第29話「わたしに出来ないわけない!」
冬も真っ盛り、乾いた大地は空っ風が身に染みる。洗濯が終わると途端に指の冷たさが脳天を突く。指先がじんじんと悲鳴を上げて思うように動かせない。ノイレンは「はあはあ」と息をかけて温めるがかじかんでしっかりと木剣を握れない。なんとかしようと両手を服にごしごしとこすりつける。
「何をやってるんだノイレン?」
「だって指がかじかんじゃって、」
「そういうときは指をぐーぱーすると早く温まるぞ。」
トレランスが指を動かしてみせる。ノイレンは両手の指をぐーぱーぐーぱーした。
「もっと早く動かしてみな。」
言われたとおり素早く動かしているとかじかんだ指がほぐれてきた。
「よし、じゃあそろそろ始めようか。」
トレランスは木剣を左手に持ちノイレンと向かい合った。お互いに礼をして木剣を左手から抜いて構える。
「こちらから行くぞ。」
トレランスがそう言いながら飛びかかってきた。彼の剣を受けると習った型どおりに受け流して次の動作に入り攻撃に転じる。それをトレランスは教えた型どおりに躱しながら次の一手を繰り出してくる。
ノイレンはその攻撃を型どおりに受けずに飛び退いた。ひらりとその場から
「一本。」
2人とも木剣を左手に持ち直して礼をする。
「今の動き良かったな。どうしてああしようと思ったんだ。」
トレランスが訊くとノイレンは笑顔で答えた。
「今のわたしじゃまともにやっても師匠に勝てないから、ダンスみたいに動いてみようと思って。」
「なるほど、考えたな。しかしあっさりと俺に躱されてしまったぞ。」
「そうなんだよ!それが問題!」
ノイレンは口をとがらせてムキになる。
「なんで型どおりじゃない動きにあんなに早く対応できるの?」
「ほう、分からないか?じゃあ考えてみなさい。」
「えー、教えてくれないの?」
ノイレンの口がさらにとがる。
「教えるのは簡単だ。それを自分の頭で考えるともっとよく理解できる。考えて言ってみなさい。合ってるかどうか教えるから。」
ノイレンは腕組みをして考えこむ。
物事を柔軟に考えることを学んでからノイレンは普段の稽古にも見て覚えたダンスの動きを自分なりに応用するようになっていた。
ノイレンの部屋の窓の下でニワトリたちが一心にエサをついばんでいる。冬の冷たいそよ風がニワトリの羽やノイレンのお尻まである長いポニーテールに触っていく。
「わかった!師匠の反射神経が早いんだ。」
「う~ん、当たらずとも遠からずだな。」
「当たり、外れ、どっち?」
「それだけじゃ足りない。もっと答え求む。」
トレランスがいらずらっぽくニカっと笑う。
「うむむ、」
ノイレンは腕組みをしながら首をひねる。
「ノイレンはあのとき俺のどこを見てた?」
トレランスがヒントを与える。
「師匠の右手。剣の動きを見てた。あっ!!」
トレランスがニヤっとする。
「師匠は別のところを見てたってこと?!」
「その通り。じゃあノイレンのどこを見てたでしょうか。」
ノイレンの首がぐるっと一回転しそうだ。
「わたしの手じゃないよね、じゃあ顔、それとも足?」
「近い!」
「近いって、まさか胸とか言わないよね?」
ノイレンがジトっと半目になる。
「あっはっは、子どもに手を出すほど飢えてない。」
トレランスはいつぞやの台詞を返した。
「じゃあ、どこを見てたの?」
「ノイレンの体全体と目だ。」
ノイレンはぷうと頬をリスのように膨らませる。
「なんかずるい答えだな。」
「あっはっは、ずるいか。でも実際全部見てたんだから仕方ない。」
「相手の頭のてっぺんからつま先まで全体を見てればどんな風に動いているか分かる。そして相手の目を見れば次にどんな動きをするか予想できる。目は口ほどにものを言うからな。」
トレランスがイタズラっぽく笑いながら言うものだからノイレンはどこまで信じていいものやら分からず、結局そのあとずっとそのことが頭から離れなかった。
いつもの掃除を終わらせたあとノイレンは街へ出かけた。と言っても散策や気晴らしではなく、朝の走り込みと同じペースで走る稽古のついでにこの間見つけた衣装屋を見にきた。
その店は煌びやかなダンス衣装を数多扱っている。デザインも色も様々あって目移りする。見ているだけで一日潰せるくらいにノイレンはわくわくして目を輝かせた。その中に大好きなオレンジ色のいい感じのものがあってノイレンは一目で気に入った。
「ダンスを習えるようになったらこれ買うぞ。」と決め込んだが、値段を見てひっくり返りそうになった。物の値段の概念があまりないノイレンにとっては目が飛び出るほど高価に思えた。相場的には安いほうなのだが、「こんなにするのか、もっと貯金しないとな。」と。
