第49話「あなたは独りではありませんよ。」

 熱気のこもる店内。ランプの光に照らし出される爽やかなオレンジと鮮やかなブルー。そのオレンジとブルーの2着の衣装からちらちらと覗く白い肌が温かみのあるランプに照らされて一層艶が乗る。

 息のあったダンスは観る者をえもいわれぬ恍惚の淵にいざなう。

「何度観ても不思議な感じがするなあ。」

「実はあの2人ロープか何かで繋がってて、それで同じように動けるんじゃないのか。」

「魔法だよ、魔法。あいつらホントは魔女なんじゃね?」

こええこと言うなよ。火炙りはゴメンだぜ。」

 常連たちは口々に好き勝手なことを言って目を丸めたり首を傾げたりしながらもシャルキーとノイレンのユニゾンに見入っている。

 2人は同じ動きをしながら円を描くように回って立ち位置が左右逆になると横並びになり今度はノイレンがダンスを主導する。ノイレンの右腕が波打つ。その波が左腕に伝わりそのままシャルキーの右腕に繋がって彼女の左腕に抜けていく。

 お互いに斜めに体を向け合い客席側の腰を打つと今度は互いに背を向けるように向きを変えてまた客席側の腰を打つ。そして胸から腰を小刻みに揺すりながら互いにステージの裾へ離れていきターン。そのままつま先で軽やかなステップを踏みながら近づいていく。ピッタリくっつきそうなほどに体を近づけて手を広げ胸を揺らす。

 常連たちがこの後どうなるのかと目を皿のようにしてじっと観ていると2人はステージ奥側の腕を上にあげ、客席側の腕の肘を曲げて手のひらを口元に持っていくと、手のひらを上にして手首を返しつつ腕を伸ばす。親指から中指までの3本を伸ばし残りの2本を軽く閉じて投げキッス、しかも2連発。2人合わせて4発。店の端から端までキッスを投げた。

 うおおおっと客席は大歓喜。鼻の下を伸ばして見とれる者、ジョッキを傾ける手が止まり赤面する者、手が痛くなるのではないかと思うほど手のひらを叩き合わせる者、皆それぞれに楽しんでいる。その中で3人だけ周りと反応の違う者がいた。1人はトレランス。ノイレンが投げキッスしたのを見てなぜかむくれている。もう1人はポルター。ノイレンの投げキッスを2発も受け取り気絶したかのように固まっている。最後の1人はアニン。トレランスの横でジョッキのビールをちびちび飲みながら2人のダンスを見ていたが、シャルキーの投げキッスがトレランスの方にも飛んできたのを見てやきもちを焼いた。ノイレンみたいに頬をプクッと膨らませてシャルキーを睨んでいる。


「いやあいいもの見せてもらった。最高だよ。」

 ダンスを終えた2人が客席を回って歩くと常連たちはその興奮を口にする。

「2人からキッス貰っちまって照れるじゃねえか。」

「シャルキーのキッス初めてだぜ、うひひ。」

「じゃあもう一回してやろうか、高いよ。」

 シャルキーはその常連の顎をその長い綺麗な人差し指の腹でふわっと撫でていく。

「うひょ〜。」

「ノイちゃん、わしもう死んでもいいだに。思い残すことないだに。」

「縁起でもないこと言わないでよ。毎日見にきてね!」

 にこっと微笑んで自然にウィンクした。いつのまにか上手くなってる。


 そんな穏やかな日々がいく日か続いた。

 夕方前ダンスレッスンが終わり開店準備に取りかかるはずがノイレンの姿がどこにも見当たらない。

「チーフ、ノイレン知らないかい?」

 シャルキーが訊いた、チーフは肩をすくめて知らないというジェスチャーで返事する。

「近頃この時間になると消えちまうね。どこ行ってるんだいあの子。」

 開店準備をノイレンに任せて自室で事務仕事をしようと思っていたシャルキーは仕方なく布巾を絞ってテーブルを拭きだした。チーフはそんなシャルキーの背中を申し訳なさそうに見つめて人知れず頭を軽く下げた。

