第46話「逃げずに向き合えばどんなに悲しいこともいつかは静かに思い出せるようになる。」

 今日も今日とてポルターは馬車に積んできた酒をシャルキーズカバレの店内に運び入れる傍らノイレンの姿を目で追っている。

「よしっ明日こそデートに誘うぞ。」と決意を固めてからなぜか2ヶ月が過ぎている。季節は春になり花々が咲き始めた。冬ごもりしていた虫たちも表に出てきて人々の目を楽しませたり驚かせたりしている。

『はぁ、明日こそデートに誘いたいなあ。』

 ポルターは樽を抱えてノイレンをチラ見しながらそんなことを考えている。

「ポールターさっさと運んじまいな、いつまでかかってんだい。そんなんだからいつまでも見てるだけなんだよ。」

 ノイレンの姿を少しでも長く見ていたいとちんたら運んでいたらシャルキーから苦言をもらってしまった。

「はいぃっ、すみません。」

 ポルターはぴんっと背筋を伸ばして逃げるように運んでいく。ノイレンは練習をしながらその姿を見てくすっと笑った。この3ヶ月毎日チラ見しているものだからさすがにノイレンもポルターが自分を見ていることに気づいている。しかし、「あの人もダンスに興味あるのかな」としか思っていない。

「かなり良くなったねノイレン。もうどこに出しても恥ずかしくないよ。あとは場慣れすりゃ一人前だ。」

 シャルキーが珍しく手放しでノイレンを褒めた。

「ほんと!?ありがとうございます!」

 ノイレンはうれしさのあまりぴょんぴょんと跳ねるようにステージでくるくる回った。

「そこでだ、」

 シャルキーがその切れ長の目をキラリと光らせてノイレンを見た。

「そろそろラクスの誕生日イベントだ。そこでノイレンが前座を務めな。」

「え?」

 ノイレンは一瞬固まる。シャルキーはステージに上がってノイレンの傍へ来た。まっすぐにノイレンを見つめる。その切れ長の目に優しい光が宿っている。

「あんたには辛いことだろうけど、逃げてばかりじゃ一生逃げなきゃならないよ。逃げずに向き合えばどんなに悲しいこともいつかは静かに思い出せるようになる。」

 ノイレンはためらう。

「でも、わたし、」

「今はどんなに辛くても時が経てば笑えるようになる。あたしが保証するよ。なにせ経験者だからね。」

 シャルキーは念を押すようにウィンクしてその指の長いきれいな両手をノイレンの両肩にぽんと乗せた。

「だから今度のイベントであんたも踊るんだ。ラクスの誕生日を祝ってあげようじゃないか。」

「・・・わかった。」

 束の間逡巡したあとノイレンは静かに頷いた。

「当日はあたしも踊るからね。シャルキーズカバレの3人娘勢ぞろいだ。」

「娘?」

「そこはツッコむところじゃないよ。」

 シャルキーはとてもやわらかにほほ笑んだ。


 シャルキーには分かったと言いながらもやっぱり心に引っ掛かりのあるノイレンは少し塞いだ表情でステージから下りてとぼとぼと奥の部屋へ向かって歩いていく。そこにポルターがうしろから声をかけてきた。

「僕、観にくるよ!」

「え?」

 不意に声をかけられたノイレンはびくっとしながら振り向いた。そこにはわくわくした感じで目を輝かせているポルターの顔があった。

「聞こえちゃった。またノイレンのダンス見られるんでしょ。」

「え、ああ、うん。ラクスの誕生日に。」

「僕、観にくるよ必ず。」

 またノイレンのダンスが見られると期待に胸を膨らませるポルターの顔がとても嬉しそうだ。その彼の表情を見たらノイレンの心の中にポンと一輪の花が咲いた。たんぽぽかデイジーか、黄色い小さくてかわいい花が。

『そうだ、ラクスの誕生日を台無しにするのは筋が通らない。ラクスのこと嫌いじゃないし、お祝いしてあげたっていいはずだ。それにまたみんなの前で踊れるし、この人みたいに期待してくれる人もいる。そういうのを無碍むげにしたらわたし最低だ。』

