僕の死に意味があるのなら

嵐山田

僕の死に意味があるのなら

 自殺願望。

 それが芽生えたのは高校受験を終えた頃からだろうか。

 

 小、中と顔ぶれの変わらない田舎町の出身で、全てが閉じた世界だったあの頃、僕は無敵だった。


 運動、勉強共に上位層、生徒会で役員なんかも務め、男女問わずに人気者。厳しくも優しい両親に愛されて順風満帆な人生を送っていた。


 そんな僕を変えたのは不合格というたったの三文字。

 人生で初めての失敗だった。

 結果として、人生に大きな変化をもたらす類の失敗。


 周りは僕を励ました。


「結果ではない。どこでどんな努力をするかだ」

「きっとあなたには第二志望の学校が合っていたんだわ」


 そんな言葉を色々と掛けられた。

 でも、僕の心に空いた失敗という名の大穴は塞がることはなかった。


 この時だ。

 僕が初めて、この感情を抱いたのは。


「今、僕が死んだら、誰がどう思ってくれるんだろう?」

「僕の死に意味があるのなら、きっと誰かの何かが大きく変わるはずだ」


 そう思って、足元を見下ろす。

 都会にはこれ以上の高さで生活している人もいると言うのに、身が竦むような恐ろしさだ。


 あと一歩、たった一歩でこの空虚な感情から逃れられる。


 しかし、それからの一歩は果てしなく遠く、重かった。


 死を意識する。

 すると、それまで空虚にしか感じなかった人生にも未練が見えてくる。

 家族、友人、恋人……死を通じて、自分の存在を刻みつけようとしていた相手が、その思い出が僕に一歩を踏み出させない。


「……今日は帰るか」


 ありがたいことに受験に落ちたところで、失ったのは第一志望に行ったの未来だけ。

 ほかは何も変わらない。

 家族も友人も恋人も何も変わらない。


 でも……じゃあ、どうして、この空虚な大穴は空いたままなんだ?


 そんな疑問を抱いたまま僕は山間の少しせり出した崖を後にした。


 ◇◇◇


 高校生になった僕は無敵ではなくなった。

 受験の失敗によるモチベーションの低下によって、勉強の習慣が崩れた。

 何かを始める気力も無くし運動もやめた。


 結果はすぐに現れた。

 テストは下位層、運動も中学時代の方が成績が良いほど。


 しかし、この変化は僕に予想外の影響を与えた。


 それまで気にしてこなかった層の人の感情が分かるようになったのだ。

 そして、彼らはそこまで失敗を気にしていないことを知った。


 結果、僕はまた無敵になった。


 以前とは違う意味での無敵。

 失敗を失敗と思わない。

 かなりまずい無敵だった。


 そして高校生になったことによる、もうひとつの大きな変化が行動範囲だった。


 大人の目の届かない場所まですぐに行けてしまう。

 無敵に返り咲いた僕はそこで女性を知った。

 女子ではなく、女性だ。


 恋人とは違う女性との時間は空虚さを僅かに埋めてくれる、初めてのものだった。


 ただひたすらに欲求をぶつけ合う。

 その満足感は空虚さから僕を逃がしてくれる。

 直接誰かに自分を刻みつけることで、この空虚さから逃れられることを知った僕はその沼に溺れて行った。


 しかし、この沼は底のない沼。

 穴よりももっと凶悪な、出られない、沈み続けるしかない沼だった。


 身体的な繋がりがあっても、一度終われば接点のない関係。

 データとして繋がりがあっても、関係という鎖を構築することは難しかった。


 基本的には一夜過ぎれば、全てがリセットされる。

 なのに、沼は僕をより深くまで引き摺り込む。


 そして、そんな僕にまた人生の転機が訪れる。


 大学受験だ。


 世間じゃ人生を左右する大一番の一つにもカウントされる重大事項。

 

