一話:夜を舞う少女と光る石
中学校に入学して一カ月。四月から「友達スタートダッシュ計画」に失敗した僕は、早くも部活動と塾通いに詰められていた。
世の中が辛い色に見えても、僕は噂というものに好奇心をそそられてしまう。空想ではなく、現実世界の「空飛ぶ少女」の噂。
確か、夜の街をたった一人で守る少女の小説で、一時期は図書館の予約が二か月先まで埋まるほど人気があった。
確かに面白いとは思ったが、なぜ万人受けしたのかは僕にはわからなかった。
そんな空飛ぶ少女を目撃したという噂が流行っているらしい。もっとも、僕は信じちゃいない――創作物と現実の区別もつかないなんて、同級生はあきれる奴らばっかだ。
こっちはそいつらに構っている暇などないというのに。
ともかく、僕はその日疲れていた――だからなんだという話でもあるのだが。
夜十時までの勉強にいったいどれほどの意味があるというのだろうか。
いつも学校から塾に行っている近道を逆から通ったらどんな感じなのか、試してみたくなっただけだった。
軽い気持ちだった――たったそれだけのことで、僕の華々しくなるはずだった中学生活は、人類史上まれに見る最速で幕を閉じ、その幕もまた、びりびりに破けてしまうのであった。
いつも大通りに出る裏路地に入る――行く時は入り口が住宅街、出口が大通りで明るいのだが、今はその逆で、出口が見えない。僕は視力は良いのだがいつからか夜目が弱い。夜ということも相まって一層怖く感じる。もう引き返そうか。と思ったが、一度決めたことは曲げたくないので、覚悟を決めて進んでいく。
いつも通っている道なのに、逆から見ると、夜の暗さも相まって、まるで違う。本を逆さまにして読んでいるみたいな、そんな感覚。
やっぱり引き返そうと思い、後ろを振り向こうとした時、僕は気配を感じた。
何かが走ってくる。
多分、二人。――逃げる者と、追う者。
すぐさま退避場所を探した。どこか隠れられる場所はないか。
――ああ、もう!
しかし、こういう時に限って、ツイてない――逃げ場は、ない。
路地なのであるはずもないか。
そこで、カバンを置き去りにし、僕はうずくまって気配を消す。
「
なんだ? 名前か? と思ったが、すぐにそれは呪文か技のようなものだと分かった。
なぜなら、僕の真横に石が落ちてきたからだ。ただの石ではなく、砲弾のような石だ。その直後、石の雨が降ってきた。多くは当たっても痛くなさそうだったが、時々、ガン!、ゴイン!と、大怪我じゃ済まないと思わせる音を出す大きな石も降ってくる。
幸運にも当たって怪我をするような石は僕の上には降ってこなかったが、最後に一つだけ、軽めの石が僕の後頭部に直撃した。小さい石だったが、僕に痛みを与えるには十分だった。
これにより脳が揺れて、視界も揺れてしまった。血が出てないか確認するため、当たった部分に手を当てたが、血が付いていないのでおそらく大丈夫だ。聴覚も正常らしく――
「逃すか!」
少女らしいセリフが聞こえてきた。だが、本気の怒りが込められている。石を投げるなんて、追う側の攻撃としてはやや乱暴で当てずっぽうすぎだろ。とツッコミたくもなったが、気づかれてしまわないようぐっと堪えた。
見上げると、月明かりに飛行する少女。シルエットから推測するに、髪は長めで、ショートパンツの細身の少女。
その姿はどこか魔法少女などお伽話のようであったが、この目で見たというのだから頭が混乱している。
脳がヒートアップしているうちに、少女の姿は建物の屋根に隠れてしまった。
後悔したのは、「逃げる者」の姿を確認しなかったことだ。しかし――「彼女」を見たのなら、嫌でもその正体を知ることになる。
少しして、僕に落ちてきた石を探した。もちろん、石には何の悪さもないのだが、腹が立っていたのだと思う。
それはすぐに見つかった。蛍のように微かに光っていた。
すぐにカバンに入れて、その場を去った。
今思えば、拾得物をこのまま放っておくわけにもいかないが、これが落とし物なのか? とも迷っていた。少しだけ魅力的なただの石だ。と思っていたのだろう。混濁してそれ以外のことはあまりはっきりと覚えていない。
しかし、なんだ、この違和感というか、胸の中でざわめく、不安? 恐怖? 疑心? とにかく、悪い予感がした。
そこでふと、嫌なことを思い出してしまった。
「空飛ぶ少女」の噂。
――「彼女を見た者は、不幸になる」
――翌日。
正直言うと、後悔していた。なんせ、あの「空飛ぶ少女」の曰く付きの石を触ってしまった。どんな不幸が襲いかかるかわかったもんじゃない。以来、カバンの中の石を触っていないし、取り出してもいない。外側から触ると感触はするので多分あるのだろう。
この日は鞄に入れた石のことばかり考えていた。その石の何か魔力のようなものは夜になるにつれて強くなっていった。
僕の集中力が足りないのか、それとも石の「何か」に蝕まれているのか…
やっとこさ集中できない塾が終わり、今日の最後の任務に出る。
大通りから間違えぬよう、あの裏路地に入る。閉業したケーキ屋「Bleu mer」(何と読むのかいまだにわからない)と定食屋「藤井」の間。うん、間違いない。
覗き込むと、懐中電灯を持った人影が。点灯していたので鳥目でもよく見える。やっぱり、探しに来ていたらしい。僕的には何十分の一かわからない確率を引いた感覚で少し嬉しかった。
声をかけようとしたその時、