「ありがとう。精一杯踊るね。」

 ノイレンは自分の感情に蓋をするように無理矢理笑顔を作った。



 酒場や飲食店を経営する商人たちで構成されたギルドが設立した学校。

「アニン先生、さよなら。」

「はい、また明日ね。」

「アニン先生、ごきげんよう。」

「ごきげんよう、気を付けてお帰りなさい。」

 今日の授業が終わって生徒たちがアニン先生に挨拶をして帰っていく。学校といっても簡素な小屋に生徒たちが使う机がいくつか並んでいるだけの小さな空間だ。そこでギルドに所属する者の子弟たちが将来家業を継ぐ、もしくは独立するために必要な知識を身に付けるためだけの場所。貴族と違って実業と関係のない教養を学ぶことも教えることもない。

「さて、今日はこれで終わりですわね。わたくしも帰りましょう。」

 アニン先生は荷物を入れたバッグを斜めに体にかけると小屋の戸締りをして家路についた。

「夕飯はどうしようかしら。」

 アニンは今夜の食事に悩む。

「小娘はともかく先生もいらっしゃらないし、わたくしだけだと寂しいのよね。」

 アニンはシェヒルに来るまでは家で一人ぽつねんと過ごしたことがない。実家にいたころは常に家族や使用人が誰かしらいた。ところがこの街に来てからというもの昼過ぎから夜中まで一人で過ごす時間ができた。別に彼女が望んだことではない。必然とそうなった。

 最初のうちは怪我の療養のためベッドの上でじっとしているしかなかったから寂しさに囚われても、療養中なのだからと自分に言い聞かせることができた。しかし回復して自由に動き回れるようになると誰もいない寂しさを紛らわせる口実がなくなった。そこで働きに出た。日中はそのおかげで寂しくはない。しかしこのまま家に帰っても誰もいない。夕飯も一人で食べねばならない。誰もいない暗い家で一人ぽつねんと食べる夕飯は味がしない。

「行ってみようかしら。」

 アニンの足は自然とあの店へ向かっていた。


 あの店は今日も大盛況。店の表に立つだけで中の賑わいが手に取るようにわかる。アニンは店の扉に手をかけると一瞬ためらった。

 前にこの店に来たときはフード付きマントを目深に羽織って正体を隠していた。しかし今はそんな体を隠すものはなにもない。荷物を入れたバッグを体に斜めにかけ、バッグの上に左腕を乗せるようにしているから、知らない人が見れば左手でバッグを支えているように見える。誰も左腕が自由に動かないとは思わないだろう。

 もちろんこの店にはそんなことを詮索したりどうこう言ってくる輩はいないのだけれど、今夜がまだ2度目の来店であるアニンは恐れている。好奇の目で見られるのではないかと案じている。