 当然、僕も人間だ。

 沼の中に居ても、あの頃のような自分への執念のような、淡い憧れは残っていた。


 数少ない勉強のできる友だちについて塾に通わせてもらったりして、徐々に成績は伸び始め、いつの間にか、あの、ずっと沈むしかなかった沼から這い出ることができた。

 ――と、錯覚した。


 人間とは欲深い生き物だった。


 一度、底辺を味わった僕は明確な上位者である格を求めるようになった。


 高校生における、格。

 それはつまり、志望校である。


 これまた世間でも学歴コンプレックスだとか、学歴フィルターだとか明確な格として見られることのあるそれを欲深い僕は求めてしまった。


 徐々に伸び始めた成績も悪影響したのだろう。

 そこそこ、で満足できなくなってしまった。

 

 僕はすっかり高校受験の失敗を忘れ、届くはずのない光を目指して手を伸ばし始めてしまった。


 志望校を変えた途端、当然の如く模試の順位は下がる。

 それはそうだ。

 その大学を志望する人の中での順位が表示されているのだから。


 ただ、一度下見ることを覚えてしまった僕には危機感が芽生えなかった。


 まだ下がいる。

 そんな感情が危機感を先行したのだ。


 判定や偏差値には目もくれず、僕は下の存在に安心感を覚えた。


 そうしてD判定のぬるま湯につかったまま、迎えた試験本番。


 あの異様な雰囲気に包まれた会場で僕はようやく状況を理解した。

 下にいた数百人なんて、目に入れるべき存在ではなかったことを。


 会場にはどう考えても千人を超える人数が集まり、それはつまり自分よりも優秀な人間が下と同数かそれ以上にいると言うことで、そんな当たり前を実際に人の群れを見て実感させられてしまった。


 まあ、これで実力を発揮できず受験が終わっていれば、もしかしたらまだ救いがあったかもしれない。


 ただ、僕は昔から変に本番に強いことがあった。

 アドリブや機転が利くというのだろうか?

 ピンチに直面すると普段以上のパフォーマンスを発揮できることが身に覚えがある程度にはあったのだ。


 そして、この日もそれが訪れた。


 普段より進む鉛筆、流れるように入り込んでくる問題文、いつもより読める単語が多く感じる英語。

 そう、久しぶりに感じる全盛期の無敵感が帰って来たのだ。


 間違いなく過去一番の、会心の手応え。

 そんな確かな実感を持って、僕の第一志望受験は幕を閉じた。


 帰りの電車では自己採点もちゃんとした。

 過去の模試と見比べても難易度は高く感じるのに、正答率は高い。


 苦手な英語は相変わらず足を引っ張ったけれど、それでもいつもよりはマシなレベル。

 例年通りならば、何とか滑り込んで合格できる程度の点数が自己採点を終えた僕の手元に現れた。


 それからも何校か滑り止めを受験したけれど、正直全然身が入らなかった。

 僕には既に、確かな結果を伴った自信という名の傲慢が宿ってしまっていたから。


 そして来る合格発表。


 余裕綽々の表情でスマホの画面をのぞき込んだ僕の目の前には再びあの三文字が現れた。


 不合格。


 高校受験の時とは違い、青い字で表記されていたそれは、期待した赤い二文字ではなく、僕を地獄へ突き落すかのような三文字の並びだった。


 そして、この時僕は何かを感じていた。

 ああこの、うまくいかない流れは身に覚えがある、と。

 そんな根拠のない、しかし、十八年と言う短くない人生から得た経験則が僕にそれを告げていた。


 不合格。

 不合格。

 不合格。


 それは怒涛の連続だった。


 第一志望と同じレベルとされる大学はもちろん、滑り止めに受けたワンランク下の大学からも突き付けられたその三文字は僕があの日感じていた無敵感が虚構だったことをこれでもかと告げてきていた。


