ふたつの月の島

春望(はるのぞみ)

ふたつの月の島

 ある海、どこかに島がありました。


 その島は黒い黒い土地が大きく盛りあがってできたもので、三日月のような形をしています。中央はまん丸く入り江のようになっていて、それをふたつに割るように、長細い橋のようなものが架かっているのです。

 橋のようなものは、ただ長細いコンクリートの塊が湖の上に置かれただけの、飾り気も何も無い、とても簡素なものでした。


 昼。その上を渡るように進む時には。

 右か左に、赤い月か青い月が高々と昇っているはずです。

 同時に昇ることはなく、赤は西に、青は東に。不規則に、夜明けと共に、これは昇ります。


 だから、夜明けの前、ひとびとはみんなずらりとこの上に一列に並んで、それぞれが東か西かを向くのです。つまり、この後どちらの月が昇るのか、博打を打ってやろうというわけです。


 さて。この博打には何がかけられているのでしょうか。

 それは、ひとびとの時間、人生、楽しみ。つまり、そのひとそのものです。

 月が昇るさまを見られれば、今日一日を過ごすことができました。見られなければ、黒い島の陸地にはこれまた高い鉄塔がたっておりますから、ただその上まで歩いていって、飛んでいただくことになっていました。


 誰も文句などは言いません。

 それがこの島では普通のことで、不思議とひとが減ることもないように思えました。


 しかし、ある日。ひとりの男が思いました。

 どちらもの月の方を見なければ、どうなるのだろうか。そう考え始めれば、いてもたっても居られませんでした。


 男はそわそわしたまま、その日の夜明け前。ひとびとの一番うしろに足音を忍ばせながら並びました。真っ暗な陸地と真っ暗な入り江の真ん中で、みんなうぞうぞと左右を向きます。それでも男は前を向いたまま、ただ立っていました。


 光が水平線の彼方から差し込みます。


 しばらくして、東を見ていたひとびとが、陸地をめざして歩いていきます。それはまるで蟻の列のように点々と高い鉄塔まで伸びていきました。

 男は西を見ていたひとびと共に、それを眺めました。鉄塔からは気味良く順番にひとが海に向かって落ちていき、潰れて沈んでいくようです。


 誰も男に何かを言うことは、ありませんでした。雷が落ちてきたり、大雨が降ったり、そんな天罰が下ることもありませんでした。


 なので、男はまた思いました。

 今日、自分が東を見ていれば。あの鉄塔にいて、海へ飛び出すことになったのだろうか。また、大いなる好奇心が、むくむくと頭をもたげてきました。

 沸き上がる気持ちを抑えながら、夜の冷たいコンクリートの上で東を向いて待ちます。心臓は音を立てていて耳の奥で興奮の音がザアザアとなっていました。今日もまた、西に月が上がるに違いありません。男は不思議と確信めいた気持ちを抱いていました。


 ひとびとがぞろぞろと男の後ろに並び始めて、東へ西へと身体を向けていきます。

 そのうち光が眩しく輝いて、けれども黒い島の向こう側からは、何も見えませんでした。


 男が望んだとおり、反対側で赤い月が昇ったのでした。


 蟻の列の先頭で、男はすかさず歩き始めます。そうして黒い陸に上がって、鉄塔へむかう道のちょうど折れ曲がるところで、さっと後ろから見えなくなるような窪みに身を隠しました。

 みんなは昨日とおんなじように、鉄塔まで歩いていきます。先頭が一人いなくなっても、なんにも変わりません。変わらぬ足取りで、一歩ずつしっかりと坂道を登っていきます。男はそれを影からよくよく見ているのです。


 遂に、今日も鉄塔からひとが飛びました。海に落ちる音がして、けれども男からそれは見えませんでした。ばしゃんばしゃんと沈む音だけが聞こえてきます。

 しばらくすると、何も聞こえなくなりました。あたりはしぃんと静まり返っています。男はそうっとくぼみを出て、覚束無い足どりではありますが坂を上ってみることにしました。


 上るほどに風は吹きさらしています。

 耳は使い物にならず、なんにも聞こえやしません。


 坂のてっぺん、鉄塔のふもと。

 しかし決して鉄塔には登らずに、男は入り江の海を見下ろします。そこも、真っ黒でした。陸地とは違った、また真っ黒なここにたくさんの人が吸い込まれてきたのかと、男はそう思ってニヤリと笑いました。


 そうしてそれっきり、男は鉄塔に寄り付くものかと思っていました。


 次の日も男は変わらず、ひとびとと同じように月の賭けに行きました。

 既に男は知りました。この賭けは、きっとどちらを向いていてもいいのです。赤い月が昇っても、青い月が昇っても、男たちにはなんにも関係ないのです。笑いが込み上げるような心地でした。なんと馬鹿馬鹿しいことを、これまで神経をすり減らして選んできたのでしょうか。


 これからは、月がどちらから昇るかなんて気にせず、自由に、日がな一日を過ごすことができるのです。


 男は、月が昇る前の真夜中に、誰もいないコンクリートの上で、海を眺めました。びゅうびゅうと風が男の耳を塞いでいます。


 そうして、男は海の中に飛び込み、沈んで、二度と上がってきませんでした。

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