「おう姉ちゃん、入るのか入らないのかどっちだ?」

 恰幅のいいおっさん二人がアニンのうしろに立った。

「あ、すみません。どうぞ。」

 アニンは端に避けて道を譲る。

「ありがとうよ。」

 おっさん二人はにっこり笑って中へ入っていく。

「いらっしゃい!いつもの?」

 おっさんたちに向かうノイレンの声が聞こえてきた。

「おう、とりあえずビールだぜ。それとな、」

 おっさんたちはノイレンにごにょごにょとなにか耳打ちした。

「ありがと、すぐにビール持ってくから座ってて。」

 ノイレンはそう言うと出入り口までやってきて顔だけ外に出して周りを見回す。

「げっ!おばさん。」

「失礼ね、いつまでおばさん呼ばわりなのかしら。わたくし今はアニンと言いますのよ。」

 アニンは右腕をバッグの上に乗せている左手にかけて口をとがらせる。

「で、何しに来たの?アニンおばさん。」

「相変わらず憎たらしいわねこのお子ちゃまは。」

「そっちこそいつまでお子ちゃま呼ばわりすんだよ。わたくしノイレンと言いますのよ。」

 ノイレンはいらずらっぽく笑うとそっくりセリフを返した。ああ言えばこう言うノイレンにアニンがどう言い返そうか考えを巡らせてると、

「で、アニンおばさん、入るの入らないの?」

 ノイレンが急かすように訊いてきた。アニンはぷうと頬を膨らませる。ノイレンの癖が移ったかもしれない。

「入りますわよ。先生は奥かしら。」

「師匠に迷惑かけんなよ。」

「かけるわけないでしょう。」

 そう言うとアニンはぷんと顎を上げてツカツカと中へ入り、わき目も降らずにカウンターの隅にいるトレランスのもとへまっすぐ歩いて行った。

「先生。」

「カディン、いや、アニンどうしたんです?」

 アニンのいきなりの訪問に驚いたトレランスは何事かあったのかと勘繰った。

「だって、先生毎晩こちらにいらっしゃるからわたくし・・・」

 アニンは頬を赤く染めてもじもじし始めた。

「いやあ、これが俺の仕事なんで。アニンも学校の仕事で疲れているでしょう。先に休んでてかまいませんよ。明日も授業あるんですよね?」

「それは、そうですけれど・・・。せっかく先生と一つ屋根の下で暮らしているというのにわたくしいつも一人なんですもの。たまには先生と二人で過ごしたいですわ。」

 アニンはカウンターに人差し指で「e」の字を小さく書きながら横目でトレランスをチラり。トレランスは背筋に悪寒を感じてたじたじになる。

「あの、うちにはもう一人いるの忘れてません?」

「はい?」

 アニンはわざととぼける。そこにドンっとビールがなみなみと注がれたジョッキが置かれた。

「きゃっ危ない。」

 いきなり目の前にジョッキが勢いよく置かれてびっくりするアニン。ノイレンが半目でじとーっとアニンを睨んでいる。

「さっさと注文しないからとりあえずビール持ってきてやったぜ。」

 それだけ言うとぷいっとノイレンはチーフのもとへ戻っていった。

「カディン、いやアニン、いい加減ノイレンと仲良くしたらどうです?」

「それはあのお子ちゃまに言ってくださいませ。」

 アニンはジョッキを掴むと一気にビールをごくごくと流し込んだ。


 アニンはトレランスの邪魔にならないよう彼の隣でおとなしく、ちびちびと2杯目のジョッキに口をつけている。トレランスは敢えてアニンを見ないようにいつもより店内に目を光らせる。アニンはそんなトレランスの背中をうっとり眺めて肴にしている。

 ラクスのダンスが始まった。今年も誕生日イベントが間近に迫りより気合が入っている。ランプに照らし出される彼女の笑顔がまぶしい。まだ春だというのにシャルキーズカバレの店内はもう初夏の陽気だ。

 奥の部屋で一息入れているノイレンはシャルキーに思い切って尋ねた。

「ねえ、シャルキー、昼間言ってた経験者ってどういうこと?」

 シャルキーはテーブルに置いてあるお菓子を咥えてノイレンを見た。

「ああ、あの話かい。聞きたいのかい?」

 シャルキーはお菓子をごくんと飲み込むと冷めた笑みを浮かべた。ノイレンは黙って頷く。

「いいだろう。去年はノイレンに辛い話させちゃったからね。あたしも話すよ。」

 シャルキーはもう一つお菓子を口に放り込むとゆっくり話し始めた。


 その日の帰り道。トレランスの広い背中を肴に酔いつぶれたアニンを馬に乗せ、トレランスとノイレンは歩いている。半分に欠けた月に少し雲がかかって透けて見える。雲の合間から星々が瞬いている。

「どうしたんだ、ノイレン。途中から少し様子がヘンだったぞ。」

 トレランスが手綱を引きながらノイレンに訊いた。

「ねえ師匠。シャルキーのことなんだけど、ううん、何でもない。」

 ノイレンは言いかけてやめた。休憩中に聞いたシャルキーの過去があまりに重たくてノイレンは師匠に話したくなったがシャルキーに悪いと思った。

「シャルキーがどうかしたのか?まさか、あの酒屋の若造のことでなんか言われたか?」

 トレランスは親ばか丸出しの顔でノイレンの顔を覗き込む。

「違うよ、ポルターは関係ない。」

「本当だな?」

「本当だってば。」

 ノイレンが頬をぷうとリスのように膨らませて疑うトレランスに抗議する。

「じゃあ、どうしたんだ?言いかけてやめるなんて、よほどのことか?」

「うん、ちょっとね。」

 ノイレンはうなだれるように足元を見て歩いている。トレランスはその大きな手をぽんとノイレンの頭に乗せた。ノイレンはそのまま頭を上げて師匠を見る。

「なにがあったか知らないが、話したくなったらいつでも聞くからな。遠慮するなよ。」

「うん、ありがとう師匠。」

 ノイレンはにこっと口角を上げて微笑んだ。


「生きてりゃちょうどアニンあの女と同じくらいの年になってるね。」

 シャルキーはゆっくりと、静かに思い出せるようになった昔話を語り出した。テーブルの上のランプの灯がちらちらと揺らめく。シャルキーはその灯の中を見つめている。

「あたしね、17のとき子供を産んだんだ。」

 ノイレンはランプの灯に見入るシャルキーのその切れ長の目を横からじっと見つめる。

「あたしが15で花形を張ってたって話は前にしたろう。その衣装を着て踊ってたんだ。」

 今はノイレンが着ている赤いダンス衣装を目で差して懐かしそうに見た。

「その時あたしを気に入ってくれたお客さんがいた。身なりのいい”いいとこ”の紳士って感じの人だった。その人がそりゃもう熱心にあたしを口説いてきた。で、あたしも若かったからほだされちまった。」