 再び、周囲は僕を励ました。


「あんなに頑張ってダメだったのなら仕方ないわ」

「受験ってのはそういうものだ」


 そんな風に言って、次へと僕を進めようとする。


 だが、今度こそ僕はぽっきりと折れた。

 穴に落ちるでも、沼に引き込まれるでもなく、僕は折れたのだ。


 結局、二月末の合格発表で、僕は何とか大学生になる権利を得た。

 高校の担任教師に念のためと言われ、出願するだけしていた統一テスト利用入試とやらが合格していたらしい。


 その大学は奇しくもあの日、成績が上がり始めた僕が格を求め、低いと見切った大学だった。


 浪人なんて選択肢は僕にはなかった。

 この失敗の恐怖に怯えたまま、折れた自分を何とか立て直し、もう一度あの人の群れの中に特攻をしかけれるだけの体力は、残念ながら僕には残っていなかった。


 周囲は皆、祝福してくれた。


「よかった、良かった」と涙を流してくれる者。

「これからも頑張りなさい」と激励をこれまた嬉しそうな顔でいう者。

 

 そんな幸せに囲まれながら、しかし、僕の心には再びあの大穴が現れた。

 

 何かがすっぽりと抜け落ちたような、今まで持っていた客観的な自分と言うものが、どれだけ主観的で幻想的なものだったかを押し付けられたかのような、そんな大穴だった。


 ただ、そんな大穴に何か手を加える前に刻一刻と時は流れていく。

 三年間を過ごした高校に別れを告げて、また、三年間を共に過ごした友人に再開の約束をして僕は大学生活を始めることになった。


 大学生活は僕の短い人生において最も大きな変化を及ぼした。


 その最大の要因と言えばそれは、僕が親元を離れて一人暮らしを始めたことであろう。


 昔から不得意なことは水泳くらいの物だった僕は、特に苦労することなく一人暮らしが出来るだろうと思っていた。

 そうして実際、一年は上手くやっていたと思う。


 洗濯こそ二日に一回程度だったが、料理、掃除と言った基本的な家事はもちろん、一人暮らしと言う無制限な行動の自由を大いに振るって、都会の色々な場所や人と関わった。


 高校時代のようなデータだけの繋がりではなく、きちんとした交際というものを真面目に大学に通いながら重ねていった。


 かなり理解に苦しむ様なノリにも合わせ、合わない話もどうにか合わせる努力をして、僕は環境における普通の人間を目指した。


 しかしながら、そんな無理は長くは続かなかった。

 当然である。

 何せ、この一年間僕は自分より低いレベルの人に合わせてやっていると思って彼らに接していたのだから。


 いや、学力だとかそう言う面から見たら実際に僕の方が上だったのだろう。

 ただ、そうではなく認識として、下に合わせるという感覚は背伸びをする以上に難しく、大変なのだ。


 話はかみ砕くにかみ砕かなければ伝わらない。

 無断欠席の後にノートを貰うのは当たり前。

 自分のミスを認めようとしない。


 まるで見知らぬ小さい子供と共同生活をしているような徒労感。

 それも子供と言う愛嬌さえない人間たちとだ。


 そうして疲れ果てた一年を終え、僕はコミュニティを狭めた。


 僕たちの代は某ウイルスの影響で修学旅行すら行けなかったような学年だ。

 コミュニティを狭めることに関して苦労することはなかった。


 授業をオンラインの物で埋め、面倒な連絡には返信しない。

 これだけで僕は昨年の何倍も生きやすい環境を手に入れた。


 そして、一人暮らしと言う、どこでも住めば都な聖域が再び僕を沼へ引きずり込んだ。


 大学二年になった僕はほとんど外へ出なくなった。

 すると段々生活のレベルが下がっていく。


 動かないからお腹は空かない。

 よって食事は一日一回になった。


 動かないし、外に出ないから着替える必要がない。

 よって洗濯も一週間に一度になった。


 こうしてパソコンの前とベッド、トイレ、風呂、キッチンを行き来するだけの人間が出来上がった。

 辛うじて生きていた危機感が、週に一度の運動をサークル活動で行わせていたが、それ以外ほとんど変わり映えのしない日常が僕に訪れた。


 こうした変化のない日々は恐ろしいほどに楽で、生きやすくて、どんどんと僕を引きずり込んでいった。


 そして、そんな日々は遂に思考にも浸食を始めた。

 

