを「死ね」とまでは言わずとも、傷付けてしまっていたかもしれない。それは相手と話し合わないと、お互いの気持ちなんて誰にもわからない。伝わらない。だからきっと、人と人はコミュニケーションをとるのだろう。


 言葉とは人を包むものにも、人を殺すものにもなり得る。だから、言葉を相手に伝える前には「これは言っていいのかな?」「今言うべきなのか?」「相手を傷付けないか?」「本当にその言葉じゃないと駄目なのか?」

今一度、立ち止まって考えてみて欲しい。

 あなたのそのたった一言が、誰かの命そのものになるかもしれないのだから。

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言葉の刃に殺された日 れいちぇる @rachel1220

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