 実は近頃その時間になると店の裏口そばのあまり人目につかないところに二人の人影が並ぶようになっていた。影は共に壁に寄りかかるようにして立っている。

「昨日のダンスもとても素敵だった。あと、キ、キッスもすごいドキドキした。」

 ポルターが顔を真っ赤にしながら昨夜の様子を思い出している。

「あは、また言ってる、でもありがと。」

 隣にいるノイレンも照れて頬を赤く染めている。

「だって何回見てもノイレン可愛くてさ、それで投げキッスされるたびに頭がぼ~っとしてきちゃうんだ。」

「もう改まって言われるとなんか恥ずかしいじゃん。」

 ノイレンは胸の下あたりで左右の人差し指と親指の指先を交互につける動作を繰り返してポルターと目を合わせないようにしている。恥ずかしくて彼の顔が見られない。

 ポルターは指先と指先がチュッチュッとくっつくノイレンの仕草を見てボソっと呟いた。

『投げないキッスしたいな』

「ん、何?」

 ノイレンは顔を上げてポルターを見る。残念ながらノイレンには聞こえてなかった。

「あ、いや、ま、また一緒にごはん食べたいなって言ったんだ、」『二人で。』

 肝心なところで口籠るからノイレンに届かない。

「いいよ。師匠に言っとくね。いつがいい?」

「あ、いや、そうじゃなくて・・・」

「ん?」

「ううん、なんでもない。よろしく言っといて。」

「うん。」

 この2人いつの間にかいい感じになっている。ここのところずっとポルターはカバレに客として顔を出している。ノイレンのダンスを呆けた顔で鑑賞したあとプレゼントにその時々の花を一輪渡して一言三言話をすると帰っていく。そんなもんだからノイレンも親しく話をするようになった。

「じゃあわたし行くね。あんまり抜けてるとシャルキーに怒られちゃう。」

「うん、引き止めてごめんね。今夜も観に来るから、またあとで。」

「やった。ポルターもお仕事がんばってね、またあとで!」

 ノイレンはニッコニコと笑顔でポルターに小さく手を振ると店内に戻っていった。ノイレンの姿が見えなくなるとポルターはまるで股間を押さえるように両腕をまっすぐ伸ばして体にピッタリと付けて地団駄を踏むごとくバタバタと足踏みする。

「たああ〜、僕本当に男か?」

 下唇をかみしめて自分のふがいなさを悔しがった。


 その日の夜、給仕の合間にノイレンはトレランスに食事会の話をした。

「俺は構わないが、本当にいいのか、俺が一緒で?」

 トレランスは一応物分かりの良いフリをしてみせる。

「うん、ポルターは師匠とも食べたいみたい。よろしくって言ってたよ。」

 トレランスは右上に目を向けて何やら想像した。

「ふ~ん、あいつがねえ。ああそうだ、食事会は1週間くらい先でもいいか?明日から2、3日仕事で隣町のフォクサルまで行って来にゃならなくなった。」

「わかった、ポルターにはそう言っとく。ところでそのフォクサルってどこにあんの?」

 ノイレンは何気なく訊いただけなのだがトレランスの顔が曇った。

「うん、ここからだと朝出れば夕方には着くくらいの距離だ。そんなに遠くない。」

「ふ〜ん。」

 そう返しながらもノイレンの心の中に不穏な感情が湧く。あまりにも近すぎる。それに師匠の表情。もしかしたら”悪ガキノイレン”がいた街かもしれないと感じた。あの街のことは思い出したくない。

「ちなみに師匠って昼間は何の仕事してんの?」

 ノイレンはその嫌な気配を消したくて、今まで気にしないようにしていた疑問を投げかけた。するとトレランスは片方の口角を上げてニヤっと笑むとこう言った。

「いろいろだ。」

「いろいろって?」

「いろいろはいろいろだ。ノイレンが一人前の剣士になったら教えてやる。」

 ノイレンはぷうと頬をリスのように膨らませた。

「ケチ。」

「アッハハハ!」


 ノイレンはチーフに呼ばれて仕事に戻っていった。そこへシャルキーが静かにトレランスのうしろへ歩み寄る。

「教えてやんなくていいのかい?」

「うわ、びっくりするじゃないかシャルキー。」

 トレランスはわざとらしく10cmくらい飛び上がってみせた。

「しらじらしいね。あの子もうちゃんと受け止められるよ。フォクサルのことも、あんたの仕事のことも。」

「シャルキーがそう言うならそうなのかもしれないが・・・」

「なにシリアスぶってるんだい。あんたの受ける仕事は他人ひとに言えないようなことじゃないだろ。ただ仕事上やむを得ずってときがあるだけなんだから、今のあの子ならそういうのもちゃんと理解できるよ。なにせあんたのために貴族様を手にかけたくらいなんだから。」

 トレランスはそれには何も答えずにカウンターに片肘をついてジョッキを傾ける。彼はビールの苦みを舌に感じながらノイレンと出会った時のことを思い出していた。ノイレンを襲う人さらいたちを目の前で斬り殺したときのことを。