 ゴールデンウィーク中のサークル活動後、僕は一人の女子を自宅に連れ帰っていた。

 いや、連れ帰るというより彼女がついてきたという方が正しいのだろうか。


 時刻は二十時過ぎ、この時間に家を訪れる理由なんて……わざわざ言う必要もないだろう。


 サークル活動でかいた汗を流すべく、シャワーを勧め、その間に僕は流れるように準備をする。

 そうして出て来た彼女と入れ替わりで僕もシャワーを浴びた。

 もう、改めて考えるまでもなく自然と出来る動きだった。


 ただ、ここからが少し違っていた。

 

 彼女がドライヤーを使う音が止む前に、烏の行水の如く速さでシャワーを浴びた僕は彼女の近くに腰を掛け、彼女の後に髪を乾かした。

 

 そうして、いざ、と言うタイミングで彼女が話を始めたのだ。


 彼女は二時間ほど喋り倒し、色々な話を聞かせてくれたが、要約すれば彼女はこういった経験がないのだという話と僕のことが好きだという話だった。


 告白、なんて人生では中々起こらない大きなイベントだ。

 無敵だった小、中時代はともかく、高校に入ってからは二度経験したのみで、特に二度目は自分からの告白で結果も失敗に終わっていたため、かなり久しぶりに感じた。


 だが、環境とは恐ろしいもので、怠惰な生活に慣れ始めていた僕は告白された高揚感より先に、恋愛関係になった後の諸々の面倒くささを感じてしまった。

 そして、あたかも高揚感を感じたかのような書き方をしてしまったが、この後でも、いつまで経っても僕の心が動くことはなかった。


 まあ、それも仕方のないことなのかもしれない。

 何せ、僕の心には大穴が空いてしまっているのだから。


 そして、そんな僕が取った行動はおよそ最低なものだった。

 

 最近は忙しいから付き合うのは難しいけど、これからも仲良くしたい。

 

 いわゆるお断りの返事だ。

 忙しさなどかけらも感じられない生活をしていると言うのに、僕の口からはさらりとそんなセリフが吐き出された。

 

 だが、僕はここで止まらなかった。

 

 この時、この状態を客観視してみて欲しい。

 ……これ以上にないほど状況は整っている。

 

 心に大穴が空いていても、人並みに欲求はある僕はこの機を逃すのはもったいないと、彼女に向けて軽く手を広げた。


 この行為が持つ意味は、罪悪感を背負わずにすべてを向こうに擦り付けたうえで自身の欲求を達成するというもの。

 僕が考えられる限り、最善で最悪な行為。

 なにより相手の感情を利用しているという点が最悪である。


 皮肉なことに僕のアドリブ力と機転の利きの良さは確かに生きていた。


 こうして僕は環境によって一年時に見下していた人間たちと同レベルにまで落ちぶれた。

 そして、一度落ちぶれた人間がどうなるかは、高校時代の僕がすでに証明してくれている。


 僕はあの時のように大穴を埋めてくれる時間を求め、女性へ逃げた。


 幸い、大学の思考する勉強は水にあっていたのか、高校時代からは考えられない程に成績を上げた僕には時間だけはあった。

 こうしてパソコンの前とベッド、トイレ、風呂、キッチンを行き来するだけの生活に女性を加えて僕はモラトリアムの限りを尽くした。


 そうして気が付けば大学生活も三年目に入った。

 三年目からは僕はこれまでの人生の反省を活かして、早いうちから就職を見据えた活動を始めた。

 まあ、いわゆるインターンである。


 長期で入ったそのインターン先はそれはそれは素晴らしい環境だった。

 

