少年兵

朝吹

少年兵

 

 火焔と煙、叫び声。金色の鳥がたくさん飛んでいるような夕焼け空。

 流れる雲を少年は見上げていた。投げ出した手足の先に転がっているのは、折れた矢と槍、そして死体だ。

 最期の刻がくるのを少年は待っていた。

 鼻から流れ出て唇の上で固まった血は舐めるたびに少しずつ溶けて口の中に入り、敗北の味を彼に教えた。

 

 せめて砦の中で、仲間と共に死にたかった。

 

 破砕槌で門を叩き、長梯子をかけて壁を超えようとする敵兵と、その敵に熱湯浴びせ、石を投げ、矢を射かける砦の守備隊。

 少年も胸壁の上を走り回り、壁を登ってくる敵兵に矢を放っていたのだが、投擲装置から飛んできた大岩が防壁に激突したことで、足場を失い、壁際にうず高く積み上がった敵兵の死体を緩衝材がわりにして破片と共に砦の外に転がり落ちた。

 落下した少年はしばらく気絶していたらしい。そして気づいた時には、敵軍の旗が砦にひるがえっていた。


「生きているぞ」

 敵兵の声がした。まだ息のある者にとどめを刺しているのだ。夕暮れの色が濃くなる中、少年は自分の順番が巡ってくるのを待った。

 たいして活躍しなかったな。

 横たわる彼はそんなことを考えていた。一度は敵兵と刃を合わせてみたかった。ここで戦死しても、身体の不自由な母は救済院で引き続き面倒をみてもらえる。それだけが救いだ。

「少年兵だ。生きているぞ」

 あしおとが近づいてくる。見上げていた空が人影で塞がった。

 その者は少年の身体を跨ぐと、真上から少年の顔をのぞき込んできた。少年は、はね起きて敵兵の首に腕を回そうとした。だが実際には肩が大地から離れるか離れないかのうちに胸部を膝で踏まれて抑え込まれてしまった。

 少年の上に被さってきた敵兵は子守唄を口づさんでいた。

 ゆうらゆら。月はお前をはこぶ舟だよ。

 歌いながらその男は、少年が隠し持っていた短剣を遠くに投げ棄てた。

「お前が壁から落ちたのは俺がお前を狙ったからだ」

 続いて、男はおかしなことを口にした。

「ずいぶんと背が伸びたな」

 誰だこいつ。少年は冷たい土のついた手で男を押し退けようとしたが、その手首をとられた。

「この少年兵の手当をしろ」

 男は後ろにいる兵に告げた。



 少年は抵抗するだけしてみたが、諦めた。抗えばお前の代わりに捕虜を殺すぞと運び込まれた敵陣で軍医に脅されては仕方ない。

 武装の一切をほどかれ、怪我の治療を受けた少年は、男の正体を想い出していた。あいつは俺の家に来たことがある。

 二年前のことだ。家に帰ると、下町の狭い家に客人がいた。見知らぬ男は少年を見るなり無言で深く頷いた。

「外に出ていらっしゃい」

 母に云われて通りに出た。隙間なく建て込んだ路地の家々からは夕餉の煙が細く立ち昇り、空腹を堪えかねた少年は道端にしゃがみこんだ。

 しばらくすると男が家から出てきた。

「これを大切に持っておけ」

 男がそう云って少年に握らせたものは、艶びかりする珍しい貝殻だった。

 家に戻った彼はあれはいったい誰なのかと母に訊いてみたが、母はただこう応えた。

「大金を下さったの」

 その話には何か奇妙なものがあったが、半年後には彼の頭からもう消えていた。少年が留守にしている間に泥棒が入り、金袋を取り戻そうとした母が賊に刺されて、働けない身体になってしまったのだ。

 他に身寄りのない少年は給金の出る兵士養成所に入った。 

 母と暮らした下町の家を後にする日、少年は子どもの頃に遊んだ玩具と、男からもらった貝殻を家の裏庭に埋めた。

 

 あの時の男だ。


 その男は自分の天幕に少年を招き入れ、捕らえた少年に云いきかせた。俺はお前の長兄だ。お前は本当はこちら側の人間なのだ。お前が母と呼んでいた女の正体は、俺たちの乳母で、実子を病で亡くしたあの女はまだ幼いお前を屋敷から連れ出して船に乗り、今は敵国となってしまった海の向こうに逃れたのだ。

「将軍だった父の死後も、俺たち兄弟は諦めなかった。長い時をかけて居場所を突きとめた俺は、あの国に潜入し、乳母に大金を渡して約束させた。今さら無理に引き離そうとはおもわぬ。その代わり弟を兵士にだけはするな。俺たちと戦わせることはするなとな」

「あのお金は泥棒に取られちゃったよ」

 少年の兄はそれをきくと舌打ちした。

「何か困った時には赤帆をつけた西廻商船の船長に貝殻を渡せと乳母には云っておいたのだが。船員を使ってお前のその後を探らせてみると、新兵としてあの砦に派遣されたと知った」

 語り終えると長兄は、懐かしい目をして少年の頬に手をおいた。

「お前は死んだ俺たちの母に似ている」



 ゆうらゆら。

 母の膝の上であやされながら聴いたと想っていた子守唄。あれは実の母が子どもたちを集めて歌っていた唄だった。

 月はお前を運ぶ舟だよ、星の海をゆらゆらと。

 行き先は故郷ではないけれど。



 紫色の空にまだ星座が残っている。去っていく少年の影を長兄は見送った。

 再会の祝宴の最中に近くの町に商隊が来ていると誰かが云った。その時の少年の顔つきを見た長兄は、金子きんすと貝殻を入れた革袋を少年に与え、川のほとりに馬を繋いであると教えた。

 商隊と一緒に海に出れば、少年の母が待つ国へと戻る手立てが見つかるはずだ。

 行き先は故郷ではないけれど。

 まだ寝ている他の兄弟にはうまく云っておくと長兄は少年の肩を抱いた。

 別れの挨拶に少年は革袋を掴んだ片腕を暁の空に向かってあげ、しばらくそのままでいた。それから少年はもう振り返ることなく、母国に向かって羽根が生えたように走って行った。




[了]

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少年兵 朝吹 @asabuki

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