 翌日ノイレンと一緒に走り込みをしたあとトレランスは馬に乗って出かけて行った。

「嗚呼先生お早いお帰りを。わたくし寂しゅうございます。」

 アニンがトレランスのうしろ姿を見送りながら瞳を潤ませている。そのセリフが聞こえていたのかトレランスは馬の上でぶるんっと身震いした。

「師匠2、3日で帰るって言ってたじゃん。」

「わずか半日でもわたくしにとっては一年のように感じるのよ。お子ちゃまにはこの気持ちわからないでしょうね。」

「あほくさ。」

 ノイレンは頭のうしろで腕を組むと掃除をしに家に戻った。

「ちょっと待ちなさい。掃除を終わらせたらみっちりレッスンしますわよ。今日明日はギルド学校は都合でお休みですからあなたがもう勘弁してくださいませと言うほどしごいて差し上げますわ。覚悟なさい。」

「マジかよ、わたし読み書き計算だけでいいんだけど。」

 ノイレンはとても嫌そうな顔をしている。

「そうはいきません。あなたを一端のレディにするのがわたくしの使命ですからね。こてんぱんにされたくなかったら一流のレディになってごらんなさい。」

 ノイレンは口をとがらせてむすぅとアニンを睨んだ。


 その日の夕方。シャルキーズカバレの裏口付近。

「もうアニンがねうるっさいの。ああしてはダメ、こうしなさい、そうするのはレディとして恥ずべきですとかさ、いい加減めんどくさいんだよね。」

 ノイレンはポルター相手に口をとがらせて淑女教育の愚痴を聞いてもらっている。

「それは大変そうだね。でもノイレンがレディになるんなら僕嬉しいな。」

「ポルターまでそんなこと言って!」

 ノイレンは頬をぷうとリスのように膨らませてそっぽを向いた。

「ごめん、そんなつもりじゃ、」

 ポルターは情けない表情で取り繕おうと言葉を探す。

「もういいよ、別にそんな怒ってないから。」

「そんなって、怒ってんじゃん、ごめんよ。」

「いいよ、謝らなくて。さ、お互い仕事しましょ。」

 ノイレンはポルターと目を合わせもせずそっけなく店の中へ消えていった。

 ポルターはうつむいたまま馬車に戻ると弱弱しく手綱を持ち馬を歩かせた。

 その2人のやりとりを物陰から見ていた不審な男が2人いた。


「間違いなさそうですね、坊ちゃん。」

「ああ、こんなところにいたのか。今に見てろよ。」

 不審な男たち2人はお互いに見合ってほくそ笑んだ。


 しばらくしてノイレンがゴミを捨てに外に出てきた。そこへ例の2人組が。ノイレンの前に立ちはだかりニヤニヤしている。

「何、あんたら?」

「相変わらず愛想が悪いな、悪ガキ。」

 無精ひげを生やして目つきの悪い男が先に口を開いた。ノイレンは"悪ガキ"の一言に顔がこわばる。

「はあ?悪いけどあんたらなんか知らないね。誰かと間違ってない?」

 そう言いつつ必死に思い出そうとするが出てこない。するともう一人のひょろ長いのが言った。

「お前ノイレンだろ?」

 背は高いがひょろっとしていてもやしみたいな男だ。つり目でキツネみたいな顔をしている。どこかで見たような気がする。

「一体何の用だよ、だれだよあんたら。」

 キツネ顔の男が怒ったのかつり目をさらに吊り上げた。

「おいおい忘れたとか酷くない?オレの足食いちぎったくせに。」

 その一言でノイレンは思い出した。あのボンボンキツネだ。お母さんが買ってくれた大切な服を燃やしたあの鬼だ。

 ノイレンは髪の毛が一気に逆立つのを感じた。心の中に怒りが湧いてくる。

「お前あの時の、何しに来た!」

 ノイレンは身構える。咄嗟に腰に手を伸ばすがそこに剣がない。仕事中は外していたのをうっかり忘れてた。無精ひげの男がその雰囲気の悪い目をじろっと向けて身構えたノイレンに忠告した。