「よしっ、今日もいいもの見た。稽古も仕事も頑張るぞ!」
気合を入れ直してまた走り出す。見て覚えたダンスの動きを型に取り入れるにしても足腰の筋力とバネがノイレンの想像よりも必要だということを稽古を通して実感した。軽やかに動くだけなら今でも十分できる。しかし、攻撃に転じるときは力強い踏み込みがないと効果的な一撃を繰り出せない、今のノイレンにはその爆発的な力が不足していた。
そこで今日はただ走るのではなく行き交う人々の体全体を注視してその動きを把握し予測する感覚を磨くことにも注力しながら、人々にぶつからずにギリギリで走り抜ける体捌きを鍛えようとした。
「師匠にできてわたしに出来ないわけない!」
ノイレンにも理由はわからないけどなぜか頭の中でそう思うのだ。同じ人間なんだからわたしにもできるはずという思いが湧いてくる。
ペースを落とすことなくわざとぶつかりそうなほどにそこらにいる人々に近づいていき寸前で躱す。
『さあ、あの人はどっちに避けるかな、右か、左か。』
何も知らない通行人はどこの誰だか知らない少女が自分めがけて走ってくるのに気づいて慌てる。慌てて避けようとするその動きを近づきながら予測する。
『右か!』
そう思って咄嗟に左に躱す。上手く躱せたときは気持ちがいい。しかし、
『うわっ、こっちくんのかよ。』
たまに相手と躱す方向が同じになることがある。
『ぬあああ!』
そういう時は手足を振ることで無理矢理に自分の進行方向を捻じ曲げる。自分から接近してるのだ、ぶつかるわけにはいかない。
「ごめんなさい!」
ギリギリで躱してそのまま逃げていく。
そんなことを繰り返しながら街の中を走り抜けていく。そのまま走って行くと広場に人だかりが出来ているのが見えてきた。
『なんだろ。』
ペースを落として近づいた。時折人だかりの中から「おお!」という歓声や拍手が聞こえてくる。興味の湧いたノイレンは何をやってるのかのぞき見ようとぴょんぴょんと飛び跳ねる。人だかりの向こうに2、3人いて何か芸を見せているのが見えた。
先端に重りのついた棒が幾つもくるくる回りながらひょいひょいと楕円を描いて人だかりの頭の向こうに飛び交っている。
「なんだ、あれ。」
ノイレンが思わず声に出して呟くと、そばにいる人が教えてくれた。
「ジャグリングだよ。棒とか輪っかとか、ブロックとかをいくつも上に投げて回すんだ。」
ノイレンの位置からは人々の頭の上に飛び交うところしか見えない。是非とも芸人の手元を見てみたいとぴょんぴょん飛び跳ねる。
「お嬢さん、よかったらこっちにおいでなさい。」
ノイレンのうしろから声がする。振り向いてみると通りすがりの馬車が止まって大道芸を見ていた。
御者が荷台に上がってもいいよと手で合図する。
「ありがとう。」
ノイレンはひょいと荷台に飛び乗り、さらに背伸びして人だかりが囲む芸人たちを見た。ジャグリングの手元が
「へえ、よく落とさないもんだ。」
「いっぱい練習したんだろうね。」
感心するノイレンに御者が相槌を入れた。
ジャグリングが終わると今度は2人で息を合わせてアクロバットが始まった。1人が木剣で襲うふりをすると襲われる役のもう1人がうしろへ向かって飛び上がり空中でくるっと回転して着地するバク転を連続で披露しそれを躱し襲う役を小馬鹿にした仕種で挑発する。人だかりから笑いやヤジが起きる。
「やい、へっぴり腰!」
「そんな振り方じゃ当たらないぞっ。」
「いいぞ、逃げろ逃げろ。」
いくら襲いかかってもひらりとバク転で逃げられる。いいかげん攻撃するのを諦めて背中を見せて立ち去る振りをする。すると逃げてたほうが人が大きくジャンプしてその人を飛び越し、空中で体を捻ってその人の目の前に着地、ライオンやトラのように両腕をガオと構えて驚かす。
どっと人だかりから笑いが沸き起こる。
「すげー、ジャンプしただけで空中で回転した。どうなってんだ?」
ノイレンは目を丸くして見入った。
「私も手をついて回るのは見たことあるけれど、あれは初めてだ。あの芸人さんたいしたもんだ。」
御者も驚き、良いものを見たと喜んでいる。
『手を使わない空中回転、型に使えそうだな。やって見せたら師匠びっくりするぞ。』
今やノイレンは見るもの聞くもの全て剣術に応用できないか絡めて見るようになっていた。
街中をぐるっと回って家に戻ってきたノイレンは早速広場で見たバク転を練習する。
「あんとき、両手を大きく上に振り上げながらうしろにジャンプしてたよな。」
芸人の動きを思い出しながら真似てみる。
ドッシン!!