 最上位私大や超難関国公立大の学生ひしめく環境に一人迷い込んだような僕。

 しかしながら、彼らはそんなこと全く気にすることなく僕に接してくれる。


 社員の方々も皆、あり得ない程忙しそうにしていたが、それでも態度や性格が変わることなく、分からないことを聞けばすぐに対応してくれて、失敗しても「こっちで巻き取るよ」だとか「見直してみて分からなければもう一度声を掛けて」とちょうどいい塩梅に面倒を見てくれる。


 僕は一気に生活を見直し、絶対この企業に就職しようとインターン中心の生活へ向けて怠惰を改めた。


 多少体調が悪くともインターンには休むことなく通い、振られた仕事は自分なりに責任を持って取り組んだ。


 実際に僕の仕事が結果に反映されたことを伝えられた時は思わずにやけてしまうほど嬉しかった。


 そうして四月から五月、六月……十一月と週二回八時間+通勤時間四時間の生活をこなしていると遂にその時がやって来た。

 そう、就職面接だ。


 十一月の最終週。

 大学四年を目前に控え、色々な企業が新卒採用を始める中、僕のインターン先もその例に漏れず新卒採用を開始したようで僕は勇み足で面接に臨んだ。


 成人式ぶりに着るスーツ、慣れないネクタイ、そんな普通の就活生となった自分を見て満足したのを昨日のことのように思い出せる。


 面接では大体詰まることなく話せたと思う。

 僕は昔から話すことは好きだったし得意だった。

 最後に予想外の質問を受けて詰まってしまったこと以外はかなり上出来だったと自負していた。


 しかし、僕に再びいや、三度訪れたのは、あの『不合格』という三文字だった。

 今回は単に不合格ではなく、長々とした文言の後に「今後のご活躍をお祈り申し上げます」というめの付いた不合格だった。


 かつてないほどの絶望が僕を襲った。

 もう、大穴だとか心が折れただとか、そんなことを言っている余裕がないくらいには絶望した。


 こんなに絶望していると言うのに、そんな僕をさらなる絶望に叩き込む現実が襲い掛かった。


「インターン、続けますか?」


 社交辞令に過ぎない、そんな何気ない一言は、これまでの僕風に言えば何よりも深い沼だった。

 そう、まだ大学三年生だった僕は四年になるまでの残りの四か月間、この企業でインターンを続けることが出来たのだ。


 きっと普通の人間ならばここでやめるという選択を考えるのだろう。

 しかし、僕はようやく見つけた最高の環境を手放すことが出来なかった。


 既に結果は出ていると言うのに、まるで縋り付くように僕はインターンに残る選択をした。


 しかしながら並行して就活は進めなくてはならないわけで、インターンの優先順位は下げざるを得ず、これまでのように最高の状態で最高の環境を享受することは出来なかった。

 そんな中でも相談に乗ってくれたり、同業種別企業の対策のために時間を割いてくれたりしたこの企業の方々には感謝こそすれど、恨むことは絶対にない。


 まあ、だからと言って就職活動が上手くいくなんてこともなく、結局残りの四か月はあまりインターンにも出られず、就職も決まらずという踏んだり蹴ったりなまま僕は最高の環境を後にせざるを得なくなった。