「おっと、ヘタなことはしないほうがいいぞ。ポルターと言ったな、あの男がどうなっても知らないぜ。」

 ただでさえ目つきが悪いのにニヤニヤしてとてもいやらしい感じだ。ゆっくりノイレンに顔を近づける。

「ポルターになんかしたのか?!」

 ノイレンは一歩退きながらも構えを直した。いつでも殴りかかれるように。

「おとなしく俺たちの言うことを聞けばヤツは無事に帰してやる。」

 ノイレンはジリジリと間合いを詰めてくる男たちから離れるように少しずつ下がる。

「ポルターは関係ないだろう、わたしにどうしろって言うんだ。」

「おとなしくしろって言っただろ!」

 ボンボンキツネはいきなりノイレンの腹にパンチを喰らわした。

「あうっ。」

 ノイレンは体をくの字に曲げてうずくまる。

「あーっはっは、いい気味だぜ。」

 ノイレンはうずくまったまま目を吊り上げてボンボンを睨みつけた。

「なんだその顔は!!」

 ボンボンはノイレンの顎を下から思い切り蹴り上げた。

「げぼっ・・・」

 ノイレンは蹴られた勢いでうしろに転がる。そのノイレンの顔をボンボンが足蹴にしようとしたときごついほうの男に制止された。

「坊ちゃん、人がくる、ここは一旦。」

「チっ、仕方ない、おい、悪ガキ、あとでまたいたぶってやるから仕事が終わったらつら貸せよ。逃げたり助けを呼んだりしたらあの男がどうなるかわかってるな。」

 そう捨て台詞を履いて二人の男は姿を消した。


「ノイレン、どうしたんだいその顔!」

 店に戻るとシャルキーが驚いた様子で訊いてきた。どうやらボンボンに顎を蹴り上げられたとき口の中を切ったらしい、口から血が少し垂れている。

「なんでもない、転んだ。」

 ノイレンはこぶしで血を拭うとシャルキーとは目を合わせずに店内に戻っていった。シャルキーはカウンターの隅に立ちノイレンの姿を目で追う。常連相手にいつもと変わらないような笑顔で接しているが、その笑顔にぎこちない感情が見え隠れしている。

「ん?ノイレンどうした?さっきとなんか違うぞ。」

「ノイちゃん、なにがあっただにか?よかったら話きかせおくれだに。」

「嬢ちゃん笑顔が暗くなってっぞ。何があった?」

 ノイレンの様子がおかしくなっていることを感じ取った常連たちが口々に言葉をかける。

「大丈夫、なにもないよ。ちょっとおなかの具合が悪いだけ。」

 ノイレンは平静を装いしらばっくれる。

「本当か?俺たち相手にウソつくなよ。みんな心配だから言ってるんだからな。」

「ありがとう、みんな、優しいんだね。」

 ノイレンはうつむき加減に小さく言った。みんなのやさしさでノイレンは泣きそうになった。

『泣いちゃだめだ。みんなを巻き込むわけにいかない。これはわたし1人の問題だ。』

 ノイレンは涙を見られないようだっと駆け出して店の奥に引っ込んだ。

 裏口の前でしゃがんでうずくまり、膝に顔をうずめて悔しさと悲しさに必死に耐える。その時ノイレンの頭にぽんと大きな手が乗っかった。ノイレンははっとする。

「師匠?」

 ノイレンは涙目で潤んだ瞳を隠さずに顔を上げた。

「チーフ。」

 そこにいたのはチーフだった。優しく微笑んでノイレンを見つめている。ノイレンは恥ずかしくなって顔を背け膝の間に隠れるように顔を隠す。

「私はあなたの過去を知らない。けれどここに来てからのあなたは知っている。ここに来てからのあなたは様々なことを学んで大きく成長している。店の誰からも好かれる素敵な女性になった。そんな素敵な女性に涙は似合いませんよ。」

 あの寡黙なチーフが珍しく長々と話している。

「何があったのかは知りませんし、話したくなければ話さなくていい。ただこのお店にいるみんなのことを信じてあげてください。あなたは独りではありませんよ。」

 ノイレンの丸まった背中にそう語りかけてチーフは仕事に戻っていった。

「独りじゃない」その言葉はノイレンの心に深く刺さった。



次回予告

母との思い出を土足で踏みにじった鬼と再会したノイレン。チーフの言葉が心に刺さってはいてもノイレンは誰にも迷惑をかけまいと一人で立ち向かう。戦いを一つ経験するたびにその力を向上させているノイレンは冷静にやつらとも剣を交える。そのさなかノイレンは再び母との思い出を奪われ、さらにポルターまでも。悲しくも勇ましく戦う血まみれの鬼姫と化し暴走した彼女はカバレの皆に救われる。

君は彼女の生き様を見届けられるか。

次回第五十話「ノイレン!」

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