――動くな。
すぐ後ろから低い声。心臓を掴むようなその声に反応どころか反射もできない速度で口と手を封じられた。同時に、全身の血の気が引き、背筋が凍った。
「いいか、私はあんまり無関係な子供を巻き込みたくないんだ。黙ってその石を私に譲って、振り返らずに大通りへ出るんだ。わかったな? もし怪しい動きをしたら、どうなるかも、わかっているな? わかったら、一回だけ頷け」
気配がしなかった。それどころか、この男からは音さえ感じ取れない。
男の声は。なのに何なんだ――この支配感、そして恐怖は。
息が詰まるほどの、動悸がするほどの緊張感は。
その正体はすぐにわかった。
彼の声と気配に、あの石と同じ「何か」を感じる――ただ、今日僕が持っていた石とは比べ物にならないほどの強い力――恐らく、それが恐怖の原因だと直感した。
僕の人生はここで終わっていてもおかしくはなかった。
ここで一つの疑念が浮かび上がった。
石は、あの子が落としたはずだろう? なぜこの男が「譲れ」と言っているのだろうか? 必死に考えたが、二通りのパターンしか思い浮かばなかった。①、明確な悪意を持ってこの石を奪いに来ている。②、落としたのはあの時の「逃げる者」である――①なら渡すわけにはいかないが、一般人の僕が逆らってどうにかできる状況ではない。命をかけて守るのはかっこいいが、命を捨てて守るのは、かっこ悪い以前にやりたくない。②なら渡してもいいが、生憎証拠がない。前回も今回も、その姿を見ていないのだから。ただ、大事な物なら返したほうがいいに決まっている。
しかし、僕は考えていなかった。彼が①と②の
冷静な判断ができたのはここまでだった。
僕はコクと小さく頷いてから、石の入ったカバンを渡そうとした、まさにその瞬間。
「見つけた!」
昨日の少女の声。空飛ぶ少女の声。
見つけたのは石か。ありえない。
ならば、硬直している僕と拘束している彼。光がこちらに向いて、僕らを照らす。しかし、眩しすぎて相手の顔は見えない。彼も懐中電灯に照らされているはずだが、逃げようともせず、また動揺する様子もなかった。
「おっと、これ以上近づいたら、この子がどうなるか、わかっているな? 何度も言うが、私はあんまり無関係な子供を巻き込みたくないんだ」
いや、その子に言うのは初めてだろうと言いたくなったが、口を塞がれてるので言えないし、言ったら間違いなく殺されるか拉致される。こちらは人質。奪われる者。
もう、面倒事に巻き込まれるのは嫌なんだ。
大人しくカバンを差し出し、石を取り出させた。
「よしよし、いい子だ。では私は帰らせてもらうよ」
腕が解かれ、ようやく自由に息ができるようになった。突然の開放感から、僕はその場に倒れてしまった。
目が霞む、動悸がする、頭が重い……体も重い……
帰らなきゃ……何も見なかったことにして、今すぐ帰ろう……
この場から逃げたいという必死の思いでなんとか立ち上がったが――
「どうして……」
え?
「どうしてあいつに石を渡したのっ!? あれは私のりゅうせきなのよっ!?」
「ぐっ……!」
背中を杖のようなものででかなり強めに殴られた――痛みを感じるというよりはものすごい衝撃を感じて――内臓が悲鳴を上げた。
石だ、あの石のせいだ。あの石を拾ったせいで、僕はこんなに酷い目に遭った。いや違う……あの時、石を拾わなければ――あの時、路地に入らなければ――。判断を誤った――全部自業自得だ――
彼女が新たな敵だとしてももう、ダメージを負いすぎて立ち上がる気力もない。
それにりゅうせき? さっきの石のことか?
「せっかく見つけて、苦労して、大変な目にもあって、やっと手に入れたのに、渡しちゃうなんて!」
すごい剣幕でまくし立てられる。言葉は分かるが、ただの騒音に聞こえる。それに、言動がかなり幼稚だ。
なんだ? やっぱり石はこの子のものだったのか? これは悪いことをしちゃったな。
地面を通して、誰かが歩いてくる音が聞こえる。もう一人いるみたいだ。
「ここみ、人に当たるのはやめろ。大体、お前が石を落としたのが悪いんだろう? すまないね、うちの妹が」
「……!」
彼女の兄らしい少年の声と、彼女の息を飲む音。懐中電灯は一本だったから、二人目は見えなかったし、いるとは思わなかった。
懐中電灯がずっとこちらに向けられているため、彼らの顔はぼんやりとしか見えなかった。
少女の名前は「ここみ」というらしい。少年は、声の低さからして僕と同じくらいかそれより上だろう。
動悸もだいぶ落ち着いてきた。息を整えて、彼らの声に耳を傾ける。
「俺らには敵対する意志も理由もない。そうだろう? 少し辛いと思うが、話を聞いてほしい……ここみ、お前はそろそろ『冷静でいる』ことを覚えたほうがいいぞ」
「んーー?」
おい、今知らないふりしただろ。
「今、時間ある?」
いや、ない。そう答えると、
「質問が悪かったね」
――ついてこい。
まだ名を知らぬ少年、顔も見ぬ少女に、半強制的についていくことになった。もうしばらく、家に帰れそうもない。
結局、僕は最後の最後まで、判断を誤ったままだった。その「間違い」が、僕自身を蝕み始めていることにも気づかずに――
Madness Eclipse 牧内純 @MakiuchiJun
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