第3話 女神の導き
水溜まりから現れた女性は、静かな水面のように凛とした瞳で私を見つめていた。
「私は、風の女神——セラフィア」
その名を聞いた瞬間、胸の奥がかすかに震えた。知らないはずなのに、どこか懐かしい響きだった。
「あなたを呼んだのは理由があります。世界が、今……“悲鳴”をあげています」
そう言うと、セラフィアは空気をそっとなぞった。
その指先から波紋のような光が広がり、目の前の空間が水面のように揺れる。
「まずは……これをご覧なさい」
ゆらめく空間の向こうに、異様な光景が浮かび上がった。
——暗い森。
——巨大な蜘蛛。
——紫色に鈍く光る糸。
「……何これ……糸が、光ってる……?」
「ただの光ではありません。これは“神経毒”が巡っている証です」
セラフィアの声は穏やかだが、その奥に深い緊張があった。
「本来、毒は牙にしか宿らないはず。しかし、彼らは“過剰適応”を始めました。
生き延びるために、糸そのものを毒へと変質させたのです」
映像の中で、蜘蛛の糸が脈を打つように震えている。
私は息をのんだ。
それは恐怖というより、胸の奥深いところで何かがざわめくような感覚だった。
「どうして……こんなことに?」
問う私に、セラフィアは目だけで答えた。
「——それは、あなた自身の中に理由があります」
その言葉は、水の底から響くように重たかった。
映像がふっと薄れ、あたりが元の森へと戻る。
セラフィアはくるりと背を向け、歩き出した。
水面の上を歩くように、足取りは静かで軽い。
「来なさい。異変は森全体に広がっています」
私は小さな足で慌てて後を追う。
森の奥へ進むたびに、空気がひんやりと冷え、胸のざわめきが強くなっていく。
しばらく歩いた先で、私は言葉を失った。
木々が——
一本、また一本、すべて同じ方向へ“傾いて”いた。
「……え、地面が動いてるの……?」
「違います。植物たちが、自ら“逃げて”いるのです」
セラフィアの声が森に溶けるように響く。
「森そのものが危険を察知し、生き方を変え始めています。これは、生態の変化などという小さな問題ではありません。世界そのものの“調和”が乱れようとしているのです」
足元の土が、かすかに震えた気がした。
さらに奥には、美しいのに不気味な花が咲いていた。
花弁は淡く光り、甘い香りが空気を満たしている。
「……きれい……でも、なんか……怖い」
「その感覚は正しい。
この花粉は、昆虫の神経に作用し、惹きつけ、取り込み……やがて根へ吸収します」
私は知らずにセラフィアのローブをぎゅっと掴んでいた。
「ねぇ……どうしてこんなことになってるの……?」
セラフィアはしばらく黙り、風のように静かに言った。
「答えは、あなた自身の中にあります。
あなたの“共鳴の力”が完全に覚醒すれば、やがて——世界の異変の根源に気づくでしょう」
胸の奥に小さな痛みが走る。
それはなぜか、懐かしい痛みだった。
私は知らない。
でも、どこかで知っている。
胸の奥で、水面のような光が、かすかに震えた。
「行きましょう、瑞葉。
まだ見せなければならないものが、たくさんあります」
そして私は、女神の背中を追い、どこまでも深い森の中へ歩いていった。
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