 まだ人を好きになったことのないノイレンでもシャルキーが燃えるような恋ってやつをしたのだろうということは彼女の話しぶりから想像できた。

「そりゃもう毎日が夢のようだったさ。ダンスをすれば拍手喝采、誰もがあたしのダンスに夢中になってくれたし、彼はあたしのことを理解してくれて、こんなに幸せでいいのかななんて怖くなるくらいだった。」

 シャルキーがうつむき加減にテーブルに視線を落とすとその切れ長の目に悲しさの色が加わった。

「そんなもんだから当たり前のようにあたしは彼の子を身ごもった。ところが、あたしが子供を産むとその日のうちに彼は子供だけ連れて姿を消した。」

 ノイレンは黙ったまま目を大きく見開いてシャルキーを見つめる。

「初産で難産だったから子供を産んだ時あたしは意識が朦朧としていてね、赤ん坊の泣き声を聞いたのははっきり覚えているけど、男の子だったのか女の子だったのか、産婆の言うことがちゃんと聞こえてなくてどっちだったのか。」

 シャルキーはちらとノイレンを見た。2人はしばし見つめあった。

「なんで?どうして・・・?」

 ノイレンが口を開いた。

「あとから知ったことなんだけど、というよりあの時はそんなことも気にならないくらい周りが見えてなかったんだね、あの頃のあたしは。子供の父親の彼がね、実は結婚していたんだ。でも奥さんとの間に子供がどうしても出来なかったんだと。それであたしとの子供を跡取りにするんだと言って、あたしが朦朧としていてなにも言えないうちに法外な手切れ金を枕元に勝手において、産婆と一緒に子供を連れて行っちまったのさ。」

 ノイレンは心の内に怒りが湧いてきた。

「そんなことされて赤ちゃん取り戻しに行かなかったの?」

 シャルキーは寂しそうにふっと笑った。

「もちろん行ったさ。産後の肥立ちが悪くて探しに出るまで半年くらいかかっちまったけどね。もうあちこち探し回ったよ。なかなか見つからなくて気が狂いそうだった。それでもようやくその彼が実は他所よその街に住んでいる貴族様だってことを突き止めた。でもそこから先は貴族様の力でねじ伏せられた。ねじ伏せられて脅された。もし一言でも子供の素性を口外したら子供もろとも処刑するってね。あの産婆もグルだった。子どもを連れ去った後は産婆が乳母になって育ててるからなにも心配するなって言われたよ。」

「なにそれ・・・」

「せめて子供の性別だけでも教えてくれと頼んだんだけど、『知らないほうがいい、知れば余計に気になるだろう』と教えてくれなかった。」

 ノイレンはすくっと立ち上がり目を吊り上げて顔を赤らめている。本当に分かりやすい。そのノイレンの手をシャルキーは優しく握りしめた。

「ありがとう、怒ってくれて。あたしだって自分だけならどうなったって構やしなかったさ。彼を殺してでも奪い返したかった。でもね子供を殺すって言われたら何もできなかった。おなかを痛めて産んだ子だよ。その子には生きててほしいからね。」

 シャルキーはその切れ長の目を細め、寂しげな笑顔を浮かべてノイレンを見ていた。



次回予告

シャルキーの過去に自身の悲しみを重ねて前を向こうとするノイレン。ラクスの誕生日イベントに合わせてノイレンはかねてより目をつけていた衣装をついに手に入れる。今までに働いて貯めた貯金をはたいて唯一無二の衣装に仕上げてもらった。その衣装に身を包んだノイレンはシャルキーに言われたとおりしっかりと前を向いてダンスを披露する。その姿にイチコロになったポルターは大人たちに背中を押されてついにノイレンをデートに誘うが・・・。

君は彼女の生き様を見届けられるか。

次回第四十七話「うふふ。」

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