 そうして始まる大学最後の年。

 度重なる就活の失敗に加え、心の拠り所となっていた環境さえ失ってしまった僕は完全に精神を壊していた。

 それでも単位はしっかりと取ったのだから、大したものだと自分を褒めてやりたい。

 ……そうでもしないともうやっていられない。


 あれ以降、僕の就職活動は散々だった。

 学歴フィルターが掛かる企業以外の書類はほぼ確実に通過し、一次面接も七、八割は通る。

 しかし、その次、企業によっては社長面談前の最終面接、そうでない企業も偉い人が並ぶようになる二次面接、そこが最大の関門だった。


 当時はいくら振り返ってもミスと言うミスは思いつかなかった。

 しかし、ほぼそこを超えることが出来なかった。


 今、考えれば主体性を発揮できていなかったのかもしれない。

 自分で言うのもなんだが、僕は空気を読むことがそこそこ得意だ。

 数少ない特技に数えてもいいと自分で思えるほどには空気を読んで合わせることが出来ると自負している。


 ただ、僕が目指す業界が昨今求めているのは、主体性を持って新しい物を打ち立てられる人物なのだろう。

 僕のような量産型モブBのような存在は必要とされていない。


 だが、それに気が付かなかった僕は遂に精神の限界を迎え、大学四年の夏休み、人生最後の長期休暇に実家へと帰省し、療養生活を送る羽目になった。


 何をせずとも常に食道辺りに不快感があり、数分に一度必ずえずく。

 足元はふらつき、起き上がった後の一歩目で後ろにひっくり返ることもしばしば。

 人の多い環境が恐ろしく、電車に乗れば動悸が止まらず、冷汗が滝のように流れる。

 他にも多種多様な体調不良が僕の身に降りかかった。


 こんな状態では療養も仕方のないことだった。


 久しぶりに帰った実家は快適で、しかし、人の目が恐ろしくなってしまった僕にとっては居心地が悪かった。

 だけどそんな状態も二か月、つまり夏休みが終わるころにはだいぶ良くなっていた。


 結局原因はストレス。

 原因から離れれば体調が良くなるのは自明の理だ。


 とは言え、それも一時的なもの。

 大学四年生の僕の肩には卒業、就活、今後の人生、そのすべてがまだ乗ったままだった。


 再び実家を離れ、住めば都な一人暮らしに戻ると一月もしないうちに症状は再発し、再び僕を苦しめるようになった。


 そして、僕は久しぶりにあの感情を……願望を思い出した。



 

 結局、幸か不幸か志望業界へ滑り込んだ僕は大学卒業後も親元を離れたまま忙殺される日々を坦々とこなしていた。


 僕の勤め先には大学生時代に憧れた、あの忙しくも充実している様子だった大人たちの姿はなく、あるのは追い詰められた醜い人間のなれの果て。

 入社三年を過ぎようとした今、僕は早くもそんな人間の仲間入りを果たそうとしていた。


 そして今日は何とかもぎ取った有給休暇で久しぶりに故郷の懐かしの地を訪れている。


 冬に一歩足を踏み入れた今、故郷の風は僕の身体を芯から凍えさせる。

 特にこういう山間は標高が高く、風がよく通るためその寒さは想像を超えていた。


 そんな中で僕は震える手足を一歩、また一歩と進めていく。


 あぁ、本当に、寒い、寒いな……。


 あの日の僕がそこにいる。

 下を覗き込んで高さに怯えた僕が。

 生への未練を持って後へ引くことのできた僕が。


「僕の生に意味があるのなら、それはきっとこうして馬鹿な失敗を記録することだったのだろう」


 自嘲するように呟いて、初任給で買ったちょっと良い革の手帳に物語の最後を綴っていく。

 

 今となってはこの程度の高さに怯えることはない。

 この手の震えは寒さによるものだ。


 生の意味を果たそうとしている僕をもう後へ引くものはない。

 この足の震えも寒さによるものだ。


「人生八十年? 馬鹿を言わないでくれ。どこにそれだけの失敗を耐えられる人間がいるんだ」


 最後にコンビニで買った社会人の相棒のプルタブを開き、震える手で一気に傾けた。


 あぁ、温かい……。

 こいつだけがの震えを止めてくれる。


 良い具合に体が温まって来た。


「……さて、帰るか」


 そう呟いては――――――。

 

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