空中で回転出来ず頭から地面に落ちた。
「痛ってぇぇ!!」
両手で頭を抱えてうずくまるノイレン。たんこぶが1つできた。
「ちくしょう、あの芸人さんにできてわたしにできないなんて。」
ノイレンの場合芸人を馬鹿にしているのではなく、同じ人間なんだから自分にもできるはずと単純に思っているだけ。師匠にできて自分に〜と同じ感覚だ。頭の中であの芸人の動きを何度も反芻し、息を整えた。
「よしっ!」
再びバク転を試みる。しかし手を大きく振り上げるのとうしろに向かって飛び上がることに注意したからか体が上に上がらずそのまま背後の壁に真っ直ぐ突っ込んでしまった。
ドカーン!!
「・・・」
またまた頭を抱えてうずくまる。たんこぶが2つ。
「諦めてたまるか。」
今度は壁を目の前にして立つ。
「これならぶつからないぜ、ざまあみろ。」
なぜか勝ち誇るノイレン。そして大きくうしろに向かってジャンプした。
両手を大きく振り上げることで体が上に持ち上がる。それと同時に両足を前に蹴り上げるように膝を曲げる。
「やった!」
空中で回転できた。しかし、勢いが良すぎてぐるっと一回転半してしまった。
「☆〇☆☆▽☆!」
たんこぶ3つ。
なかなか上手くバク転出来ずに何度も練習していたら日が暮れてきた。
「夕飯作らなきゃ。遅刻しちゃう。」
ノイレンはバク転の練習を止めて、干し肉を煮込んだシチューを作り始めた。頭がジンジンする。
シチューが出来上がる頃トレランスが昼間の仕事から帰ってきた。
「ただいま。仕事終わりにミカンたくさんもらったぞ。カバレに持っていってみんなで食べよう。」
帰ってくるなりトレランスはミカンのいっぱい入った袋を抱えてノイレンのうしろまできた。
「お、シチューか、美味そうだな。」
鼻をくんかくんかさせて行儀が悪い。
「干し肉があったから煮込んだ、どうかな。」
トレランスはどれどれと味見した。
「美味い!ノイレンも料理上手になってきたな。」
トレランスはニカっと笑ってノイレンの頭にその大きな手をぽんと乗せた。
「うきゃっ☆〇☆☆▽☆!!!」
頭を抱えてその場にうずくまるノイレン。
「どした?」
ノイレンの予想外の反応にトレランスはキョトンとしてしまった。
「実はかくかくしかじかで・・・」
ノイレンが頭を両手で押さえながら説明した。
「あーはっはっは、たんこぶか。そりゃいい、笑える。」
トレランスは目の端に涙を浮かべるほど笑っている。あまりの笑われようにノイレンはぷうと頬をリスのように膨らませた。
その日の夜シャルキーズカバレでトレランスの貰ってきたミカンが皆に振る舞われた。
「そんなにあげちゃったら自分で食べる分無くなっちゃうじゃない。」
ノイレンがもの惜しそうに言うと、
「いいことがあったらみんなで半分こするんだよ。それでみんな幸せだ。」
シャルキーは切長の目を丸く細めて笑う。そして指の長いその綺麗な手をノイレンの頭にぽんと乗せた。
「☆〇☆☆▽☆!!」
次回予告
様々な物事を自分の力に変えようと張り切るノイレン。たんこぶだらけになりながら練習したバク転もすっかり上達したノイレンは背中にも目を付けろと言われ思案する。トレランスから目だけでなく五感を研ぎ澄ますことを教わりその難しさに新たな壁を感じた。そんな中ラクスの誕生日会をシャルキーズカバレで盛大に行うことになったがノイレンはいまいち乗り気でない。
君は彼女の生き様を見届けられるか。
次回第三十話「そういうのは要らないから。」
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