異世界短編 ~時間つぶし、暇つぶしをしたいあなたへの物語~
たそがれキャンディー
ドラゴン
「ドラゴンが出ただと?」
俺はその言葉に、耳を疑った。
ドラゴンといえば、古来より人の畏怖と信仰の交錯する怪物である。神にも魔にも等しい存在――それが、現にこの大地に姿を現したというのか。
「で、どこに出たんだい?」
俺の問いに、商人は一つ咳払いをして答えた。
「東の山脈でさぁ。そこの地元の住人が避難してきたもんで、そいつから聞いたんです」
「へぇ、それはお前さんの商売相手か?」
「ええ。あっしのような行商人は、いろんな土地にツテを持ってましてねぇ。その地の産物を仕入は、売り歩くのが仕事ってわけです」
「ドラゴンが出たとなりゃ、仕入れもお手上げだな」
「まったくですぜ。商売あがったりです。あそこの薬草は多くの病に効くって評判でしてね。豪農、貴族によく売れる。それなのに、いやぁやっかいなことになったもんです。」
「気の毒に。ドラゴンは一度その地に降りれば、数か月は動かないと聞く。難儀なことだ。」
すると商人は苦笑しながらも、諦めきれぬように言った。
「だからこそですぜ旦那。旦那は冒険者でしょう? どうにか、ドラゴンを討伐してはくれませんかねぇ」
「おいおい、簡単に言ってくれるなよ。冒険者は冒険が生業だ。魔物退治はおまけの副業程度のものさ。第一相手はあのドラゴン……」
無理な頼みと思ったその時であった。俺の胸中で一つの閃きが生まれたのは。名案――いや、悪知恵と言うべきか。己の心の底を照らすその稲妻に、言葉が一瞬、喉に詰まった。
「……ドラゴンが相手なんだ。空を飛び、炎を吐く。人の力でどうにかできる相手じゃない」
そう言い捨てると、俺は立ち上がり、テーブルに銀貨を置いた。
「今日はもう疲れた。金はここに置いとく。飲み代にしてくれ」
商人が止める間もなく、俺は飲み屋を後にした。
翌朝。
俺が立っていたのは、例の――東の山脈の頂上だった。
そこは妨げるものがない広々とした高原。無限に広がるかのような開放的な青々とした空。
「昨日はいい話を聞かせてもらったもんだ。あの男にとっちゃ商売あがったりだろうが、俺にとっちゃ絶好のもうけ話だ」
爽やかな風の吹く中、芝にも似た短い草花を踏みしめて周囲を散策する。
--
これは、俺にとっての一攫千金の好機だった。
平時でさえ需要の高い薬草。供給が断たれた今、その価値は天を突くほどに高まっているはずだ。金を持ってる連中が求める薬草ならばどれ程の値がつくだろうか。
――それを俺が摘み、売る。
地元の者たちが避難した今、採取の邪魔をする者などいない。
「俺は冒険者だが、リスクに見合った報酬のためなら多少の危険は望むところよ」
ドラゴンが出ることもまた承知の上。しかし奴と戦う必要などない。
見つからぬよう、静かに薬草を摘み取って帰ればいいのだ――。
その時、目に飛び込んできたのは、特徴的な形をした群生だった。
…薬草だ!
「……これはすごい」
駆け寄り、膝をついて摘み取る。
そしてあたりを見回せば、薬草の群生はそこかしこに見えていた。
「こりゃあ、一財産築ける……!」
胸を高鳴らせながら嬉々と薬草を摘み取り、袋に詰めていく。笑みが思わずこぼれる。金…金…金!そうさ俺が仕事をする動機は金だった。大金を稼いで良い暮らしをして、人生というものを謳歌したいのだ。そしてこれで俺も金持ちに…
その時、山風が荒れ狂った。
突風。
そして地響き。
それは何か巨大なものが降り立ったかのような、力強い一瞬の揺れ…
――何かが、来た。
俺は振り返り、そして言葉を失う。
それはまるで生きた岩山だった。
巨躯。
翼はその体をさらにしのぐ程に大きく、鱗は鎧よりも厚く、光を反射して鈍く輝いている。
その姿は爬虫類を思わせる形ではあるが、ワニやトカゲとは比べ物にならない獰猛さを感じさせた。
荒々しくも神聖。
恐怖と美とが、混ざり合っていた。
――ドラゴン
心臓が、悲鳴を上げた。
体は勝手に地へ伏し、潰れた蛙のように身を潜めた。
薬草の群生に体を埋め、息を殺す。
唯一の幸運。
それは奴はこちらに気づいていなかったことだった。
百聞は一見にしかず。
見て悟った。
これは…人間がどうにかできるような生き物ではない。
曰く討伐に一軍が動き、曰く襲撃で一国が滅びる。
ただ一人の凡俗などそれを目の前にしてなす術などなにもない。
嵐を退ける術がないように、できることはただ伏して祈るだけ――。
深く、重く、ドラゴンの呼吸が大地に響く。
一歩、また一歩。
そのたびに、大地が微かに震えた。
まるで、大地そのものが鼓動しているかのようだった。
震動は次第に大きくなり、やがて、こちらへと迫ってくる。
息が詰まる。
「……見つかる」
殺されるとしたら、どんな最期か。
踏み潰されるのか、喰われるのか。
いずれにしても、ろくなものではない。
…ならば、逃げるしかない。
タイミングを見計らって、飛び出し、一気に――
その瞬間、目の前を一匹の小さな影が横切った。
ネズミだ!
ドラゴンの視線がそちらへ向く。
のしり、のしりと進路を変え、遠ざかっていく。
……助かった。
膝が震えた。
息を詰めていた肺が、ようやく空気を取り戻す。
「……しのいだ、のか」
ドラゴンはどんどんと遠退いていく。
もうしばらく、このままやり過ごせばいい。
やがて、奴は飛び去るだろう。
これほどの危機はもう二度と御免だ。
ドラゴンという存在を、俺は軽んじていた。
リスクを承知で来たが欲に目が眩むのは、死への近道だ。
それにもう十分だろう。今回摘み取った薬草だけでもそれなりの金になるだろう。
「命あっての物種、か……」
呟いたその瞬間だった。
目の前を何かが遮る。
「…ネズミ?」
一匹、二匹、それはさらに身の前を遮ってどこかへ走り去っていく。
ふとあたりをよく見れば、ネズミを初め、小さなウサギや昆虫までもが機敏に動きどこかへ立ち去っていく。
それは予兆のようだった。何かの。それが何かはわからない。しかし決して良くない何かの予兆のような静かに迫る不気味さ…
陰が落ちる。
世界が暗くなった。
陽光が、何かに遮られたのだ。
雲か――?
顔を上げる。
俺は、凍りついた。
幾十もの影。
翼の群れ。
それは、空を覆う壁のようだった。
彼らは、猛禽のごとく旋回しながら、少しずつ地表へと近づいていく。
何であるか、俺は知っていた。
つい先ほど、その一体と出会ったばかりなのだから。
「ドラゴンが出た」――商人はそう言った。
だが、彼は“一匹で”とは言っていない。
「群れ…」
唖然と空を仰ぐ。
絶望しているのはドラゴンの大群が近づいてくるからというだけではない。
群れの一匹と目があったから。
それは、静かに俺を見ていた。
異世界短編 ~時間つぶし、暇つぶしをしたいあなたへの物語~ たそがれキャンディー @tasogarecandy
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